お店の壁の絵(その2)
カラン。と、お店のカウベルが鳴り、新しいお客さんが入って来ました。
そのお客さんは、豊かな髪を肩まで下ろし長袖丈の黒のワンピースを着ていましたが、お店のテーブル席がほとんど埋まっているのを見ると、少し困った顔をしてから、「カウンター、良いですか?」と、咲希に訊きました。
「はい」と、咲希は答えます。「お好きな席にどうぞ」そう言いながら彼女は、お水とおしぼりの準備にカウンターの奥へと向かいました。
ワンピースの女性は、カウンターの一番入り口に近い席に座ろうとしましたが、見るともなしに見ていたお店の壁に、一枚の絵を見付けると、どうしたことか、その場に立ち尽くしてしまったのでした。
「あの……?」と、お水とおしぼりを持って戻って来た咲希が、カウンターの前で立ち尽くしているその女性に声を掛けました。「どうかされました?」
すると女性は、壁に掛けられた橋と川の絵を見詰めたまま、「あの橋の絵……神北川じゃない?」と、咲希に訊ねました。
しかし、咲希は答えられなかったので、キッチンの中でサンドイッチ用のトーストを切っていた美里にその質問を委ねました。
すると美里は、「ええ、何年か前、長野へ旅行したときのです」と、すぐに答えてくれました。「たしか、いりひ橋――だったかしら?」
「ゴショシャも描かれてますけど――」と、女性が重ねて訊きます。
しかし、訊かれた美里にもその言葉の意味がよく分かりませんでした。「ゴショシャ?」と、逆に女性に問いかえします。
すると女性が、「あの――からからと廻す」と、お日さまでも廻すような手つきで言ってくれたので、叔母さんにもそれが何のことか分かったらしく、「ああ、お寺の裏手から見たんです」と、答えました。
ワンピースの女性は、その答えに小さくうなずくと、上げていた右手を下ろし、ふたたび絵のほうに向き直りました。
「あの――」美里が訊きました。「その絵がなにか?」
すると女性は、突然我に返ったような表情になると、「すみません……わたし……」とだけ言って、急に曇り出した扉の外へと出て行ったのでした。
咲希と叔母さんは少しのあいだ顔を見合わせていましたが、カラン。と、お店のカウベルが鳴り、女性と入れ替わるように入って来た若い夫婦に応対するため、仕事へと戻って行ったのでした。