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TRASH WORLD  作者: Futahiro Tada


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TRASH WORLD

 数日後――、悠馬は学校へ復活した。数日間部屋で閉じこもったが、意を決し立ち上がったのである。魂は奪われた。通常では、三〇分で元に戻らなくなるようだ。だが、そんな魂を集めているトランサーと呼ばれる異能者たちがいる。

 その目的の中に『大いなる野望』という強かな野望が隠されている。つまり、トランサーが魂を集めるのに重要な意味を感じているのだ。その中に、魂を取り戻すという形があっても不思議ではない。

 その事実を聞くためには、何が手っ取り早いか? 簡単な話である。つまり、梨々花に会うのだ。それ以外にもトラッシュワールドに入るという手段もあったが、悠馬にはトラッシュワールドを形成する方法が分からなかった。

 故に、必然的に梨々花に会うのが、状況を変える手段として一番有効であると思えたのである。

 父親が亡くなったのをクラスメイトは把握しているのか、突如教室に現れた悠馬に対して、声をかけようとする人間は一人を除いていなかった。その一人は悠馬の幼馴染、竜宮美沙であった。

「悠君……大丈夫?」

 美沙は教室に入ってきた悠馬に対して、優しい言葉をかけた。

 しかし、当の悠馬はそんな優しい気づかいなどどうでも良かった。今会うべき人間は、美沙ではない。梨々花なのだから。

「梨々花はいるか?」

 と、低い声で、悠馬は言った。

 突然であったため、美沙は面を食らったようである。美沙は思春期特有の感受性で、悠馬が梨々花に対して、特別な印象を感じているのを察していた。しかし、それを言うわけでなく、ただ、黙ってみていたのである。

 同時に、悠馬は自分の行為を梨々花に伝えようとはしなかった。なのに、今ここにきて、梨々花を探している。何かこう、自分よりも梨々花の方が必要とされているような気がして美沙は激しくショックを覚えた。

「い、いるけど、どうしたの?」

 と、美沙は答える。

 悠馬の視線は梨々花に注がれている。梨々花は見つめられているのを察しているのか? それとも察していないのか? 曖昧な表情のまま机に座り、文庫本を開いている。

 つかつかと梨々花に向かって足を進める悠馬。

「知屋城梨々花。ちょっと良いか?」

 と、悠馬は言った。

 そこでようやく梨々花は視線を悠馬に向けた。

「何かしら?」

 と、美沙は答える。「今本を読んでるから後にしてくれない」

「いいから来い!」

 悠馬は大声を出し、梨々花の細い腕を取り、強引に立たせると、ずるずると廊下の方へ引っ張っていく。

 クラスメイトはあまりの悠馬の変身に驚いているようであったが、誰も何も言わなかった。ただ、梨々花だけが「痛いです。止めてください」と、トラッシュワールドとは全くキャラの違う声で叫んでいる。

 廊下に行くと、悠馬は掴んでいた手を離し言った。

「教えてくれ!」

 懇願するような声。

 その声に鋭敏な梨々花は、すぐに何かあったと察したようである。

「何を知りたいの?」

「トラッシュワールドと、魂を集める目的だ。トランサーってなんだ。デスレイヤーって何だ? 知ってることを教えてくれないか?」

「トランサーはトラッシュワールドの鍵を開く者。デスレイヤーは魂を狩られる者」

 と、冷たい声で梨々花は告げた。

「目的はなんだ」

「魂を集めるのよ」

「何のために?」

「それはあなたには関係ないわ」

「関係ある。『大いなる野望』って何なんだ?」

 そのフレーズを聞き、梨々花は明らかに動揺の兆しを見せた。

 なぜ、それを知っているのか? 

 と、聞きたいようでもあった。

「緑に聞いたんだ。いただろ。あの変態ダンサー。あいつに会ったんだ」

 しばしの間を置いた後、梨々花は答える。

「そう。それでどうかしたの?」

「父さんの魂が奪われた。僕は取り戻したい。どうしたら良いんだ?」

「一旦奪われた魂は、通常の方法では元には戻らないわ」

「通常以外の方法があるんだな? それが『大いなる野望』なんだな?」

「そう。『大いなる野望』は魂を復活させると言われている」

「どうすれば良いんだ?」

「魂を集めるのよ。それだけ」

 と、梨々花は何げなく言う。

 魂を集めるのは分かっている。それが『大いなる野望』の達成につながっているのも分かった。

 すべてが混迷の渦の中にあり。悠馬を奈落の底へ突き落す。

「トランサーにはどうやったらなれるんだ?」

 と、悠馬は最も聞きたかった内容を尋ねる。そう、重要なのはどうやってトランサーになるかだ。

「トランサーになりたいの?」

 と、梨々花は興味を持ったのか、そのように呟いた。

「ああ」と、悠馬。「トランサーにならないと、魂を集められないんだろ?」

「そうね。トランサーに比べるとデスレイヤーは力が弱いの。でもね、トランサーになるにはデスレイヤーとなり、トランサーを倒さなければならない」

「倒す?」

「そう。トランサーを倒すと、魂を蒐集するための箱『カンテラ』が手に入る。あのカンテラを手にすると、自動的にトランサーに昇格するのよ」

「ちょっと待て。つまり、梨々花も昔はデスレイヤーだったのか? つまり、死にかけていたのか?」

「そう。もう、一年以上も前の話。私が中学生の頃だからね」

 そう言うと、梨々花は遠い目をして、記憶を反芻させているようである。

 彼女には人には言えない過去があるのである。そして、トランサーとして果たすべき絶対的な役割も、梨々花には存在していた。

 デスレイヤーにならなければ、トランサーになれない。

 しかし、デスレイヤーになるには、リスクが必要になる。それはつまり、死にかけなければならないのだ。今の悠馬はデスレイヤーになる余裕がない。修が亡くなった今、母を一人残して、自分が死にかけるのは絶対にできないからだ。

 修に母を守ると約束をしたのである。それならば、いくらトランサーになりたいからと言っても、デスレイヤーとなるわけにはいかないのだ。

 何よりも、デスレイヤーは一般的なトランサーと比べ、力が劣るようである。この事実は過去二回のトラッシュワールドを経験し、ほぼ自覚していた。よって、トランサーになるためには、綿密な作戦が必要であると感じられた。

「魂を集めれば、父さんは蘇るんだな?」

 と、悠馬は言った。

 梨々花は、「そう」と、頷くと、「ただ、今のところ、魂を復活させたトランサーは一人もいないの」と、答える。

「どうして? 梨々花は大量に魂を集めていたじゃないか? あれでもまだ足りないのか?」

 その時、授業を開始するチャイムが鳴り響いた。

 良いところなのに、会話は中断される。

「放課後、屋上に来て。そこで続きを話しましょう」

 そう言い、梨々花は教室へ戻っていく。

「ちょ、ちょっ……」

 引き留めようとする悠馬であったが、それはできなかった。ちょうど一時限目の授業の教師が、プリントを持って現れたからである。仕方なく、悠馬は教室に戻った。とはいっても、授業はほとんど身に入らない。目の前に座る梨々花の背中を見つめながら、悠馬は放課後を待った。

 今日ほど、放課後が待ち遠しいと感じた日は、かつてあっただろうか?

 悠馬の記憶では、そんな日は一度もなかった。漠然とした日常だったけれど、それなりに充実はしていたし、平和に生きていたのだ。それが、ある日を境に変わってしまった。ある日というのはもちろん、トラッシュワールドに巻き込まれた日だ。

 あの日、トラッシュワールドに巻き込まれなければ、自分はきっと、今も平和に生きていただろう。とは言っても、修の死が避けられたかというと、それは分からない。ただ、きっと精神的には、今よりもずっと楽のはずである。

 それだけは確かな事実として、悠馬の心の中に残った。

 放課後――。

 悠馬は直ぐに梨々花を捕まえ、話を聞こうとした。

 梨々花はそれを面白おかしく見つめた後、「屋上に行きましょう」と、一言告げ、そして悠馬と共に、屋上に足を進める。

 屋上はひっそりしていて誰もいなかった。時刻は午後三時。つまり、まだ日の光はある。季節は冬を迎えているため、屋上は寒く、誰もいないのは半ば当然であった。

 コンクリートの地面に腰を下ろす梨々花。それに倣い、悠馬も腰を下ろす。

 そして、待ちきれないと言わんばかりに、

「魂はどれくらい集めればいいんだ?」

 と、素直に告げた。

 これは重要な問題である。

 梨々花はゆっくりと青い空を眺めた。澄み切るような青い空は、この状況にはそぐわないようであった。冬晴れのすがすがしい天気が、屋上を包み込んでいる。

「六十六体。魂は必要と言われているわ」

「ろ、六十六?」

 と、悠馬は繰り返す。

 あまりに巨大な数に、面を食らってしまう。魂を一人集めるだけでも、あれだけの戦闘を熟さなければならないのに、それが六十六体ともなると、話は別次元のように感じられる。

「そう、六十六必要」

「梨々花は今、何体魂があるんだ?」

「三〇体。だからもう少しで半分」

 梨々花は大分魂を集めていたが、それでもまだ半分いかないのである。

 ではもう一人のトランサー、緑はどこまで魂を集めているのだろうか? 梨々花よりも魂を集めているのか? その詳しい事実が知りたくて、悠馬は梨々花に詰め寄った。

「緑はどうなんだ?」

 と、食い入るように悠馬は言った。

「多分だけど」と、梨々花。「私と同じくらい、魂を集めているはず。だけどね、不可解なのよ」

「不可解?」

「そう、トラッシュワールドは一日一度しか形成できない。多くのデスレイヤーがいる場所を予測して動かなければならない。多くは病院ね。あそこは死に瀕している人間が数多くいるから、格好の狩場なのよ」

 梨々花は一旦中休みすると、呼吸と整えてから、再び話し始めた。

「仮に一日一回魂を回収する。すると六十六日で魂を集められるわ。この世界には多くのトランサーがいるのだけれど、その内、誰も『大いなる野望』を達成していない。これはどうしてかしら」

「まだ、何か秘密があるんだな」

 と、言いう悠馬であったが、梨々花は直ぐに答えなかった。

 ただ、悠馬の瞳を見つめ、何度か目を瞬きなら、どう反応するべきか迷っているようであった。

 待ちきれない悠馬は、あろうことか、梨々花の細い肩をつかみ、勢いよく上下振った。すると、梨々花は力なく後ろに倒れた。この状況だけ見ると、悠馬が抵抗できない梨々花を無理やり押し倒したと見えないわけではない。

 事実、この一連の流れを見ていた人物がいたのに悠馬は気づかなかった。

「教えてくれよ」

 と、悠馬は梨々花を見下ろしながらそう言った。

 梨々花はぐっと手に力を籠め、悠馬の腕に触れた。

 暖かい温もりが、悠馬の腕に染み渡っていく

 梨々花の言う通り、魂を集めるのは不可解な事実が多い。いくら六十六体の魂が必要だからと言っても、一日一対魂を集めるだけでいいのである。そうすれば二か月強で目標の六十六体にたどり着く。

 緑のように病院を襲撃すれば、もっと数多くの魂を手に入れられるだろう。戦闘状態になると魂を使う必要が出てくる。一日一回しか魂を使えないが、魂を蒐集できずに魂ばかり消費すると、いつまで経っても魂は集まらない。

 それでも半年とか、その位の長い期間をかければ、魂を集めるのは容易であると感じられる。元々、デスレイヤーとトランサーの間では、絶対的な力の差があるのだから、勝敗は目に見えている。

 なのに、梨々花の話では、今までに『大いなる野望』を達成した人間は一人もいないそうなのだ。これは明らかにおかしい。

 圧し掛かった状態であることも忘れ、悠馬は何度も「教えてくれと頼む」

 梨々花は「落ち着いて」と、あくまでも冷静に告げると、「集められないのには理由があるのよ」

「理由? それって一体?」

「話すから、少しどいてくれない。この体勢でいるところを、誰かに見られたら、色々と言い訳が面倒くさそうだから」

 そこで悠馬は初めて自分が梨々花に対し、襲い掛かっていると見てとられてもおかしくはない姿勢であるのを自覚する。顔を真っ赤にさせながら、

「ご、ごめん」

 と、一言陳謝する。

 梨々花は起き上がり、笑みを浮かべると、次のように告げた。

「魂が集められない理由。主な理由は二つあるの」

「どんな理由?」

「まず一つ目の理由。それは魂には使用価値があるということ。この間のトラッシュワールドで、緑が魂から武器を使ったのを見たでしょ? 魂は戦闘に使えるから、使ってしまうと魂を貯められない。だけど、一度のトラッシュワールドでは、一回しか魂は使えないから、魂を集めるペースが早ければ魂は貯まっていく」

「じゃあ、もう一つの理由が重要なのか」

「そう。もう一つの理由。それこそ魂を司る闘神が関係している」

「と、闘神?」

「トランサーの魂を奪う異形の神。それが闘神。私はこいつに折角手に入れた魂を奪われてしまっているのよ」

 それは不可解な告白であった。

 トラッシュワールドに現れる最後の番人。それが、闘神。

「梨々花も闘神に魂を奪われているのか?」

 梨々花は速やかに頷き、

「えぇ。私も奪われているわ」

「倒せないのか?」

「分からない。あの闘神を倒したというトランサーは今のところ聞いたことがないわ」

 梨々花の力は悠馬が痛いほど知っている。あれだけの戦闘力を誇る梨々花が、全く歯が立たないのであるならば、闘神という存在の大きさが、如何に巨大であるか垣間見える。

 親より先に死んだ子供は、三途の川で石を積み上げて塔を作るように命じられる。それが達成されると、子供は成仏できるのであるが、それをさせないために、鬼が積み上げた石を崩してしまう。

 それと同じ現象が、トランサーとトラッシュワールドの内部にも起きている。永遠に終わらない、呪縛のような出来事。それが闘神とトランサーの関係であるようにも思える。果たして、闘神を倒すためにはどうすれば良いのか?

「もう一つ聞きたい」

 と、悠馬は矢継ぎ早に尋ねる。「ウィディアンって何だ?」

「それも知ってるのね。あの変態ダンサーから聞いたの?」

 と、梨々花は少しだけ笑みを浮かべてそう言った。

「そう。聞いたんだ。僕をウィディアンって呼んだんだよ」

「君がウィディアン? 嘘でしょ!」

 と、驚きの声を上げる梨々花。今度は逆に梨々花が悠馬を押し倒すような格好になった。されるがままに悠馬は押し倒されると、近くに梨々花の真剣な表情が映り込んだ。距離は近く、呼吸の音さえ聞こえるかのようである。

「ウィディアンって何なのさ?」

 と、悠馬が言うと、梨々花が答える。

「魔法使いみたいなものよ。もちろん、あのトラッシュワールド限定の力だけど。通常、私達トランサーは物理的な攻撃手段しか持たない。剣や弓、そして銃とかね。念じて手に入れられるのはそのくらいの武器。だけど、ウィディアンには元から魔法めいた力を扱えるのよ。トランサーの中でも純粋にウィディアンの力を持っている人間はかなり少ないはず。それだけレアな力なのよ」

「そ、そんな力を僕が持っているなんて」

「ホントなの? それ?」

 と、梨々花はあまり信じていないようであった。決して悠馬は嘘をついているわけではないし、こんなにも不振な心証を持たれて少しだけ気分が悪くなった。

「トラッシュワールドの作り方は?」

 と、悠馬は続けて尋ねる。

「基本的には鍵を持つ者、つまり、トランサーが開く。こうやってね」

 と、梨々花は答えると、一旦立ち上がり、そして屋上を、トラッシュワールドに変えた。

 灰色の空間、そしてお互いの髪の毛が白く変色する。

「さぁ、やってみて」

 と、梨々花は催促する。

 やってみてとは、一体どのような意味なのであろうか?

 悠馬がぽかんとしていると、イライラしてきたのか、梨々花は不満そうな顔つきなりながら、「だから、君はウィディアンなんでしょ? その証拠を見せてほしいの。言った通り、トラッシュワールドは一日に一度しか開けない。つまり、今、この場でトラッシュワールドを展開したのは、君の力を確かめるためなのよ」

「分かった」悠馬は素直に答える。「やってみるよ」

 ウィディアンとしての力を放つ方法は、既に心得ている。ただ、念ずるだけで良いのだから。悠馬は目を瞑り、ブツブツと念じ始めると、悠馬の体内に、電流が流れ始めた。そして、それはこのトラッシュワールドにうまく顕現されたのである。

「す、すごい!」

 と、梨々花は感嘆の声を上げる。

 悠馬の放った電撃は、灰色の空に向かって一直線に伸びていく。

 灰色の空を切り裂き稲光が空を染めていく。とはいっても、あまり大量の電撃を行えない。すぐにガス欠になってしまうからだ。

「これで信じてくれた?」

 と、悠馬は恥ずかしそうに言った。

「うん。ねぇ、私と付き合わない?」

「へ? どういうこと?」

「だから付き合うってこと。つまり魂を集めるために協力体制を組みましょうって意味よ。君の力と私の力が合わされば、もしかしたら闘神に勝てるかもしれない」

 闘神と戦う。

 この灰色のトラッシュワールドのどこかに、謎の闘神という化け物が潜んでいる。今回のトラッシュワールドに闘神が潜んでいる可能性は少ないが、きっと、魂を集めていく過程の上で悠馬も闘神に会うであろう。

 その日は決して遠くない。

 同時に、興奮した二人は気づく由もなかったが、この空間には、もう一人の人間の姿があったのである。

「いいよ。付き合うよ」

 と、悠馬は答える。

 付き合うというと、どこか恋愛的なイメージがあるが、今回の場合少しニュアンスが違う。それでも悠馬にとって、梨々花は想い人であるのには違いない。だから、付き合うということは、それほど嫌ではなかった。

 結局、二人はトラッシュワールドを後にし、そのまま下校する。玄関へ向かうと、悠馬を待っていた一人の少女がいる。その少女は美沙である。絶望に瀕した宗教者のように顔は青白くなっている。

 下駄箱で靴を履き替え、悠馬が何も言わずに、美沙の横を通り抜けようとすると、美沙が悠馬の右腕を掴んだ。

「どこ、行ってたの?」

 声は幾分か震えていた。

 なぜ、そんな声を出すのか、悠馬には皆目見当もつかなかった。悠馬と美沙の横に、梨々花が面白おかしく状況を見つめたまま、立ち尽くしている。

「どこってちょっと用があったんだよ」

 と、悠馬は答える。

「用って、知屋城さんと?」

「そうだけど、美沙には関係ないだろ」

「関係あるよ。心配したの。お父さん亡くなって学校休んでいたから」

「うん。ショックだったから。でももう大丈夫さ」

「知屋城さんに慰めてもらったの?」

「いや、そういうわけじゃ……」

 トラッシュワールドを美沙に言っても仕方ない。あんな隔絶され、さらに命の危険が及ぶ空間に美沙を近づけたくはなかったのである。

 しかし、美沙は悠馬の着ているシャツの裾を掴みながら、やや俯き、震える声を発する。

「ど、どういう関係なの?」

「え?」

 と、悠馬は繰り返す。

 梨々花との関係は、トラッシュワールドで闘う同志だ。魂を集め修を復活させる。まぁ梨々花には別の目的があるのかもしれないが……。

 悠馬がどう切り出そうかと迷っていると、横から梨々花が口を挟んだ。

「私たち、付き合うんです」

 例によって、猫かぶりの態度である。あのトラッシュワールドでの豪快さがまるでなくなっている。

「付き合う?」

 と、美沙は言った。悠馬のシャツを掴む手がぽろっと離れた。悠馬を見つめ、「悠君、知屋城さんと付き合ってるの?」

 なんだか話が変な方向に進もうとしている。確かに付き合うには付き合うのだが、それは一般的な高校生が使うような『付き合う』というわけではない。とはいっても嘘ではないだろう。

「そうだよ。僕ら付き合うんだよ。だから、美沙もそんなに心配しないで良いよ。僕はもう大丈夫だから」

 そこ言葉が、何よりも美沙に対し衝撃を与えたのを悠馬は知らなかった。ただ、知らぬところで大切な人を傷つけてしまう。若さゆえに仕方のない障害だとも思える。恐らく、この場にいる梨々花だけは、悠馬と美沙の思考を読み取っていた。

 梨々花はどこか小悪魔的なところがある。悠馬と美沙の間を少しかき回したくなったのだ。

「悠馬君。行きましょう。遅くなるから。帰ったら、さっきの続きをしなくちゃならないのに」

 と、梨々花は言う。

 さっきの続き、それはトラッシュワールドであろうが、それを知らぬ美沙は当然違うように察した。

「ふ、ふ、不潔……。悠君、もう、知らない!」

 そう言い、美沙は一人足早に消えていった。

 訳が分からぬと言った体で、悠馬は美沙の姿を見送った。何であんな反応をするんだろう。否、何となく分かっていた。だけど、それを口にできない。

「なんで?」と、悠馬は言った。「あんなこと言ったんだ?」

「あんなことって?」

 と、いたずらっぽく微笑みながら、梨々花は尋ねる。

「だから、付き合うとか、続きをするとか。そう言ったら誤解するだろ」

「でも事実は事実よ。私たちは同盟を組んだの。それは忘れないでね」

「なぁ、梨々花の目的って何なのさ?」

「目的?」

「そう、魂を集める目的さ。僕は父さんを蘇らせたい。だから魂を集めるんだ。じゃあ梨々花、君の目的は何なんだ?」

「似たようなものよ」

 と、梨々花は少し寂しそうに言った。

 何か触れてはいけない琴線に触れてしまったような気がする。これは悠馬の推理であるが、恐らく梨々花にとっても、救いたい、つまり、魂を取り戻したい人間がいるのではないか? そんな風に感じたのである。

「まずはトランサーにならないとダメよ」

 と、梨々花は言った。

 そう、トランサーにならなければ、魂を集められない。トランサーになるためには現存するトランサーを打ち倒さなければならない。今、悠馬が知っているトランサーは緑だけである。緑を倒すのはかなり難しいように思えるが、実際のところはどうなのであろうか?

「緑っていうバレエダンサーを倒すのか?」

 と、悠馬は言った。

 梨々花は頷くと、

「緑でも良いし、他のトランサーでも良い」

 と、答えた。

「緑の他にもトランサーはいるんだろ?」

「うん。いるけど。どこにいるかは分からない。ただ、トランサーがトラッシュワールドへの鍵を開くと、その他のトランサーはそれを感じ取れる。まぁ近くにいればの話だけど、大体、半径一〇㎞くらいの範囲であれば感じ取れるのよ」

「じゃあ、他のトランサーがトラッシュワールドを開いた時、僕らもその世界に飛び込めば良いってことか」

「そう。でも、今日は一度トラッシュワールドを開いてしまったから入れない。入るとしたら明日以降」

「この界隈にいるトランサーは緑の他にもいるの?」

「この近くにはいないと思う。私も緑に会う前には、ずいぶん長い間、トランサーに会っていなかったから……」

「そ、そうなのか。じゃあ僕がトランサーになるためには、緑を倒さないとダメなのかもしれないな」

「うん。そうかもしれないわね」

 今日はトラッシュワールドには入れない。

 よって、梨々花と悠馬は途中まで一緒に下校した後、駅前で別れた。特に何をするわけでもなかったから、悠馬は一人自宅へ向かっていた。考えるのは、本当に自分がトランサーになれるかだ。

 緑はかなり強敵だ。

 トランサーは人間離れした力があるが、緑のそれはかなり突出している。修のクロスボウの超至近距離からの攻撃を優雅に交わせるあの俊敏性は、他ではなかなか見られない。

 いくら自分がウィディアンという特殊な力を持った人間として生まれたとしても、その戦力差は計り知れないものがあると思えた。いずれにしても、このままでは魂を六十六個も集めるのは不可能だ。

 けれど、その不可能を可能にしなければならない。そうしないと修の魂は永遠に戻らない。つまり、蘇らせられないのだから。

 そこまで考えると、悠馬は一つの考えにたどり着く。

 それは寂しく、それでいて心を握り潰されるような響きがある考えであった。

 簡単に言うと、魂を集めるというのは、人の魂を奪うという行為だ。いくら背後に修を蘇らせるという目的があっても、人の魂を奪う行為が、どこまで正しいのか? それは分からなかった。

(僕は何をしてるんだろう)

 と、一人ごちる悠馬。

 自分の行う魂を集めるという行為が、どこか人道に反するような気がして、気が気ではなくなった。それでも修を蘇らせるのならば、必ず乗り越えなければならないと一人胸に深く思いを刻み込んだ。


          *


 顔を洗い清潔なタオルで顔を拭うと、鏡に映った自分の顔を見つめる。

 そして、その姿に恍惚とした気持ちを覚え、ぶるぶると身震いする。ここまでいくと、ナルシストも一つの特長とってもいいかもしれない。

 今、鏡を見て震えているのは高田緑。

 悠馬と梨々花に変態ダンサーと揶揄されている人間である。

 彼はその昔、ダンサーとして将来を渇望された人間であったが、理由があり、デスレイヤーになり、今はトランサーとして生活をしている。ダンサーをしているときから、肉体の研鑽に努め、日々トレーニングを重ねてきた。

 だから、かなり発達した筋力を手に入れられ、類まれな戦闘力を兼ね備えられたのである。

(ウィディアンか……)

 と、緑は考えを進める。

 彼の脳裏には先日出会ったウィディアンの少年。つまり、悠馬の姿がある。

 彼は今のところ、エラーという存在であるが、恐らくトランサーとして、自分の前に立ちはだかるだろう。

 問題になるのは、この界隈にはトランサーが多くないということだ。トランサーの多くは、数年前の大戦でほとんどが死滅していた。

 数年前の大戦。

 それは多くの同志であったトランサーと、トラッシュワールドの門番。闘神ルルドが戦った戦争の歴史である。

 多くの優良なトランサーが多くおり、皆が協力し合い六十六の魂を集めようとしていた。その結果現れたのが闘神ルルド。

 トランサーが魂をある程度集めると現れる謎の闘神である。

 その戦闘力は計り知れぬくらい強大であり、自分を含め、数多くのトランサーが束になっても敵わなかったのだ。奴を……ルルドを倒すためには、ウィディアンの力がいる。そのためには、あのウィディアンの魂を奪う必要があるだろう。

 決戦の時は近い。

 緑は鏡を見るのを止め、壁に架かった一枚の肖像画を見つめる。

「もう少しさ。もう少しだよ。赤。それまで辛抱していておくれ」

 そう言い、緑は再び鏡を見つめた――。


          *


 翌日――。

 悠馬は学校へ向かっていた。

 足取りは酷く重い。自分に課した使命の重さが、ずっしり身に圧し掛かってくるようであった。それでも行動しなくてはならないだろう。

 学校へ着き、席に座ろうとすると、じとっとした視線を感じた。その視線を追うと、視線を発しているのは、美沙だと分かった。どうやら、あの少女は何かを勘違いしているようなのである。

 今更、言い訳するのも面倒であるため、特に何かを言うわけではなかったけれど、悠馬はため息をつき、席に座った。

 すると、既に学校に来ていた梨々花が後ろ振り返り、悠馬を見つめ、

「おはよう」

 と、言った。

 今まで梨々花に挨拶なんてされなかったから、悠馬は些か驚いて梨々花を見つめた。

「あ、あぁ。おはよう」

 と、絞り出すように挨拶をする。

「何か元気ないわね。何かあったの?」

「いや、そう言うわけじゃないんだけど、ただ、魂を集めるっていうのは、突き詰めて考えると、人の魂を奪うんだろ? それって本当に正しいのかなって思ってさ。人を殺すわけだから」

「目的のためには仕方のない犠牲よ」

「そ、それはそうだけど」

「怖くなったの?」

「怖くはない。ただ、自信がないんだ。魂を奪うのが」

 梨々花は悠馬の手を取り答える。

「大丈夫よ。私たちはただ魂を奪うわけじゃない。それを利用するの。そんな思いの詰まった魂を使うのだから、きっと神様だって許してくれるわ」

 果たしてそうだろうか?

 どこまでも困惑する悠馬。

 暖かな、梨々花の手の感触を味わっていると、本当に何が正しいのか分からなくなってくる。自分にとって何がベストなのか? 

 考えても、やはり答えは出ない。

 ただ、目的は決まっている。それは父、修を取り戻すことだ。それが絶対的な目的として、悠馬の中に色濃く残っている。これだけは絶対に譲れない。となれば、もう答えは出ているのではないか。

(やっぱりやるしかないのか……)

 そう、そう考えるのが妥当である。

 人の魂を奪う必要があるのだ。

「今日、ちょっと遠出するわよ」

 と、徐に梨々花が言った。

 悠馬は何度か目を瞬いた後、言葉を返す。

「遠出? どこに行くの?」

「トランサーを探しにいくのよ。この街には緑と私以外、トランサーはいない。緑はかなり強敵だから、戦闘をして一〇〇%勝てるかというとそうでもない。それならば、ちょっと遠出をして、あまり能力の高くないトランサーを見つけるのが大切よ」

「それはそうだけど、何か心当たりはあるの?」

「うん。実は昨日、隣町を歩いていたんだけど、トラッシュワールドが展開されたようなの? もちろん、私は入れなかったけれど、誰かトランサーがトラッシュワールドを作ったに違いないわ」

「緑じゃないかな?」

「緑じゃないと思う。それほどトラッシュワールドの世界が広くなかったから。だからね、今日学校が終わったら隣町に行って、トラッシュワールドを展開する。そうすれば、向こうからきっと接触を持ってくるはずよ」

「分かった。行こう」

「そう。それなら良かったけど……。それで、君の幼馴染の美沙さん、何か言ってたかしら?」

「美沙が? 否、特に何も言ってなかったけどどうして?」

 梨々花は薄らと笑みを零し、

「いいえ。何も言っていないのなら、それでいいの。気にしないで。ただ、ちょっと誤解させすぎたかなって。今もほら、こっち見ているし」

 確かに依然として、美沙は悠馬と梨々花に対して、視線を注いでいる。何やらこう、探偵のように訝しい視線を送っているのである。

「美沙なら大丈夫だよ。……多分だけど」

 何が大丈夫なのか分からないが、この先、悠馬は美沙がトラッシュワールドに関係しているというのを知ってしまうのである。これはまだ先の話なのであるが。その時に発生した衝撃を悠馬は忘れないだろう。

 学校が終わると、悠馬と梨々花の二人は、直ぐに学校を出て隣町に向かった。それほど距離が離れているわけではない。電車に乗れば十五分ほどで到着してしまう。駅前は混雑していたが、駅を抜けやや閑静な住宅街へ入ると、途端に人に流れは疎らになる。

 嘘のように静まり返る。本当に、こんな過疎地にトランサーがいるのだろか? 

 と、悠馬が自信なさそうに考え、歩いていると、規則的に歩いていた梨々花の動きが、不意に止まった。

「トラッシュワールドが開かれたわ」

 神経を尖らせる悠馬。

 トラッシュワールドが展開されたのはどうやら事実のようである。独特の空気感が辺りに流れ始める。

「そうみたいだね」

 と、悠馬は答える。忽ち緊張感が体を支配する。

「行きましょう」

 と、梨々花。彼女は悠馬の手を取り、一直線に突き進んでいく。

 やがて、辺りは灰色の世界に包まれる。それと同時に、悠馬と梨々花の髪の毛が白く変色する。完全にトラッシュワールドへ入ったようである。トラッシュワールドが開かれたということは、この中に確実にトランサーがいるのであろう。

 どこにいる? 警戒しながら悠馬が道を歩くと、梨々花が言った。

「トラッシュワールドの範囲が狭い。恐らくだけど、緑ではないわ。あの変態ダンサーなら、もっと広い範囲にトラッシュワールドを展開できるはずだから」

「緑以外のトランサーってことか」

 と、悠馬は答える。

 同時に何かこう、強く引っ張られる感覚が、悠馬の体を覆っていく。

 梨々花の推理は当たっていた。このトラッシュワールドを作り出したのは、緑ではなく、初老の老人であった。

 かなり細身の男性で、トラッシュワールドだから白いのか? あるいは元からこんなに白いのか、分からない頭髪を持ち、ダークグレーのスーツを身に纏っている。同時に武器を持っているようであるが、それはスーツにはそぐわない日本刀であった。

 右手に日本刀。左手に魂を収納するカンテラを持っている。トランサーで違いないだろう。

 だが、カンテラの中には魂が入ってはいないようで、ただ、突如現れた悠馬と梨々花を驚きの瞳で見つめている。

老人は言った。

「君たちはトランサー……、そしてデスレイヤーかね?」

 やや低く重鎮な声で、老人は尋ねてくる。

 いつの間にか梨々花はカンテラと大剣を持っている。これだけ見れば、ある程度経験を積んだトランサーであるならば、梨々花をトランサーと見られるだろう。問題は、悠馬の方だ。

 彼はこのトラッシュワールドでは特殊な人種、エラーなのである。エラーとデスレイヤーを見分ける厳密な棲み分けはないようであり、通常ではエラーもデスレイヤーも一緒に映るようだ。

「僕はエラーです。だからデスレイヤーではありません」

「そうかね。てっきり緑君かと思ったが、違うようだね」

 緑と言う名前が出て、悠馬も梨々花も、サッと警戒の色を強める。なぜ、緑を知っているのか? もしかしたら仲間なのかもしれないと、悠馬は考えを進める。緑の交流関係はまるで知らないが、あの人間がこんな老人と深い関係があるはずがない。と、悠馬も梨々花も考えていた。

「緑を知ってるのね?」

 と、梨々花は神妙に尋ねる。

 緊張感は極限まで高まり、梨々花は臨戦態勢を整えている。

「知っておる」と、老人。「君たちは、先の大戦には参加していないね。それはそうだろう。まだ若いからね」

「先の大戦?」

 と、美沙は繰り返した。

 一体、先の大戦とはどういう意味なのだろうか?

 梨々花と悠馬が視線を交錯させると、それを見つめていた老人が、ゆっくりと言葉を継いだ。

「闘神を知っているかね?」

 その言葉を梨々花も悠馬も知っていた。

 ある程度魂を奪うと現れる、謎の門番。それが闘神である。

「知ってるわ。私も魂を奪われから」

「何体の魂を集めたのかね?」

「あの時のことはよく覚えている。三〇体の魂を集めたのよ」

「と、いうことはルルドではないね」

「ルルド?」

「そう。最後の門番である闘神の名前だよ。そして先の大戦というのは、同盟を組んだトランサーと、そのルルドの死闘のことを言うのじゃよ」

 と、淡々と老人は告げた。

 梨々花はトランサーとして、このトラッシュワールドに入るようになり、まだ二年程度である。よって、ルルドとか先の大戦とか、そういう事情はまったく知らなかった。

「そんな大戦があったなんて知りませんでした」

 と、悠馬は素直に告げる。

 大戦というからには、かなり規模の大きい戦いか繰り広げられたのであろう。死者も出たのだろうか?

 聞いていなかったが、トランサーは死ぬのだろうか? 魂があるのだから、きっと死ぬのかもしれない。この灰色の世界は魂の狩場なのだから。

「君たちは何をしてるんだね?」

 と、老人は尋ねる。

 正直にトランサーを探していると言っても良いのだろうか?

「僕はトランサーになりたいんです」

 と、悠馬は言った。

 老人は「ほう」と、一言告げると、得も言われぬ表情を浮かべ、

「トランサーになりたいか……」

 と、繰り返した。「なぜなりたいんだね?」

「父を救うためです」

「魂を集めるのか。魂は集まらぬ。闘神を倒すのは我々トランサーにはできないのだよ」

 そこまで言うと、悠馬は推理を進めた。

 この老人は以前闘神と戦ったと言っていた。話によれば、闘神は集めた魂の数によって、違う闘神が現れるようだ。つまり闘神と戦い、勝利した経験もあるはずなのである。

 そうでなければ、魂の数によって出てくる闘神が違うとは言えないのだから。

 それを梨々花も感じているようである。梨々花は大剣を顕現させ、それをピンと老人に向けながら、

「闘神は何体いるの?」

 と、尋ねた。確固たる意志を持った強い声である。

 老人は、梨々花の強い決意を読み取ったようだ。薄くなった白い頭をなでながら、質問に答えた。

「闘神は三体」

「三対?」

「有無。闘神は第三まで確認されている。通常、魂を三〇集めると、第一闘神である闘神が現れる。これを打ち倒し、さらに五〇まで魂を集めると、闘神は第二闘神となり、我々を襲う。そして六十六を超える魂を集めると、闘神は第三闘神になる。これがルルドという名前だ」

「私が会ったのは、第一闘神ってことか?」

「そのようだね。お嬢さんたちは二人で魂を集めているのかね?」

「いいえ。まだ協力し始めたばかりなの。だから闘神はよく知らないわ」

「第一闘神の名はトゥトゥリスという。トゥトゥリスには攻略方法があるのじゃよ。それを我々、『大いなる騎士団』は知っている」

「大いなる騎士団?」

「そう。先の大戦で闘神ルルドと戦った七人のトランサーのことだよ」

「そのトランサーは今どこにいるんですか?」

「五人は亡くなった。闘神によって、打倒されたんだ。残ったのはわしと、もう一人。だが、わしの命ももう少しじゃろう」

 と、老人は少し寂しそうに呟いた。

 もう少しで命が尽きるというのであろうか? 確かに老人はトランサーであるのに、魂を持っていないし、何よりも全体的に覇気が感じられないのだ。

「少年」と、老人は言う。「君の名は?」

 問われた悠馬は、老人の死んだような目を見つめながら、

「桐生悠馬です」

 と、答えた。

「悠馬君か。良い名前だ。よろしい、わしの力、君に授けよう」

「どういうことですか?」

「わしはね、もうトランサーとして生きるのを止めたんだ。しかし、トランサーは急に辞められるものではない。しかし、このトラッシュワールドには強制排除の力がある」

「どんな力ですか?」

「トランサーになった者は、七日以内に最低でも一つの魂を手に入れなければ、トランサーとして維持できないんじゃよ。わしは七日間、誰の魂も手に入れていない」

「なぜ、諦めたんですか?」

「闘神と戦うのに疲れたのだよ。それに、この死んだ世界で暮らすのにもね。人の魂を奪う。わしはそんな生活を続けてきた。目的があったからだ。君は父親を蘇らせたいと言ったね? わしにもそんな目的があった。だが、今ではもうどうでもいい。すべてに疲れたんだ」

「ちょうど良いじゃない」

 と、梨々花は容喙してくる。

 確かにちょうど良いのだが、老人の諦めが悠馬の心境に棘を刺す。自分もいつかこんな風に諦めてしまう日が来るのではないかと思えてきたのだ。その日が来たら修を蘇らせられなくなってしまう。

 それは堪らなく恐怖であると感じられる。大いなる騎士団という、精鋭部隊に所属し、闘神ルルドと戦った老人。きっと高い力があるのだろう。そうでなければ、闘神を第二闘神まで打ち破れないのだから。

 梨々花は以前、闘神の第一闘神、トゥトゥリスと戦闘をした経験があるようだ。そして、魂を奪われ、敗れている。あれだけの戦闘技術がある梨々花が破れるのだから、闘神の力は、悠馬の考える力を遥かに凌駕する。

 悠馬がまっすぐに老人を見つめていると、老人はカンテラを指し出した。空になったカンテラ。大分年期が入ったカンテラで、赤の塗装が少しだけ剥がれている。長い間ずっと使い続けてきたのだろう。

「受け取りなさい」

 と、老人は言った。

 すんなりと悠馬はカンテラを受け取る。ずっしりと重たい。カランと静かに音が鳴り響いた。

「悠馬君」と、老人は言う。「君はどんな武器を持っているのかね?」

 悠馬はカンテラを地面に丁寧に置くと、手掌を広げ答えた。

「僕はウィディアンなんです」

「なんと……。そうじゃったか。君はウィディアン。それならば、我々『大いなる騎士団』の仇が取れるかもしれんね」

「大いなる騎士団にはウィディアンはいたの?」

 今度は、梨々花が尋ねる。

 ウィディアンはかなりレアな能力だ。物理的な武器を扱うトランサーとは違い、魔法的な能力を使えるのだから。

「いない。だが、敵対する人間にウィディアンはいた。だが、そのウィディアンは単独で魂を集めており、第二闘神の闘神に、自分の魂ごと食われてしまった。それ以来、ウィディアンは見ていない。悠馬君は随分と稀なケースのようだね。その力は大切にしなさい」

 老人は目を瞑り、そのように答える。

「どうしたら、闘神を倒せるんですか?」

 と、悠馬は質問を飛ばす。

 この質問こそ、すべての核のようなものであると、自覚していた。

 老人がトランサーを止めるのであれば、すべてを教えてもらう必要がある。トランサーを辞めるとき、トランサーの魂は消滅する。つまり、命の灯が消える。そうなる前に知っている情報を聞かなければならない。

「闘神にはコアがある」

 と、老人。昔を懐かしく思うように、薄っすらと目を見開きながら言う。

「コア?」

 と、悠馬。

「そうじゃ。闘神には心臓部はない。その代わり、肉体を司るコアがある。体の中心部にね。核となっていて、固い骨のなかに隠れている。第一闘神のトゥトゥリスはちょうど人間で言う心臓部にコアがある。キールという心臓骨という骨の奥に隠れておる。しかし、第二闘神、マルハザードにはコアが脳内と心臓部の二カ所に存在する」

「二カ所……」

「そう。マルハザードは一カ所のコアを潰しても、もう一つのコアがある限り、再生を続ける。そして、二カ所同時にコアを潰す必要があるのだよ。故に、単独で戦ったウィディアンの戦士は敗れた。我々大いなる騎士団は、その流れを受け、コアを同時に潰す必要があると察したのだ」

「では、第三闘神、つまり、ルルドという闘神はどうやったら倒せるのですか? マルハザードに二つコアがあるのなら、ルルドには三つあるんですか?」

「否、普通はそう考える。しかし、ルルドのコアは恐らく一つだ。だが、コアを自在に移動できる。故に移動するコアを予測し、潰さなければならない。我々大いなる騎士団は協力し合い、コアが移動する規則性を予測しようとしたが、それはできなかった」

「対策はないのですか?」

「今のところない。ただ、防御に徹した時、コアは一定の場所に留まるようだ。だが、どこで留まるかまでは分からない」

 結局、ルルドの倒し方は分からなかった。

 ただ、最後に老人は次のよう言った。

「お二人さん。絶対少女という概念を知ってるかね?」

 悠馬にも梨々花にも分からなかった。

 一体、そんな存在なのだろうか? 悠馬は一人考えを巡らせ、梨々花に話を振った。

 梨々花も絶対少女という概念に心当たりがないようで、首をかしげながら、状況を見つめている。

「知らないわ。それってトラッシュワールドに関係あるの?」

 と、梨々花は囁いた。

「そう。大いに関係ある。トラッシュワールドには通常、トランサーやデスレイヤー、そして一部のエラーしか入れないが、絶対少女という人間は自在にこの空間に入れる。我々が大いなる騎士団を立ち上げた時、魂を集める過程でそんな少女に出会ったんじゃよ」

「絶対少女。エラーとは違うの?」

「エラーのようなものだと考えたが、決定的に違うのは、自身のコアとなる魂が存在しないのだ」

「死んでるの?」

「否、死んでいない。魂がないのに生きている人間。それが、この死んだ世界でも生きられる絶対少女の持つ力なのだ。そして、我々は闘神を打ち破る一つの手段として、この絶対少女がいると確信している。故に、まずはこの少女を探すんじゃ」

「どこにいるのか分かるのかしら?」

「今は分からない。だが、この界隈に居るはずだ。大いなる騎士団は、この辺りを拠点にし、活動していたのだから……」

「どんな少女なの?」

「有無。特長は普通の少女、あまり特筆すべき点はないかのぅ。魂がないのに、この空間にいるべき少女、それはつまり、通常の概念では計れない神通力みたいな力が宿っているんじゃよ」

 絶対少女という存在。

 魂がないのに、生きていけるというだけで、それはかなり不可解な現象であると思える。

 悠馬は老人からカンテラを受け取り、正式にトランサーになる。最後に悠馬は尋ねた。

「おじいさん、名前を教えていただけませんか?」

 老人はくぐもった瞳で、灰色の空を眺めたあと、

「青」

 と、一言告げた。

 トランサーになった悠馬。

 青という老人がトランサーを破棄したため、彼はその生命に終止符を打った。絶命し、完全に動かなくなる。それと同時に、トラッシュワールドは解放され、青の身体も一緒に消えていった。魂が亡くなると人は死ぬ。

 これは事実だ。しかし、この当たり前の概念が絶対少女には通用しない。

 いずれにしても、トランサーになったからには、定期的に人の魂を手に入れなければならない。七日間魂を手にできないと、トランサーは死んでしまう。そうならないためにも、まず、悠馬がするべきなのは、心を鬼として人の魂を狩るということだろう。

 もう、修羅の道へ進んだのである。

 可哀想だからとか、嫌だとか、自分が傷つきなくないからとか、そんな理由で魂を集めるのを否定してはならない。突き進むべきなのである。たとえ、どんな茨の道が待ち構えているのだとしても進むしかない。

 トラッシュワールドが壊れた後、悠馬と梨々花は近くの公園に向かい、そこで二人でベンチに座り、今後について話し合う。

 二人の間に流れる空気はそれほど良好なものではない。

 公園のベンチで高校生のカップルが座っていれば、それだけで甘い青春の一ページであると思えるが、二人の間にはそんな甘さがまるでなかった。ただチクチクとする居心地の悪い空気だけが二人の間に広がっていく。

「絶対少女」と、悠馬は空気を打ち破るべく声をあげる。「この近くにいるみたいだけど、捜索範囲が広すぎる」

 梨々花は難しそうに顔を歪めると、

「私にも分からない。少なくとも私は絶対少女に出会った経験がない。トラッシュワールドに自在に出入りできる存在であるならば、やはり捜索範囲は広い。かといって、偶然に任せていては一生出会わないと思うけど……」

「一日一回狩りをしようと思うけど、どうかな?」

「妙にやる気になったわね。吹っ切れたの?」

「うん。梨々花は今、どのくらいの魂が集まっているの?」

「二〇体」

「じゃあ第一闘神トゥトゥリスに会うのはそれほど遠くないね」

「コアを潰すか……。前闘った時、全く考えなかったわ」

「でも、よく闘神と戦って敗れたのに、無事だったね。大いなる騎士団っていう人たちは、七人中五人が死んでいるのに」

「うん。魂を奪われて、反撃したんだけど、まるでダメだったのよ。よって、すぐにトラッシュワールドを解除したの。だから助かったってわけ」

「一人で戦っていたんだよね。ずっと孤独に」

「そう、だけど闘神を倒すには、やっぱり複数いた方が良いと思う。特に第二闘神のマルハザードっていう闘神を倒すには、やはり一人では難しいと思う」

「僕を選んだのは、やっぱり僕がウィディアンだからなの?」

「そうよ」

 と、梨々花はきっぱりと言った。

 そこには好意の色が一切感じられない。悠馬がウィディアンだから付き合っている。そうでなければこのような関係にはならなかっただろう。これは喜ぶべきことではない。如何に、梨々花という人間と一緒にいられるとしても。

 しかし、どうして自分にウィディアンという力が宿ったのだろうか? 何か理由が潜んでいるような気がした。そう言えば、遠い昔に、こんな空間のようなところにきたことがある。記憶の砂の中に埋め込まれてしまっているが、何か引っかかるのである。

「梨々花、一つ良いか?」

 と、悠馬は尋ねた。

 それを受け、梨々花は視線を悠馬に向けた。そして、興味深そうに頷くと、

「何かしら?」

 と、答えた。

「トラッシュワールドに小さなとき来たことないか?」

 その質問の意図が、良く分からないようである梨々花は、

「来たことないと思うけどどうして?」

 と、聞き返してきた。

「僕はさ、昔トラッシュワールドに来たような気がするんだよ」

「もしかしたら、そこに悠馬のウィディアンの秘密が隠されているのかもしれないわね。通常の生き方をしていたら、人はウィディアンに目覚めない。考えられるのは……、特殊な人間が近くにいるってこと?」

「特殊な人間。どうしてそう思うの?」

「ほら、よくレベルの高い環境で切磋琢磨すると、呼応するようにレベルが上がる例があるじゃない。それと同じ。トラッシュワールドに昔来たのならば、近くにトラッシュワールドのトビラを開ける人間が近くにいたのよ。うん。その可能性が高いと思うの」

「でも、僕の周りには、トラッシュワールドに関係する人間なんていないはずなのに……」

「記憶が消されているか、もしかしたら単純に忘れているか。そのどちらかね」

「トラッシュワールドに行けば、嫌でも、記憶に残ると思うけど、違うのかな? でも、記憶を消すなんて可能なの?」

「分からない。でも可能だと思う。人間は自分でも耐えられない衝撃を受けると、それを心の奥底に隠してしまうから。でも、今はそのことは後回し。絶対少女の捜索と平行に、魂を集める必要がある。近いうちに、闘神トゥトゥリスとの戦闘があるのだから」

 そう、魂を集める必要はあるのだ。同時に、闘神との戦いもある。それだけは避けられない問題である。修の魂を取り戻すためには、闘神との戦いに勝つ必要がある。どんなに怖くても、勇気を持って戦わなければならない。それだけだ。

 しかし、どうして昔トラッシュワールドに来たなんて思ったんだろうか? あれはいつだろう。もう、かれこれ一〇年以上も前の話である。きっと、大いなる騎士団が、トラッシュワールドで活躍していた時期に、迷い込んだのかもしれない。

 真相は分からないが、あの時、自分の他にも誰かがいたような気がするのである。それが誰なのか? 悠馬は思い出せなかった。だが、確か一〇年前、灰色の空を見上げて、何かを見たような気がするのだ。

 いずれ思い出すのだろうか? 人間が嫌な記憶を心の片隅に押し隠してしまう。これが実際に起きるかなんて、悠馬には中々信じられないが、状況が状況だけに、隠された記憶があるのならば、それを取り戻したいと考えていた。

 だが、その方法は分からない。記憶喪失になった人間に特効薬がないように、時間が解決するのを待つしかないのであろうか? 

「じゃあ、明日、トラッシュワールドへ行きましょう」

 と、梨々花は提案する。

 それを反故にする理由はどこにもない。悠馬はゆっくりと頷くと、「分かった」と、だけ答える。

 いよいよ戦闘は始まる――。

 梨々花と別れ、悠馬は一人家路についていた。

 重苦しい足取りである。梨々花の前ではなるべく明るく振舞っていたが、やはり、戦闘が開始されるとなると、あまりいい気はしない。それだけは確かである。元々、好戦的ではないのだから、仕方がないと思えた。

 自宅の近くにある小さな公園で足を止めると、公園のブランコで遊ぶ、幼児の姿が見られた。何となく無邪気で遊んでいる姿を見ると、羨ましく感じられる。悠馬は一人、公園内に入ると、空いていたベンチに腰を下ろし、徐に空を見上げた。

 時刻は午後五時――。

 空は夕焼けに包まれており、哀愁じみた空気を作るのに一役買っていた。一人たたずんでいると、そこにとある少女が不意に現れた。それは偶然なのか。それとも作られたものなのか。その辺のことは判断できなかったが。美沙が顔を出したのである。

 その姿にもちろん悠馬は気づく。少し恥ずかしそうに顔を背けると、再び空を見上げた。

「何してるの?」

 と、近づいてきた美沙は、開口一番にそのように言った。

 特に理由はない。だから、回答に困った悠馬であったが、何か答えなくてはならない。正直にありのままを話すのは恐らく問題があるから、オブラートで包み込むように、曖昧模糊に話さなくてはならないだろう。

 隣のベンチに座った美沙を見るなり、悠馬は答えた。

「別に何もしてないよ」

「今日は、知屋城さんと一緒じゃないの?」

「さっきまで一緒だったけど、今は一人だよ」

「デ、デートしてたってこと?」

「そういうわけじゃないよ。ただ、二人で話していただけさ」

「そ、そうなんだ」

 美沙の表情はおどおどとしており、悠馬を酷く伺うような姿勢がある。何が美沙をここまで駆り立てるのか? 悠馬は美沙の気持ちが何となく分かっていた。

 自分が美沙に興味があり、好意を抱いているように、美沙は自分に好意を抱いているのではないか? そんな風に考えたのである。だから、自分を心配してくれるし、梨々花との仲を、一々聞いてくるのであろう。

 さて、どう話を続けるべきなんだろう。

 いくら好意を持ってもらっているとはいえ、やはり、トラッシュワールドを話すわけにはいかない。危険には絶対に晒してはならないのだから。

 悠馬にとって、美沙は大切な友達の一人だ。

 否、友達以上かもしれない。今までずっと一緒に……、近くにいたのだから。

「梨々花と付き合うって言っても、あんまり大したことじゃないんだよ」

 と、唐突に悠馬はそのように告げた。

 その言葉の意味が、美沙には分からなかったようである。ただ、つぶらな瞳で悠馬のことをじっくりと見つめながら、両手に拳を作り、それを固く握りしめている。

「大したことじゃないって?」

 と、美沙は尋ねる。

 悠馬は首元を指で何度か掻くと、その質問に答えた。

「つまりさ、僕らが付き合うって言うのは、普通の意味で付き合うって意味じゃないだ」

「こ、恋人同士じゃないの?」

「そう。恋人同士じゃないと思う」

「だ、だけど、屋上で二人でお喋りしたり、学校帰りにどこかに行ったりしてるじゃない。それって付き合ってるって言うんじゃないの?」

「それはまぁそうなんだけど、ちょっと理由があるんだよ」

「理由って何?」

 悠馬は口ごもる。

 どう答えるべきか、迷いに迷っている。トラッシュワールドを仮に話しても、それを信じられるかは、美沙の感性や考え方によって変わるだろう。美沙は決してオカルトを信じる少女でないが、なるべくなら危険から遠ざけておきたい。

 悠馬はそんな風に思いを巡らせていた。

 悠馬が黙り込んだのを見るなり、美沙は何かぶつぶつと言った後、話を変えてきた。

「ねぇ、覚えてる?」

 何の話であろうか? 悠馬が考えていると、続けて美沙が言った。

「昔、よく二人で遊んだよね。この公園でも遊んだし、別の場所でも遊んだんだよ」

「確かに」と、悠馬。「幼稚園からずっと一緒だからな。懐かしい記憶だよ」

「昔さ、迷子になったよね?」

「迷子? どこで?」 

「覚えてないの、ほら町内で二人で遊んでいたら、まったく知らないところに出てしまって二人で困っていたの。その時、ある女の人に助けてもらったじゃない」

 と、言われても、中々悠馬は思い出せなかった。記憶に鍵をかけられたかのように、暗黒の中に記憶はしまわれている。

「なぁ、その迷子になったとき、空はどうだった?」

 と、悠馬は真剣に尋ねた。

 淡い記憶の一ページ。ではあるのだが、その記憶には何か隠されているような気がするのだ。

 対する美沙は、ぐっと黙り込み何やら考えを進めている。

「普通じゃなかった気がするわ」

 と、答えた。

 普通じゃないってどういうことなんだろうか?

 気になった悠馬は次々に質問を重ねる。

「灰色の空じゃなかったか?」

「よく覚えていないの。なんだか不思議な記憶なのよ、重要なことのように思えてくるんだけど、その中身を中々思い出せない。どうしてなんだろう?」

「僕もそんな記憶がある。思い出したいけど、思い出せない」

「だけど、誰かに助けてもらったって言う記憶はあるの。それに今もまだその記憶は続いている」

「記憶が続いてる?」

「うん。寝ている時ね、自分が変な世界に迷い込んでいるって錯覚する時があるの。この感覚は、昔迷子になったときの感覚と似ている。迷子になって、もう元の場所には戻れない。そんな感じがするのよ」

 その感覚。何となく分かるような気がする。

 そして同時に、その感覚に近い世界を悠馬は知っている。それもつい最近、その世界の住民となったのだ。

 その世界こそ、まさにトラッシュワールド。

 もしかしたら悠馬が昔トラッシュワールドに来たように、美沙もまた、トラッシュワールドに来たのではないか? 

 無自覚のうちに。となると、美沙もエラーであるのだろうか。

 もしかしたら、絶対少女なのかもしれない。

 もし仮に、美沙が絶対少女であるのなら、美沙をトラッシュワールドへ引き込み、魂を回収するために危険にさらしてしまう。

 闘神ルルドに対抗するためには、青の話によれば、絶対少女の存在が必要不可欠のようである。だとしても、美沙だけは巻き込みたくはなかった。

 それだけ大切な人の一人なのだ。

 彼女には平穏な時を過ごしてもらいたい。

「なぁ美沙。変な世界に迷い込んだ時、どうやってそこから脱出しているんだ?」

 と、悠馬は尋ねる。

 トラッシュワールドから解放されるためには、それを発生させたトランサーが、世界を解除するしか方法がないはずである。

 しかし美沙は、

「夢が覚めると、いつの間にかベッドの上にいるのよ。だから、自分でもどうやって出てきたかまでは分からないの」

 自在に出入りできるのだろうか?

 だとすると、美沙はエラーではなく、もちろん、トランサーやデスレイヤーでもない。

 残された回答はただ一つ。それは絶対少女であるということ。その考えは果たして正しいのだろうか?

 翌日。午後五時――。

 学校を終えた悠馬と梨々花の二人は、とある場所に向かっていた。

 その場所とは、市の総合病院である。病院は日常的に死が蔓延している稀有な環境である。そこに行けば多くの魂が手に入るだろう。事実、病院を中心に魂を集める、トランサーは多いのだから。

 病院内にトラッシュワールドを形成したのは、もちろん梨々花である。まだ悠馬はトラッシュワールドの作り方を知らない。

 すでに何度か足を踏み入れているから、トラッシュワールドに入っても、悠馬はそれほど驚かなったし、幾分か冷静になれた。

「緑はいるのかな?」

 やや緊張した声で、悠馬は梨々花に向かって尋ねた。

 梨々花は細目で辺りを眺めた後、静かに質問に答える。

「いないみたいね。今のところ、トランサーは私たちだけ」

「そう言えばさ、一つ気になっていたんだけど」

「何?」

「デスレイヤーはこの空間で行われることを、どうやって知るの? 父さんがデスレイヤーになった時、魂やトラッシュワールドを少し知っていたから不思議に思っていたんだ」

「本能的に知るのよ。草食動物が、生まれてすぐに立ち上がるように、デスレイヤーになると、トラッシュワールドで自分たちが狩られる側の人間であると自覚するの。生きるためには、自分の魂を守り続ける必要がある。これを知るのよ」

「どうやって守るの? 基本的にデスレイヤーは死に瀕している人間だよ。だからいつまで魂を守ることができれば、死の淵から復活できるんだろう?」

「基本は一日。トラッシュワールドに巻き込まれた時、トランサーに狩られずに魂を守れれば命を繋げる。反対にトランサーを打ち倒した場合には、自らがトランサーになれる」

「だけど、トランサーになりたい人なんて少ないんじゃないのかな? いくら魂を集めると、その結果、魂の復活が可能になるとしても」

「いいえ。トランサーになりたいというデスレイヤーは多いわ。だから、悠馬も気を付けないと足をすくわれる。しっかりしないとね。さて、お出ましみたいね」

 と、梨々花はそこで言葉を切った。

 悠馬が梨々花の視線を追うと、その先に、一人の老人が立っている。手には、草を刈る鎌を持っている。それも普通の鎌よりも若干であるが大きい。トラッシュワールドでの仕組みを半ば理解しているのだろう。白髪の髪の毛、そしてやや半透明になった体の中には、コアとなる魂が見える。

 あの魂を奪わなければならない。

 男性老人は、びくびくと小さな体を振るわせながら、ゆっくりと迫っている。その姿勢を見る限り、彼もまた、デスレイヤーからトランサーに昇格したいと考えているのだろう。ならば、取るべき行動は限られている。

 梨々花は大剣を顕現させ、一足飛びで、老人との間合いを詰める。

 あまりのスピードに老人は目を回し、あっという間に持っていた鎌を、腕ごと切り取られてしまった。

 梨々花の大剣が老人の右腕の肘から先を切り飛ばす。

 鮮血が飛び散り、老人の悲痛の叫びが辺りに木霊する。

 これが狩り……。

 そして戦闘なのだ。

 梨々花は素早く魂を回収すると、血に濡れた白い顔で悠馬の方を向き、にっこりと笑みを浮かべた。

 なぜ、笑えるのだろう?

 人間は戦闘をすると、精神がおかしくなるのか? 普通なら、いくらトラッシュワールドの中の出来事とはいえ、老人の腕を切り飛ばす行為など早々できるものではない。

 なのに、梨々花はそんな早々できない行為をいとも簡単にやってのける。その行動力と好戦的な態度には、ほとほと頭が下がる。どうしたら、ここまで梨々花のように残酷になれるのだろうか?

 魂を奪われた老人は、痛みで狂ったように叫んでいたが、やがて梨々花によってとどめを刺された。胸を大剣で一突き。それで終わりである。

 あまりの現実に、悠馬は目を逸らした。すると、それを見ていた梨々花が、

「目を逸らすな。その隙に何をされるか分からないんだから」

 と、告げた。

 確かに戦闘中に視線を変えるのは、あまり推奨された行為ではない。だが、目を伏せざるを得なかった。目を伏せなければ、現実を直視できないのである。

「次は悠馬。あなたの番よ」

 と、梨々花は言い、大剣をある一点に向かって掲げた。

 大剣が示す先には、幼年の子供が一人、フラフラと歩いている。

 まだ五歳くらいであろう、女の子が一人歩いているのである。同時に、それを見た瞬間、悠馬の心の中でとある映像がフラッシュバックする。

(何だろう。この感じ……。どこかで感じたことがある)

 そう、自分も昔、この感覚を味わったのだ。誰かによって救われた気がするのだ。

 幼女は泣いている。か細いからだを動かしながら、悠馬を見つめると、持っていたぬいぐるみを悠馬に向かって投げつけた。どこにでもある普遍的な熊のぬいぐるみ。しかし、何かがおかしいと思った。

 不意に悠馬は後方に体を飛ばした。

 次の瞬間、人形が手榴弾のように炸裂したのである。

 強烈な炎と爆風が悠馬を襲う。

 子供はある意味残酷ではあるが、あの幼女も泣いたふりをして、こちらの気を逸らしながら、そして、爆発物であるぬいぐるみを投げつけてきたのである。もしあれを掴んでいたら……。そう思うと、ぞっとする。いくらデスレイヤーの武器だからと言っても、生身の状態で爆発を受けたら、ひとたまりもないだろう。

 悠馬はグッと下唇を噛みしめ、幼女の方を向いた。

 爆炎の中、幼女は一人、立ち尽くしている。きっと、悠馬が死んだと思ったのだろう。心なしか、表情は安堵している。しかし、悠馬が爆炎を超え、姿を現したとき、幼女の顔は驚きと苦痛から歪んで見えた。

 なんと、声をかければいいのだろうか?

 つい今しがた、殺されかけたのである。そんな相手にかけるべき言葉は何もない。そう思えた。だが、幼女は再びぬいぐるみを準備しようとしている。だが、それが上手くいかないようである。

 デスレイヤーの力は、トランサーよりも劣る。よって、ある程度能力の高い武器の場合、一度きりの使い捨てである場合が多いのだ。つまり、一度失敗すると、二度目は使えない。

 幼女は幼いがゆえに、その事実に気付かないのであった。

 それを察した悠馬は、幼女の心臓部に向かって手を向けた。すると、幼女の身体から、魂が抜け出してくる。青い魂。今ならまだ引き返せる。この魂が黄色になり、やがて、赤になると、永遠に幼女の体の中には戻らなくなる。そうなれば、当然ではあるけれど、幼女は死ぬのだ。

 幼女を殺す。

 年が一〇歳以上も離れている幼子を殺すのに、悠馬のような人間が躊躇しないはずがない。どうするべきか、ギリギリまで迷った。

 悠馬が取った選択は、魂を幼女に戻すということだった。

 再び、悠馬が幼女の心臓部に手を当てると、魂は幼女に戻った。すると、幼女はきょとんとしながら、「良いの?」と、言葉を発した。

 自分が死ぬのを、少なからず自覚していたようである。

 悠馬は言葉を聞き頷きながら、

「いいんだ。もう行きなよ。二度とここに来ちゃダメだよ」

 幼女はにっこりと微笑むと、その場から消えていった。嬉しそうに、足取りを軽やかに……。

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