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第七話 神様との遭遇は、工事現場。

 ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ。

 牛歩のように遅い足並みに反比例し、公香の心臓は何かを急かすように訴えるように、高鳴り続けている。まるで、工事現場で、地面を掘削しているような騒音が、鼓膜に張り付いて離れない。公香は、唇を噛んで、足元ばかりを見ていた。少し勇気を振り絞って、眉を上げ視線を上げる。前方に存在する人並みの陰から、チラチラと憧れの人物が見え隠れしていた。公香が向かう先に、白い布を被せた長机がある。そして、そこには、作家伊月康介が座っている。

 これは、夢か。それとも、幻か。

 著者近影で見た事がある整った造形物が、鎮座している。

 次第に、公香の息遣いが荒々しくなってきた。歩く速度は牛並みなのに、猛然とダッシュをしたように、額が汗で滲んできた。

「ねえ、優? 化粧落ちてない?」

 公香は、咄嗟に振り返って、声を押し潰すように発した。

「落ちてないけど、これ使って」

 優は、小さなカバンの中から、脂取り紙を取り出した。気が利く妹に感謝しつつ、公香は本で顔を隠しながら、薄い紙を顔に押し当てる。見られていないだろうか? と、不安を覚えながら、目視確認をする。公香の瞳に映ったのは、満面の笑みを浮かべ、女性と握手する作家の姿であった。その笑顔を見た瞬間、公香の鼻の奥にキュッと痛みが走って、慌てて指の腹を鼻の穴に当てた。恐る恐る指を離し、確認してホッと胸を撫で下ろした。

「・・・鼻血が出たかと思った」

「え? 何? どうしたの?」

 後ろから優に尋ねられ、公香は顔を左右に振った。一歩また一歩と、足を踏み出すけれど、下半身に力が入らず、自分の足ではないみたいだ。今にも崩れ落ちてしまいそうになっている。立っているのが、不思議な感覚に陥っていた。

 死ぬかと思った・・・正確には、死んだかと思った。

 呼吸の仕方を忘れて、目に見えない何かに包まれ、溺れそうになった。きっと、大袈裟な話ではなくて、コンマ何秒か確実に心臓が止まった。そんな気がした公香は、どうやって声をかけようか、何を話そうか、言葉の渦にグルグル飲み込まれている。

 そんな最中、意識が戻った時には、目の前に憧れの人物が微笑んでいた。伊月康介が、にこやかな笑みを浮かべ、右手を差し出している。光に集まる虫のように、公香は導かれるように右手を伸ばす。

「お姉ちゃん! 本だよ!」

 優に背中を叩かれ、我に返った公香は、慌てて小説を差し出した。

「お名前は?」

 ドッドッドッと、耳の奥の方で鳴り続ける心臓の鼓動のせいで、はっきりとは聞き取れなかった。今まさに、伊月康介が、公香の目を見て、公香の為に声をかけている。あまりにも現実離れし過ぎていて、公香の脳味噌は防衛本能を働かせるが如く、思考をシャットダウンさせていた。

「あ、本田公香です。お姉ちゃん、先生の大ファンで、思考回路がショート寸前なんです」

 優が公香の後ろから、ひょっこりと顔を出した。伊月康介は、クスクスと笑い声を漏らし、自作の表紙を捲りペンを走らせる。

「それはそれは、光栄です」

 顔を上げた伊月康介が、瞳を三日月状に弧を描き、スッと右手を伸ばした。公香は、茫然と右手を出す。

「冷たい手だね。大丈夫? ありがとうございます。これからも、宜しくお願いします」

 小さく顎を引いた伊月康介を真似るように、公香は小さくお辞儀をして、その場を離れた。心ここにあらずの公香は、フラフラと歩いていく。

「え? ちょっと、お姉ちゃん? あ! 私も先生の大ファンです! 応援してます! 頑張って下さい!」

 優は、離れていく姉を心配しつつ、伊月康介の手を握って、直筆サイン入りの小説を受け取った。そして、公香の背中を追いかける。

「お姉ちゃん! ちょっと、大丈夫!?」

 公香の隣に追いつき、優は体を捻って姉の顔を覗き込んだ。公香は半笑いの仮面を顔面に張り付けて、体を左右に振って歩いていく。行きかう人々が、公香の顔を見て、眉を顰め避けていく。優は苦笑いを浮かべながら、気まずそうに会釈を繰り返している。

「ああ、ダメなやつだ。魂が抜けちゃってる」

 介護をするように、優は公香の体を支え、三九堂書店を後にした。


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