KNOTS
「なら、これも貰ってくれる?」女が訊いた。
「ええ、あなたが望むのならね」女が答えた。
「これは?これも着てくれる?」女が訊いた。
「そうね。ぜひ、着てあげるわ」女が答えた。
「さっきのバッグに似合うわよ」女が言った。
「そうね。さっきのバッグとね」女が応えた。
「あなたにあげたいものばかり」女が言った。
「あなたからはもらってばかり」女が応えた。
ひとりで眠るには、いや、ふたりで眠るのにも大き過ぎるであろう白いベッドの上に、先週買ったばかりのバッグや靴や洋服類を所狭しと並べながら下着姿の女が言う。
「このスカート、どうかしら?」女が訊いた。
「すこし派手じゃないかしら?」女が答えた。
「わたしが履くつもりはないわ」女が言った。
「わたしに履かすつもりなの?」女が訊いた。
「こんなおばあちゃんですもの」女が言った。
「そんなことないわ。服次第よ」女が言った。
下着姿の女は、若く見せてはいるが、四十代後半から五十代前半でもあろうか、細やかなレースで全身を覆ってはみたものの、そこから覗く肌そのものを変えることは、最早出来ないようであった。
「だから、あなたのことばかり」女が言った。
「なにが?わたしのことばかり」女が訊いた。
「あなたのことだけ考えてるの」女が言った。
「わたしのことだけ考えてるの」女が訊いた。
「お買い物も、お仕事も、全て。
あなたに似合う服や靴や鞄や、
あなたが好きそうな場所とか、
あなたが好きそうな食べもの、
あなたが好きそうな飲みもの、
あなたと一緒に暮らせたなら、
そんなことばかりかんがえて、
それで、やっと、眠れるのよ。」
と、下着姿の女は言った。
心の底から、幸せそうな笑顔だった。
『なぜ、こんなにも不幸そうなのかしら?』
と、もうひとりの女は思ったが、そんなことは口にも表情にも出さず、その代わり、時と若さを犠牲にし続けた相手の女に対して、慰めのつもりで、
「いつも、ほんとうに、ありがとう」
と、言った。
そう言われた下着姿の女は、左の目から涙を流すと、相手の女の肩に寄り掛りたい衝動に駆られはしたものの、それは許されないことだと分かっていたので、その代わりに、
「ほかに、なにか、欲しいものはないの?」
と、訊いた。
訊かれた女は、いつもであれば、当面の生活費なり居場所なりを無心するところではあったが、なぜか、この日に限って、つい数日前に見た橋の絵が頭をよぎり、そのことを相手の女に言いそうになってしまい、そのことに気付くとすぐに、その小さな赤い口を、つぐんだ。
下着姿の女は、相手のその挙動になにか妙なものを感じ、それこそが『本当に彼女が欲しがっているもの』だと思ったのだろう。
「あるのね?!」
と、喜びの声を上げた。
その声を聞いたもう一人の女は、自分の一番見られたくないものを、見られてはいけないものを、心の奥の奥、誰にも触れられたくない場所に、大事に大事にしまいこんでいるものを、こんなシミだらけの小汚いクソ女にだけは知られたくないとでも思ったのだろう、ベッドの端に置いておいた黒のジャケットを手に取ると、ベッドを降り、出口の方へと歩き始めた。
急に歩き出した女に対して、下着姿の女は、とても暗くて大きい喪失の気配を感じると、彼女の後に追いすがり、泣きつき、抱きついて、彼女を必死に引き止めようとした。
が、それこそが彼女の意に添わなかったのだろう。玄関まで来ると女は、泣き追い縋る下着姿の女を振り払うと、自分の物であるブーツを履き、自分の物であるジャケットを羽織ると、相手の女に、その女にだけ聞き取れるように、甘く苦しく優しい声で、ただ一言、
「死ねばいいのに」
と、言った。
そう言われた下着姿の女は、途端に、泣き追い縋るのを止めると、彼女から離れ、ゆったりとした足取りで、ひとりで使うには、いや、ふたりで使うのにも大き過ぎるであろうバスルームの方へと歩いて行った。いつも、就寝前に服用している薬の瓶が、そこのラックに、置いてあったからである。
下着姿の女がバスルームへ入って行くのを確認してから、残された女は、扉を開けると、部屋の外へと出て行った。
バタン!と、力任せに扉を閉めてやろうとしたが、重く重い高級材で出来たその扉は、これまでずっとそうであったように、今回も、彼女の思い通りには、動いてくれなかった。