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ふるーつ・ぐみ【お菓子作品集】  作者: つるめぐみ
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罪障【お題:みたらし団子】文学

 山沿いの天候は変わりやすい。道夫は天気予報を見て息を吐くと、折り畳み傘を荷物に追加した。

 次に、冷蔵庫からビニール袋を取り出してカバンに入れる。出掛ける理由ともいうべき大切な品だ。忘れるわけにはいかない。

 厳冬が近づくと道夫の腰は軽くなる。今年もこの時期かと出掛ける気になるのだ。 

「実の息子と音信不通なのに、他人の子供の約束を守り続けるなんてどういうつもりなの」

 出掛けようとした時に、妻に愚痴をこぼされるのも恒例となっていた。

 妻に対する道夫の答えも毎年同じだ。聞かないふりをして靴を履く。

 逃げるように家を出た道夫は、白と灰色の斑模様となった空を見て思った。

 あの日も、こんな天気だったなと。

 

 昭和四十年代――。

 道夫は刑務官という立場、『ゼロ番区』と呼ばれる場所で、ある青年と出会った。

 青年は二十五歳。両親を惨殺して埋めた凶悪犯と騒がれていた。

 下されていた判決は死刑。

 東京拘置所『ゼロ番区』は死刑確定者が収容されている場所である。受刑者番号三ケタの末尾がゼロであることから、そう言われていた。

 青年が護送されてきた日。

 まず道夫は違和感を覚えた。青年の顔が凶悪犯の顔ではなかったからだ。

 若いからだろうか。はじめ道夫はそう思った。

 するとその後、青年の担当刑務官になることが決まった。担当刑務官になる以上は、相手の素性を知らなければならない。

 二十五歳の凶悪犯。しかし、道夫は真相を知って驚くこととなった。

 青年は熟睡した父親を幾度となく刺し貫いて殺していた。

次に異常を知って電話をかけようとした母親の首を黒電話の線で絞めたらしい。

その後、畳を持ちあげて床下に両親を埋めたとのことだった。

 それだけなら、凶悪事件で終わるのだろう。しかし、この話には裏があった。

 青年が殺したのは義理の父親。義父は再婚後、暴力と酒、賭け事に溺れた。そんな生活の中で、青年の抑えこんできた感情が爆発したのだ。

 まず義父を殺した。その後、母親にも手をかけた。

 当時、親殺しは無期懲役か死刑と決まっていた。両親を殺し、床下に埋めた青年の運命は決まったようなものだった。

 道夫は衝撃を受けた。

 青年は暴力から逃げるため、義父を殺す選択しか思い浮かばなかったのではないか。

 真実とはこんなに残酷なものなのか。いや、殺しは殺しだ。許される罪ではない。しかし自分は刑務官、受刑者の心を慰める立場でもある。

 使命と葛藤が複雑に入り混じった時間を過ごした。

 死刑囚の大半は拘禁症状に陥る。房内で暴れる者、体調を崩す者、独り言をつぶやく者。

 普段と違う足音が聞こえる度、お迎えがきたのではないかと震えて過ごす。

『ゼロ番区』の住民が胸を撫でおろすのは土曜の夜と祝日の前夜のみ。告知を受けるのは前日であるためと、日曜日と祝日は処刑が行われないというのが理由だった。

 そんな死刑囚の担当となった。

 自分には荷が重いのではないか。

 道夫はそう思う反面、彼の話を聴きたいとも考えていた。


 そのチャンスは、朝食後一時間の運動時間にきた。

 目が合うなりに青年が近づいてきて、頭をさげたのだ。

「ご迷惑をおかけすると思います。短い間でしょうけど、よろしくお願いします」

 誠実そうな青年だ。

 道夫は考えた。父親は計画的に殺したのだろう。母親は衝動的に殺したのかもしれない。

 当時、死刑執行までの平均期間は三年。

 運よく五年、六年と生きながらえる死刑囚もいたが、青年は両親の殺害を認めている。

 例外はない。

 道夫は事件の話は禁忌と知りながらも訊いた。

「話は聞いている。父親を殺したんだって? だから詳しくは訊かないよ。ただ、どうして母親にまで手をかけたんだ?」

 青年は白と灰色の斑模様となった空を見上げて答えた。

「母さんは俺の味方だと思っていたんだ。けど違った。俺は裏切られたんだ。警察に連絡しようとしたんだから……きっと俺より奴のほうが大切だったんだ」

 微かに降り出した雨が青年の頬に当たる。その雨を青年は拭い取った。瞼が腫れているように見えたのは気のせいか。

「やっちゃいけないことだって知っていた。けれどそうしないと俺は殺されていた」

 雨足が激しくなってきたので、その日の屋外運動は終了となった。

 道夫は話を聞いて、ようやく考えが行き着いた。

 幾度も刺し貫くような殺しかたは残虐性を表すといわれているが、青年の場合は違った。反撃されるのが怖かったのだ。あの場面で確実に殺さなければ、義父に殺される恐れがあった。

 そして殺害後に母親に助けを請うたのだろう。ところが、願いは破られた。母親の行動に逆上して電話線に手を伸ばした。

 しかし、青年は母親が裏切ったと言ったが、本当なのだろうか。

母親は子が犯した罪過を自ら払おうとしたのではないか。電話をかけようとしたのも、そのためだとしたら?

 心のすれ違いが生み出した悲しい結果のような気がした。


 その後、青年は仏門に帰依した。熱心に教戒師の教えを聴き、時間の許す限りその手の本に興味を示して読み漁る。

 日々が過ぎていく中で、面会を希望する者はいなかった。唯一の肉親が死んでいるのだ。来る者などいるはずもない。その場合、死刑囚は話し相手に、教戒師や拘置所長を選ぶ時が多い。

 そんな青年が選んだ例外の人物。それが道夫だった。

 第一印象がよかったからなのか、悩みを聞いてくれる相手と思われたのかはわからない。

 道夫は青年の前に立った時は、彼の生い立ちまで質問した。他人から見れば奇異だったろう。それでも何故か、訊かずにはいられなかった。

 そんな中で青年が「ちょっと頼みが」と話を切り出した。青年が頼んでくることは一度もなかっただけに道夫は驚いた。

「両親の墓前に供えてほしい物があるんです。命日だけで構いません。僕が死ねば、誰も墓参りに行く人はいないでしょうから……」

 出会った時に青年は自分を『俺』と言っていた。教戒師に導かれて、己を見つめ直したのだろう。今は丁寧な口調だ。

「供えてほしい物?」

「はい、みたらし団子を」

 なぜかは訊かなかった。

 約束後――道夫は命日に必ず、みたらし団子を供えにいった。

 そろそろ三回目の時期がくる。そう思った頃。

 法務省から死刑執行命令書が送られてきた。慌ただしい動きとともに、ゼロ番区に緊張が走る。

 新四舎二階ゼロ番区の鉄の扉が開かれ、看守長を先頭に数人の警備隊員が同列した。

 青年のいる房の前で足はとめられる。担当である道夫の役目は、青年がいる扉の鍵を開けることだった。

 扉が開けられたと同時に看守長が口を開いた。

「お迎えがきたよ」

 くるべき時はくる。青年は知っていたはずだろうが、顔は蒼白になっていた。

 充血した眼と硬直した全身。青年は逃れられない現実を前に、観念したように房を出た。

 青年を連れた死の隊列は、順番待ちの者たちを横に進んでいく。

 刑務官の立場である道夫は、死刑囚の行き先を知っていた。

 講堂で改めて死刑宣告され、個人面会室で教育課長と話をするのだ。その後の身内との特別面会はないのだろう。

 死刑宣告後の晩餐では、好きなものが食べられることになっていた。

 青年は天丼とみたらし団子を頼んで食べた。天丼は天井に点が入るという意味で天国にいけると、縁起を担いで選ばれることが多い。

 それなのに青年は天丼をあまり食べず、みたらし団子のほうを奇麗に食べきった。

 死刑執行前に食欲がある者などいない。無理に食べろという者もいない。ただ、食べる姿が異様だった。青年がみたらし団子を貪り食う姿が道夫の瞼に焼きついた。


 日が明けて翌朝。青年には朝食、特別入浴時間、教戒師との最後の時間が与えられた。

 全てが終わると、個人教戒室から出て刑場に向かうことになる。

 その途中で道夫は青年と目が合った。

「担当さん」

 いつもの声ではない。ようやく出された息のような声。

 呼ばれて道夫は青年を見た。青年の目には涙が溜まっていた。

「みたらし団子の約束は……」

「ああ、ちゃんとやっているよ。次は二か月後だよな」

「みたらし団子の意味、聞いてもらえますか」

「意味を?」

 道夫は息を呑んだ。

 なにもわからずに供え続けた物に、深い意味があったのか。

御手洗(みたらし)は神社の入り口にある参拝者が手を清める場です」

 道夫は目を見開いた。犯罪は『手を汚す』とも言い換えられる。そういうことか――。

「わかった。約束は守ると誓うよ」

 仏門に帰依したうちに得た知識だろう。

 天国に行きたい。そう願う青年は、些細な救いにも縋りたかったのかもしれない。

 更に青年の唇が震えて、言葉が紡ぎ出された。

「団子にも意味があるんですよ……団は一家団欒、円満の意味もあるんです。子は文字通り子供の子」

 青年は言いながら目頭を押さえた。

「もし生まれ変わることができたなら、今度はそんな家族でありたいなあ……」

 聞いて道夫は、胃が引き裂かれるような想いがした。

 御手洗団子を腹いっぱい食べていた理由がわかった。

 刑場に着くと経がはじまり、所長と青年が言葉を交わす。終わると青年に手錠と目隠しがされた。

 道夫ともうひとりの刑務官で青年の脇を支えて、刑壇に立たせる。

 道夫は直視できなかった。待機していた他の刑務官が青年の首に縄を掛け、膝を縛る一連の作業も、わずかに服が擦れる音でしか確認していない。

 床板が開く衝撃音とともに、縄が軋む音が響く。

 ――執行は終了した。

 地面を叩く涙雨の音が、外から聞こえていた。


 現実に戻った道夫は、ポツッと車窓に当たった音を聞いて振り返った。

 涙雨か。

 電車を降りると折り畳み傘を開く。

 通り雨になるな。

 墓に到着した道夫は、御手洗団子を取り出した。

 団子の団は一家団欒の団――。

 ひとつのパックは墓前に置き、もうひとつは自分で食べる。道夫の口から息が漏れた。

 一方的に勘当した俺も、息子に怨まれているかもしれないな。

 涙雨の勢いは次第に強くなり、水溜りに水泡を作り出す。みたらし団子は御手洗の池の泡を模してつくられたといわれる。

 道夫の足元にある水泡たちは、浮かんでは消えてを繰り返していた。

 この物語はフィクションです。実際の人物、事件とは関係がありません。


 参考文献『あの死刑囚の最後の瞬間』

 死刑囚に死刑執行日を言い渡していたのは、昭和四十年代から昭和五十年代までとなっています。当時、死刑執行の言い渡しは東京拘置所では前日、 大阪拘置所では三日前が慣例となっていました。


 親殺しの詳細は刑法第二〇〇条より。

 親殺しは昭和四十八年に憲法違反の判断が下されました。現在は普通殺人罪として対処され、情状酌量も検討されることがあります。

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