猿の現実
「先輩!いきなり仕事を辞めるとかどうしたんですか!」
事務所のソファーでうつむいていた私は大きな音を立てながらドアを開けた後輩の方を向いた。
「ああ、なんだお前か。いや、ちょっとしたトラブルがあってな。それで、もうこの先やっていける自信が無くなってしまったんだよ・・・」
「先輩はここのエースじゃないですか!誰だって何回も失敗するものなのにそんな小さなことで辞めるだなんて先輩らしくないっすよ!」
「小さなことか、確かにそうかもしれないな。なあ、少し時間いいか?お前にさっき起こったことをありのまま聞いてもらいたいんだ。」
私はいつものように電車に乗りスタッフ達との打ち合わせの後客を待っていた。今日は珍しく人がなかなか来ないから長い時間が経って来た最初の客に気合が入っていたんだ。
「 まもなく、電車が来ます。その電車に乗るとあなたは恐い目に遇いますよ~」
今思えばあの客は最初からどこか変だった。好奇心が旺盛な奴は何度も見てきたがあれはそれとは違う別の何かに興奮しているようだった。
「 出発します~」
電車が動き始め、何も起こらないことに相手が油断した瞬間を狙い私はいつものアナウンスを流したんだ。
「次は活けづくり~活けづくりです~」
後ろから聞こえたスタッフの悲鳴に驚いた客は刃物で切り裂かれ活けづくりのようになった彼を見て興奮しているようだった。確かに過去にもそんな反応をした人間もいた。だがそいつはその後自分がそうなることに気がついて絶望していたけどな。
活けづくりになった彼を運び終え、客が絶望するのを想像しながら俺は次のアナウンスをしたんだ。
「 次はえぐり出し~えぐり出しです~」
そしたら驚いたことにその客はさらに目を輝かせ始めたんだ。そわそわとしながら落ち着きがなくなり、かといって逃げようとしているようにも見えないその客を不審に思いながらスタッフが動き始めるのを見ていた。
その時、客が突然動き出したんだ。私は心底驚いた。ここでは逃げようとすることも仕掛け側になることもできない。一方的に体を壊される恐怖を味わう場所だ。この場所でできる行動はただ一つ、自分から壊されに行くこと。そんな人間はいないと思っていた。
「ごめんなさい、私もう待ちきれないの!順番を譲ってください!どうしても先に受けたいなら私をぶってでも権利を守ってみなさい!」
そんなことを言う客にスタッフが困惑し無表情を崩しながら私を見た。この時はまだそんな彼女に仕事場で表情を崩すだなんてなっていないと考えていた。
「あなたも物好きですね~それならお先にどうぞ~」
避けることが無くやりやすいスタッフの相手ばかりで客のえぐり出しは経験したことが無い彼らには悪いが偶にはいい経験になるだろう。仕事を始める彼らを眺めながらそんなことを考えていた。
悲鳴、本来そこにあるはずの恐怖の色は微塵も感じなかった。あるのは期待、喜び、感謝。目から流れた血や汗、よだれにまみれた口は未だに、いや、今まで以上に笑みを浮かべていた。
「たまらないわぁ。これだけ血を流したのにはっきりと楽しめるなんてまさに夢のようだわぁ・・・」
今だから思うがもしもこれが活けづくりでこちらに目を向けられていたら逃げ出していたかもしれない。目をえぐられ顔が上を向きながら恍惚としている客を見ながら私は声を震わせないように気をつけながらアナウンスを告げた。
「次は挽肉、挽肉です」
「待って!次も私にちょうだい!これじゃ物足りない!早く私を満たして!」
「始めからその予定ですよ。逃げられないから覚悟してくださいね。」
スタッフが持ってきた機械の音にその客は耳を傾けまだかまだかと期待しながら待っている。私はそんな客が恐ろしかったがこれでやっと終わると安堵しながら今日はこれで店じまいにしようと考えていたんだ。
またもや上がる悲鳴、潰されるごとに何度も上がる悲鳴にはやはり恐怖の色は無かった。手足が潰れ、内臓が飛び出し頭部が潰れてなお上がる声。いや、おかしい。なぜまだ声が聞こえているのか。すでに顔は原形をとどめておらず血肉にまみれた塊の穴は喜びの声を上げていた。
「あぁ、こんなに痛みを感じるのは生まれて初めてだわ。内も外も関係ない、体の全てで感じるなんてまさに夢のよう。ねえ、あなた達はもっと私を満足させてくれるのかしら?」
もはや人の形をしていない化け物はこちらに指の千切れた手を伸ばす。私は思わずその手を蹴り飛ばし距離を取った。
「おい!活けづくり班も呼んで来い!潰して刻んでこの化け物が壊れるまで続けるんだ!」
そこからどれだけ続けたか覚えていない。何度切り刻まれても離れては痛みが届かないと言いながら千切れた肉片が本体に交わりすでにぐちゃぐちゃな体を潰しても喜びの声あげるだけで手応えを感じなかった。
そして突然奴はこんなことを言いだした。
「ねえ、外からだけなんて物足りないわ。私のことを内からも苛めてほしいの。あなた達も新鮮で楽しめるでしょう?」
化け物に取りつかれたスタッフの絶望した顔が今でも忘れられない。叫び声を上げながら狂ったように肉塊の内から飛び出す振り回された刃物。助けようと外から攻撃を続けるも奴は彼のことを逃がさずいつしか彼の声は聞こえなくなった。
「あら、疲れて寝てしまったわ。次は誰が中からお相手してくれるのかしら?」
その言葉を聞いた時、私たちは電車から逃げ出した。
「あの電車は奴に乗っ取られもう自分に居場所はなくなったんだ。次の設備が届いても私には続けることはできない。今の自分にあるのは痛めつける熱意ではなく奴への恐怖だけなんだ。」
そう言って私は何も言うことのできない後輩に背を向け扉から立ち去るのであった。
SMが激しすぎて殺してしまう事件があるって話を聞いて書いてみました。途中から人間辞めてるけど夢だから仕方ないですよね。