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はじまり

          鍵 ―少年のみた胡蝶の夢―



男の人が夢を見ました。


夢の中で、男の人はちょうちょうになっていました。


ちょうちょうになって、楽しく飛び回っていました。


目がさめて、男の人は思いました。


あれは、私がちょうちょうになった夢をみていたのかな?


それとも、今の私がちょうちょうの見ている夢の中の男の人なのかな?





 リョウは、重たいランドセルを前かがみで必死になって背負って、勢いよく歩いて行った。真新しい教科書が中でカタカタとはずむたびに、リョウの小さな両肩を、だれかがグイグイと意地悪く引っ張っているようだ。

 額に汗がにじんで、息が荒くなってくる。歩くリズムに合わせて、スースー、ハッハッと大げさな呼吸をして、息苦しさをごまかしてみる。スースーとハッハッの間に、ときどきかすれる声で、『帰るもんか』という合いの手を入れてみると、これがなかなか良い調子だったので、リョウはこのかけ声をちょっぴり楽しみながら、国道沿いの坂道を下っていった。


 リョウの歩いている方向は、家とは逆の方向だ。学校から帰る途中、友達と別れたあとで、急に思い立って小さな冒険に出ることを決めた。

 歩いているうちに、リョウの心の中に、くやしさがどんどん湧き上がってきた。


「もうだまされるもんか」


 国道を走る車の音にまぎらわせ、リョウは大声でさけんだ。



 今度の土曜日には、仕事で遠くに住んでいるパパが帰ってくるはずだった。パパはもう、何ヶ月も帰ってきていない。


「パパのお仕事はとても忙しいの。お休みも二週間に一日、取れるかどうかなのよ。だからたまのお休みでも、おうちに帰ってくる元気はないでしょう? 分かってあげてね」

 

 ママがそう言うので我慢してきたけれど、やっぱりママと二人っきりは、さびしいし、つまらない。

 最近は、ママも仕事のことばかり。朝、ママが用意していった冷たい夕食を、ひとりで食べる日が、何日もあった。

 リョウのさびしさが爆発しそうになっていた時だった。パパから電話がきたのは。


「リョウ、ようやく何日かお休みが取れることになったよ。

 来週の土曜日に、帰れるからな。日曜日に三人でディズニーランドにでも行くか。久しぶりだから、思いっきり遊ぼうな」


 飛び上がるほどうれしかったのに、そのときリョウはかっこつけて言ってしまった。


 「分かったよ。でも無理しなくていいよ、パパ」


 パパは、リョウの言葉で安心してしまったのかもしれない。月曜になって、急に仕事で帰れなくなったと電話をしてきた。

 受話器を持って頭をかきながら、何度もペコペコやっている姿が見えるほど、パパの弱った声が、ごめんとくり返す。


「もういいよ。しょうがないよ」


 そうは言ったけど、本当はごめんではすまないくらい腹が立っていた。その気持ちは不思議なことに、次の日、また次の日と、どんどんふくらんでいくのだった。

 そして今日、それが爆発したというわけだ。



 今朝ママは、大きな鈴のついた家の鍵をリョウに手渡しながら言った。


「今日はお仕事を早めに終わらせて帰ってくるね。リョウも学童はお休みしてまっすぐ帰ってきなさい。

 今夜はリョウの大好きな特大ハンバーグを作ってあげるからね」


 リョウがショックを受けていることを、ママは気付いていたのだろう。でも、ディズニーランドがハンバーグになったところで、リョウの気持ちがおさまるわけじゃない。しかも、ママの約束なんて、パパよりもっと信用できないんだ。


「リョウの元気スイッチ、オン!」


 ママはリョウのうなじにあるという大きなまるいホクロを、人差し指で軽くタッチした。

 ママがいつもリョウをはげますときにやるしぐさ。でも、今朝はものすごく嫌な感じがして、リョウはママの前で、触られたうなじを大げさにパタパタとはらって見せた。

 ママはきっと、とても悲しい顔になっただろう。でも、リョウは振り向きもせずに、後ろ手でドアを思いっきり閉めてやった。

 ママだけが悪いのではないけれど、そうやって身近な人に気持ちをぶつけなければ、リョウの心はくやしさでパンクしてしまうだろう。

 学校が終わるとその気持ちはまたふくらんできた。ママがニコニコしながらハンバーグを焼いている姿を考えたら、むしょうに腹が立ってきた。



 いつも車で買い物に来るスーパーマーケットが見えてきた。


―― ママは、ぼくがこんな遠くに来ているなんて、思わないだろうな。遅くなって気付いて、あせって近所を探すだろうな ――


 体中がわくわく、ぞわぞわした。

 見慣れたスーパーを越えると、その先には、見たこともない景色が広がっていた。リョウの住んでいる住宅地とは全然違い、道の両側にいちめん、田んぼや畑が広がっている。

 広い畑の真ん中に、古ぼけたセメント工場がぽつんと建っていて、広い海の中に浮かぶ小島のようだ。ほかに近くに建物は見当たらない。

 リョウは急に心細くなった。勢いよく歩いてきた足がどんどん重たくなってくる。ランドセルが倍くらいの重さに増えて、肩にくいこんでくる。

 でもリョウの足は、引き返すことができずに、勝手に前に進んでいってしまうのだ。


―― どうしよう ――


 あれだけ固かった決心も、あっさりとくずれてしまいそうだ。リョウの頭の中はもう、どのタイミングで引き返そうかということでいっぱいになっていた。



 道の先に、小さな公園が見えてきた。

 畑ばかりの中に突然公園があるなんて、いったい誰が遊びにくるのだろう。けれど、リョウにはオアシスに見えた。リョウは駆け出して、勢いよく公園に走りこんだ。

 ホッとして公園のベンチに座ると、ようやく重たいランドセルを置くことができた。


 小さな公園の周りは、きれいに植え込みが整えられていて、夏の草花が遅れてぽつぽつと咲いている。とんぼがすいすいと飛んでいく。もう秋なのに、なぜか茶色いちょうちょうがひらひらとたくさん舞っていた。


 リョウはランドセルの中から、ママに渡された鍵を出してみた。キーホルダーの穴に人差し指を入れてくるくる回すと、大きな鈴がからからと忙しく鳴った。


 からから……かっかっ……からん。


 だんだんと回す指に力が入って、鍵は指の先からすっとんだ。


 ―― 大変だぁ ――


 リョウは慌てて鍵が飛んでいった植え込みの中へ入っていった。もしゃもしゃと枝を伸ばした植木がリョウの体をちくちくと刺す。それでも我慢して必死になって鍵を探した。


 ようやく植え木の向こう側に、光るものを見つけた。

 鍵だった。でも、リョウのものではない。鈴はついていないし、銀色の平べったいリョウの鍵と違って、丸みのある小さな金色で、かわいらしい花の模様が彫ってあるおしゃれなものだった。


「ぼうや、どうもありがとう。さっきこの辺りで落として探していたんだよ」


 振り返ると、いつのまにか後ろに、大きな分厚い本をかかえた真っ白なひげのおじいさんが立っていた。


「それはね、この本の鍵なんじゃ」


 リョウが黙って鍵を差し出すと、おじいさんはそれを受け取って、ベンチに行ってゆっくりと腰かけた。そして、本の表紙についている金色の鍵穴にその鍵を差し込んだ。

 リョウもおじいさんの隣に腰かけて、その本をのぞきこんだ。


「これは、思い出にも残らないような小さな出来事を集めたアルバムなんだよ。開くと本の中に入った気分になるから、ちょっとびっくりするがな。ぼうやもいっしょに見てみるかい?」


 リョウは一瞬怪しげにおじいさんをにらんだ。


(このおじいさん、ぼけちゃっているのかな?)


『リョウ、よくお年寄りがボケちゃったなんて言うけどね、あれはまちがいよ』


 何故だか突然、いとこのジュリちゃんの言っていたことを思い出した。ジュリちゃんは、カイゴなんとかという仕事をしていて、施設でお年寄りのお世話をしている。


『ボケているのは、お年寄りじゃなくて、私たちのほうなの。知らないこと、分からないことがいっぱいあるのに、考えないで生きているのよ。

 でもお年寄りになるといろんなことが分かっちゃう。私たちが見ることができないものが見えて、聞くことができないものが聞こえるの。

 みんなそれを信じたくないから、ボケちゃったなんて言って、お年寄りの言うことをまじめに聞こうとしないのよ』


 あのときはなんだかとても難しくて、全然分からなかったんだけれど、今急にジュリちゃんの言いたかったことが分かったような気がした。

 このおじいさんの言うように、不思議なことが起こるかもしれない。


 リョウはおじいさんに大きくうなずいて見せた。




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