『そういうカタログ』(その1)
キャッ。と言う、うら若き乙女らしき乙女の声がして、彼女の足元に集っていた数羽のハトが驚いて飛び立った――と云うか数mほどジャンプした。と同時に、パタ。と云うノートパソコンの閉まる音がして、彼女・小張千春は、膝の上に乗せたノートパソコンのフタを両の手で押さえたまま、ひょうたん池の向こう岸でたわむれているネコの兄妹たちに意識を集中しようとしていた。
『心頭滅却、心頭滅却』と、心を落ち着かせようとすればするほど、先ほど見た画像が心と頭の中で広がって行く。『観自在菩薩行深般若波羅蜜多――』と、心を落ち着かせる方法を変えてみようとはしたものの、そんなことを考えれば考えるほど、彼女の煩悩らしき煩悩が顔を真っ赤にさせて行くのが分かった。
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ここは練馬区石神井公園。ひょうたん池のほとりに置かれたベンチのひとつで、本日絶賛非番中の小張千春は、このとっておきのベンチで、悠々自適に読書なりランチなり昼寝なりを決め込もうとしていたのだが、以前の職場から届いた、大変興味深い、事件の手伝いをしているうちに、読書もランチも昼寝すらも忘れて、休日の大半をこのノートパソコンの前で潰していたのであった。
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『そう。これは、あくまで、仕事のお手伝いです』と、小張は自分に言い聞かすと、自分で閉じたノートパソコンのフタを、そろりそろり、と開いた。『そう。これを見るのは、あくまで仕事の一環なのです』
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さて。賢明な読者諸姉諸兄にあってはお気付きのとおり、ここで小張が見ているデータは、いくつか前の章で今井と高嶺が見付けたUSBメモリーに入っていたデータであるわけだが、もともとこのデータには何重ものパスワードとアクセスブロックが掛けられており、高嶺から小張には、
《と云うことで、週明けに本庁の専門チームに頼んでみますね》
と云う文章とともに送られて来たハズだったのだが、そこはそれ小張千春である。非番とか管轄外だとかはどっかに押しやって、
《あ、じゃあ、わたし、やれるからやっておきますね》
とのメールを高嶺に返した。
もちろんこのメールを受け取った高嶺のほうは『面白みのない冗談だなあ』ぐらいにしか捉えていなかったのであるが――と云うことで、何重ものパスワードとアクセスブロックを小張が解いたところで冒頭の「キャッ。」につながるワケである。
え?なんで小張が「キャッ。」と云う、およそ彼女に似つかわしくない声をあげたかって?その理由はもうすぐ分かります。
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と、まあ、そんなワケで。小張がそろりそろりと開けたノートパソコンの画面には、上半身裸……と云うか、下半身も履いているのか履いていないのか『大丈夫。履いてますよ!』と云うギャグも雑誌コードも微妙な感じに若い男性が、科を作りながら、挑発するような視線と微笑みでこちらを見ている画像が大写しに写っていた。画像の右下には六桁の数字が黄色のフォントで並んでいたが、これが何を示す数字なのかはパッと見には分からない。
そうして、しばらくすると画面は、次のページと云うか男性の画像に自動的に切り替わって行くワケだが、そりゃ、もう、あなた、そのあとは次から次という具合に、細いのから太いのから、白いのから黒いのから、筋肉ムキムキのマッチョマンもいれば、かなりボテボテなポッチャリ系もいるし、年齢は、まあ『そういうカタログ』なので、大体10代後半から20代半ばが大半を占めるものの、中にはなかなかのナイスミドルなんかもいるし、中には、その、なんと言うか、二人の男性が抱き合った状態でこちらを見詰めているものとか、7~8人が集って、どこぞのアイドルグループのように挑発的な目線を――もちろん全裸に近い半裸で――こちらに送って来ていたりするものもあったりなんかしちゃったりなんかするわけである。
で、まあ、そんなようなファイルだったってことを――『そういうカタログ』だったってことを、開いた当の本人が気付いて開いていたとしたら警察官として如何なものかとは思うけれども――まあ、こいつのことだから気付いていたんでしょうねえ。大っぴらには言えないけれど――。
と、まあ、そんなこちらの心配も知らずに小張は、
「ほほう」とか、
「これはこれは」とか、
「えっ?きゃっ?!そんな??」とか、
「いやあ、勉強になりますなあ」とか、
まあ、そんなことを言いながら、まるでどこかのオッサンがちょっとエッチな週刊誌でも読んでいるような表情で――作者が『こいつもヒロインで大丈夫か?』と悩んでしまうような表情で――カタログの鑑賞、もとい、データの調査を続けていた。