芥の決壊
班田中学一年一組 芥直樹
所属ダラサ童話部
ダラサ童話部とは僕のクラスの担任である青柿先生が発足した部活動である。
青柿先生は国語、いや中学では現代文と言う科目の先生であり元小説家らしい。
らしいというのは、青柿先生に小説家の話を聞いても教えてくれないのだ。
青柿先生は女性で僕的にはまだまだお姉さんという感じの見た目をしている。
年齢はおそらく三十代前半といったところだろう。
僕のお母さんよりも若いんじゃないだろうか。
僕はもう中学生なので女性に年齢を聞くのはあまり良い事ではないと心得ているので本当のところは分からない。
ダラサ童話――
青柿先生が発足したダラサ童話部は文芸部。
この部活動に一番やる気を出しているのは青柿先生本人であり、それに対し僕は半強制的に部員にされ渋々付き合っている程度に過ぎない。
今日も渋々な部活動の時間だ。
「芥、ではまず初めに『赤ずきん』でいこうか」
「『赤ずきん』以外は何でも良いんですか?」
ダラサ童話なんて聞いたこともなかったし、もとは運動部に入ろうと思っていた。
だからこの部活動を辞めてしまってもいい。
「なんでもは良くない。『赤ずきん』で頼む」
「それ以外は…」
「ダラサ童話なら何でもいい」
そして正直今でも何をしている部活なのかよく分からない。
だが一応部員なので顧問の言う事は聞く。
僕は真面目なので。
「分かりました。じゃあ……」
「あ、赤ずきんが満ちる滑り台を爆ぜた声色は煌々と並び遅刻した雨漏りの気持ちを植え見据えた」
……なんだこれ。
「ほほー」
僕の内心とは裏腹に何やら満足げな青柿先生。
「先生、これでいいんですか? 何となくで繋いで呟きましたけど」
この部活動の説明は青柿先生から最初に聞いていた。
「いいのいいの。思うままに言葉を繋げていいから」
ルールその一、思うままに言葉を繋げて文章を作る。
「前にも言ったけど無理に意味を作ろうとしないで。寧ろ無い方がいい」
ルールその二、無理に意味を付けない。意味が無い方良い。
「ただし、後から意味は考える。言葉に情緒とか趣を感じるように」
ルールその三、作った文章に後から意味を付ける。
「でも先生、『赤ずきん』がお題だったり、部活動に童話があるのに童話っぽいところが無いのですが」
「それはそうよ。私が言った『赤ずきん』は何となく一つ言葉を決めただけだし、そもそもここは童話なんてどうでもいい部活よ」
発足者が部活動の名称に『童話』と付けたくせにきっぱりと否定してしまっている。
僕は顔面に面倒くささを張り付けながらも最後に一言聞いた。
「ダラサ童話ってダラサという童話を作る部活じゃないんですか?」
ダラサという童話とは何だろうか。
正直もう面倒くさくなってきたので、変な答えを返されたら退部を検討しようと思う。
童話を作ると思っていたから続けようとしてた的な言い訳ができる。
せめて中学生活もうちょっとまともな部活動をしたい。
変な言葉作る部活動に入ってるって皆に苛められたら嫌だし、僕だったらそんな部活に入ってる奴のこと変な目で見ちゃうかもしれない。
そう思うとすぐさま退部したくなってきた。
「ダラサ童話っていうのは、私が部を作るために適当に付けた名前。童話研究会みたいなもんだって思わせて納得させるために付けたの」
(ずるいタイプの大人だ)
「適当だけど、本当は『ダラサドーワ』って全部カタカナにしようと思っていたのよね」
『ダラサドーワ』という聞くからに外国語っぽい名称が出てきて愈々何も想像できなくなってきた。
どこかの国の挨拶みたいだ。
ダラサドーワダラサドーワ!オ!ダラサドーワ!みたいな。
「『ダラサドーワ』は私が考えたんだけど、もともとは全部の文字をひっくり返して『ワードサラダ』というの。つまり言葉のサラダという物なんだけどね」
先生が語りだした。
僕には理解できないけど先生にとってはやっぱりやりたい事なんだろう。
少しだけ先生のことを無下にするんじゃないかって気持ちが逡巡し始める。
以前言葉の意味は良く分からないけど。
「これは文法的には間違ってないけど意味のない言葉って意味なんだ」
……本当によくわからない。
「先生、ちょっと良く分からないんですけど……」
「何言ってんの、芥君はワードサラダの才能あるんだからどんどん作ってもらわないと」
才能とか言う言葉を持ち出してきたが、今一理解できない才能を持っていると言われても嬉しくない。
褒め言葉と悪口が紙一重みたいに聞こえる皮肉を言われてるみたいな感覚だ。
「いやいや才能なんてないですよ」
「君の自己紹介の作文を見た時に絶対ダラサ童話部に入れようって思ったもの」
僕は作文とか苦手なんだ。
苦手なものが下手だってことくらい分かっている。
上手く文は作れないし、自己紹介を書けと言われて上手く書けなかったって自分でも思っている。
むしろ、怒られてもおかしくないようなことを書いていた。
だから……
「そうですかね」
上手い返事はできなかった。
「これが君の自己紹介なんだけど」
この先生は僕の自己紹介をなんで今持っているのだろうかと疑問に思ったが、確かに僕が書いた自己紹介が目の前に突き出されている。
タイトル:自己紹介
芥直樹は芥川の芥に真っ直ぐな樹という意味で直樹と書きます。
得意な教科は無いです。
家ではゲームをしたり、たまに親からパソコンを借りて動画を見ています。
三百五十文字以上の紹介を書くという作文ですが、書くことが無くしょうがないので余った空白を適当な言葉で埋めます。
鉄橋コップネズミ。
トマトナバナリンリ。
甲板奪取会場に不浄。
亀太り。
木の息。
割烹着レッド。
ブルー雑巾。
画鋲イエロー壁画。
シニカル先生。
レントゲン教室。
木綿抜刀。
空に藻。
煮干しの抜錨。
梅の点滴。
コンクリートフロート。
ポテトにポテトオンザポテト。
雨雲に時間。
煙畑も灰塵の雪。
足の長い眠気。
どうでしょうか、ちなみに作文は苦手です。
そしてごめんなさい。
「なんだこの自己紹介は」
青柿先生は依然僕が書いた僕の自己紹介を文字が読めなくなるくらい近くに突き出してくる。
『なんだこの自己紹介は』そう言われると自分でも思っていた。
別に何かを狙ったわけでもなく、書いていた時は真面目にこれを考えていたのだ。
今改めてそれを見ると体が少し嫌に汗ばむ。
真面目な作文ではない。
少し冷静になると同時に頭に黒い汚れた空気みたいなのが回り始めた気がする。
今さらだが、この場というのは青柿先生が僕のことを叱るために用意したものではないだろうか。
今日で三回目の部活動だ。
ダラサ童話部に入ってこんな出鱈目な文章を書く活動は今日で三回目になる。
今までのこの活動は僕に対する指導だった?
頭がちょっとずつ早く回転しているのが分かる。
鼓動も少しずつ早くなり苦しい感じが全身を蝕み始めた。
体が震える。
震えたくない。
泣きたくない。
泣くなよ。
耐えて堪えるしかない。
「芥?」
……返事が思いつかない。
楽になりたい。
楽になるには早くこの状況を終わらせないといけない。
顎も震えている。
喉が詰まっているんじゃないか、今まで僕はどうやって声を出していたんだ。
どんな声でもいいからとにかく――
「すみませんぇぃぁ……」
か細い進むたびに弱々しくなる言葉は相手に届く前に霧散してしまう。
「え? ごめん聞こえんかった」
「すみませんでした。失礼なものを提出してしまいました」
もう駄目だ。
泣く事は我慢できそうだが震えが止まらなし、これ以上言葉を発することはできそうにない。
先生にその場を委ねよう。
動いたら体が決壊してしまいそうなんだ。
「なんで謝ってんだ。芥の自己紹介について考えようと思っているのだ」
もう謝った。
これ以上の言葉は考えられない。
思考不可能であるため、先生から目を逸らしやや下を見つめ無言を続けることしかできない。
「鉄橋コップネズミってなんだ? 動物なのか? それとも動物みたいに見える何かなのか?」
知らない。
「甲板奪取会場に不浄は? 甲板って船のか? 会場って海上? 不浄は浮上も意味する?」
知らない。
会場は会場だし、不浄は不浄だ。
「なー黙ってないで、どうしたんだよ?」
「すいません」
僕はもう一度謝罪ができた。
零れ落ちたようにしか思えない謝罪の言葉だった。
依然態度を変えない先生が余計に恐ろしくてたまらない。
もう許してほしい。
「え、芥? なんで泣いてるの?」
泣くか泣かないかなんて時間の問題なのだ。
この緊張感が続くなら耐えられるわけがない……
泣きたくなんてなかった。
泣きたくなんてなかった!
「え、ちょっと! 本当になんで?」
困っているのは此方であり、僕が謝る事しかできない事を察して欲しい。
「変な事書いてすいませんでした」
「なにが? もしかして自己紹介のこと? 確かに自己紹介は少ないけど、普通にこの言葉について話したかっただけなんだけど」
僕は拭いきれない涙と格闘し、先生は何やら面倒くさそうに考え事を始めていると、廊下から別の先生が青柿先生を呼んでいた。
その先生も僕が泣いていることに気付いているようだったが、僕のことは無視してくれている。
そして青柿先生はどうしても呼び出されてしまうらしい。
「芥ごめん! また今度ゆっくり話そう。色々言いたい事あるかもしれないけど次にしよう。あと 部室は鍵とか要らないからそのまま帰っていいよ」
青柿先生は僕を置いてそのまま別の先生とどこかへ行ってしまった。
べつにいい。
まだ少し涙は溢れてくるが今日は帰っていいんだ。
大きめな深呼吸が収まるころには、僕は普通に動けるようになっていた。
まだ部活動が終わるには少し早い時間だ。
今なら誰にも見つからないで帰れる。
ダラサ童話部に部員は僕しかいない。
というか他の部員を見たことがない。
先生は他にも部員はいると言っていたが、偉い先生に適当な事言って部活動を発足させる人だ、信用ならない。
最後、先生は本当に困っているようだったけど、でも部員が僕しかいない事も考えるとここは本当の部活動ではなく、不真面目な生徒を更生させるための場所なんじゃないかとも思える。
僕は鞄を手に取りそそくさと教室を後にする。
今は誰にも会いたくない。
生徒の活力が鬱陶しい校舎を背に僕は学校を出た。
徒歩での帰り道、僕は明日のことを考えると憂鬱でたまらない脳みそを洗ってやりたいと思った。
青柿先生は僕のクラスの担任。
僕は出席番号一番で一番前の席だ。
この学校には担任席という先生の席が用意されている。
少し大きな引出付きの机に座り心地がよさそうな回転椅子が設けてあり、それは僕の目の前にあるんだ……
早く席替えをしたい。
だが今はまだ四月で五月まで一週間ある。
そういえば退部の話もできなかった。
というか退部とかできるのだろうか。
もういいや今は諦めよう。
疲れすぎた頭に未来のことなど映らない。
ふと頭には今日の言葉が蘇る。
僕の中学生活は『赤ずきんが満ちる滑り台を爆ぜた声色は煌々と並び遅刻した雨漏りの気持ちを植え見据えた』なんちゃって。
これはたぶん赤ずきんが滑り台に詰まっててそれが爆発したんだ。
食べられるよりはビックリするだけでいいかもしれない。
声色が煌々と並ぶのか。
なんか眩しいような鬱陶しい声がいっぱいなのかも知れない。
遅刻した雨漏りの気持ちを植えたんだから、なんだろう何かを知ってトラウマになったのかも知れない。
見据えたっていうのが分からないな。
声色が見据えたとはどういう意味だろう?
意味なんて見つからないか。
そろそろ考えるのも疲れてきたので今は黙々と歩きたい。
本当に疲れた。
そういえば今日青柿先生が言っていたんだが、班田中学というのは「はんだちゅうがく」ではなく「パンダちゅうがく」らしい。
パンダだったんだ。
ふざけた学校なのかもしれない。