水曜日の夜、午後八時十五分(その2)
さて。引き続き、水曜日の夜、午後八時十五分。本日、石神井警察署管内の銀行で起きた強姦未遂事件についての話であるが……その概略は次のとおり。
*
1.本日正午過ぎ、TY銀行下石神井支店支店長の兼森冨生 (58)は、
来客予定があるとして銀行奥の特別応接室に入った。
2.支店長が応接室に入って10~15分後、同支店の女性従業員・
志水七生 (28)は、接客を手伝って欲しいとの支店長からの連絡を
受け、問題の応接室へと向かう。
3.しかし、そこに客はおらず、不審に思った志水が部屋を出ようとした
ところ、後ろから兼森が彼女の手を握り、そのまま乱暴を働こうとした。
4.が、そこにたまたま飛び込んで来た警視庁の刑事二人 (今井と高嶺)が
兼森を取り押さえ、事件は未遂に終わった。
5.ただ、兼森・志水双方の供述には矛盾する点も多く、また二人ともに
応接室前後の記憶に混乱が見られるため、二人の様子を見つつ調査は
続けられる予定となっている。
*
「……と云う感じで、疑わしいと云うか奇妙な点が目白押しなんですけどね」と、本当は映画談義が続けたくて仕方のない小張が言った。「一番、奇妙な点は躊躇いがまったく見られないってところでしょうか」
「支店長の?」と、今井。
「女性の方も?ですかね?抵抗らしい抵抗をしているんですが、抵抗らしい抵抗止まりで、例えば、手元にあった灰皿をとっさに手に取るとか、支店長から離れようとしてどこかにぶつかっちゃうとか、そう云う『とっさ感』がない」
「それは、私たちが入ったタイミングにもよるんじゃないですか?」と、高嶺。
「もちろん。それもあるとは思うんですが、特に支店長は、その呼び出したタイミング等から考えると、例えば彼女を口説くとか、権力をちらつかせて脅すとか、そう云うことはせず、いきなり……まあ、3~5分ぐらいの世間話はあったかも知れませんが、それでも、いきなり過ぎるぐらいいきなりに、彼女に襲い掛かっている」
「それにそもそも、私たちとの約束がありましたしね」と、今井。
「ですね。まあ、早さに自信があったのかも知れませんが、それにしては不用意過ぎるし、躊躇いもなさ過ぎる」
「さきほどから『躊躇いのなさ』をやたらと強調されていますが――」
「ああ、それが、ここ最近続いている事件の共通項なんです。見える位置に運送会社のトラックがあるのに飛び降りた男性、一発も過たず花婿に銃弾を浴びせた花嫁」
「ためらう様子もなく舌を噛み切った管理人?」と、高嶺が続ける。
「そうそう」と、返す小張。
「わざわざ痛そうな彫像の上に飛び降りた花嫁」と、これは今井。
「それって、ひょっとしてマンションの女性も?」と、高嶺。
「彼女は特にそうですね」と、小張。「彼女の右手首にはリストカットのためらい傷がいくつもありました。きっと、何度も死のうとしたことがあったんでしょう」
「けど、死ねなかった?」
「躊躇いがあった」
「だけど今回に限って」
「完全致死量の薬を飲んだ」
「しかも、吐き出そうともしなかった」と、最後に小張が言った。「プロフィールを見る限り、生命力だけは強そうな女性なんですけどね」
「では――」と、かなり躊躇いながらではあるものの、自身の考えを訊いておいて貰おうと今井が言った。「自殺なり殺人なりを教唆した人間がいた?」
その今井の言葉に、一瞬小張は驚いた様子だったが、我が意を得たりと思ったのだろう、彼の目を見て少し微笑むと、「それも、」と、右手の人差し指で自分の鼻の頭を軽く叩きながら、「今井さんの鼻が確かなら、少なくとも二人はいるってことでしょうね」と、答えた。