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市役所まで(その3)

     *


 南の風が、吹きました。

 あの花の名はなにかしら?振り向きながらあのひとに訊く。

 橋のうえには子をあやす、ははのすがたが見えていました。

 市役所からのかえりみち、わたしは何を訊いたのでしょう?


 南の風が、吹きました。

 いまごろはもう、わかれの季節。

 生きて行こうと、つとめる季節。


 南の風が、吹きました。

 あの花の名はなにかしら?振り向きながらあのひとに訊く。

 市役所からのかえりみち、あのひとはどう答えたでしょう?


 橋のうえには子をあやす、ははのすがたが――「ああ奥さん、とてもかわいらしい赤ちゃんですね」――あの男が現れました。


「ミヤコワスレですよ」あのひとが言いました。

 いえ、言ったような気がするだけかも知れません。

 わたしは、あの男の声にとてもいやなものを感じて――いいえ、想い出していたからです。


「ちょっと抱かせてもらえますか?」

 わたしの目の端で、女のひとが、男に赤ちゃんを渡しているのが見えました。

「いやあ、本当にかわいらしい……女の子ですか?」


「楓さん?」

 わたしの様子がおかしいことに気付いたのでしょうか、あのひとがこちらを振り向きました。

「どうかしました?」


「そうですか。女の子ですか。ああ、よく眠っている」

 あの男の甘くやさしい声が強さを増して行き、女のひとを侵していることが分かりました。


「ただ、わたし、ほんとうは、子どもが大の苦手で」

 男はそう言うと、女のひとに子どもを返してから、わたしの方を向いて、

「だろう?佐久間」

 と、言いました。


 女のひとは、不思議そうな――いいえ、不思議だと想うことも止められたと云う顔であの男を見ていました。


「まさかこんな田舎町に来てるとはなあ」

 そう言いながらあの男が近付いて来ます。

「一緒に帰ろう」


     *


 部屋の中が甘い香りで満たされていました。

 外から聞こえて来るのは鳥の鳴く声だけでしょうか。

 あおむけのからだを横に返したとき、ほこりまみれだったわたしの髪がきれいに洗われていることに気付きました。

 洗い立てのシーツが肌に直接ふれて来ます。

 もう夜なのでしょうか?

 大きな窓のそばいっぱいに紫の花が並べられているのが見えます。

 そこでわたしは目を覚ましました。

 ベッド横のナイトテーブルに飲みものと一枚のメモが置かれていました。

 灯かりをつけ、水を一杯飲み、起き上がって服を探します。

 わたしのシャツとズボンはきっと捨てられたのでしょう。

 代わりに、いつもの、趣味の悪いドレスが、窓際のソファに置かれていました。


     *

BGM:『区役所』山崎まさよし

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