ちょうど百手で後手の勝ち
*
『そんなに心配しなくても大丈夫よ』電話の向こうで咲希が言った。『ちゃんと伝えておかなかった私たちも悪かったんだし』
「……本当?」自宅リビングの電話機から八千代が訊いた。
『本当よ』と、咲希。『叔母さんなんか、喜んじゃって大変だったんだから』そう言う彼女の声も嬉しそうだ。『――まあ、百万円は惜しいけどね』
「あ、じゃあ……」
『うん。「口約束とは言っても、やはり先着順でしょうね」って、叔母さんが』
「ごめんなさいね……」
『なんで?その場で八千代さんが断ってても、結局お金は貰えてないじゃない』
「……あれ?そうだっけ」
『分からずに謝ってたのね』
「あ、いや、そう云うワケでも」
『いいのいいの。で?その女の人は明日来るのよね?』
「うん。「同じ時間に来るわ」って……あの、わたしも一緒にいて良い?」
『……うん。そうして貰えると助かる』
*
「アレは……」と、6の三に角を置きながら八千代の父――佐倉丈志先生が訊いた。「なんの電話だね?」
「同級生の木花さんよ」と、こちらは5の二に銀を置きながら八千代の母――実麻さんが答えた。「ほら『シグナレス』の」
「ああ、あの奇特な……」パチリ。同角成。
「奇特?」
「八千代くんをモデルにとかなんとか」
「ええ、」と、同玉で実麻さん。「そのお嬢さんなんだけどね……」
「それがなんであんな……」パチリ。5三歩に丈志先生。「……あんな深刻そうな顔になるんだね?」
そう訊かれて実麻さんは、夕方八千代から聞いたと云う『シグナレス』での一件を丈志先生に話した。パチリ。6一玉。
「なるほど……それは……八千代くんも迂闊……だったろうが、……その、相手の、女性、というのも……6一玉?」
「なにか?」と実麻さん。正直なところ、勝負は既についているのだ。
「いや……なんでもない」6一玉?
キャハハハハ。と、八千代の笑い声が聞こえて来た。丈志先生も実麻さんもこの声に一瞬驚いたが、まあ、あの切替えの早さも我が娘の長所なのだろう。
パチリ。しばらく考え込んでいた丈志先生が5五馬を打った。
すると、まさに自分の思った通りだったのだろう、実麻さんは直ぐに7九角を置くと、「迂闊さも遺伝するのかしらね」と、言った。結局この日も、美麻さんの一人勝ちだった。