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ふるーつ・ぐみ【お菓子作品集】  作者: つるめぐみ
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桃の香り【お題:キャンディ】恋愛

 天上から落ちる粉雪が増えてきている。このままでは自宅に到着する前に、雪だるまになってしまうだろう。

 しかし、雪に慣れない都会生まれの俺は、足元に気をつけなければ確実に転倒してしまう。点滅する信号を前に足をとめるしかない。

 静かな夜だった。

 青信号だと知らせる音響だけが、耳に入ってくる。降り積もった雪が音を吸収しているからだ。

 拡散する白い息、路面を隠していく粉雪たち。自分自身も溶けこんでしまいそうな、不思議な感覚に陥る。白の世界が形成されていく過程に、俺は見入っていた。

 その時だ。背後でさくりという微かな音が響いた。

 こんな雪の日に俺以外でも歩いている人がいるのか。そう思って振り返ると、純白のコートを着た女性が目の前にいた。

 奇麗な人だった。

 一目惚れなんてと俺は思い続けていた。恋は偶然ではなく必然だ。その概念も一瞬で崩壊した。

 静かな夜だ。激しくなる鼓動を気づかれないように、左胸を強く押さえる。

 俺は女性が、隣で信号待ちをするのだと思いこんでいた。渡りきれるとは思えない荒れようだったからだ。

 ところが女性は、横断歩道に足を踏み入れた。同時に点滅していた信号が赤に切り替わる。

 慌てて車道を見ると、大型トラックがスピードを落とすことなく向かってきていた。

 路面は凍結している。運転手が反応しても停車しきれない可能性が高い。

「あぶない!」

 反射的に体が動いた。女性の手を引いて抱き寄せる。かっこいい男なら、しっかりと決めて「大丈夫か?」と訊いたに違いない。

 が、そうはいかなかった。引き寄せた途端、雪に足をとられて豪快に転んだ。

 女性も巻き添えをくらって俺と一緒に転んだ。同時にトラックは何事もなかったかのように通り過ぎていった。

 もし、女性が渡っていたら、轢かれていたかもしれない。そう考えると、冬だというのに嫌な汗があふれ出た。

 なぜ、女性は渡ろうとしたのだろうか。疑問が浮かんだ時、俺の視界にあるものが飛びこんできた。視覚障害者が手にする(はく)(じょう)だった。

「すみません。あぶないと思ったからつい……俺がしっかりしていたら、こんなことにはならなかったんだろうけど」

 白杖を拾って、女性に握らせる。路面が凍りついているので、立ちあがるのに苦労した。その間、女性は「ごめんなさい」と繰り返し続けた。

 転ばせてしまった俺を(なじ)ることは簡単なのに。こうなると取り繕うしかない。

「今日は厄日ですね。大雪も降るし、転んだし」

 すると女性は「いえ」と小さな声で返すと、俺に顔をむけて続けた。

「今日はいい日ですよ。優しい人に助けてもらいましたから」

 それが俺と彼女の出会いであり、初めて顔を見合わせた時の会話だった。


 その出会いを切っ掛けに、俺と彼女は付き合いはじめた。

 語り合ううちに彼女は十八歳で、俺の二歳年下だとわかった。

 生まれついて全盲という障害を持っていた彼女は、自立するために必死の訓練をしたことを教えてくれた。俺も大学や友達のことを話した。

 話す時は彼女が聞き役、俺が語り役になっているという感じだ。俺が聞かなければ彼女は昔の話もしないし、本心も打ち明けない。

 更に、付き合いはじめて一週間経った頃、彼女が持っている能力に驚かされた。

 俺の心をよみ取っているのだ。といっても、テレパシーという非科学的なものではなく、彼女が生まれもって育ててきた能力のひとつだった。

 人は視覚動物だ。美味しそうだとか、この人とは気が合いそうにないなとか、見て判断することが多い。

 彼女には視覚がない。俺が見るような無駄な情報が彼女には入ってこないのだ。つくり笑いや皮肉も、嘘や嫉妬だとわかってしまう。

 そんな彼女の能力を嫌って離れていく者もいたが、俺は彼女といる時が一番幸せだった。

 俺が悩んでいる時は、誰よりもはやく察知し「私でよければ話を聞くよ」と言う。

 俺が図星をさされて困ると「もう聞かないであげる」と言って笑う。

 今まで出会った中で一番、気持ちを通じ合えた人が彼女だった。彼女は俺の中で大きな存在になっていった。

 何よりも、俺が障害と考えていたことを、彼女は苦ともせずに人生を謳歌していた。

 ある日、彼女はカバンから袋を取り出すと、俺にむかってこう言った。

「ねえ、ちょっと面白い遊びをしようか」

 言って彼女が取り出したのは、果汁入りのアメだった。何の味か、当てっこをしようというのである。

 目を閉じた俺の口の中に、彼女の手でアメが放りこまれる。

 一つ目ははずれ。二つ目もはずれ。簡単だと思っていたゲームが実は難しいことに気づいた。

「普段は色を見て判断しているでしょ。イチゴは赤、レモンは黄色って思っているんじゃない?」

 言われて俺もお返しに彼女の口にアメを入れたら、全問正解だった。これはかなわない。

「くそ、悔しいな。完全敗北だ。けど絶対に勝ってやる」

 そんな俺の発言から、無理なお願いをする時にはアメで決めるという妙なルールが、確立された。

 俺の正解率は五割、彼女の正解率は九割以上。彼女がはずすのは奇抜な味のアメの時だけだ。それでも二度目は確実に当ててしまう。

 買い物の時にはアメのコーナーで思案する俺がいた。

 奇抜な味だけなら勝てる。けれど、探すものは決まっていた。

 彼女はピーチ味が好きなのだ。「桃の香りが好きなんだ。絶対にはずさないよ」そう言って俺に笑いかける。そんな笑顔が欲しくて、俺はピーチ味が入っているアメを必ず選択した。

 ある日、彼女は俺が気にしていなかったことを口走った。彼女は意識していたのだろうが、俺が考えてもいないことだった。

「嘘を言えばいいのに。私は見えていないんだよ。なに味かなんてわからないんだから」

 いつも、彼女が開けた袋を俺が確認して「負けた」「勝った」と報告していた。

 お願いの中には、俺が苦心したものもあった。それでも、二駅先にある有名店のお菓子を買ったことぐらいしか思いつかない。

 確実に勝てるのだから、もっと無理なお願いをすればいいのに。俺はそう考えていた。

「正直者なんだから……けど、そんなあなたが好きだから、一緒にいるんだけどね」

 言われて、彼女がお願いに制限をかけた理由を知った。

 嘘をつけば勝てる。しかし、嘘は俺が嫌う行為のひとつだった。

「勝負をもちかけたのは俺だよ。それに嘘を言うなんて考えもしなかった。だから俺は、これからも嘘はつかないし、遊びも続けよう」

 その時の俺は若かった。ずっと彼女と過ごしていけると思いこんでいたのだ。

 だが、想いは突然に、思いがけない時の中で破られることになった。

 それは、俺が大学卒業を間近にし、国家試験を受けようとしていた矢先。人生の岐路ともいえる重要な時期の頃だった。


 いつものように買ってきたアメを披露する。勝負の正当性をはかるために、俺は味の種類を教えていた。七種類ある中の四種類を教え、ピーチ味と言おうとした時に彼女が言った。

「別れよう」

 俺は動揺した。その時の俺の心境はかなり複雑な状態にあったのだ。

 感情が表に出ていたのかもしれない。しかし、彼女が別れるという結論にまで達した理由がわからなかった。

「なんでだ? 理由を教えてくれ」

 聞いても彼女は首を振って「別れよう」とだけ連呼した。彼女は何かを隠している。

 が、本心を打ち明けない彼女だ。だから俺がとった最終手段は――。

「だったらアメで決めよう。俺が勝ったら理由を話す。いいか?」

 負けた時のことは考えていなかった。アメの袋を彼女に渡すと目を閉じて待つ。

 いつもより彼女は慎重で、俺の目が閉じているか手で触れてきた。アメを選ぶ時間もかかっていた。

「決まった。口開けて」

 言われて口の中に放りこまれた味を確認する。マスカット味に間違いない。俺は自信をもって答えた。

「マスカット味」

 答えた後に彼女が持っている袋を確認するのは俺だ。いつもと同じルール。

 しかし、彼女の手の中にあったのは桃の絵が書かれた袋だった。俺は慌てて、口の中からアメを取り出した。色はピンク。五割の勝率が肝心要のところではずれた。

 瞬間、浮かんだのは最悪の手段だった。嘘をつけば勝てる。

「マスカット味だ。俺の勝ちだよ。なんで別れるなんて言ったんだ?」

 つくり笑いが出そうになった。彼女が心をよめるのは痛いほど知っている。隠さなければいけない。必死の演技だ。ばれないと高を括っていた。

 ところが――。

「違う。入れたのは桃だよ」

 味に確信をもてないはずの彼女が、俺の答えを否定した。わかるわけがないのに。

 嘘だとよまれたのか? 理由を話さなければいけなくなるからか?

 しかし、違った。彼女の叫びが全てを決定づけた。

「桃の香りを、私は間違えない!」

 全盲の彼女が優れているのは、味覚や第六感だけではない。嗅覚もそうだった。

「あなたが嫌いになったの。それでいいでしょ!」

 吐き捨てるように去る彼女を、俺は見送るしかなかった。追いかけることは簡単だったはずだ。それができなかったのは、俺の中に迷いがあったからだ。

 その日の朝、俺は父に「全盲の女と付き合うなら勘当だ」と言われていた。心をよむ能力がある彼女だ。敏感に捉えたに違いない。

 更に、一週間後。

 俺は彼女が引っ越したと聞いた。

 理由は過ごしやすい環境を求めてだった。一生、目は治らないだろうと医者に宣告されたらしい。

 俺が目指していた進路は医者だった。なにも知らない俺は偉そうに「絶対に治してやる」と、彼女の前で息巻いていたのだ。

 自分は彼の重荷になるかもしれない。そう考えた彼女の決断は、嫌われて別れることだったのだろう。

 大学を卒業し、研修生活の傍ら、医師国家試験の勉強をする。

 念願の医者になった時、俺の足は自然と向かっていた。

 優しい嘘の真実を求めて――。


 その日から、七年が経つ。

 買い物に出た時、俺が必ず行く場所はアメのコーナーだ。

 妻も娘も大好きなのは桃の味。そして、いつも二人にこう言われるのだ。

「ねえ、当てっこをしようか」と。

 そして、むかしと同じように俺は妻にはかなわない。

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