第十一話 子供が汚されていく。いや、綺麗にしてるんだよ!
「もう一回聞くけど、本当にお姉ちゃんが書いたんだよね?」
優は、コピー用紙の束を、一枚捲った。
「だから、そうだって言ってんじゃん! 喧嘩売ってんの?」
この数日間で公香がパソコンで書き上げた小説を、コピー用紙に印刷した。デジタルではなく紙派の優と、折角購入したプリンターを使いたいという公香の利害の一致だ。
「ちゃんと、小説になってる」
「だから、喧嘩売ってんの? 小説を書いたんだってば!」
大声を上げる公香を一瞥し、優は紙を捲る。ちゃんと小説になっているとは、優の素直な感想であり誉め言葉だった。最近まで、ほとんど小説を読んだ事がなく、初めて書いた小説が形になっている事に、驚いていた。
ちゃんと小説になっているし、普通に面白い。
小説の知識は、九割以上が伊月作品である為、伊月作品に類似している事は否めない。内容も似ているが、執筆の癖や雰囲気も良く似ていた。なによりもタイトルが、『窓際の鎮魂歌』だ。どこかで聞いた事があると、優はクスリと笑った。
どんなジャンルにしても、素晴らしい作品の模倣が、成長の近道だ。公香は、その事を知ってか知らずか、体現していた。スポーツでは、プロ選手のフォームやらを真似するし、ミュージシャンなら、曲をコピーする。公香の作品は初めて執筆し、何よりも趣味なのだから、大成功だと優は胸を高鳴らせた。
「お姉ちゃん! 凄いよ! とっても、面白いよ!」
興奮気味で感想を述べる優に、公香は照れくさそうにはにかんだ。優に褒められて、公香は単純に嬉しかった。優は、沢山小説を読んできているし、小説の感想も理論的で、公香はいつも『よくそんなところまで、気が付くな』と、感心していた。
「いや、嬉しいんだけど、なんかダメ出しとかない? 気づいた事とかさ」
「え? 言っていいの?」
「あ! やっぱりやめとく! 今日の所は、気持ちよくいさせて!」
公香は、体の前で両手を振って、前言を撤回する。優は微笑み、ベッドに腰かけると、また最初からページを捲り始めた。公香は、キッチンへと行き、トイレに入って、洗面所の鏡で髪を整え戻ってくる。リビングの端へと向かい窓を開け、ソファへと腰かけ、すぐに立ち上がる。我が家なのに、まるで知らない家に来たようで、落ち着かない。チラリと優の顔を見て、目を背ける。居心地の悪さに、自分の居場所を探していた。深呼吸をして、パソコンに向き合うが、背後から聞こえる紙を捲る音が気になって、何も手につかない。周囲でウロウロしている公香の存在が見えないように、優は読書に没頭している。最後の一枚を捲った優が、表紙を手前にして、紙の束をまとめるように、膝の上にトントンと打ち付けた。その姿を見た公香が、ホッと息をついた。しかし、優はまた、一枚目の紙を捲る。
「ちょっと! 何回読むのよ!」
「え? 何回も読んだ方が、新しい発見や解釈が生まれて、楽しいよ。あ! 気になる? 私の事は気にしなくていいよ!」
「気になるに決まってるじゃない!?」
公香は、体をねじって、優から作品を取り上げる。
「もうダメ! お終い!」
「えーどうしてえ?」
「ダメったら、ダメ!」
もう心臓が持たないと判断した公香は、強制終了させた。公香自身も最後まで通して読んだのは、二回だけだ。読んでもらえるのは嬉しいけれど、粗が目立ってしまいそうで怖い。公香は、外敵から子を守るように、作品を胸に抱える。優は公香を見つめて、溜息を吐いた。
「分かった分かった。何を警戒しているの? でも、誤字脱字や分かりづらい表現の箇所が所々あったから、それは直した方がいいと思うよ」
「え? どこ?」
公香は、胸から作品を離し、眺める。そのすきをついた優が、作品を奪い取り、立ち上がる。カバンから赤ペンを取り出した。
「書いていいでしょ? こうやって、推敲するのは、大切な作業だと思うよ」
優は、ベッドに横になり、コピー用紙を一枚ずつ捲りながら、訂正箇所に赤ペンを入れていく。優の姿を茫然と眺める公香は、口を手で押さえた。
「ああ、私の子供が汚されていく」
「酷い事言わないでよ。大切なのは紙じゃなくて、文章でしょ? お姉ちゃんの子供を綺麗にしているのよ。美容院に行って、美容師さんに、『髪を切らないで! 傷つけないで!』とは、言わないでしょう?」
「優は、美容師になったの?」
「お姉ちゃんは、アホになったの? 例えよ例え」
呆れながら、優は赤ペンを走らせていく。




