『第二幕 第二場』より(その1)
カラン。
と、喫茶店『シグナレス』のカウベルが鳴り、新たな客が二名入って来た。
その客の一人は六十近い白髪の男性で、白のワイシャツに古めかしいツイードのジャケットを着て、タイは締めてはいないものの、ジャケットにはご丁寧に黒の肘当てまで施されていて、如何にも学者先生と云う印象を周囲に与えていた。
彼らが店に入って来たとき、お昼までにはまだ十五分ほどの時間があったものの、小さな店のテーブル席は、そのほぼすべてが埋り掛けていた。
そこで、白髪の男性は、一番奥のテーブル席が空いているのを見付けると、急いだ様子で、「一番奥のテーブル、良いかな?」と、この店の女主人に訊ねた。
訊ねられたこの店の女主人は、彼の指差す方向に顔を向けながら、「ええ、どうぞ、空いてるお好きな……」と言い掛けたが、彼女の言葉が終わるか早いか、白髪の男性は、「さ、山崎くん。奥の席に」と、一緒に店に入って来た若い男性を、その奥側の席へと座るよう促がした。
そう促された男性は、若いとは言っても三十前後、白いワイシャツの上から薄いカーキ色のパーカーを羽織っていたが、「いいえ、教授。教授が奥に――」と、遠慮気味に言葉を返した。
「何を言ってるんだね」と、教授が言う。「今日は私がお礼をすると言って連れて来たんだ――さあ、どうぞ、ゲストが奥だ」
そう言われて男性は、「そう……ですか」と、少々恐れ多いと云った様子で、奥側の席へと歩いて行った。
それから、二人が席に着くのを確認してから女主人は、二人分の水とおしぼりを持ってテーブルに現れ、「今日はお若い方と一緒なんですね」と、教授に言った。
その言葉を受けて教授は、「山崎くんはうちのホープ――文字通りの希望でね」と言って、男性を店主に紹介した。
「なら、大学の先生?」と、店主が訊く。
「……残ってくれるかどうかは分からんがね」と、教授。「イギリス文学研究では結構な人物になるかも知れない」
その教授の言葉を聞きながら当の山崎本人は、それこそ本当に恐れ多いと云った感じで、「いえ、別に、そんな……」と、うつむき加減に答えた。「ただ、もう、なんの根拠も確信もないまま飛び出しているだけでして――」
「それが良いんじゃないか」と、呵々大笑しながら教授が返す。「君のやってくれている翻訳劇。ああ云うことから、学生たちの士気も上がるんだよ」
「いいえ、あれは、」と、教授の大笑に更に恐縮度を増しながら彼が言った。「それこそ、保美さ――お嬢さんの発案でして」
「そうそう」と、それこそ我が意を得たりとの調子で教授が返す。「アレにオフィーリアを振ってくれたおかげで、アイツの機嫌も最近は――」
と、教授の話がまだまだ続きそうだったが、それを見越して店主は、「あの……先生?」と、優しい口調で彼の話を遮ると、「それでご注文ですけど――」そう彼に訊いた。「先生は、いつもので良いかしら?」
訊かれた教授は、悪びれもせず悪い気にもならず、快活な笑顔はそのままに「ああ、それで頼む」と、言った。「もちろん、今日はワインはなしで」
「あら、珍しい」と、店主。
「おいおい、冗談だよ。昼間に飲んだことはないだろう?」
「卵は?」
「目玉焼き……いや、オムレツにしてくれ」
「それじゃあ、若い先生は?」と、山崎の方を向きながら店主が訊いた。
すると言われた男性は、「じゃあ……」と少しの間を置いてから、「私はビールを」と、とぼけた感じで答えた。