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仮題 少女

作者: 冠梨惟人
掲載日:2015/05/06

 電話が鳴った、受話器を上げる。夕香は別れを切り出せずに、ことばをつないだ。ぼくは望んでいることばを告げる。

 「隣にいるのが好きになった人だろ」

 「ほんとなんだ、未来が見えるって。私がいる場所も結果もあの時にはわかっていたんだ」

 「赤い電話ボックスで泣き崩れる姿を見たから別れようと言ったんだ、この先のあなたの姿を見たくなかったから」

 長い沈黙の後、泣き声がした。その場所で、泣かせた。あんなに一緒にいたのに夕香の顔が思い出せない。うろたえる男の声が‥

 「さよなら」

 受話器を置く、黒い受話器に涙が落ち過ぎ去った時が夜にとざされ‥柔らかな黒に包まりにじむ‥

 「おいお前、なにしてる」

 声が、子供の声。

 「お前だよ」

 振り返る、少女が公園の木の柵に座っている。目を惹く可憐な顔を向けて。公園を見渡した。目の前にいる少女以外に人の姿はない。

 「青いシャッ、お前なにやってんださっきからきいてるだろうさっさと答えろ」

 可憐な顔を見つめる。小学校の高学年ぐらい、潤んだちいさな唇を強くうごかすのをはっきり見ても目の前にいる少女が発したと認識するまでに時間がかかった。

 「危ないからこっちにきたらだめだよ」

 目の前の道に下水管を通す深い穴が空いている。通行人が穴に落ちないようにするためにぼくは穴の横に立っている。人通りのない時間に一瞬、 夕香と決別した時間、過ぎ去った時の思いを漂っていたぼくは混乱し正確な応えを応えれない。利発そうな眼差しで瞬き、思いついたように少女が柵から飛び降り、向かってきた。

 「だめだって、危ないから穴に落ちたら死んじゃうよ、ぼくは人が落ちないように見張ってるんだから」

 「お前名前なんていうんだ」

 子供特有の心の芯を捉えるいつわりのない声が真っ直ぐ響く

 「おしえない」

 可憐な顔がきつい表情に変わる。

 「おしえろよ」

 「おしえない」

 軽く意地になった。しばらく睨んでいた、が、少女はあきらめ、帰って行った。作業現場の監督責任者に呼ばれ氷菓子を買ってもどると小学校の低学年が学校から帰ってくる時間になっていた。食べ終わるともっとも神経を使う時間がきた。横の公園に半ズボンやミニスカートの子供たちがあつまってきた。誘導灯を手にして、カバーの外された直径一、五メートルの暗闇のまえで深い息を吐いて立つ。


 「もも早くこいよ、こっちだ、こっち」

 声がした。思ったら少女の姿が、一気に血の気が引く、一輪車に乗った少女が友達らしき少女を引き連れてどんどん近づいてくる。

 「来たらだめだ」

 声を張り上げ威嚇すると一メートルほど手前で出来の良い水彩画の自画像みたいな微笑が崩れる。

 「おしえる気になったか」

 黙っていた。

 「毎日一輪車でくるぞ」

 「健一だよ。多田健一」

 「きこえねーよ。男だろーはっきり言え」

 「多田健一」

 怒った顔をしたのに気にもとめずにうれしそうに勝利を決めたように生まれたてのきもちをことばにする。

 「けんいち、遊びにきてやる。毎日、一輪車でな」

 端正な顔を憎らしいくらいに輝かせ、振り返る。

 「もも帰るぞ」

 ももと呼ばれた少女はしばらくはなにか言いたげにぼくの顔を見つめていたが、もう一度呼ばれると一輪車に跨がり、遠くに見える姿を追いかけた。少女が去り、つかの間唖然とした時間が流れた。


 「警備さんはこれから大変だねー」

 暗闇に反響する幾人かの笑い声が聞こえる。穴を覗く、青白い光が所々で光る。摂氏四十度を越える真夏に機械を溶接して、数メートルの横穴を掘るのに比べたらそんなに大変でもないと心に思い、名も知らぬ少女の意地らし気な強い眼差しを思い描いた。



 「多田君いつもの買ってきて」

 現場監督責任者がお金を渡してくる。氷菓子を買ってもどると、いつものようにももが木の柵に座っている。話しかけてくるわけでもなく、話しかけても笑顔が返ってくることもない。が、隣に座っても逃げることもない。まるで監視しているようにただ見ている。

 「ももちゃん。もう一人の子、あれからこないけど知らないかな」

 ももは表情を変えることなく首を横に振る。

 「あの子、なんて名前なのかな」

 笑顔を強調しても同じ返事しか返ってこないのは分かっていたが身に付いた癖は子供が相手でも発揮しようとする。

 「ゆり。ゆりだ、けんいち」

 突然、おおきな声がしたと思ったら、赤いスカートが柵の上に飛び乗った。

 「穴ふさがってるな」

 突然の登場に驚き、素顔の声で対応していた。

 「塞がってはいないけど鉄の枠がしてあるから、まぁ安全だ」

 「けんいち、バイクできてるよな。あれお前のだろ」

 滑り台の奥にとめてある単車を指差した。

 「あぁ、ぼくのだ」

 「終ったらあれのせろ」

 「だめだ」

 「なんでだよ」

 「あれはひとりしか乗れないバイクなんだ。それにもしあのバイクがふたりで乗れるとしてもメットがない」

 「ウソつくな」

 「うそはついてない」

 はっきりと言った。

 「おれはあれにのってるんだ。兄ちゃんがのせてくれた。メットなんかかぶってない」

 「あれは後に乗せてはいけない決りがある。決りを破れば罰せられる。ぼくは君の兄さんと違って怪我をさせたら君の両親に責任を取らされる」

 「親なんていないんだ。兄ちゃんも死んだ」

 初めて耳にするゆりの少女らしい声は悲しみの色に霞んで消えた。

 「のせろ」

 「だめだ」

 強くいった。

 「なんでだよ」

 「怪我をするといけない。もしかすると死ぬかもしれない」

 「ケガなんかしない。まってるからな。のせろよいいな」

 強く言い放ち背を向けたと思ったら、突然走り出し単車に跨がってうつぶせた。



 空が夕焼け色に変り、公園を覆う緑が黒く輪郭を描くだけの情景になっても降りようとはしなかった。

 「帰るから」

 きつくいった。

 「やくそくしたろ」

 ハンドルを握りしめ、身体にちからを込める。身体を抱え上げ無理やり下ろした。

 「のせろ」

 無視したまま跨がる。

 「のせろ」

 バイクを蹴った。カバーにちいさな足跡がついた。

 「蹴ったって乗せられないものは乗せられないんだ」

 ゆりは唇を噛みしめる。目が潤んで涙が溜まった顔で見つめる。

 「ゆり、メット被れ」

 フルフェースを放り投げた。メットを被った得意げな顔が後に跨がった。タンクトップ越しにちいさな膨らみがあたる。鍵を回した。

 「公園のなかだけだぞ」

 「いいから早くうごかせよ」

 エンジンを唸らせ黒く輪郭となった樹木の間を縫うように走らせた、ゆりの悲しさが楽しさに変わり尽くすまで‥


 「ゆり、帰るから降りろ」

 素直にしたがった。

 「ゆり、またな」

 「うん、またのせてくれる」

 「気が向いたらな」

 不思議な顔をした。すこし走らせたが、公園の見える場所で止って振り返った。まだ見ていた。藍の背景に手を振るうごきがかさなる、背を向け、子砂利の敷かれた緩やかな坂道を走り降りた。前日の天気がうそのように激しい雨。作業が途中で中止になり、帰ろうとしていたとき、傘を差したももが公園のなかに入ってきた。はじめて聞いたももの声を強さを増した雨音が現実から引き離した。ももは淋し気な顔を傘で隠すように消えた。四日後、現場での作業が最終日を迎えた。ももは相変わらずぼくを見にきたが、桃の隣に可憐な顔をした少女はいない。バイクを公園から出そうとしたとき、ももが柵に座って見ていた。


 「さよなら」

 ヘルメットのなかでつぶやき、公園を出た。夕焼けに染まった公園の森に最後に見た顔が浮かんだ。飛ぶ必要を失った鳥が翼を退化させ飛べなくなるように見えていた心が見えなくなった。赤子のように心を探ることを必要とした。霧のなかを手で探るように他人のきもちを探った。あのとき、翼を失ってなければもうすこしは、最後だと知っていたらもうすこしやさしくできたかもしれない。ゆりは転校したらしい、理由は親の仕事の都合と聞かされたらしいことをももが教えてくれた。ゆりは親はいないとぼくにいった。子供は親を選べない‥ゆりの幸福を願い、祈るように目をとじた。

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