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百三十八手で後手の勝ち

 パチリ。6の四に玉が置かれた。

「それで、君が絵のモデルに?」と、佐倉丈志先生――八千代の父親は訊いた。

「そうなの」と、八千代が答えた。「木花さん、美術部だから」パチリ。と、こちらは6の三に成香だ。

「君なんか描いて、」と、佐倉先生。少し考えてから同玉で香車をもらう。「……どうするんだね?」

 パチリ。と、父親の手を分かっていたかのように躊躇なく5の二に銀を置く八千代。「どうするって、どう云う意味よ?」もちろん。ここは不成だ。

「どうって……ちょっと待てよ」

「長考?」

「いや……ああ、」パチリ。7三玉に佐倉先生。「もう少し気の利いたモデルだっているだろうに」

 パチリ。6三金で八千代。「私が良いんだって」と言いながらモデルポーズを決める彼女だが、如何せん手足の長さが足りない。

「でも、なあ、」と、娘のほうには一瞥もくれずに佐倉先生が言う。「モデルってのは、こう、もうちょっと、スラッとし……」ダメだ……何故手がないんだ?

「まだ、成長期なんです」と、ブスッとした声で八千代。「背だって伸びてるし」

「ああ……」と、盤上を見詰めたままの佐倉先生。「ブレザーだって、新しくしたしな」あれは結構痛い出費だったのだが……まあ、娘には言わないでおこう。

「それそれ」と、食後のコーヒーを運びながら母親が訊いた。「新しい制服はどう?」なるほど。これはかなり八千代に有利ね。

「だぼだぼ」と、コーヒーを受け取りながら八千代は答えた。「七五三みたい」就寝前だからデカフェだけどね。

「それで良いのよ」と、母親。「まだまだ伸びるかも知れないし」

 パチリ。と、8三玉に佐倉先生。「お義母さんのほうに似たのかもな」これでやっとコーヒーを受け取れる。

「赤毛が出た時に予想しとけば良かったわね」夫にコーヒーを渡しながら母親。「私には出なかったから油断しちゃったのよね」

 パチリ。と、8七香を指しながら八千代。「おばあちゃん?」

「いわゆる隔世遺伝……」と、佐倉先生。「おい、待て、8七香?」

「そうよ?」と事もなげに八千代は言う。「おばあちゃんって高かったの?」

「そうね……」と、八千代の手を確かめながら母親。「180cmはあったんじゃない?」

「ほらあ」と、うすくなった父親の頭頂部を見詰めながら八千代。

「ほらあ……って」と、佐倉先生。心なしか額には汗が滲んでいる。「……なにがだね?」8七香だって?

「そう云う私の本来の資質を見抜いて、木花さんはモデルを頼んで来たわけよ」

「ああ、うん」と、佐倉先生。8七香?

「木花さんもスラッと背が高いしね。通じるものがあったんじゃない?」

「ああ……」パチリ。と佐倉先生。「衣装代はかかりそうだ」これでどうだ?8五歩。

「木花さんて、」と、母親が訊いた。「『シグナレス』の人?」それと同時に、夫へ次の手を耳打ちする。

「木花さんの叔母さんなんだって」と、左手に歩を持ちながら八千代が言う。

「たしか、絵の先生よね?」

「うん。教室はしばらくやってないそうなんだけど」パチリ。8四歩。「でも、木花さんもとっても上手なのよ、美術部だし」

「そこにチラシを?」

「うん。木花さんのおうちはマンションでダメだけど、叔母さんの喫茶店になら置いてくれるって」

 パチリ。7四玉。と、無言の佐倉先生。

「それで、」と、ここで改めて盤上を見詰め直して八千代が言う。「犬とか猫とか好きなお客さんも結構いるから……ひょっとしたら……そのなかには……貰ってくれ……7四玉?」

「どうだ!」と、前かがみになりながら佐倉先生が言った。


 それから八千代は、三分ほど盤の上の玉をジッと見詰めていたが、その後顔を上げると、母親の方を向いて、「教えたでしょ?」と、訊いた。

 そう訊かれた母親は、「まあ、」と、涼しい顔でコーヒーを飲みながら、「夫婦ですから」とだけ答えた。


 ――一番の策が、気を逸らせて打たせた8四歩だと云うのは……夫にも黙っておこう。

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