第三幕 第一場より(その2)
授業――と云うか有志参加による講習会が終わり、教室の電気も落とされた。入り口扉のところでオフィーリア役の河井保美が山崎和雄のことを待っている。
「本日も、ありがとうございました」保美が言った。
「とんでもない。こちらこそ良い勉強になっています」と、山崎が返す。
「実は、私、『ハムレット』は今回初めて読んだんです」
「まあ、そういう人は結構いますよ?」
「なんと言うか、ナヨナヨとした青年が勝手に悩んでる?みたいな、そんなイメージがあって――」
「ああ、」笑いながら山崎が言う。「そう云う演出が結構多いですからね」
「それが、今回――今日のオフィーリアとのやり取りもそうですけど、男くさいと云うか、権謀術数と云うか」
「体育会系なところもありますしね」
「剣を使った決闘もあるし」
「坂本さんがやる気になってましてね。末岡さんとの決闘」
「彼、アマゾンでポチったそうですよ」と、笑いながら保美。
「剣を?」と、本気とも冗談とも付かない驚いた表情の山崎。
「――の、オモチャを。末岡くんは嫌がってましたけど」
「まあ、結局、共倒れ――相討ちですけどね」
笑い合う二人。
「でも、」と、すっかり若葉ばかりが目立つようになった桜並木を見上げながら保美が言った。「いやな人でもありますよね?」
「ハムレット?」と、山崎。
「うーん?自分の役だから言い難いですけど、オフィーリアも」
「彼女も?」
「結局は、ハムレットより父親を選んだわけですよね?」そう保美は言うと、首を大きく右に傾けてから、「――なにか違うような気がするんですよね」と笑った。「山崎さんがハムレットなら、どうします?」
*
河井保美の乗るバスを見送ってから山崎和雄は、ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出すと、簡単なメールを一本書き、少しためらった後、やはりすべてを消すことにした。――《ショウは続けなければならない》。
それから彼は、駅の改札口へと向かうエレベーターのところまで歩くと、ここでも少しためらった後、上りのボタンを押し、誰にも聞こえない声で「晩い……ゆううつな……」と、歌うともなくつぶやいた。
ポォン。と云う小さな音とともにエレベーターが到着したが、彼はまだ歌をやめようとはしなかった。「めまぐるしく……街の中に……」
ピィン。と云う小さな音とともに扉が開いた。彼は、この歌い出した歌を途中で止めるかどうか、ここでもまた少しの間ためらっていたが、こちらの都合などお構いなしに閉まろうとするエレベーターに逆らうように、「戻り道……」と、ふたたび小さくつぶやいた。「静かに消えて……」
もう少しで、涙を流してしまうところだった。