一章-1
第一章~白と灰・変える記憶~
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「ねぇねぇ、二人とも聞いてよ!」
午前中の授業がようやく終わり、開放感の満ちる昼休みの喧騒にも負けないくらいに明るく、快活な声が後方から降ってきた。
「一体どうしたんだ?」
これから昼食を食べようとしていたがのだが、それを中断して後ろに振り向く。
「それがね、また面白そうな都市伝説を仕入れたのよ」
方にまでかかるライトブラウンの髪を揺らし、くりくりとした丸っこい瞳をにこやかに細めて立っていた。
「ピナ、またお前妙な都市伝説を仕入れたのかよ」
意気揚々と都市伝説を話そうとしていたピナとは対極のあきれ返ったかのような声が、今度は前方から漏れ聞こえた。
俺の前の席に座っているサキチは大げさに芝居掛ったかのように大げさに溜息をついていた。
俺も今は気分的に都市伝説とかを聞きたいとは思っていないので、サキチと共闘してどうにかあしらえないかと、一つのアイディアを耳打ちで伝えてみる。
「仕方がないからさ、聞いたふりだけしてあげようよ。そうすればきっとピナも満足してくれるだろうしさ」
「あぁ、そうだな。そうするか」
ここに完璧なる作戦が生み出された。
「ちゃんと聞こえているんだからね!! ハルキ!」
「えっ!? マジで?」
完璧と思われた作戦はあっさりと崩され、打つ手が無くなってしまった。そして、驚きで振り返りピナの姿を捉えてみたら、子どもっぽく頬を膨らませてわかりやすく怒っていた。
「ほらほら怒らないでよ、飴ちゃんあげるから許して」
焦ってブレザーのポケットに触れた時に、何か固いものに触れて、飴玉を一つ入れていた事を思い出したので、これで買収にかかる。
もし、本当にピナの機嫌を損ねでもしたら面倒なことになるからそれだけは避けなくては。
「そんな飴一つで許したりなんかしないんでからね!」
口先ではそう言っているが、掌に乗せていた飴玉はいつの間にか姿を消失しており、もごもごと口を動かしていることから、俺が認識する事も出来ない程の速さで奪い取っていたのだろう。
「おいしぃ」
言葉と共に口元が綻び、怒り顔がいつも通りのあどけなさが少しだけ残る優しい表情に戻っていた。
これで噂話の事も忘れてくれれば最高なんだけどな。
「それでね、噂話の事なんだけど」
「ちっ、まだ覚えていたのか」
小さな舌打ちと共に、サキチがそんな言葉を零していた。
「まぁ、いつもの事なんだし諦めて聞いてあげようよ」
これ以上先延ばしにしようと挑んでみたって徒労で終わりそうだし、どうせいつか聞くことになるだろうから、今聞いてやろうじゃない。
「流石ハルキ、サキチと違って話しがわかるね」
「はは、そりゃどうも」
本当の事を言ったらどうなるのだろうかな。まぁ、世の中には知らない方がいい事もあるから、この事は俺の胸の内だけに秘めておくか。そんなことを思いながら、空笑いを浮かべる。
「それじゃあ、ピナちゃんの噂話のコーナー始まるよっ!!」
こうしていつもの昼休みと同じように、サキチ、ピナ、俺ことハルキの三人で机を囲って昼休みを過ごし始める。
この二人とは高校に入学したその日から仲良くなり、学年が上がってクラス替えがあったのにも幸運なことに同じクラスになり、今ではよく三人で昼を過ごす事が多かった。
「それで、今日はどんな話をするつもりなんだ」
「よくぞ聞いてくれた! 今日のは結構面白いから期待してくれてていいからね」
ニカッと目を細めて明るく笑い、俺たちがどんな反応をしてくれるのか楽しみにしているようだ。
「あんまり期待しないでおくよ。この前のも変な都市伝説だったしな」
笑顔とは対極の仏頂面で不機嫌そうにサキチが弁当を突いている。一見すると機嫌が悪いようにも見えるけれど、ただ単に興味がないから聞く耳などもたないぞ、と態度で示しているだけだからそれほど気にする必要はない。
サキチは都市伝説とか噂話の類はあまり好きではないみたいだけれど、俺の方は多少は興味がある。けれど、ピナの話す噂話とか、都市伝説とかは胡散臭い事が多くてあまり好きではないんだよな。
この前話していた事もなんだったけか? 確か、くらくらだか、ふらふらだか、そんな感じの名前だったと思うんだけど、思い出せない。
「くねくねは結構有名なお話なんだからね!」
あっ、そうそれ。くねくねだったか。確かピナが言うには、それを認識してしまった人は気がおかしくなって狂いだしてしまうんだったかな。
「今日のはそれよりも面白そうな話だから大丈夫だよ」
胸を張って自信満々、といつも態度で示すんだけど、その自信は一体どこから湧いてくるのか聞きたい。てか、俺からしたら俺が一番身近な都市伝説だよ。
「へぇ~」
そんな適当な相槌をしながた弁当を突くサキチ。
「なんとね、今日のはね、人の夢の中に入れるっていう都市伝説なの!」
意気揚々と話し始めたピナ。
そして、その言葉を聞いた瞬間、サキチが動かしていた箸を止め、一蹴するかのように無情な事を告げる。
「そんなことできるわけがないだろうが」
いつも通りと言えばいつも通りのサキチの反応。なのに何だろうこの微妙に何かがずれているみたいな感覚は?
そんなサキチをみてピナは今回こそ信じさせてみせる自信があるのか、含み笑いしながら話を続ける。
「なんと、使うものも身近にあるものでね。それはヘッドフォンと音楽プレイヤー何だって!!」
目を輝かしながら、これって凄くない? と同意を求める視線が送られる。
「そりゃまた随分と身近なモノを使うんだな」
これはピナの自信に次ぐ新たな都市伝説の誕生か?
使うものも身近で、ピナの話しにしては珍しく興味が湧いてきたけれど、サキチの方は相変わらず無関心そうに弁当を突いていた。
「うん、そうなんだよね。で、その二つを使って何かをすると人の夢の中に入れるんだって」
「へぇ」
他人の夢の中を覗くっていうのも面白そうだよな。自分自身の夢でも、なんでこんなのを見たんだろうって思う事もあるし、他の人の夢だったら、それ以上に思いもしない夢を見れるかもしれないな。
「で、その方法ってのは何なんだ?」
敢えてそこを言わないでじらしてきた風にも取れたし、想定がいの使い方を教えてくれるんだろうな。
そして、ピナの事を見つめる。
「…………。」
流れる空白。
いや、まさかそんなことは無いですよね。まだ焦らしているだけですよね。
もう一度ピナを見つめる。
ニコッと笑って口笛を吹きだして、明後日の方を向く。
「終わりかよっ!」
「あはははは」
遂には誤魔化す為に笑いだす始末だった。
こんな具合にオチがない事がほとんどだから、どうしても胡散臭さが拭いきれないんだよな。
「これだけしかわかんなかったの。でも面白そうじゃない?」
きっといつも何処かで聞いた話をたいして調べもしないで、面白そうという理由だけで話しているんだろうな。
「まぁ、確かにあったら面白いとは思うけどな。サキチはどう思う?」
どうせいつも通り「入れたら面白そうだな」なんて適当な事を言って流すんだろうな、と思いつつも訊いていた。
そして返ってくる答え、それは俺が予想していた元のは違っていた。先ほど薄っすらと感じていた違和感を浮き彫りにしたような、いつも通りではない返答。
「夢の中に入ったってロクなことはねぇよ!」
本当の苛立ちが混じった声。
俺は予想外の反応に驚き、ピナは厭な思いをさせてしまったのかと、心配そうな表情を浮かべる。
「……悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ」
食べかけの弁当箱の上に箸を置いて、教室から姿を消した。
俺達二人の間だけに生まれる厭な沈黙。教室の騒がしさから取り残されたかのように寒々しい静寂。
原因は何か、と問われたのなら、ピナの話が原因なのだろうが、あれほどまで機嫌を損ねるような内容には思えなかったし、俺自身は思わなかった。
「サキチ、一体どうしたんだろうな?」
遠く聞こえる喧騒。ぽっかりと取りのこされたかのように。
「私のせい…かな?」
明るい表情は困惑の色に染め上げられ、顔に影を落としていた。
「いや、そんなことはないと思うぞ」
慰める為に言ったのではなくて、本当にそう思ったから。
「ちょっと待っていてくれ」
「あ、うん」
机の上に置いていた一つのモノを手に取って、抜けだしていったサキチの後を追いかける。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ゆるやかに流れていく雲。十月を翌日に控えた秋の空気は夏の暑さもすっかり抜け去っており、乾いた冷たい空気が熱くなっていた頭を、心を冷ましてくれる。
なんで怒鳴っちまったのかな。
押し寄せてくる後悔。その時の風景が頭の中で再生される。
驚いたハルキ、顔色を悪くしていたピナ。そんな二人を見てしまって、怒鳴ってしまった負い目からいたたまれなくなり、周りに誰もいない屋上へと逃げ出していた。
寝そべり見上げる天空。青と白のコントラスト。
握りしめていた拳を開き、その中にあったモノを見つめる。
屋上の鍵。
この学校の卒業生である兄貴から入学祝として受け取ったものだった。そして、そのカギを使って本来なら入れないこの屋上に来ていた。
昔から妙なモノを手に入れるのが得意だった兄貴。
この鍵も一体どこでどうやって手に入れたんだろうな、それに、アレも。
ぼんやりとそんなことを考えていたけれど、今一番気にかかっているのはピナに当たってしまったことだ。
俺がいきなり大きな声を出しただけだと言うのに、あの表情は絶対に自分のせいだと思い込んでしまっているのがわかって申し訳なく思う。
空を見上げながら頭の中を、心を落ち着かせようとする。が、
蘇ってしまった一つの光景。
溶けて消え去ってしまった。
忘れ去ることのできない、それ。
今も昔も、これから先、何年経とうと俺の事を縛り続け、話してくれない記憶。
期限が見えているから焦っているとはいえ、酷い事をしてしまったな。
なんとなく天に向けて腕を伸ばしてみる。
指の隙間から零れる太陽の日差し、眩しさに目を窄めたその時、顔の上に一つの影が落ちてきた。
「随分と開放的なトイレだな」
その影の持ち主、ハルキが俺の事を見降ろしていた。
「あぁ、まぁな」
驚く事もなく、伸ばしたままの腕の先を見つめ続ける。ただ、ぼーっと何も考えることなく。
「お前が都市伝説とか噂話とかそういった類の話しがあんまり好きじゃない事は知っているけどさ、流石にあれはないんじゃないか?」
ゆっくりと俺の書きに座り、校舎にもたれながら何処か遠くの方を見つめているようだった。
やっぱりその事でここに来たのか。俺が逃げ出すような先と言ったらここしないから、場所はすぐにわかるか。それにハルキにはここの合鍵を渡しているしな。
……、
無言、何を話したいいのか思い浮かばなくて、空を仰ぎ続けることしかできないでいた。
唐突に機嫌を悪くして飛び出してきたもんだから、どんな顔をしてピナの前に行けばいいんだろうな。
プシュッ、
その時、隣から缶ジュースを開けた時の炭酸が抜ける音が聞こえ、ハルキがゴクゴクと美味しそうに喉を鳴らしながら飲んでいた。
「俺にもくれよ」
そういえば昼休みの初めに買ってきたジュースをまだ飲んでいないんだった。
「イヤだ。自分で教室に取りに行け」
ぶっきら棒に言い放ってから、また一口飲む。
そっけない態度を取って入るけれど、こいつはこいつで俺の事を按じてくれているんだよな。そして、こんな口実まで作ってくれでさ。
「……ああ、そうだな」
いつまでもこうしているわけにはいかないんだから、折角連れ戻そうとしてくれているんだ。その優しさに甘えさせてもらうか。
決意と共に、立ち上がる。
「あのさ、サキチ」
「ん? なんだ?」
俺がやっと立ち上がったと言うのに、ハルキはまだ座ったまま、焦点のあっていない瞳で秋の乾いた空気を眺めていた。
「一体何があったんだ? お前があそこまで苛立つってことはそれだけの何かがあるんだろ? 俺にできる事なら協力させてくれよ」
その言葉を聞いた瞬間、全てを話してしまおうか、と一瞬悩んだ。誰にも言った事ないこれをい言ってしまえば、背負っているものが幾らか軽くなるような気がして。
けれど、寸前の所で口を噤んだ。
この事を告げても、ハルキにどう仕様もない悩みを植えるだけで、状況が悪くなるだけだと気付いて。
歯がゆさから握りしめる拳、小刻みに震える程、肩に力を込めて。
「昔仲が良かった友達の事を思い出していただけだよ。ほら、ピナが待っているんだろ? さっさと行こうぜ」
余計な気負いをさせないために教える事ができたのはこの僅かな情報だけ。
そして、ハルキは「そうか」と短く受け止めてこれ以上の詮索をしようとせず、立ち上がった。
秋を告げる乾いた涼風、グラウンドから響く喧騒、夏の残像を思わせる太陽の日差しを背に受けながら、教室へと戻る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
屋上から降り、三階にある自分たちの教室前にまで戻ってきた。
一先ずサキチをここにまで連れ戻すことに成功したのはいいが、その中で生まれた新たな問題。屋上にいた時は詳しく訊くのを止めたけれど、あんな神妙そうな顔をで話された内容を「そうか」の一言で片づけられるわけがない。
本当は何かがあるのだろうが、俺に気を使って核心から敢えて離れた事柄を語ったように思えて。だからこそ、深入りしないためにあんな軽い言葉で済ませてしまった。
気にはかかる、けれど今はいつか話してくれるだろう、と思い込んでおくことで納得しよう。それに、目下に迫った問題もあるしな。
「ちゃんと謝れよ」
「ガキじゃないんだから、それくらいはちゃんとできるよ」
「そうかい」
だったら、こんな念押しもする必要はなかったかな。
気にしすぎたな、胸中だけで軽く呟き立てつけの悪い扉をガラガラと鳴らしながら開ける。そして、目的の場所はすぐ目の前。
教室廊下側の列の一番後ろ、そこが俺の席。そして、俺の一つ前の席のサキチの席にはピナが身体を小さくして、椅子の背もたれの方を向きながら紙パックのオレンジジュースを啜っていた。
伏せ目がちだったその双眸が、俺を捉えた瞬間「どうだったの?」と訴えかけてくる。
そして、少し遅れて入ってきたサキチを見つけた瞬間、一瞬だけ安堵の表情を浮かべたが、次の瞬間には罰の悪そうに暗いモノになっていた。だが、それすらも一瞬。すぐさま立ち上がり、サキチの目の前に駆け寄り、そして…、
「ごめんなさいっ!」
突然頭を垂れた。
あまりにも唐突なその行動にサキチだけではなく、俺までも泡を喰らったかのように茫然とその姿を見つめていた。
伝播する空気。
その現象は、俺達だけの間では収まらず、教室内にも広がっていた。騒がしかった喧騒が、一気になりを潜める。
何十人もの人間が居るとは思えない程の静けさ。廊下の彼方から漏れ聞こえてくる騒音がまるで別世界の音のように、遠い。
日差し差し込む教室内の明かりが何故だか妙に白々しく見え、視線が集まってきているのが、肌で感じ取れる。
この教室内に居る誰もが想像していなかった事が起き、それが何だったのか周りが理解し始め、息が漏れるような小さな声が充満し始めた。
鬱陶しい。
小声で何か、ひそひそと話しているつもりのようだが、切り離された静寂の中では大きなものとなって耳に伝う。
興味本位で聞き耳を立てられているのがイヤで、次第に苛立ちがこみ上げてきた。
そして、堪え切れなくなり、声を上げようとしたその瞬間、
「ごめん!」
辺りのざわつきを一蹴するように、大きな声が隣から聞こえ、それの姿を確かめると、ピナと同じように腰を折っているサキチが居た。
サキチの大声に圧倒され、再び生まれた静寂。
しん、と静かで、時間を忘れる程に。
持ち上がる身体、双方が見つめ合う。
そして、いつもの表情へと戻った。
その姿を見て、問題が解決したのだと周りも判断したのか、俺達から興味を失ったかのように、騒がしいいつも通りの昼休みへと戻っていく。
他人の騒ぎが気になると言うのはわかるけれど、いざ自分が当事者の方の立場になるとこうも気分が悪いものなんだな。クラスの皆に悪気があるわけじゃないとわかっていても、それでもわだかまりは消え去ってくれない。
にこやかな表情になっている二人。
本人達の間では解決された出来事なのだから、俺もこれ以上引きずり続けるのは駄目だよな。うん。
そしてその後は厭な雰囲気があった事など、忘れてしまったかのように、いつもみたいにくだらない話しを交えながら、あっという間に昼休みは過ぎ去っていった。