月曜日の夜、午後八時十五分
月曜日の夜、午後八時十五分。
夜も来るのを徐々に遅くしてはいるものの、この時間になると流石に遠慮もしていられないのだろう、ふと窓の外を見ると、そこは既にとっぷりとした暗闇の中であった。
視界の隅に、何やら白いものが見えた。駐車場脇の花たちが、名残り惜しそうにでも咲いているのだろうか?
カリカリ。と、紙に何かを書き記している音がした。――「彼らもまた、この週末の雨に打たれて散るのだろうか?」そんなことを考えた。
ここは、石神井警察署交通課の直ぐ横に設けられたコーヒースペースである。
コーヒースペースに設置された自動販売機は二台。一つはお菓子やパン等のスナック類、一つはカップタイプの飲料を提供するために置かれている。
そうして、それら二台の自動販売機の前には、小さな丸テーブルと数脚の椅子が置かれ、時に署員の憩いのスペースとして、時に彼らの活発な議論の場として、そして時に、各種事件の内容を整理をする場として、活用されていた。
ただ、まあ、『各種事件の――』の部分に関しては、それを行なうメンバーは限られていて、今ここに座ってある事件の資料を読み返している女性――小張千晴は、その稀有なメンバーの一人であった。
特に彼女――小張千晴においては、頭を冷静にしたい時、何か難しい問題に対して沈思黙考したい時、自分以外には話し難いアイディアを想い付いたとき等には、彼女に特別に与えられているその自室よりも、こちらのコーヒースペースの方を――もちろん、誰もいないのを確認してからだが――活用することが、半ば習慣化していた。
そう。先ほど――と云っても、この三十分ほどのことだが――彼女は、この小さな丸テーブルの前に陣取って、ここ数日に起きた不可解な事件のうち、特に今日の朝から夕方に掛けて立て続けに起きたらしい三件の『死亡事件』について、自身のノートに考えを整理していたのであった。
「妙、なんですよね――」と、誰に語るでもなく小張が言った。
彼女がそう言った三件の『死亡事件』――まあ、「妙」と言ったのはその中の二件だが――とは、次のとおり。
*
1.本日明け方。
練馬区某所のマンション管理人が、自身の舌を噛み切って死亡
――正確には、出血による窒息死。
2.本日昼過ぎ。
都内某所の高級マンションで、そのビルのオーナー女性が、
睡眠薬の過剰摂取により死亡――違法睡眠薬の可能性大。確認中。
3.本日夕刻――よりちょっと前。
都内某所の病院で、その病院に入院中だった若い女性が、
窓から飛び降りて死亡――見事なまでに、硬く尖った彫
像の先端部分に飛び降りていた。よほど「冷静だった」
……のかも知れない。
*
ちなみに、この中、1.については、このマンションの入居者が四日前に飛び降り自殺をしている――正確には、飛び降り後の脳挫傷と出血多量による死亡だけど――し、3.については、死亡した「入院中だった若い女性」は、つい二日前に婚約者の男性を撃ち殺したばかりだった。
なるほど。確かに妙な感じを受ける事件ではあるが、小張が感じている「妙」は、我々が感じているソレとはまた少し違っているようだ。
「この二つだけ、」と、ふたたび彼女が、誰に語るでもなく言った。「――なんか、容赦がないんですよね」
それからまた彼女は、しばらくの間、宙を見詰めていたが、その後ゆっくりと、テーブルの隅に置いてあるコーヒーカップに手を伸ばそうとして、その手を止め、やはり、その手前に置きっ放しにしておいたスマートフォンの方を取り上げた――メッセージの送信先は、警視庁の高嶺ユカだった。
『お疲れさまです。小張です。
本日ご連絡頂いた三件について。
お手数かとは思いますが、こちらについても、今井さんに匂いを嗅いで貰うよう段取りの方をお願い致します。』
自分の勘が正しければ、『若い女性の匂い』がするのは、オーナー女性の部屋だけだろう。
それから彼女は、またしばらくのあいだ宙を見詰めていたが、その後でふたたび、テーブルの隅に置いてあるコーヒーカップに手を伸ばそうとして――ピロン。と、高嶺からの返信メッセージを受けることになった。
『了解しました。(''◇'')ゞ
でも、やっぱ、アレ、ちょっと、
キモイんですよね〉今井さんに匂い。
また、現場に見に来てあげてください。
今井さんも喜びますんで。(笑)』
このメッセージを読み終えてから小張は、またしばらくのあいだ宙を見詰めていたが、やっとコーヒーカップを手に取ると、その冷め切った中身を、グイと一気に飲み干したあと、「――見るのはちょっとイヤかな」と、誰に語るでもなく言った。