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芸術は長く、人生は短い(その1)

「それじゃあ、お留守番お願いね」と、逢山美里は言った。「火の始末と戸締りだけキチンしてくれれば、あとは自由に使ってくれて良いから」

「ありがとうね、叔母さん」と咲希が言い、

「ありがとうございます」と八千代が言った。

 美里は、そう言う八千代の見事な赤毛を改めて見ながら、「お母さん方?」と、訊いた。

 すると八千代は、いつも訊かれるのであろう、「お祖母ちゃんのひいお祖母ちゃんがスコットランドの人なんだそうです」と、慣れた口調で答えた。「それで、時々、出る人もいるそうで」

「ふーん。キレイな赤色ね」と、美里は言った。絵描きの血が騒ぐのだろうか、更に覗き込むようにして八千代の髪に顔を近付けると、「――良かったら、私のモデルにならない?」と、真剣な声で言った。

 すると、それを聞いた咲希が、

「叔母さん!」

 と、怒った声で言い、美里は、

「冗談よ、冗談」

 と、笑いながら八千代から離れ、それから、

「では、若人たちよ。」と言った。

「《Ars longa, vita brevis.》芸術は長く、人生は短い」

 店の扉を開け、外へと出て行く。

「――そして、青春は更に短い。精進したまえ」

 窓の外で、彼女が小さくスキップして行くのが見える。

「いい叔母さんね」と、そんな彼女のうしろ姿を見ながら、八千代が言った。

 すると咲希が、「すこし浮かれてるの」と、小さなイーゼル台を立てながら言った。「ひさしぶりに、一枚売れそうだから」


     *


「売れないの?」と、カウンターから椅子を一台運びながら八千代が訊く。

「まったく」台にスケッチブックを載せながら咲希が答える。「――売るつもりがないんだと思ってたぐらい」

「いい絵なのにね」

「そう?」

「うん。つかれる感じがしないし」

「つかれる感じ?」

「ほら、美術の教科書とかの絵って、なんか、こう、しんどくなる時あるじゃない」

「佐倉さん、すごいこと言うわね」

「八千代で良いわよ」

「……良いの?」

「それか、《ヤッチ》」

「千葉県のゆるキャラみたいね」

「そんなのいるの?」

「うん。ワザとかと思ってた」

「それは……早めに商標を取っておいた方が良いかしら?」

 そう八千代が言って、二人は笑った。


     *


「こんな感じ?」と、椅子に座った八千代が訊いた――が、それではあまりに背筋を伸ばし過ぎだろう。

「もっと普通に」咲希が答えた。「いつも教室で座ってるときみたいに」

「こんな感じ?」少し力を抜いてから八千代が訊く。

「そうそう」と、咲希。「目線は……そうね。向こう側の壁を見詰めて」

「あの大根の絵?」八千代が言った。

 そう言われて咲希は、改めて向こう側の壁を見詰めた。確かにそこには、一枚の大根の絵が掛けられている。

「そうそう」咲希が言った。

「あれも叔母さんの?」と、八千代。

「うん。絵の具がなかった時だったとかで、スケッチ止まりだけど」

「あれも好き。静かな感じがして」

「叔母さんが聞いたら喜ぶわね……おかしな話聞きたい?」

「なに?」

「ここによく来る大学の先生がね、一度奥さんと一緒に来られたことがあったの」

「南仁賀志大学?」

「そうそう。あ、佐倉さ……八千代さんのお父さんも同じ大学だっけ?」

「うん。動物なんとか学」

「で、その奥さんが、ジーッとあの絵を見て目を離さなかったの」

「わたしと一緒で気に入ったのかしら」

「先生もそう思ったんでしょうね――」

 と、絵を描く手を一旦止めて咲希が続ける。

「『なんだ?気に入ったのか?』

 と、先生。

 『ちょっと気になるのよね』

 と、奥さん。

 『質問があるなら、訊いてやるぞ』

 『いや、そんな、訊くほどのことでも』

 『いいんだ。いいんだ。ここの主人とは顔見知りだから』

 と、先生。

 そこで叔母さんが呼ばれて、

 『実は家内が、訊きたいことがあるそうなんだが』

 と、先生。

 『はい?なんでしょうか』

 と、叔母さん。

 すると、ちょっと恐縮しながら奥さんが、

 『訊くのも失礼かとは思ったんですけど……このお大根、スが入ってません?』

  って言ったの」

「ス?」

「ほら、大根とかゴボウとか、時々隙間が入ってるじゃない」

「ああ、時々お母さんが怒ってるわ」

「そしたら叔母さん、

 『なんで分かったんですか?!』

 って驚いて。奥さんの方も、

 『いや、色とか形とか……美味しくなかったでしょう?』

 で、叔母さんが、

 『そうなんですよ。おでんに入れてみたんですけど、全然味がしみなくて……』

 そこから二人でお料理談議に入っちゃったんだけど、それを横で聞いてた先生は怒っちゃって。」

「なんで?」

「『君たちには芸術と云うものが分からないのかね?』って」

「ああ、」

「すると、叔母さんが――」と、美里の真似をする咲希。

「『でもね、先生……他に描くものがなかったんです』」

 笑い合う二人。

「良い話じゃない」と、八千代が言う。「そう云うの好きよ」

「でもおかげで」と、肩をすくめながら咲希が言った。「今もあそこに掛けられたままだけどね」

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