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ふるーつ・ぐみ【お菓子作品集】  作者: つるめぐみ
7/7

虹色リボン【お題:ケーキ】ヒューマンドラマ

『家路』のタイトルもある『遠き山に日は落ちて』が、帰宅を促すように鳴りはじめた。

 車中だと外部の音は遮断される。車は赤信号で停まったのだろう。振動が変化し、歩行を促す音楽が微かに聞こえてきた。

 生まれついての全盲なので、外部からの情報は少ない。それでも、隣にいる夫の考えは誰よりも知っているつもりだ。

 気を遣って「買い物にいこうか」と、言ってくれたことも。

「桃香、ちゃんとひとりでお留守番できているかしら」

 一人娘のことを想うと心配で仕方がない。歩行を促す音楽が聞こえなくなると、車は動き出したのか、大きな振動を感じた。

「君の娘だぞ、大丈夫だよ。火を使うなと言ったし、玄関の鍵も閉めた。あいつは俺よりもしっかり者だ。心配することないさ」

 運転している夫の言葉を聞いて安堵の息を吐く。

 出掛け際に言っていた、娘の言葉が思い出された。

「明日はお父さんとお母さんが一緒になった日なんだよね。桃香、いいこと考えちゃった。クッキー生地って、どう作ればいいの?」

 娘に型抜きクッキーの作り方を教えていた。なにを作ろうとしているのか、娘のことなので、すぐにわかる。

 抹茶、食紅、ココア、レモンピュレを使って、たくさんの生地を用意してあげると、娘は「やったー」と声をあげた。

 思い出して、つい口元が緩んだ。隣の夫に顔をむけた。

「私たちの顔のクッキーを作ろうとしているのよ。ハートの型抜きを買ってあげていたから、それも使うかも」

「結婚記念日って、いつ教えたんだ? あいつ、お父さんとお母さんの結婚式見てないって、頬を膨らませていたぞ」

「そうなの? 説明したほうがいいかな桃香はお父さんとお母さんの結婚式を、お空で見ていたんだよって、言えばいい?」

 幼稚園児なので、そう言えば娘も納得してくれる気がしたが、夫は「うーん」と唸った。

「結婚式をあげていないのに? 嘘を言うのは嫌だなあ」

「正直者なんだから……嘘も方便って言うでしょ。子供は大人になってから優しい嘘に気づいて、成長していくものなのよ」

 答えとともに息を吐く。

 その時、どこからか甘い香りが漂ってきた。

「ケーキ? いつの間に買ったの?」

「君が会計をしている時にだよ。気づかないか?」

 乳製品の甘い香りに加えて、甘酸っぱい果実の香りもする。

 それは、桃の香り。

 桃が大好きなのが高じて、娘の名前にまで反映してしまった果実だ。

 答えを言えばいいのに。夫が問いかけてきたのはゲーム好きだからだ。

 負けず嫌いなところは娘の桃香に似ている。桃香が夫に似たのというのが正解だけど。

「私が桃の香りを好きだって、知っているくせに」

 答えると、夫は敵わないと思ったのか、微かに声を出して笑った。

「いいこと思いついたぞ。桃香の機嫌を直しながら、嘘を言わなければいいんだ」

 夫が何を言っているのか理解できない。

 そのまま、車は自宅に到着したようだった。

 いつもと変わらずエンジンを切った夫が扉を開けてくれる。

 温かい手を取って車を降りると、甘い香りのするものを渡された。

「桃香に渡してやって。俺は食材をおろしてくる」

 ケーキが入った箱に違いなかった。リボンが手に触れる。何色だろうか。

 そんなことを考えている間に、忙しなく動くビニール袋の音が耳に入る。

 夫には心配をかけさせてばかりだ。頑張っても足りない部分は、はっきりと見えてくる。

 七年前もそうだった。

 目が治らないと知って悲観して、強引に嫌いになったと理由をつけて別れたはずの彼。その声が背後から響いた。

「医者になったぞ。俺は二度と嘘をつかない。だから君も嘘をつくな!」

 驚いて(はく)(じょう)を落としてしまった。声の主を探すのに必死になった。

 歩行を促す信号の音。走り去る車の音。青になったのだろう。足音が聞こえはじめる。

 信号を渡らなければいけない。その気持ちも吹き飛んでしまった。

 絶対に彼とは逢わない。そう決めていたはずなのに、全盲の目から涙が零れ落ちた。

 落とした白杖は簡単には見つけられない。手探りで探そうとすると、手に懐かしい温かさを感じた。

 もう一度、彼の温かさを感じることができるなら。

 叶わないと諦めつつも熱望していた想いが、どんなものにも代えられないメッセージとして彼の口から紡ぎ出された。

「やっぱり嘘じゃないか。嫌いなら泣かないよな」

 言葉すくなくても十分だった。

 あの日、風の噂で「全盲の女と付き合うなら勘当だ」と、彼が父親に言われたと知ったから、嘘をついて別れた。

 それなのに――。

 父親に勘当されてもいい。彼は想いを貫いて、逢いにきてくれたのだ。

「なんで、お父さんと喧嘩してきたのよ」

 家族って大切でしょ。お父さんはあなたの将来を心配して強く言ったのよ。そんな続きの言葉が出ない。

「それ、もう一度言わないと駄目か?」

 思いがけない彼の声が耳に入ってハッとした。声は彼ではなく夫だ。

 どうやら無意識に言葉となって、出てしまったようだった。

 夫が答える必要はない。七年前に答えは聞いていた。心に突き刺さるほどの強く優しい言葉に癒された。

 首を横に振ると、夫の温かい手が玄関までエスコートしてくれる。

 呼び鈴の音が響いた途端、慌ただしい足音が聞こえてきた。

「お父さん、お母さん、お帰りなさい!」

 玄関が開いた音がすると、いつもの元気な桃香の声が響く。何事もなくてホッとした。

 すると、「お邪魔しました」という聞き慣れた声がした。

 隣に住んでいる亮輔くんに違いない。ひとりでは無理と感じたのか、桃香は助けを呼んでいたのだ。いくつかの言葉を交わすと亮輔くんは帰っていった。

 不意に温かい感触が腕に触れた。娘の桃香が腕に抱きついてきたのだ。

「亮輔お兄ちゃんとクッキーをつくったんだよ。亮輔お兄ちゃんだけじゃなくて、亮太兄ちゃんと亮平兄ちゃんにもあげるんだ」

 いつも通りのマシンガントーク。どちらに似たのかしらと思う。

「あとね、亮太お兄ちゃんに、お父さんとお母さんの結婚式見てないんだよって言ったら、笑われたんだ。なんでかな?」

 幼稚園児なりに、娘は必死に答えを探そうとしているらしい。

 その時、「きゃっ」という声が響いた。

「わーい、飛行機」

 はしゃぎ声から、夫は桃香を抱きあげて飛行機ごっこをしてあげているらしい。

「よし、今から桃香に結婚式を見せてやるぞ」

 夫の言葉が理解できない。先ほど言った「いいこと思いついた」なのだろうが、どんな案を思いついたのだろうか。

「お母さんの持っている箱の中身がわかるか? わかったら、お母さんと一緒にキッチンに行って、お行儀よく席に着いて待ってて」

「桃香わかるよ。お母さん、はやく! 桃香、ケーキ大好き!」

 すぐに娘の手の温かさを感じた。ケーキを持ったまま、手を引かれてキッチンに入る。

「お母さん、イス引いたよ。座って」

 いつの間に娘はこんなに成長したのだろう。そう思いながら、ケーキをテーブルの上に置いて座った。

「桃香は優しいね。お母さん、嬉しくなっちゃうな」

「だって桃香、お姉さんになるんだもん。お姉さんは優しくなきゃいけないって、亮平お兄ちゃんに教わったんだよ」

 一か月前、娘に「お母さんのお腹の中に赤ちゃんがいるんだよ」と教えた。目を丸くする娘に「桃香は、お姉ちゃんになるんだよ」と続けたら大いに喜んでくれた。

 それからは、幼馴染みの亮輔くんだけでなく、長男の亮太くん、次男の亮平くんにもいろいろと教わっているらしい。子供は大人のいない場所でも、しっかりと学習して育っていくのだなと思う。

「さあ桃香、ケーキをお披露目して。結婚式、見せてやるぞ」

 夫は何をする気なのだろうか。すると手に何か固いものが当たった。夫の温かい手も一緒だ。

「これはな、ケーキ入刀って言うんだ。こうやって、ケーキを二人で……」

「桃香も一緒にやる!」

 趣旨が少し違うけど――今はこれでいいのかも。

 ナイフの動きでケーキは四等分に分けられたとわかった。最後までやる必要もないのにね。と、考えたが、娘の自己流アレンジで楽しめれば満足だ。

「あとね、桃香ね。結婚式ではキスするって、亮輔お兄ちゃんに聞いたよ」

 子供って、どうしてそういった話が好きなんだろう。そう考えていると、頬に温かいものが触れた。声を出しかけるが、

「桃香もお父さんにする!」

 娘の声で遮られてしまった。本当の結婚式じゃないけれど、娘ならきっと大人になったらわかってくれるはずと思う。

「ケーキはお母さんが二つね。おなかの赤ちゃんにも、結婚式のケーキ食べてほしいから」

「お母さんが二つ? けど、赤ちゃんには二つじゃ多いから半分で、残りはお留守番した桃香に、ご褒美ね」

 素直に「わーい」と喜ぶ娘が愛らしい。

 四等分にしたケーキも、近いうちに四人でひとつずつ仲良く分けることになるはず。

「ねえ、お母さん。リボン取っといていい? 桃香、生まれてきた赤ちゃんに見せてあげたい。七色にキラキラ光って奇麗なんだよ」

 幼稚園児の桃香はまだまだ子供だけど、立派にお姉ちゃんをしてくれている。夫も優しい。不満はない。けれど、七年前のことを思うと――。

「親父には初孫見せてないんだよな……二人目となると、意地も通せないか」

 突然の夫の言葉に一瞬、耳を疑った。

「君が許してくれるのなら、親父に連絡するよ。おふくろは歓迎してくれているから大丈夫。やっぱり子供が生まれると、親の気持ちもわかる気がするっていうか……」

「うん、私もあなたのお父さんに会ってみたい。桃香も喜ぶわ」

「桃香、新婚旅行にいくぞ。おじいちゃんとおばあちゃんも一緒だ」

「おじいちゃん? 道夫おじいちゃんと?」

 その時にはもうひとり多いはずよ。という声を押さえながら、思わず笑ってしまう。

 桃香が言っていた七色リボンが手に触れると同時に、

「その時は赤ちゃんも一緒?」と訊く桃香は、やっぱり娘だと感じてしまった。

 いろいろなことはあっても、人生はいつかは虹色になる。

 今は虹色なのだろうと考えて、ケーキを口に入れると、甘酸っぱい桃の香りが一気に広がっていた。

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