ひと際大きなソメイヨシノ
木花咲希は、口笛を吹いているようなさびしい口付きで、大きなおうちがならんだ石神井池のほとりの道をひとり歩いて来たのでした。
彼女のあるくその道の先には、ひと際大きなソメイヨシノが、その青々とした葉を立派に光らせながら立っていました。咲希が、どんどんと木の方へ近づいて行きますと、西に傾いたおひさまの光で、彼女の影は更に濃く黒くはっきりなっていくのが分かりました。
「……そうな花も……週末の雨に……」と、ときどき学校のコーラス部から聞こえて来る昔の歌を、歌うともなしに咲希がつぶやいていると、その桜の木の下を通り過ぎるか過ぎないかのところで、例の和泉宏子が、新しい真っ白なワンピースを着て、桜の向うの細い路地から出て来て、ひらっと咲希とすれちがったのでした。
咲希は一昨日のことが気にはなりましたが、軽く会釈だけでもしようとすると、その気配を読み取ったのか、和泉は歩く速度を上げ、「この――さん」と、小さいけれど咲希だけにはしっかりと聞き取れる声で言いました。
咲希は、ばっと胸がつめたくなり、そこら中がきぃんと鳴るように想いました。
「和泉さん――」と咲希は呼び返しましたが、もう和泉は向うのひばの植った家の中へとはいっていました。
『断らなければ良かったのかしら?』
その後、咲希は、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの木の葉や花ですっかり初夏の風景で飾られた道を通って行きました。すると、公園をはいったところにある甘味茶屋の中から見知った顔、と云うか、見知った赤い髪の女の子が出て来るのを見付けました。
女の子はチェックのシャツにデニム地のスカートを履いて、お店の人に「それじゃあ、よろしくお願いします」と頭を下げてお礼を言っていました。
未だつめたいものが心に残っていた咲希はわれを忘れて、その女の子に見入っていました。急に空気が澄みきって来たような感じがしました。
すると、その咲希の視線に気付いたのでしょうか、女の子は、いまだ彼女に見入ったままの咲希の方にタタッと近付くと、一昨日の気まずかった出来事もすっかり忘れたのか、「木花さん?」と、彼女に声を掛けて来ました。女の子の手には、なにかのチラシがにぎられていました。
「仔犬、いりません?」