アブラハムには八匹の子(その2)
さて。
ほんとうにいつ本編につながるのか分からなくなって来たが――アブラハムの系譜はもう少し続く。
アブラハムの二匹目の子・イッツは、この後、父なし児として苦難の道を歩むかと思いきや、先述したとおり、多くの動物のオスは基本『父親』にはならないので、他の子犬と同じようイッツも、「まあ、お母ちゃんおるからエエか」と、行ったこともない関西圏の言葉で思考しながら十分丈夫で健康で、朗らかに歌い笑う、成犬となって行った。
そうして、その後一度だけではあるが、浦安の某ショッピングモールのバーベーキューテラスで、父のアブラハムとすれ違っていたりもするのだが、もちろん互いが互いに気付き合うこともなく、双方個別に、それぞれのご主人から美味しいバーベキューのおすそ分けを頂いて喜んでいた――ぐらいがこの父子のトピックスと言えばトピックスなのかも知れない。
そうして、その後これも一度だけではあるが、この某ショッピングモール近くの海岸を散歩していたアブラハムは、突然、神さまから、『おまえの子孫は、天の星のように、この海辺の砂のように増えるであろう』――と云う有り難いお告げを頂戴した。
したのだが、神さまも何を勘違いしたのか、このセリフを古代バビロニア語で彼に伝えたため、アブラハムはこの御言葉を有難がりもしなければ気付きすらせず、浦安の波の音を聞きながら、午後の昼寝を楽しんだのであるが……まあ、話をイッツに戻そう。
さて。
このバーベキューから数週間後、イッツはある公園の水飲み場でレベッカと云う名の雌犬と出会い、恋に落ち、彼女は双子の子犬エドとアスラを産む。
が、しかし、何故かレベッカは妹であるアスラだけを溺愛し姉のエドを振り返らなかったため、怒ったエドはアスラを母の下から追放し、追われたアスラは、方々を転々とした挙句、石神井公園近くにある南仁賀志大学のキャンパスに辿り着くことになる。そうして……え?なに?なんですか?「これが本編とどう繋がるのか」?
えーっとね……もう少しで繋がります。と云うのも、ここ南仁賀志大学に流れ着いた時、アスラは誰の子かも分からぬ子を妊娠していたからである。
で、それが何故本編とつながるのかと言うと、そんなアスラを見付けたのが、この大学の心優しき女子学生だったからである。
で、それが何故本編とつながるのかと言うと、この学生は、動物行動学の講師・佐倉丈志先生に相談を持ち掛けたからである。「純血種に近いように見えますが、出産は大丈夫でしょうか?」
そう。これまでの記述を読まれた方は不審に想われるかも知れないが、奇跡的にと云うか、実際にあの方が奇跡を起こされたため、彼女・アスラは、血統書はないものの、ボーダーコリーの純血種としてこの世に生を受けたのである。
で、それが何故本編とつながるのかと言うと、その彼女の質問に、「そうですね」と、佐倉丈志先生が答えたからである。「確かに、かなり純血種に近いように見えますね」
ご存知のかたもいるかも知れないが、純血種のメスの中には、しばしば、人間の手助けがないと満足に子どもも産めないものもいる。
それは例えば、赤ん坊を出すには出したが、羊膜を破ってやらなかったりとか、生まれたばかりの子どもをその場に放って自分はどこかに行ってしまうとか、そう云うことなのだが、これを放っておくと生まれた子どもが羊膜で窒息したり、外敵に襲われたりすることもあるのである。
で、それが何故本編とつながるのかと言うと、「それでは、」と佐倉丈志先生が言ったからである。「私の家で様子を見ましょう」
で、それが何故本編とつながるのかと言うと、先生のご自宅は下石神井にあって、アスラはそこに連れて帰られることになって、先生の娘さんの名前が『佐倉八千代』だったからである。
*
『ガラガラガラッ。』と云う図書室の扉の開く音を、不意に八千代は想い出した。きっとふくらんだアスラのお腹がそれを想い出させたのでもあろう。それは昨日の放課後、和泉宏子たちから逃げ出した木花咲希が図書室から飛び出して来た時の音だった。
「木花さん?」と、八千代は心配して訊いた。「――どうやって?」そう。どうやって和泉たちからスケッチブックを取り返したのだろうか?
しかし、八千代からのその質問に咲希は答えず、反対に「いつから?」と、彼女に訊き返して来た。
それから、八千代がその質問に答えようとしている間に、彼女は、その真っ白な顔を耳まで赤くすると、「ご、ごめんなさい」と、誰に謝るでもなく謝り、そのまま階段の方へと駆け出して行ったのである。
「木花さん?」と、走り去る咲希の背中に八千代は声を掛けようとしたが、丁度、彼女とすれ違いに級友の一人がこちらに歩いて来るのが見えたので、それ以上は何も言わないでいた。
「ヤッチ?」と、級友が言った。「あんた、今日は急いでたんじゃないの?」
*
そう。アスラが佐倉家に連れて来られたのは昨日、2017年4月21日金曜日の夕方のことだったのである。
――やれやれ、やっとつながった。