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TRASH WORLD  作者: Futahiro Tada
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TRASH WORLD

 高校生になれば、好きな人の一人や二人くらいいるのが当たり前。そう、自然の流れと言えるだろう。桐生悠馬もそんな思春期を生きる高校生の一人だ。

 彼には好きな女の子がいる。自分の席の前に座る少女。十七歳の知屋城梨々花。

 黒い腰まで伸びるロングヘアーと、やや痩身の肉体。押せば折れてしまうほどではないが、体は華奢で守ってあげたい印象がある。おまけに声も美しい。物語の中に出てくる天使のようなボイスを持っているのである。

 授業は英語だが、悠馬にとって、英語はただのBGMにすぎず、ただ淡々と、ストーカーのように梨々花の後ろ姿を見つめていた。決して話しかけるわけでもない。そんな勇気はどこにもない。ただ、見ているだけで十分であった。

 彼はまだ、これから自分が暗黒の世界に巻き込まれることを、全く予期してはいなかった。それはまぁ当然ではあるのだけれど……。

 放課後、彼は一人、図書室へ向かっていた。

 友達が多くない悠馬は、学友とどこかに遊びに行ったり、または部活動に精を出したりするような生徒ではない。ただ、本が好きで、毎日図書館に通っては、世界文学全集をガリガリと乱暴に読んでいった。古典はその時代に読者を連れて行ってくれる。

 それが好きで、悠馬は一人、本の世界に飛び込むのである。

 一時間で一〇ページくらいしか読み進められない、ジョイスの『ユリシーズ』を読んでいると、図書室に梨々花が入ってくる。

 梨々花は決して図書室にくるような生徒ではない。少なくとも、悠馬が高校に入り、この図書室に入り浸るようになってから、一度も来なかったのではないか? だから、梨々花が図書室に来たため、悠馬は少なからず驚きを覚えていた。

(何をしに来たんだろう)

 と、悠馬は激しく気になった。もうとても、ユリシーズを読むどころではない。

 梨々花は図書室の奥の、辞典や文学全集が所蔵された所へ行ったようだ。悠馬は立ち上がり、梨々花の様子を伺う。

 しかし、悠馬の思惑は、脆くも崩れ去る。不思議にも、この場所に来たはずの梨々花がいないのである。まるで煙のように消えてしまった。自分が見た梨々花は幻であったのだろうか?

 それにしては、リアルな幻であると感じられた。

(どこへ行ったんだ?)

 そう考えるのも束の間、世界文学全集の一冊が抜けているのに気付いた。自分が読んでいるユリシーズ以外の巻が抜けているのである。自分がこの本を取った時、すべての巻数は揃っていたから、恐らく、誰かが本を抜いたのだ。一体誰が?

 不思議に思っていると、別の書棚に、抜けた本が一冊置かれているのに気が付いた。トルストイの、アンナ・カレーニナの巻であった。ついこの間、読破したばかりだったから、表紙は印象に残っている。

 本を手に取り、ペラペラとめくる。

 冷たい風が吹いていく感じが駆け抜ける。図書館の中は静かだが、それでも些細な物音はする。しかし、時が止まったかのように、辺りは静まり返っている。窓の外を見つめる。すると、今まで青空だった空が、灰色に染まり、昼間なのか、夜なのか、全く分からなくなっていった。

 悠馬は得体の知れない恐怖に包まれた。

 ふと、静まり返った図書室の中に、「カツン、カツン」という金属音が聞こえてきた。こんな音は、学校にいる限り聞いたことがない。悠馬は自分が座っていた席に戻ってみる。すると、そこにはありえない光景が広がっていた。

 図書室の中には誰もいなくなっていた。つい先ほどまで、勉強をしたり、悠馬と同じように、本を読んだりしている生徒が、全くいなくなっていたのである。おまけに、貸出カウンターにいるはずの、図書委員の生徒すらいない。

 代わりに、金属音はどんどんと近づいてくる。

 視線を音の方に向ける。図書室のトビラは開いていて、奥の方に広がる廊下が見える。その先から、さらにありえない者が歩いてくるのが見えた。

 甲冑の騎士。演劇部だろうか? 否、それよりも不可解なのは、甲冑戦士の腕に、鋭利な剣が握られているということ。鈍く光る刀身が不気味に見える。そして、甲冑の戦士の甲冑が、奇妙に変形し、まるで笑っているかのように、悠馬を見つめたのである。

 汗が流れる。

 何かおかしい。これってマズイような気がする。

 そう思った瞬間、突如、甲冑の戦士が稲妻のような速度で、悠馬に襲い掛かってきた。剣を振るいそれを悠馬に向かって振りかざす!

 甲冑戦士に会い、ここまで僅か二秒の間の出来事であった。奇妙な悪戯かと思った悠馬であったが、それは誤りのようである。この攻撃を食らうと、多分死ぬ。それは間違いない。残った力を存分に奮い、悠馬は何とか一撃目を交わす。

 だけど、それが精いっぱいであった。特に運動をしていない悠馬は、突然身を激しくくねらせることで、体幹のバランスを崩し、その場に倒れ込んだ。

 万事休す。僕は死ぬのか? そう思った時、白髪の少女が目の前に現れた。

 少女は手に自分の背丈ほどある巨大な剣を持っている。その剣を思い切り横に薙ぎ払う。ビュンという風を切る音が聞こえたかと思うと、時間差でガチャンという金属音が聞こえた。

 どうやら、甲冑の戦士が腰から真っ二つに切られたのである。但し、血のようなものは一切出ない。その代り、青白い炎に包まれて、やがて消えていく。

 悠馬がガタガタと震え、状況を見つめていると、白い髪を持った少女がくるっと身を翻した。

 その少女は見間違うことなく、梨々花であった。ただ、髪の毛が真っ白になり、おまけに超巨大な剣を持っている。恰好は高校の制服であるため、どことなくちぐはぐな印象を与えるのだ。

「大丈夫?」

 と、梨々花は言った。

 とは言っても、その声はどこか機械的に放たれており、あまり心配しているようには聞こえない。

「だ、大丈夫」

 と、悠馬は答える。

 ゆっくりと辺りを見渡しながら、「ここはどこなの? 学校の図書室じゃないの?」

「ここはトラッシュワールド。通常の世界じゃないわ」

 トラッシュワールド。まるで聞いたことがない。一体なんなのだろうか? 悠馬が考えるのはそればかりであった。学校の図書室にいて、ふと本を開いたら別の世界にアクセスしてしまった。

 しかもその世界は、元いた世界とそっくりであるが、全体的に灰色で、異様な甲冑の戦士がいたり、梨々花が巨大な剣を持っていたり、とにかく、現実離れした現象が多様に起きるのである。

「さっきの戦士、死んだの?」

 と、悠馬が恐る恐る尋ねる。

 すると、梨々花は剣を床に差すと、それに背中を預けながら、

「死んだって言うか、まぁ死んだって言ってもいいと思うけど」

 と、曖昧に答えた。

「どういうこと?」

「う~ん、説明するのが面倒なんだけど、ここは死にかけた人間の魂が集まる場所なの。肉体を離れ、ゴミのようになった魂が、最後に行きつく場所、それがトラッシュワールド」

「じゃあ、さっきの甲冑戦士も、死にかけた人間ってことだよね」

「そう。これがその魂」

 そう言い、梨々花はいつの間にか手に持っていた、小さなカンテラのようなものを手にとり、それを悠馬が見えるように掲げた。

 カンテラと言うと、通常は明かりを放つ照明器具であるが、梨々花の持っているカンテラの中には無数の青い光が輝いており、それが煌々と光を放っている。不思議な心象を与える明かりである。

 魂を見せられても、どう対処して良いものなのか分からない。ただ、漫然と青白い光を見つめ、そして悠馬はキョロキョロと挙動不審に辺りを見渡した。

 また、音が聞こえてきたのである。

 カツカツとコンクリートを杖で突くような音が、再び、図書室内に聞こえてくる。

「来たわね。次の魂が……」

 と、梨々花は言うと、床に差した剣を引き抜き、音の出る方向へ向いた。

 すると今度は四足のライオンのような生物が現れた。

 ライオンのようなと形容したのには理由があり、通常のライオンではないようなのである。鉄の靴を履き、鬣の代わりに、鋼鉄の首輪のようなものがされている。その後ろには、一人の影がある。梨々花と同じように白い髪を持った、不思議な少年であった。歳は多分、同じくらいだろうが、入院患者のように白いパジャマを着ている。先程現れた甲冑戦士とはまるで正反対の風体。

 この人間もいわゆる死にかけた人間なのだろうか? 

 悠馬が考えあぐねていると、突如、白い少年は、ライオンに何か命令をし、ライオンを解き放った。「ぐぅるるるがぁぁぁ」と、巨大な雄叫びを上げ、ライオンは迫ってくる。

 映画さながらの臨場感に包まれる図書室内。ライオンは本棚を破壊しながら、一気に梨々花との距離を詰め、梨々花に襲い掛かる。

 普通の少女なら、この状況を少し見ただけで、卒倒するはずであるが、梨々花は違うようである。ただ平然と冷静沈着に状況を見つめると、速やかにライオンの前足を叩き切った。

 切られたライオンの前足が、勢いよく図書室の壁にぶつかり、壁にひびを与える。それと同時に、切られた前足は青白い炎に包まれ、焼かれ、消えていった。

 さて、前足を切られたライオンであるが、じたばたと暴れている。白い少年だけがやや慌てているようで、ライオンの前足に向かって、何やら呪文のような言葉を囁いている。すると、前足が復活し、再びライオンは四足歩行で、素早く移動を開始する。

 図書室の本棚を盾にして、ライオンはなるべくゆっくりと動き始める。知恵のあるライオンという感じである。それと同時に、ライオンを従えている白い少年が、キッと悠馬を睨み詰める。

 なぜ、僕をそんな目で見るのか?

 と、悠馬は考える。

 何かこう、少年の目線の中には、羨ましいとか、驚きとか、そんな感情が秘められているように感じるのである。

 梨々花はというと、迫りくるライオンの攻撃に備え、持っていた巨大な剣を両手持つと、それをジャイアントスイングするように、グルグルと自分を軸にして回し、あっという間に、図書室にあった書棚を破壊していく。

 すると、書棚の後ろに隠れていたライオンが顔を出し、破壊された書棚の残骸を踏み台にして、梨々花に襲い掛かる。

 梨々花は半ば動きを予測していたのか、大して驚きもせずに、襲い掛かったライオンに対し、冷静なまなざしを送り、胴体を真っ二つに切り落とす。この間、僅か五秒程度のでき事であった。

 真っ二つになったライオンは、床上でガタガタと痙攣をしていたが、やがて動かなくなる。完全に絶命したと言っても過言ではないだろう。

 その次に、梨々花は白い少年に目を向ける。

 少年は天敵に睨みつけられたかのように動揺すると、次の呪文を唱えようとした。しかし、それを梨々花が収める。

「無駄よ」

 と、梨々花がしっかりとした口調で言う。

 少年は観念したのか、ゆっくりと腕を下げ、床に膝をついた。負けを認めたということなのだろうか?

「それでいいわ」

 と、梨々花は満足そうに言う。

 そして、

 意気消沈し、完全に戦闘意欲を喪っている少年の首を、躊躇なく切り落としたのである。

 忽ち、少年の首から青白い炎が上がり、体が炎に包まれていく。

「ど、どうして、こんなことを……」

 と、悠馬は言う。打ち上げられた魚のように口をパクパクと動かしながら、

「言ったでしょ。魂を回収するって」

「な、何のために?」

「力を手に入れるためよ」

「力を?」

「そう。でも、不思議ね。あなたはトランサーじゃないのに、この世界にいる。おまけに死にかけているわけでもない」

「知屋城さんが図書室に来て、突然消えたからびっくりしたんだよ」

「私を知ってるの?」

「へ? それはそうだよ。だってクラスメイトでしょ」

「へぇ。あなたS学の生徒なの。道理でどっかで見たと思った」

 君の後ろの席に座っている人間だよ。

 と、言いたくなったけど、悠馬はあえて黙っていた。というよりも、同じクラスメイトどころか、同じ高校にすら通っていると認知されていないことに、悠馬は激しい憤りと、ショックを覚えていた。

 この恋は、最初から終わっている。

 だって、クラスメイトなのに、クラスメイトとして意識されていないんだから。そんな拙い関係なのに、好きだと言って、受け入れられるわけがない。

「トランサーって何?」

 と、悠馬は言った。

 色々と専門用語があって困る。魂とか、力とか、なんか出来の悪いファンタジー小説を読んでいるかのような気分になる。

「トランサーは、トラッシュワールドにアクセスできる騎士。つまり私」

「じゃあ、さっき出てきた甲冑の戦士やライオンを操っていた少年は?」

「あぁ。あれはデスレイヤー。厳密には死にかけている人間。魂を奪われると、人は死ぬんだけど、死にかけている人間は、実体と魂が分離しかけているの。上手く魂を肉体にとどめられれば、死の淵から生還できる。だけど」

「魂を取られると、完全に死ぬの?」

「そう。それで、君はデスレイヤーでも、トランサーでもない。単なるエラーって可能性が高いけど、この世界で魂を奪われると、死ぬから気を付けた方が良い。特にデスレイヤーは生き残るために、他人の魂を手に入れ、それを力にして生還するから」

「さっきの少年は死んだんだよね?」

「そうね。パジャマを着ていたから、きっと闘病中の子だったんだと思う。不憫だけど、この世界では強いものしか生き残らない。だから、仕方ないわ」

 そこで、ふと悠馬は、梨々花が持っているカンテラを覗き込んだ。

 よく見えないが、蒐集された魂の数は一つではないように思える。となれば、一つくらい少年に分け与えても良いものなのに。そんな風に悠馬は感じていた。けれど。梨々花はそんなことを微塵も考えてはいないようである。

 いずれにしても、あまりこの場にいるのは、悠馬にとってメリットがないようである。魂を抜き取られてしまうなら、さっさとこのへんてこな空間からおさらばしたい。だけど、どうすれば良いのだろうか?

「どうやって出るの?」

 と、悠馬は尋ねた。

 梨々花は巨大な剣を地面に勢いよく突き刺した後、

「この空間を作った人間が解除するか、死ねば自動的に解けるわ。でもまだ、トラッシュワールドは解けていない。となると、まだどこかにこのトラッシュワールドを作った人間が隠れているようね」

 と、答えた。

「あの少年じゃないんだね」

「あの子は巻き込まれただけみたい。たまにいるのよ。生死をさ迷っていると、他人が敷いたトラッシュワールドに巻き込まれるのよ」

「デスレイヤーの人間も、このトラッシュワールドを作れるの?」

「できるわ。但し、こんなに規模の大きなものは作れないけど」

「規模が大きいって?」

「君って質問ばかりね」と、やや不満そうに梨々花は言う。「だけど良いわ。トラッシュワールドの面積は、それを敷くトランサーやデスレイヤーの能力の高さに比例する。広くフィールドを展開できるほど能力は高い」

「広いと何か意味があるの?」

「うん。トラッシュワールドを広げれば広げるほど、その内部に多くのトランサーやデスレイヤーを囲い込める。そして、数が多いほど、奪える魂の数も増える。だから、トラッシュワールドを構成するときは、なるべく広い範囲に、世界を広げた方が、魂を効率よく蒐集できるってわけ」

「そ、そうなんだ」

 とはいっても、なかなか事態を上手く把握できない。

 なぜ、自分は巻き込まれてしまったのだろうか?

 エラーとして巻き込まれてしまった自分。どこまでもついていない。だけど、少しだけ嬉しいこともある。それは梨々花と話せたということである。トラッシュワールドは確かに不気味な世界だが、梨々花とつなぎ合わせてくれたのだ。感謝するべきだろう。

 とは言っても、このトラッシュワールドは解除されていない。つまり、この世界のどこかに、まだこの世界を作ったトランサーなり、デスレイヤーなりがいるのだ。

 ざっと見た感じ、学校中がトラッシュワールドに取り込まれているようある。

 この範囲が広いのか? あるいは狭いのか、悠馬には分からなかったが、ただ、不気味な印象はある。きっと、どこかに敵は隠れている。そんな臭いがする。

「このトラッシュワールドを作ったのは、恐らくトランサーね」

 と、梨々花は言った。

 とは言っても、悠馬にはその理由が分からない。

「その人って強いの?」

 と、悠馬は神妙に尋ねる。

「それなりの能力者だと思う。今回形成されたトラッシュワールドは、この学校全体を覆っている。普通のトランサーじゃここまではできない。無論、力の弱いデスレイヤーでもない」

 どうやら、力の順位はトランサー、デスレイヤーとなるようだ。やはり、命の灯が消えかけているデスレイヤーは力が弱いのかもしれない。となると、悠馬のようなエラーはどの程度の力を持つのであろうか?

 少なくとも、悠馬には自分に超能力があるかなど、考えたこともない。

 今までこれと言って、何か達成したわけではないし、浮き沈みのない人生を生きてきた。まだ、十七年しか生きていないのだけど、この世界に、超能力なんてものがないことくらい、痛いくらいに知っている。……はずであった。

 だけど、どうやらそれは間違いのようである。確かに、超能力のような力は存在する。それを今、自覚し始めていた。

「エラーって何なの?」

 と、徐に悠馬は尋ねた。

 その言葉を聞き、梨々花は物憂げな表情を浮かべながら、一つの持論を展開する。

「考えられるのは、君に特殊な力あるってことかな」

「僕に? そんな馬鹿な。僕は普通の人間だよ」

「見た目はね。だけど持っている魂は特殊なものなのかもしれない」

 特殊な力。

 そんなものが自分にあるのだろうか?

 悠馬は一人考える。自分に適した力があるとはどうにも思えないのだ。だが、何らかの原因がなければ、この世界に入り込めないのではないか?

「普通の人って、このトラッシュワールドには入れないの?」

 と、悠馬は興味を持って訪ねる。

 梨々花は細い首をしなやかに動かし、肯定しながら、

「うん。普通の人間は魂が剥き出しになっていないから、この世界には入れない。入れるのは、魂をコントロールできるトランサーと、命の危機に瀕ししているデスレイヤーだけなの。でも、たまに魂をコントロールできるわけでもないし、さらに、死の淵にいるわけでもない人間が、魂をむき出しにすることがある」

 と、答えた。

「それが僕?」

「そう、魂の副作用と呼んでいるけど、大体三〇〇回に一回くらいの割合で、エラーとなった人間がトラッシュワールドに紛れ込んでいる。だから、君は限りなく稀なケースってこと」

「三〇〇人に一人か……。それはかなり低確率だね」

「同時に、さっきも言ったけど、エラーの魂には特殊な力が宿っている場合が多い。一説には、通常の魂の一〇〇〇人分の力があるとも言われている。それだけすごい存在なのよ」

「じゃあ、知屋城さんは、僕の魂を奪おうとするかもしれないの?」

 すると、梨々花はフッと笑みを零し、

「それも良いかもね。でもクラスメイトなんでしょ。だから大目に見てあげる。それに、これはあくまで風説であって、真実かどうか分からないのよ。エラーの魂に不用意に近づくと危険という意見もあるわ。だから、細心の注意を払わないと」

 自分に危険な魂が宿っている。悠馬は聊か面を食らった。何の変哲もない日常を生きていた彼にとって、突如現れた非日常的な出来事。冷静でいられるわけがない。どうしたものかと頭をもたげていると、不意に前方から声が聞こえてきた。

「何やら楽しそうな話をしているね」

 学校の廊下を歩く、バレエダンサーのような恰好をした男性が歩いてくるのが見えた。梨々花と同じで白い髪の色をしている。この世界にくると、髪が白くなってしまうのであろうか?

 慌てて自分の髪の毛を確認してみる。窓ガラスに映った自分の髪の毛は白く変色していた。どうやらトラッシュワールドは人の色素を白化させる機能があるらしい。どんな理由が隠れているのは分からないが。

「とうとう来たわね」

 と、梨々花は言い、床に刺した大剣を抜いた。ガシャンという金属音が鳴り響き、刀身に梨々花の蠱惑的な表情が映りこむ。

「僕を待っていたのかい? それは嬉しいね」

 と、バレエダンサーの男は言う。

 この男が、恐らく今回のトラッシュワールドを作った人間。つまり、トランサーなのだろう。頭の悪い悠馬でもそう把握できた。

 男の腕には、フェンシングで使うような細身のサーベルと、カンテラが握られている。カンテラの中には、無数の魂が、魚のように泳いでいる。ここに来るまでの間、多くの魂を吸い取ってきたのだろう。それは間違いないように思えた。

「あれが敵なの?」

 と、悠馬は梨々花に向かって言った。

「そう、あのイカレた風体。聞いたことあるわ。ここ最近、魂を乱獲しているトランサーがいるって。そいつに違いない」

「確かにイカレているけれど」

 通常の人間は、一般生活でバレエダンスの衣装を着たりはしない。その時点で、かなりおかしな人物であることは分かる。

 梨々花と悠馬が二人佇んでいると、それを面白おかしく見ていた、バレエダンサーは、次のように言った。

「僕は緑。君たちの名前を教えてよ」

「あんたみたいな変態に名乗る名前はないわ。さっさと魂を渡して、消えなさい」

「ふふふ。随分な言い草だなぁ。だけど、いいよ、素敵だ。それでも魂を渡せないなぁ。むしろ逆に、君の魂を渡してもらうよ。梨々花ちゃん」

 梨々花という名前が出て、梨々花も悠馬もサッと警戒する。

 この緑という変態男は、梨々花を知っているのだ。年は恐らく二〇代後半だから、どこかの学校の生徒というわけではない。だからと言って、教師とも思えないのではあるが。

「私を知っているのね?」

 と、梨々花は言った。

 しかし、それほど慌てた素振りは見せない。むしろ逆に、好戦的な態度を示し、大剣をゆっくりと緑に向かって伸ばした。

 梨々花の大剣と、緑の小ぶりなサーベルでは、攻撃力にどれほどの差があるか、これは戦闘初心者でもある悠馬でも感じ取れた。普通に考えれば、梨々花の大剣を使い、サーベルをへし折れるだろう。それくらいの戦力差がある。

 緑は振りかざされた大剣に目をやり、爛々とした瞳を梨々花に対して送る。戦闘狂なのか分からないが、梨々花と同じで、酷く戦闘的であるのだろう。トラッシュワールドで起きる戦闘。

 これが悠馬を縛り上げ、さらに、不穏な空気で周囲を包んでいった。早く、この状況から抜け出たい。考えるのはそればかりで他に何もなかった。ただ、緑と言うトランサーが、ある程度能力の高いトランサーであると感じ取れる。

 バレエダンサーの恰好と言う、常軌を逸した風体をしているものの、肉体はしなやかであり、つくべきところに、しっかりとした筋肉の塊がある。ある程度負荷をかけ、トレーニングに励まなければ、ここまでの肉体は作り上げられないだろう。

 対して、梨々花は細身の十七歳の少女である。こんな少女が、背丈ほどもある大剣をかざしている時点で、かなり現実離れしているのであるが、肉体の差は多大にあるのだ。いくら武器が大きく違っても、肉体の差は簡単に埋まるようなものではない。

 悠馬が心配をしていると、それをまったく気にせず、梨々花は行動に移す。

 素早く馬のように飛び出すと、大剣を緑に対して振るった。

 ビュンという鈍い音が聞こえる。緑は余裕綽々の態度で、梨々花の攻撃を交わす。そして、持っているサーベルで梨々花を突く。もちろん、梨々花のこの攻撃を半ば予測していたようで、大剣を盾にし、攻撃を回避する。

 ガキィィンと剣同士がぶつかる音が、界隈に鳴り響く。

 やはり、サーベルには特殊な力が宿っているようで、梨々花の大剣にガードされたというのに、傷一つついていない。刀身は鈍く光り、新品のように尖っている。

 梨々花は大剣の刀身に足をかけ、それを踏み台にして大きくジャンプする。踏み台にした大剣は通常では、地面に置き去りになるが、梨々花は踏み台にした大剣をそのまま手に持つという超荒業をし、緑の頭上に大きく飛ぶ。

 そして、勢いよく刀身を振り落とす。

『地獄落とし』

 梨々花の持つ技の一つである。

 大剣を利用し、大きく飛翔し、高所から一気に大剣を振り落とす必殺の技である。手大剣の重量と、重力が掛け合わされ、攻撃力は遥かに倍増する。

 恐らく、緑は細長いサーベルでは、対処しきれないと察したのだろう。カンテラから、魂を一つ取り出すと、それを振りかざされる大剣の前に掲げた。

 すると、突如魂が煌々と光り輝き、白い光を辺りに噴出させる。魂の光が透明のオブラートのように、緑の頭上に膜を張り、梨々花の攻撃を封じた。魂は、武器や防具としても利用できるのだ。

 もちろん、回収した魂によってその特性は変わる。

 防御が得意な魂もあれば、攻撃が得意の魂もある。

 早い話、魂を持っているほど、使える能力が増える。但し、一度魂を使うと、その魂は消滅してしまい、二度と使えない。

 だから、梨々花は極力回収した魂を使わない。

 とはいっても、あまり悠長なことは言っていられないのかもしれない。緑は、魂を使うことに対し、躊躇する姿勢を見せていない。むしろ逆に積極的に使っていこうとする能力者である。

 この相反した考えが、梨々花を窮地に陥れる。

 見えない膜は、完全に緑の周り覆い、あらゆる攻撃から、緑を守っていた。

 通常、魂を使うと、その効果が大体一〇分程度続く。これが魂を燃やす時間である。その間は、使った魂の特徴を維持できるのだ。つまり、これから一〇分は、緑はあの見えなく膜に包まれ、絶対的な防御状態の中にいる。

 防御の状態だからと言って、攻撃ができないわけではない。緑はサーベルを上手く使い、的確に梨々花に対して攻撃を加える。

 梨々花は大剣を持ち、それを自在に操れるが、大剣は巨大であるため、中々小回りが利かない。機敏ではないのだ。大ぶりな攻撃はできても小回りが利くような防御はできない。故に、梨々花は徐々に劣勢状態になっていく。

 額に脂汗を流す梨々花。それほど焦りを感じさせるわけではないが、劣勢には変わりない。このまま戦闘が長引けば、どんどん窮地に追い詰められるだろう。それを打開するためにはどうすれば良いのか?

 まったく考えていないわけではない。

 こちらも魂の持つ能力を使い、対抗すればいいだけの話になる。しかし、中々梨々花は魂を使おうとはしなかった。当然、魂が武器になったり、防具になったりするのを知らぬ悠馬は、ただ指を銜えて状況を見つめるしかなかった。

 自分には何ができるんだろう。

 この年がまったく変わらない少女が、戦闘を行っているというのに、自分には何もできない。そんな不甲斐なさが、悠馬を刺激し、包み込んでいく。どうにかして助けたい。そんな気持ちに駆られるのである。

 劣勢の中、梨々花は次の攻撃を繰り出す。

 自分を軸にして、大剣をジャイアントスイングの要領で、勢いよく回転させる技である。強烈な遠心力を武器に、さらに刀身の重さが加わり、攻撃力は高いものがある。

『回転地獄』

 梨々花の持つ技の一つ。

 駒のように回る梨々花と、その周りをありえない速度で回転する大剣。ヘリコプターの翼のように線が面になり緑を襲う。

 とは言っても、緑はまったく慌ててはいない。

 展開した防御のシールドは、生半可なものでは破れない。

 通常、人間が生み出す技よりも、魂が持つ能力の方が高い傾向がある。これは人間の持つオーラが魂と言う入れ物を通し、凝縮されているからだ。故に、魂によって繰り出された攻撃や防御に対抗するためには、やはり、魂を使うのが先決なのである。

 その事実を梨々花は知らぬわけではない。ただ、もったいないという貧乏根性が、魂を使うという行為に釘を刺し、阻害させているのである。

 回転地獄は予想通り、あまり功を奏さなかった。しかし、僅かではあるが傷を与えられた。防御シールドに傷ができ、そこから魂のオーラがぼとぼとと迸っていく。

(なるほど、こいつは強敵だ……)

 と、緑は考える。

 ついつい少女と言うことで、甘く見ていたが、梨々花と言う少女は、噂の通り、かなり経験を積んだトランサーのようだ。そうでなければ、魂の防御を前にあそこまで英断に攻撃を仕掛けられないだろう。

 普通は不可能だ。だけど、その不可能を梨々花は可能にしている。

 緑は多く魂を使う能力者であるが、手に入れた魂をすべて消費してしまうような愚かなことをするわけではない、きちんと計画的に魂を利用しているのである。

 そもそも、一度トラッシュワールドを展開し、戦闘状態を行うとすると、使える魂は一度きりになる。二度目を使おうとしても、トラッシュワールドが解除されるだけで、魂の持つ力の恩恵を受けられないのである。

 となると、防御シールドが作用している間に、戦闘を終結させるしかない。緑は防御から一転、攻撃態勢に入った。持っているサーベルを展開しているオブラート状の膜で包み込み、サーベルを振るった。

 依然として、梨々花の地獄回転は続いている。ぐるぐると駒のように回り、その攻撃力は計り知れない。この防御シールドを展開していなければ、それなりのダメージを覚悟しなければならないだろう。

 緑のサーベルは、防御シールドのオーラを身に纏い、通常の防御力からでは考えられないほど、防御力、攻撃力が上がっていた。

 地獄回転を繰り出す、梨々花の頭上に飛び、攻撃を繰り出す。

 その時、梨々花の地獄回転がぴたりと止まる。

 このチャンスを梨々花は待っていたのである。

 地獄回転は能力の関係上、平面的な攻撃である。左右には強いが、上下の攻撃はできない。よって、相手に頭上から攻撃をされる場合、その対処をしなければならない。

 しかし、梨々花はあえてこのチャンスを待っていたのである。頭上に緑を誘発させ、次に繰り出す技で勝負を決しようと考えていた。

『地獄飛翔』

 梨々花の持つ、三つ技の最後の一つ。

 それが地獄飛翔である。簡単な話、剣を振り上げるという技だが、そのスピードや攻撃力は図りしれない。

 大剣を踏み台にして、高らかに飛翔し、大剣を振り落とすのが、地獄落としだとすると、地獄飛翔は、踏み台にした瞬発力をそのままに、一気に切り上げるのが、技の特性である。

 梨々花の大剣と、緑のサーベルが交錯する。

 ここで、梨々花の思い描いていた考えと相反する出来事が起こる。 

 それは、大剣が熱したナイフでバターを切るように、真っ二つに切り落とされたのである。それもサーベルのか細い刀身によって。

 この事実を知り、梨々花はひどく面を食らった。一体全体、何が起きているというのであろうか? 考えられるのは、緑が使った魂の力が、ここでうまく作用したということであろう。

(防御シールドにサーベルが包まれて、普通の攻撃力よりも、遥かに高い攻撃力を生み出したんだ)

 と、梨々花は推理をした。

 この時の梨々花の考えは概ね正しい。

 サーベルはどう考えても、魂の力の恩恵を得ている。それは間違いのない事実であろう。では、どう対処するべきなのだろうか? 梨々花は考えを巡らせる。大剣が打ち破られた今、こちらには武器がないのだから、状況はひっ迫している。

 真っ二つに切り裂かれた大剣を目の当たりにし、梨々花は仕方なく、自分の得た魂を使うべきなのか思案するが、やはり簡単には使えなかった。

 なぜ、彼女はここまで魂を使うのに躊躇をするのか? それには大きな理由があった。梨々花には理由があり、魂を使うのをなるべく最小限に抑えたいのである。それができなければ、目標を達成できないであろう。

「さぁどうするかね?」

 と、緑が呟く。

 余裕綽々の態度が妙に憎らしいと感じられる。もう少し、辛抱すれば、彼の魂の作用はタイムアップする。それでも戦闘中の時間としては、致命的に長い。このままではやられてしまう可能性が高い。

「どうするって何が?」

 と、梨々花は尋ねる。

 緑はゆっくりとサーベルを舌で舐めまわしながら。梨々花に近づいてくる。

 そして、

「観念して、こちらに魂を渡す気になったかということだよ。魂を渡せば、命は取らない。それは保障しよう」

「できない相談ね」

「なら、ここで死んでもいいのかい? そうすれば、二度と魂を手にできなくなる。それは君にとっても本望ではないはずだ」

 確かに、本望ではない。

 ここでやられてしまえば自らの目的の達成が不可能になる。それだけでは絶対に避けたい。だが、魂をやるのは絶対にしてはならない。となれば、取るべき選択肢は限られている。

(やるかしかないか……)

 と、梨々花は少しうなだれて、カンテラに手をかけた。

 右腕に持っていた、真っ二つにされた大剣はその場に放り投げる。ガシャンと大きな音を上げ、大剣は床に落ちる。これだけの大剣が真っ二つにされるのは、不可解である。異能の力の存在をまざまざと感じ取れる。

 悠馬は一人、大剣に視線を注いだ。

 あれならば自分にも持てるかもしれない。そんな風に考えたのである。

 さて、梨々花であるが、彼女はカンテラから一つの魂を取り出すと、呪文を詠唱し、魂を武器化した。つい先ほど、手に入れた少年の魂である。

 この魂は、なんと日本刀に顕現され、梨々花の前に現れた。やや刀身が長く、炎を身に纏っているかのよう、真っ赤に光り輝いている。

「まぁこれでいいか?」

 と、梨々花は誰に言うでもなく、そう呟いた。

 その後、赤く燃えた日本刀を武器に、緑に対して狂ったように襲い掛かった。

 鍔迫り合いはご法度である。また、剣を真っ二つにされる可能性がある。とはいっても、この生み出した日本刀は、通常の日本刀ではない。刀身が赤く、炎を司る魔剣なのである。

 梨々花は生み出されたばかりの日本刀をよく知っていた。何となくではあるけれど、使い方を熟知していたのである。

「いけ!」

 と、梨々花が念じると、日本刀の先から爆炎が生じ、それが緑を覆いこんだ。

「すごい。すごいよ、梨々花ちゃん」

 と、自分が攻撃されているのにも拘わらず、あくまで冷静に緑は言った。何かこう、戦闘をしているという雰囲気を阻害されるのである。どうしてここまで余裕じみた行動をとれるのか? それが不可解でならなかった。

 とは言っても、余計なことを考えている暇はない。今は、目の前の敵、緑を倒すのに全力を傾ければいい。

 日本刀から放たれた炎は、意志を持っているかのように、緑に向かって注がれた。巨大な炎の塊が、緑を覆い尽くす。

 凡庸なトランサーであるならば、これで勝負はついている。しかし、緑は並みのトランサーではない。しっかりと明確に炎の動きをキャッチし、自らを防御シールドの盾で守る。

 中々攻撃は功を奏さない。少しずつ、焦りを感じた梨々花であったが、それを表情に出しはしなかった。そして、次の攻撃を繰り出す。

 あの防御シールドを打ち破らなければならないだろう。無敵に近い防御力を持つ能力ではあるが、厳密には無敵の力なんて存在しないはずである。つまり、何か欠点があるのだ。梨々花はふと、先ほど放った大剣に視線を注ぐ。すると、大剣の半分がどこかに消えているのが分かった。

 どこに行ったのか? 少なくとも、梨々花はいじっていないし、緑だってまるで触れていない。物が勝手に動くわけないから、誰かが持って行ったのである。それは誰か? この場にいるのは、梨々花、緑、悠馬の三人である。

 消去法で考えると、剣を持ち出したのは、悠馬に他ならない。そんな悠馬はどこに行ったのか?

 次の瞬間、悠馬が風のように、緑の後方に現れて、持っていた大剣の半分を使い、緑の背中に切りかかったのである。

「うわぁぁぁ」

 と、劈くように、自分を鼓舞しながら、悠馬は剣を振り下ろす。

 梨々花との戦闘に気を取られていた緑は、悠馬が近づくのに気付かないでいたのである。その結果、剣で背中を深く切られた。

 梨々花の大剣の攻撃を、玩具のように避けていたのに、なぜ、悠馬の攻撃は防御シールドを突き抜け、緑に致命的なダメージを与えられたのか? その理由は簡単である。

「防御シールドは、防御シールドを中和するんだ」

 と、梨々花は考える。

 その考えは正しい。防御シールドを纏った物体は、防御シールドをよく貫通させる。水が電気を通しやすいように、防御シールドは、防御シールドをよく通すのだ。

 この事実を、悠馬が知っていたとは思えない。悠馬は戦闘なんてした経験がないし、喧嘩さえ今まで一度もなかったのだから。故に悠馬自身、どうしてここまで自分に勇気を持った行動ができたのか、理解できなかった。

 愛しの人間を守りたい。

 そんな気合があったのは間違いない。結婚をし、守るものができた男性が、体を鍛え始めるように、強い、守りたいたいという想念が、悠馬を包み込んでいたのは、言うまでもない。

「よ、余計なことを……」

 と、よろよろと倒れながら、緑は言った。

 しかし、そこは歴戦のトランサーである緑。尋常ではない精神力の高さを見せ、一旦戦闘から離脱する。つまり、トラッシュワールドを解除したのである。忽ち、灰色じみた空間に色が戻り、梨々花の髪の毛が黒色に戻っていく。

 静かで穏やかな図書室が蘇る。

 トラッシュワールドから解放されたが、そこに緑の姿はなかった。彼はトラッシュワールドを解除すると同時に、肉体の傷を負いながらも、逃げるのに成功していた。どこへ行ったのかは、この場で把握するのは難しいであろう。

 いずれにしても、戦闘状態は終わったのである。

 戦闘から解放され、梨々花はキッと鋭い視線で、悠馬を見つめた。

 てっきり感謝の言葉を述べられるものだと、悠馬は感じていたが、それは誤りのようである。かなり怒っている。それは梨々花の表情を見て、直ぐに判明した。

「何でこんなことをしたの?」

 人を従えるような、強い響きのある声であった。

「救いたかったから」

 と、悠馬は正直に答えた。

 いくら戦闘力が高いからとはいえ、女の子が自分の目の前で戦っているのである。それも、戦闘は優勢状態ではなく、完全に劣勢だった。それならば、通常の男子が取るべき行動は何であろうか? 

 救いたい。そう考えるのではないであろうか?

 少なくとも、悠馬はそう考えていた。守りたいものがあるから、勝手に体が動いたという感覚なのだ。いくら危険があったからとっても、悠馬は自分の行動を後悔はしていなかった。

「救う? 誰を?」

 と、分かっていながら、梨々花はあえてそう尋ねた。

 悠馬は持っていた大剣に視線を注ごうとした。すると、先ほどまで持っていた、大剣がいつのまにか消えていたのである。

その代り、自分の手にはべっとりと緑の血液が付着している。ここまで大量の血液を、悠馬は見たことがなかったし、自分が行った行為が、かなり残虐めいたものであると自覚され、幾分か気分が悪くなった。

 もう少しで、自分は人を殺したのかもしれない。

 否、緑は死んだかもしれないのだから。もしかすると、この瞬間、殺人者になってしまっている可能性だって低くはない。

 そう考えると、悠馬はガタガタと震え始めた。そこでようやく、事態の重さを垣間見られたのである。

 悠馬は答えられなかった。

 ただ、恐怖で身を焼かれていたのである。圧倒的な人を殺したかもしれないという恐怖が、悠馬を包み込んでいく。

 誰も救ってはくれない。

「余計なことをするから、心が悲鳴を挙げているのよ」

 と、冷たく梨々花は言い放つ。さらに、「緑は死んでいない。そして、君に対して復讐をしに来るはずよ。奴は君が特殊な魂を持つ人間だと理解しているから、君を狙うはず」

「ぼ、僕は、どうしたら良いの?」

 と、懇願するように、悠馬は梨々花に対して言った。

 梨々花は静かに悠馬の前まで足を進める。

 今、二人がいるのは、図書館の世界文学全集が収納されている、ほとんど人が寄り付かない場所であった。静寂だけが、辺りを支配し、チクチクと精神を刺激している。とにかく居心地が悪いのだけは確かである。

「震えていなさい」

 と、梨々花はそれだけを言った。

 震えている。

 それは恐怖に怯えながら、毎日を過ごせという意味なのだろうか? だとしたら、その状況は生き地獄に変わりはない。同時に、自分が何か強大な事件の最中に放り込まれてしまった。それだけは何となく理解ができた。

 砕けるように悠馬が膝をつくと、梨々花はそのまま消えて行った。慰めや感謝の言葉を一つも漏らさずに……。

 悠馬は一人、図書室に残った。もう、ユリシーズを読む気合はまるでない。一旦トイレで手を洗ったものに、血の臭いは取れないし、震えは収まらない。今、こうしている間にも、もしかしたら、緑が自分を狙っているのかもしれないのだから。

 トラッシュワールド。

 それは人間の魂が宿り、そして奪い合いや殺戮が行われる場所。

 そう悠馬は自覚していた。彼は数日後、再びトラッシュワールドに巻き込まれる。

「お父さんが交通事故だって」

 と、悠馬の母親は言った。

夕食前、悠馬の自宅は慌ただしい雰囲気に包まれていた。

今、悠馬がいるのは、自宅のリビングである。母親と共に、夕食の準備をしている時、突如電話が鳴り、父親が事故に遭ったのを知ったのである。

 父親が仕事帰りに交通事故に巻き込まれ、病院に搬送されたというのだ。夕食前の一時が、一気に地獄へと変わる。

「だ、大丈夫なの?」

 と、悠馬は尋ねる。

 母は青くなった表情のまま、

「危ないみたい。これから直ぐに病院へ行くわよ」

 と、答えた。

「分かった」

 直ぐに支度をする悠馬。

 母と悠馬の二人は、病院へ向かった。

 父が運ばれたのは、市内にある大きな総合病院である。院内は既に診察時間が終わっており、しんと静まりかえっている。不気味なくらい、静かであった。病院の正門から入り、受付で事情を聞く。父が搬送されたのは、普通の病室ではなく、集中治療室であった。

 アンドロイドのように、細い管や点滴などでグルグル巻きにされた父の姿が、目の前に広がった。母と医師が診察室に入り、話合いをしている。

 そんな中、悠馬は一人、待合室で座っていた。

 父を見る限り、あまり良い状況とは言えない。これは医者ではない悠馬であっても、容易に自覚できた。

 緊張感のある空気が院内に流れる。

 もしもこのまま父が亡くなってしまったら、僕はどうなるのだろう? 最悪のことばかり考えてしまう。

 その時であった。突如、空間が切り取られたかのように、辺りに闇が覆っていったのである。この闇の空間を、悠馬は知っていた。

 そう、トラッシュワールドである。

 あの灰色の空間がまたもや悠馬を巻き込んだのだ。何もこんな時に巻き込まなくても良いのにと、悠馬は頭を擡げる。ガタガタと震え始める。トラッシュワールドに巻き込まれたのならば、魂を奪われる可能性がある。

 そうなれば、必然的に自分は死ぬだろう。

 自分が死んだら、母は一人になってしまう。もちろん、父は事故から生還するであろうが、数か月の入院は必至であろう。そうなると、母に対する負担がかなり大きくなる。それは誰の目にも明らかである。

 同時に、今回のトラッシュワールドは誰が形成したのでろうか? 新たなトランサーか? それとも緑。あるいは梨々花。考えられるのは、この辺りであるが、果たしで真相はどのようなものなのか?

 静かだった院内はトラッシュワールドになり、余計に静かに、おまけに、かなり薄暗くなっている。

 そんな薄闇の中、悠馬には一抹の不安があった。

 その不安こそ父だ。

 集中治療室に運ばれた父の容態はかなり悪い。となると、デスレイヤーになっている可能性が高いのである。つまり、魂を奪われる可能性が高いということだ。そして、この嫌な予感は的中してしまう。

 再び集中治療室に向かった悠馬は、そこで最悪の光景を目の当たりにしてしまう。何と、父の魂を目の間で奪い取られてしまったのである。

 奪い取った張本人。

 それは緑であった。今回も場違いなバレエダンサーの恰好をしている。

 緑はカンテラの中に父の魂を入れると、チラと悠馬の方を向いた。

 一体、緑はどうやって集中治療室に入ったのであろうか? 否、考えるべきはそれではない。父の魂を返してもらわなければならない。

「何をしているんだ?」

 と、悠馬は言った。

 声は震えていたが、その震えの中には、恐怖の他にも怒りの感情が渦巻いている。

 とにかく父を救いたい。そんなあくなき野望が垣間見えるのだ。

「何って、決まってるだろう。魂を蒐集しているんだよ」

 と、緑は答える。

「返せ!」

「それはできない相談だねぇ」

 まったく緑は聞く耳を持たない。

 魂が戻らなければ、父は死ぬだろう。

 とは言っても、それだけは絶対にあってはならない。だが、父の魂を取り戻す方法があるわけではない。

 むしろ、助ける手段はない。

 緑との戦闘は避けられないだろうが、自分には武器はない。前回は、不意打ちであったから、緑にダメージを与えられたが今回は違う。あくまでも正々堂々と戦わなければならないだろう。

 ただ、武器はない。必然的に、戦えば破れる可能性は高い。

「さて、君にはお礼をしないとね」

 と、緑は恐ろしく低音の聞いた声で呟いた。

 もちろん、この間の背中の傷の仇を取るつもりなのであろう。

 この状況に巻き込まれるのは、半ば予想していた。だが、予想よりも遥かに早く、トラッシュワールドに巻き込まれてしまった。

「お礼なんていらないよ」

 と、悠馬は答える。

 しかし、もちろん緑は納得しない。憾みを晴らすまでは、絶対に死なぬという覚悟があるのであろう。

「君はエラーのようだね。デスレイヤーかと思ったけれど、そうではないみたいだ。この間、ずいぶんなことをしてくれたから。その借りは返してもらうよ」

 そう言うと、緑は首にかかっていたペンダントを手に取ると、何やら呪文を唱えた。すると、ペンダントが煌びやかに光、鋭利な刃をもったサーベルへと変わる。前回のトラッシュワールドで、彼が持っていたあのサーベルである。細身の刀身だが、見た目の印象に騙されてはならない。

 超能力が働いているようで、梨々花の大剣と互角にやりあうくらいなのだから、注意しなければならない。

 あれで突かれたら、恐らく致命的なダメージは避けられないであろう。

 対して悠馬は、近くにあった消火器を手に取り、それを武器兼防具にしようと考えた。

「なるほど、そいつが武器か。考えたね」 

 と、言う緑であったが、それは決して褒めているわけではないようである。ただ、貶しているのだ。この切迫した状況で、武器を選ぶ余裕ない悠馬をひそかに嘲笑しているのである。

「く、来るなら来い」

 覚悟を決めた悠馬がそう言い放つと、不気味な笑みを浮かべた緑が、一足飛びで襲い掛かってくる。

 サーベルは危険だ。何とかあれだけを避けなければならないだろう。そのためにはどうするべきか? 悠馬はギリギリまで考え込んでいたが、都合の良い解決方法は頭に浮かばなかった。ただ漠然と消火器を持ち、攻撃に備える。

 緑のしなやかな攻撃が、悠馬に放たれる。

 早い話、武器でない消火器とサーベルでは、スペック差がありすぎるし、重量も違う。いくら火事場の馬鹿力的な、大きな力を生み出せたとしても、消火器を振り回し続けるのは、酷く体力を消耗する行為である。

 直ぐに、悠馬は壁際に追い詰められる。

「今回は」と、緑は言った。「梨々花ちゃんはいない。君一人だ。これまでのようだね」

 確かに、最早勝負はついたといっても過言ではないであろう。その位の圧倒的な戦力差が、ハナから存在しているのである。

(僕はここで死ぬのか?)

 最悪の考えが頭をよぎる。

 そして、今回は梨々花と言う救いの使者は現れてはくれないようである。

 何とか自分で、この窮地を打開しなくてはならないのだ。とは言ってもどうするべきなのか? 確か、梨々花は前回、大剣を持っていたはずである。

 あれは、奪った魂を利用したものでないだろう。それに、今回緑が用意したあのサーベルも謎である。ペンダントに対し、なにやら呪文を唱え武器に変わったのである。となると、悠馬にも武器にできるのではないかと思えた。

 前回、甲冑の戦士が現れたではないか。あれはきっと緑が発生させたものだろうが、魂を利用したものではないはずだ。

 どこかに、この世界で異物を武器化する呪文なり、法則があるのだ。

 デスレイヤーは死に瀕している人間である。前回梨々花によって魂を奪われた少年も、確か武器を持っていた。武器は存在するのだが、考えるべき時間が必要である。

 悠馬は消火器の栓を抜き、勢いよく消火剤を散布させた後、白い、濛々とした煙が立ち込める中、何とかその場から逃げ出した。

 今回のトラッシュワールドは病院全体を覆っているようである。

 恐らく、院内は、死に瀕している人間が多いから、効率よく魂を集められるだろう。では、なぜ前回は学校が巻き込まれたのだろうか? 学校だけでなく、ある程度広い範囲にトラッシュワールドは形成されたが、その目的があるのであろう。

 いずれにしても、今は戦闘を行うべき武器を探さなければならない。

 悠馬は院内を逃げながら武器を探す。一階のエントランス付近まで行き、外に出ようとすると、見えないバリアで包まれているようで、エントランスから先に行けなかった。どうやら、病院外には出られないようである。となると、病院の中で武器を探すしかない。

 病院の中で武器があるとしたらどこであろうか。調理室があれば、そこに調理器具があるはずである。包丁やナイフなら、武器として利用できるだろう。問題は調理室がどこにあるかだ。

 そうこう考えていると、前方に人影が現れた。サッと緊張が走るが、影の正体は、緑ではなく、悠馬の父、桐生修であった。

「悠馬。こんなところで何をしている?」

 と、修はやや驚きに目をむきながら、そのように尋ねた。

 修は生死の境にいる自覚がないのであろうか? 専門用語を使えば、修は現在デスレイヤーである。即ち、このトラッシュワールドに入る資格があるのだ。

「と、父さんこそ」

 と、悠馬は言った。

「父さんはな、どうやら危ないらしい」

「ど、どういうこと?」

「この世界では死にかけた人間が、集められているようなんだが、父さんもその一人らしいんだよ」

「だ、誰に聞いたのさ、そんなこと」

「分からない。ただ、何となくこの世界に来た時に、そう誰かに伝えられたんだよ。行きたければ、魂を取り戻すしかないってね」

 そう言い、修は自分の胸を指さした。半透明になっている肉体の中は空っぽである。本来はそこに魂が宿るのであろう。しかし今、修の魂は緑の手中である。なんとかして取り戻さなければならない。

「父さんの」と、悠馬は言う。「魂を奪ったのは、緑っていうバレエダンサーのような恰好をした人間だよ。確か、トランサーって言うんだ」

「そいつを倒さなければならないのか」

「そうなんだけど、武器がないんだ。緑はサーベルだけど、武器を持っているし、魂を利用して、武器や防具を作れるんだ」

「武器か……。父さんにもないな。だが……」

 と、修は何やら考えを進める。

「調理室へ向かおう。そこに武器があるかもしれない」

 修が黙ったことを見て、悠馬がそう助言する。

「そ、そうだな」

 修は納得し、悠馬と修の二人は、調理室を目指し院内をさ迷い歩く。

 一回の一番奥に食堂があり、そこには簡単に入れた。どうやら誰もいない。武器の類はたくさんあり、包丁やナイフなど様々ある。サーベルは刀身が長いから、包丁やナイフでは対抗できるかは分からないが、それでもないよりはマシである。

 修と、悠馬はそれぞれ一本ずつ、包丁を手に取り、それを携帯する。一体なぜ、こんなところで、こんな危ない代物を持って、さ迷っているのだろうか?

「悠馬、なぜお前はここにいる?」

 調理室から出ると、修が唐突にそう尋ねてきた。

 院内は限りなく静まり返っており、僅かな物音すら聞こえない。聞こえるのは、修と悠馬の呼吸の音と、歩く際に発生する擦る音だけ。

 今のところ、緑が攻撃をしてくる気配はない。どこかに隠れて、虎視眈々と、寝首を搔こうとしているのかもしれない。

「分からない」と、悠馬は答えた。「僕はエラーって言って、この世界に入れる特別な人種みたいだけど」

「じゃあ死ぬわけじゃないんだな。それを聞いて、父さんは安心したよ」

「父さんが死ぬんじゃ、意味はないよ。何とかして救わなくちゃならない」

「そうだな。だが、あまり無理はするな。敵は武器を持っているんだろう。それは危険な人物ということだ。よって、注意しなくちゃならん」

 自分よりも息子を心配する修の姿勢に、悠馬は心を打たれた。やはり何としてでも、この父親だけは救わなければならないと、心の中で決意を固めた。

「カツン、カツン」

 不意に音が聞こえ始めた。

 前方から、緑がサーベルを床に規則的に突きながら歩いてくる。

 今までどこに隠れていたのか分からないが、戦闘は避けられないようである。

「おやおや」と、緑は言う。「危ない代物を持っているね」

 サーベルの方がどう考えても危ないが、悠馬も修も黙っていた。包丁をしっかりと持ち、臨戦態勢に入る。

 とは言っても、戦闘などした経験はない。前回だって不意打ちだったからこそ、緑に対してダメージを与えられたのである。しかし、今回は正々堂々と真正面から戦う必要がある。

「悠馬、下がっていなさい」

 と、徐に、修が言った。

「ど、どうして」

 と、困惑する悠馬であったが、修は取りなすように、悠馬を引き下がらせて、

「ここは俺がやろう。俺の魂は、俺が取り戻さなければならない」

 と、強い決意を込めて言った。

 修も悠馬同様、戦闘経験などまるでない。五〇を超える壮年の体つきは、若干ではあるがメタボ気味で、とても格闘家からはかけ離れている。

 対する緑は、変態的なバレエダンサーの衣装に身を包んでいるからといっても、その体躯は目覚ましいものがある。修と緑では、全く戦うべき土俵が違うだろう。歴戦の力士の中に、小学生のガキ大将が入ったからと言って、そのガキ大将は何もできないだろう。

 そのくらいの激しい戦力差がある。

 だからこそ、数的有利というアドバンテージを利用しなければならない。そう、悠馬は考えていた。修は下がれと言ったけれど、隙があればすぐに先頭に入ろうと決意していた。

「魂の時間は限られている」

 と、緑は言った。カンテラの中の魂を一つ取り出し、それを悠馬と修に見せた。魂の色は青々としている。

「今は青いが、これが黄色になると、魂は肉体から分裂し始め、赤になると、完全に離脱する。そうなると、通常の手段では肉体に魂を戻せなくなる」

 緑が持つカンテラの中には、赤々と光る魂が無数に存在している。これはつまり、肉体から完全に離脱してしまった魂なのだろう。

「肉体と魂が離脱するとどうなるの?」

 と、悠馬が尋ねる。

 緑は狂ったような視線を、悠馬に向けながら、サーベルを悠馬に向かって掲げると、

「人は死ぬ。ただ、それだけのこと」

 と、あっさりと言った。

「魂はどれくらいで、赤に変化するんだ?」

 今度は、修が聞いた。

 緑は視線だけを修に向け、次のように言った。

「青から黄色に変化するまで一〇分。黄色から赤いに変化するまで二〇分。つまり、三〇分。君の魂は奪われてから既に七分が経っている。残りは三分。黄色に変化すると、武器の顕現ができなくなる。まぁ君の場合、自前の武器を利用するみたいだけどね」

「武器は自分でも作れるのか?」

「作れる。トランサーやデスレイヤーは自分で好きに武器を作れるのさ」

「どうやってそれを行うんだ?」

「簡単さ。ただ、念じればいい。そうすると、君に必要な武器が現れる。ただ、一度のトラッシュワールドにつき、武器は一度しか顕現できない。つまり、壊したらそれでおしまい」

 それを聞くと、修は持っていた包丁を勢いよく緑に向かって投げつけた。

 緑は超人的な反射神経をみせ、飛んできた包丁を、左手でしっかりと受け止めた。まったく左手は傷ついていない。つまんだ包丁をゆっくりと地面に落とした。すると、包丁は粉のように粉砕され、消えていった。

「と、父さん、どうしてそんなことを」

 修の背中に向かって、悠馬は言った。

 次の瞬間、修は深く目を閉じ、何やら念じ始めた。ブツブツと「武器」を念じているようである。

 すると、何も持っていなかった修の腕に、クロスボウが現れた。いわゆるボウガンである。弓に銃を装填させたような独特のフォルムを持つ武器が、今こうして修の前に現れたのだ。

 両手でクロスボウを持つと、修は威嚇するように緑を見つめ、

「魂を返すんだ」

 と、一言告げる。あくまでも神妙に。

 しかし、緑は不気味な笑みを浮かべるだけで、魂を返そうとはしない。先ほど取り出した魂を再びカンテラの中に戻すと、サーベルを持ち直し、臨戦態勢に入る。

「魂を返さないと言ったら?」

 と、ほくそ笑むように、緑は言う。

 対する修は、ギリギリとクロスボウの照準を緑に合わせながら、

「打ち殺す!」

 と、答えた。

「怖いねぇ。だけど返すわけにはいかない。僕はこの魂を集めているのだから」

 魂を集めている理由とは、一体何なのであろうか? 

 梨々花も魂を集めている。この隔絶されたトラッシュワールドの中で、人知れず人を殺し、魂を奪っている。それは人間として正しい行為なのであろうか? その先に、何か重要な目的があったとしても、人の魂を奪うという行為は、決して推奨されるべき行為ではないのだから。

「なぜ、魂を集めるんだ?」

 と、悠馬が恐る恐る言った。

 以前臨戦態勢をとったままの緑は、視線を悠馬に向けず、修に注いだまま、

「『大いなる野望』のためだよ」

 と、答えた。

「『大いなる野望』? それは何だ?」

「いずれ知るかもしれないね。今はまだ、知らない方が良い」

「俺には関係のないことだ」

 と、修が自分を鼓舞するように言い、「俺はまだ死ぬわけにはいかないのだ!」

 次の瞬間、自分のクロスボウを勢いよく緑に向かって発射した。

 緑と修の距離はそれほど離れていない。恐らく一〇メートル前後であろう。これだけの近距離でクロスボウを放ったのだから、通常は避けられないだろう。

 にも拘らず、緑は圧倒的な瞬発力と反射能力で、クロスボウから放たれた弓矢をサーベルで切り落とした。それだけで修と緑の間に、如何ともし難い戦力差があるのが分かってしまった。

 修はそれでも意気消沈せず、今度はクロスボウの弓矢を連射した。通常、クロスボウには連射機能はないが、修が持っているクロスボウは、修の意志が乗り移ったかのように、連射を可能にする。

 連射された矢は猪突猛進に緑へ繰り出される。とはいっても、緑は依然冷静さを保ちながら、サーベルで野菜でも切るかのようにあっさりと、弓矢を切り落とした。

「無駄だよ。デスレイヤーはそれほど高い能力を持っていない。僕らトランサーの餌食になるだけの存在。諦めるんだな」

 そう言った後、緑は脚部に力を籠め、修との間合いを一気に詰める。あまりに俊敏であったため修は避けられなかった。サーベルが修の左肩から先をあっさりと切り飛ばす!

「ぐぁぁぁぁ」

 と、修の唸る声がこだまする

 クロスボウが床に落ち、ガチャンと大きな音を立てる。切り飛ばされた肩先から血が湯水のように噴出している。傷ついた肩を押さえる修であったが、事態はかなり悪い。

 トラッシュワールドに来た人間が、厳密に死ぬのかは分からないが、もはや勝負はあったようである。

「楽にしてあげるよ」

 と、サーベルを掲げた、緑がそのように言った。

 サーベルが振り下ろされれば、今度こそ修の命はないだろう。そうなる前に、悠馬は動かなければならなかった。

 修は念じ武器を創出させた。同じトラッシュワールドに来た人間なのだ。きっと武器を生み出せると信じていた。

 ギリギリの精神状態の中、悠馬は「武器よ出ろ!」と、怨念のように呟いた。

 この圧倒的な劣勢の中、悠馬はとある『武器』を生み出した。

 その武器は、剣や弓矢のような分かりやすい武器ではなく、もっと抽象的な武器。それは早い話が魔法であった。

 悠馬の身体から電流が走り、それが稲妻となり緑を襲う。それを見た緑は目をむき、そして答える。

「す、素晴らしい。君はウィディアンだったのか……。単なるエラーではない。君の魂も一緒にいただこう。きっと素晴らしい魂であるはずだ」

 ウィディアン。

 また、不可解な単語が現れた。しかし、今のこの状況で、悠馬は物事を冷静に見られなかった。ただ修を救うために一心不乱になっていたのである。エラーとか、トランサーとか、デスレイヤーとか、それはどうでもいい。 

 強烈な電撃は、緑のサーベルを襲い、サーベルを粉々に粉砕する。その姿を見た緑は、さすがに驚きを覚えたようである。一回のトラッシュワールドで、一度しか武器は顕現できない。

 つまり、もう彼はサーベルを持てないのだ。

 残された方法は、集めた魂を利用するということだが、緑は前回も魂を一つ使っている。魂を蒐集するのが、一つの目的であるならば、あまりポンポンと魂を使うのは推奨されないだろう。

 そう緑も考えているようで「チッ」と舌打ちをしながら、悠馬との距離をとった。それでも悠馬は深追いを続ける。馬鹿の一つ覚えのように電撃を放ちまくる。しかし、そんな行為はすぐに体力、この場合は魔力であるが、それを消費するのだ。

 あっという間に電撃は打ち止めになり、体が鉛のように重くなった。それでも離れた電撃が意思を持ったかのように、緑に襲い掛かる。

「自動追尾か……、厄介だな。今日はここまでだ。また近いうちに会おう。アディオス」

 そう言い、緑は消えていく。

 病院内のトラッシュワールドが壊れていく。

「待て! 父さんの魂を返せ!」

 劈くように、言う悠馬であったが、緑は消えて行ってしまった。

 残されたのは悠馬と深い傷を負った父、修だけである。

 しかし、修に残された時間は少ない。失血多量により、体が痙攣を始め、呼吸も乱れている。ショック症状が出ているのか、顔も恐ろしく青白い。

「と、父さん!」

 叫びながら、修に近づく悠馬であったが、もう自分には手の施しようがなかった。医学的な知識はまるでない。止血するのが良いだろうが、既に失血量は致命的であり、回復の見込みはないと思えた。

 何よりも、魂を奪われてしまったのである。つまり、この状況では修を救えないのだ。

「俺はもうダメだ」

 と、か細い声で修は言った。血で濡れた右腕を振り上げ、悠馬の手を取った。

「母さんを頼んだぞ。残されたのはお前しかいないんだから」

「父さん。死んじゃダメだ。僕が魂を取り戻すから」

「母さんを守る。そう誓ってくれ。頼む」

「誓うよ。だけど、父さん死んじゃ嫌だよ!」

 その瞬間、修は大量に吐血をした。そして、ぐったりと動かなくなった。死が完全に修をあの世へ連れて行ってしまった。

 悠馬が泣き崩れると、いつも間にか病院の病室の中にいることが分かった。混乱する頭で整理すると、ここは修が収容された集中治療室の前であるようである。

 悠馬の後ろには、医師と、母の姿があった。

 母は泣き崩れ、その場に倒れ込んだ。

「お父さんが……お父さんが……」

 悲痛の叫び声を聞き、悠馬は修が亡くなったと完全に自覚した。

 せめてもの救いは、修の肉体が傷ついていないということだろう。トラッシュワールドでは、肩から先が切り落とされたが、現実の世界では普通に肩が戻っていたのである。

 修は死んだ。もう、元に戻らないのか――。

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