Do you love me?(part1)
「わたしのこと、好き?」女が訊いた。
「うん。きみのこと好きだよ」男が答えた。
窓の外には月明りも星灯りも見えてはいたが、中層階に位置するこの部屋の奥まった構造もあり、街の灯りがそこに入り込むことはなかった。
「わたしのこと、大好き?」女が訊いた。
「うん。きみのこと、大好きだよ」男が答えた。
女は二十代の半ばぐらいだろうか。ベージュのニットのワンピースを着て、胸元のデザインは抑えたものではあったが、にも関らず、そこから覗く白い肌は、あまりにも魅力的に見えた。
「世界中のなによりも?」女が訊いた。
「うん。世界中のなによりも」男が答えた。
そんな彼女の魅惑的な胸元に相手の男性も目が離せなくなって――いなかった。彼の目は、女の目と口元に釘付けにされていたのである。
「ずっと、わたしのそばにいたいの?」女が訊いた。
「うん。ずっと、きみのそばにいたいんだ」男が答えた。
男は五十代でもあろうか。髪には白いものが目立ち、目の下のたるみは隠せそうもない。高級なスーツで隠そうとするその体からは、日頃の不摂生がひと目で分かった。
「わたしのこと、ずっと見てるのね?」女が訊いた。
「うん。きみのこと、ずっと見ていたいんだ」男が答えた。
「わたしとおしゃべりするの、好き?」
「うん。きみとおしゃべりするの、好きなんだ」
「わたしの手、にぎるの好き?」
「うん。きみの手をにぎるのが好きなんだ」
そう言うがままに――言われるがままに男は、差し出された女の左の手を、両方の手で、キュッ。と握った。
「わたしにさわるの、好き?」女が訊いた。
「うん。きみにさわるのが好きなんだ」男が答えた。
「わたしといて、退屈にならない?」
「ううん。きみといて退屈になんてならないよ」
「わたしの匂いをかぐの、好き?」
「うん。きみの匂いをかぐのが好きなんだ」
そう言うがままに――言われるがままに男は、差し出された女の首元の匂いを、その首元には決して触れないようにしながら、クンッ。と嗅いだ。
くすぐったいとでもいうように、女が、少し笑った。
「わたしのこと、好き?」女が訊いた。
「うん。きみのこと好きだよ」男が答えた。
「わたしのこと、大好き?」女が訊いた。
「うん。きみのこと、大好きだよ」男が答えた。
「わたしのこと、けっして裏切らない?」女が訊いた。
「うん。きみのこと、けっして裏切らないよ」男が答えた。
彼は、先ほどから一度もまばたきをしていない。
「わたしのこと、好き?」女が訊いた。
「うん。きみのこと好きだよ」男が答えた。
「わたしのこと、置きざりになんかしない?」女が訊いた。
「うん。きみのこと、けっして置きざりになんかしないよ」男が答えた。
「ウソじゃない?」女が訊いた。
「うん。誓ってウソじゃない」男が答えた。「ウソを吐くくらいなら、死んだほうがマシだよ」
窓から入る月の明りが男の顔をキラキラと光らせた。男の顔には大量の汗が流れていた。
『なんて汚らしいのかしら』と女は思い、そうして、
「なら、わたしの言うこと、なんでも聞いてくれる?」と、男に訊いた。
「うん。きみの言うことなら、なんでも聞いてあげるよ」と、男は答えた。
*
カチャリ。
部屋の扉が開いて、女が出て来た。先ほどまでのワンピースとちがっていまは、Tシャツにジーンズ、それに黒のライダースジャケットを羽織っている。
そうして、扉のノブを持っていたハンカチで丁寧に拭き取ると、ジャケットのポケットから使い捨てタイプのスマートフォンを取り出し、簡単なメールを一本送った。
それから、エレベーターのところまでゆっくり歩くと、下行きのボタンを押し、誰にも聞こえない声で「たえまなく……人の波に……」と歌うともなくつぶやいた。
ピィン。と云う小さな音とともにエレベーターが到着したが、彼女はまだ歌をやめようとはしなかった。「まだつかめない……の影を……」
ポォン。と云う小さな音とともに扉が開いた。彼女は、この歌い出した歌を途中で止めるかどうか、少しの間ためらっていたが、こちらの都合などお構いなしに閉まろうとするエレベーターに逆らうように、「探してる……」と、ふたたび小さくつぶやいた。「君が消えて……」
もう少しで、涙を流してしまうところだった。