第9話 もう一つの現実
「はあ、はっ、ふう……まいたみたいだな。もう大丈夫だろ」
「お疲れ、冬なのにすごい汗だね。もうちょっと運動を習慣にしたほうがいいかもよ。きみ、ほっそいし」
眼鏡が私の肩を叩きながら話した。
「……一応散歩はしてるんだけどな、歩く範囲が近所過ぎたんかな……」
余裕の笑顔を終始やめない眼鏡が羨ましい。体力をつけるのも希望につながるだろうか。そんなことを考えていると、右腕で抱えていたメリーが私の背中をとん、と叩いてきた。
「紳士、降ろしてちょうだい。ここまで助かったわ、ありがとう」
「ああ、足元気をつけろよ。なんだか空き缶とかガラスの破片とか落ちてるからさ」
私たちは学校近くの廃ビルに来ていた。夜になれば幽霊やヤンキーたちが活発に動き回るスポットとなるのだろうが、昼下がりの今の時間は一般人が寄り付かないし、あえて寄り付きたいとも思わない絶好の隠れ家となっていた。
私はメリーをそっと地面に降ろす。
ふわりと地に足をつけたメリーは、服のしわを直すしぐさの後、眼鏡を見上げた。
「さ、眼鏡さん。魔法を体験する心の準備はできたかしら」
眼鏡は余裕の表情でメリーを見下ろす。
「いいよ。僕はきみの一挙手一投足を観察して、魔法の種を暴いてあげる。もし僕がきみのトリックに気が付いてしまったら……事細かにネットに書き込むから、そこのところはどうぞよろしくね」
そういって眼鏡は携帯電話をメリーに見せつけた。この眼鏡悪魔の目的は一体なんなのだろう。非現実的なものを頑として認めない彼は、なにを思っているのか。
ピロリ、と電子音が鳴った。どうやら眼鏡は携帯で映像を撮影する気らしい。カメラのレンズがメリーを捉えている。
「へぇ、単純紳士と違って素直じゃないのね。わりかし不快だわ、その携帯、奪っておけばよかった。紳士、転移する場所はあなたの家でいいかしら? 和花さんが今頃まちぼうけなの、早く帰ってあげたい」
その提案はうなずかざるを得ないのだが、注意しなければならないことがある。私は眼鏡に声をかけ、ぎこちない説明を始めた。
「今から俺の家に飛ぶけど、絶対に黒髪の女の子にさわらないでくれ。その子は呪いの……呪いを扱う子、そう、呪術師なんだ。それで触れた人間を殺す呪いをいつも身にまとってる。もしその子に触れたら、一週間で死んじまう。だから」
「きみはなにを言っているんだ。殺す? 呪いで? また随分と胡散臭いね。きみの周りにはなんだい、そういうモノが寄ってくるのかい。魔法少女に呪術師……次から次へと、よくアイデアが浮かぶもんだね、尊敬に値するかも。ならなぜ、きみは死んでいない。さっきの口ぶりだと、同じ家に住んでいるんじゃないの? 接触せずに暮らすことなんて可能なのか」
眼鏡の疑問はもっともだ。
私が生きているせいで、和花が持つ呪いの真実味が薄れてしまっている。
「……俺には効かなかったんだ。彼女の呪いが……だから一緒に暮らしてる」
「なるほど。うん、つまり、きみの大事な人というわけだ。心配しないでいいし、呪いとか言って脅かさなくていい。僕にも大事な人がいる。他人のモノに手を出したりはしないよ」
「……ああもうそれでいいさ。とにかく触れないようにしてくれりゃいい」
眼鏡くらいのルックスなら、そういう人がいてもおかしくないとは思うが、実際に言われると、ちょっとした劣等感をいだいてしまう。和花は、私にとってなんなのだろうか。そして、死へいざなう同居人である和花は、私をどういうモノとして認識しているのだろう。
「じゃ、行くわよ。手えだしなさい、紳士、眼鏡さん」
私と眼鏡はメリーの手を握った。いつもの飛ぶ感覚が来るのを待つ。
私がまばたきを終えると、すでに辺りは苔に覆われた灰色の壁でもなく、ゴミが散乱している床でもなくなっていた。住み慣れた我が家である。例のごとく靴は玄関に飛んでいた。
さあ、メリーの転移は上手くいった。これで眼鏡も信じるだろう。
「おかえりなさい、メリーさん、お兄様。……どうしたんです? 二人とも、固まって」
赤い着物を着た和花が不思議そうにこちらを見ている。私が出かけていたうちにメリーがクリーニング店から着物を回収してくれたようだ。やはり和花は着物がよく似合う。いや、ちょっと待て、DSを片手に、和花は何と言った。やっぱり、そうなのか。
「和花……いまなんて?」
「え、その、お二人とも、固まってどうしたのかなあと」
「だよな、すまん。それとただいま」
二人? そんなはずはない。もう一人、厄介なのを連れ込んだはずだ。
「……うそ。あの感覚……全く受け付けなかった……」
メリーは呆然と独り言をつぶやいている。私の家に来ているはずの眼鏡が、彼の姿がどこにも見えない。なぜだろう。メリーが失敗した? いや、魔法が単純に失敗したのなら、私とメリーもあの場に残るはずではないだろうか。となると、
「眼鏡自身に原因があるのか、これは」
私はメリーに尋ねる。
「おそらく、ね。私の力が全く、彼には届かなかったわ。不気味なくらい……見事に無効化されたわね。もしかしたら、彼は本当に本気で完全かつ完璧に、〝非現実を否定〟しているのかも。超能力者の紳士なら、この意味、多少はわかるかしらね?」
「ああ、そういうことか。それなら教えてもらったことがある」
完全な非現実否定。
それは、超能力や不思議なことの天敵である、と私は師匠から聞いたことがあった。師匠とは、私が子供の頃に師事していた超能力の師匠である。師匠から受けた授業の内容を一部思い出し、反芻する。
普通の人間ならば、自由に空を飛べれば、とか透明人間になれたらと、自らに凄い能力があれば便利だと一度でも、かすかでも思ったり願ったりするはずだ。能力だけではない。幽霊が本当にいるか、動く人形の存在は確かか、UMAやツチノコは実在するのか〝世界に不思議なことはあるのか〟と意識したり、考えたりするはずだ。そして、そこにある意味つけ込むことで、不思議や超能力というものは人間に影響を与える、と師匠は仮定していた。
言うなれば――、
心のうちに、そういった不思議や能力への熱烈な願望がある人間が、
世間に根付く〝現実を完全に否定〟し――精神に根付く〝非現実を完全に肯定〟したとき、
常識を超えた能力――つまり、〝超能力〟を会得し発現することができるのだ。
そういって、師匠は教えを説きながら空を飛んだり、透明人間になったりしていた。
なら、その逆に
〝非現実を完全かつ完膚なきまでに否定〟して
〝現実を揺るぎなく完全に肯定〟する、普通じゃない人間がいたら、
きっとその異質な人間に対して超能力を行使することはできない。
どんな空想も、幻想も、その人間の現実に打ち消される。
そして師匠はその授業の終わりにこう言った。『もしそんな人間に襲われたら、仙人である私でさえ、そこらにいる人間となにも変わらなくなってしまう』と。
「仙人でも無理なら、都市伝説でも無理ってことか。ひとりで残された眼鏡がサイトに書き込まないといいけど……って言っても、もう遅いだろうな」
メリーの位置情報を即効リークした眼鏡が書き込んでいないわけがないだろう。あきらめるほか、なさそうだ。
「でしょうね。はあ、しょうがないわね。太刀打ちできないんじゃあがくだけ無駄だわ。和花さん、ゲームやりましょ、今すごくストレス解消したい気分なの……本気で行くわよ。見せてあげるわ、一時期小銭があるたびにゲーセンに通い詰めていた私の腕前……」
メリーは畳に座り、両手に赤いPSPを出現させた。
「わかりました。それなら、私も本気で行かさしてもらいます。ふふ、メリーさんに教えてもらった地獄コンボ……お見舞いしてあげますから」
メリーに相対するは白いPSPを持ち正座している和花。地獄コンボとは一体……。メリーと和花の間に飛び交う殺気は今からゲームなどではなく、人形同士の戦闘が始まるのではないかと疑うほどの迫力だ。私は気圧されながら、場に合わせ真剣な声色で尋ねる。
「あのさ……ふたりとも、買い物行くけどパジャマ……どういうのが……いい?」
「わたし……もしお願いできたらワイシャツ……着てみたい……です」
「私は……そうね、ネグリジェってわかるかしら……ワンピースタイプの」
ふたりとも私につられて重々しく話してくれたが、会話内容と声色の不一致加減が恐ろしいことになってしまった。
激しい仮想空間でのバトルを繰り広げているメリーと和花に留守番をしてもらい、私はいつものショッピングモールに買い物に出かけた。大学に戻る気はない。一度逃げた以上、今日はもう行かないと決めた。身に沁みついた休講貴族精神は、簡単には朽ちないのだ。学期末が恐ろしいが、まあ、それはツケなので、払うべき代償として受け止めよう。
私はまずショッピングモールの洋服店へと足を運んだ。
男一人で女物のコーナーに入るのはためらいがあるが、仕方ない。
ええい、突入! こう、可愛いのを選べばよいのだろう! すぐ終わる、すぐ終わる。
ちょっと……なんでこんなに種類豊富なのだ。ネグリジェ……色とか素材とか多い……。
しばらく吟味しているのに……なぜだろう……店員が変な視線で見てこないのは。
二十歳の男が女物を見ているのですよ? 変でしょう? あ、不味い、目があった。
うわ、近づいてこなくていいです、いいです、大丈夫です。一人で出来ます、大学生です。
来た来た来た来た――っ! 店員のお姉さん超営業スマイル!
うわ、逮捕かな、これは。
……いや、新作のワンピースとか勧められても困るのだが……。
私はあたふたしながら、女の子にプレゼントするためのパジャマを買いに来たと、近づいてきた店員さんに告げる。すると親切な店員さんのめくるめくオススメ商品ガイドが始まり、私はそこから和花とメリーに似合いそうなものを選んだ。
パジャマを買った後、食料品を必要な分だけ仕入れ、ショッピングモールから双葉荘に戻ってきた私は玄関のドアを開けた途端に、手に持っていた荷物をすべて落とした。
グシャ、と断末魔をあげて卵が開封前にお亡くなりになった。
Q.なぜ私が突然荷物を落としたか?
A.部屋の真ん中で眼鏡が体を細い縄でぐるぐる巻きにされていたからである。
「どうして……俺が出かけてた間に何が起きたんだよ」
和花が私の傍に来て、一円玉ほどの丸く平べったい小さな機械を手渡してきた。機械の中心で赤いランプがちかちかと明滅している。
「あの眼鏡の方によると、〝はっしんき〟だとか。これを使って、ここを調べたらしいです」
「……ああ。なるほど、あの時か」
廃墟に着いてすぐ、眼鏡は私の肩を叩いた。あれには発信機を取り付けるという目的があったのだろう。そして転移先を突き止めた眼鏡は私の家に不法侵入し、メリーに拘束され、今に至るといったところか。
「まあ、金目のものなんてゲーム機ぐらいだし侵入されてもかまわんのだけど……それより、この発信機ってどこで買ったんだ? 普通の大学生が手軽に使えるものじゃないだろ、こんなの」
私はあぐらの姿勢で縄に巻かれている眼鏡の鼻先に発信機をちらつかせる。
「はん。僕が買うわけがないだろう。自分で作ったんだよ。これくらいパパッと製作できる技術がなくちゃ、武鎧重工にも、ヨーゼフ・ファクトリーにも就職できないじゃないか」
「ぶがい? よーぜふ?」
和花が眼鏡の言葉に疑問を示した。眼鏡がレンズの奥の目を細めて、
「なんだ、この二社を知らないなんて一体どんな育ち方をしてきたんだい? 両方とも、技術畑の最高峰だというのに。たとえばね、武鎧重工は先日防衛用アンドロイド試作型の稼働テストに成功したし、ヨーゼフ・ファクトリーの介護ロボは全国の介護施設にかかせない存在なんだよ。これくらいは理解しておいた方がいいよ」
「わあ、そうなんですか! ロボとかアンドロイドとかって物語の中だけのものかと思っていましたけど、今じゃ現実にありえてるんですねえ。未来ですねえ、すごいですねえ」
どうやら眼鏡の話がハイテク好きである和花の琴線に触れたらしい。ずずいと眼鏡のそばに近づき、話を聞きたそうにうずうずしている。そんな和花にほだされたのか、眼鏡の表情が柔らかくなった。
「そうだよ。人間は科学をもって、物語を現実にしたんだ。だから、僕は現実を信じる。いつか、僕の夢のためにも、現実には追いついてもらわなくちゃ困るしね。現実の発展を進めないと僕は、ずっとひとりだ」
「……よくわからんが、まあいい。俺とメリーのこと、もうサイトに書いたか?」
「書いてないよ。きみたちがステルス迷彩と加速装置を使ったせいで、僕はそれに追いつく必要に迫られたんだ。発信機のもとまで急いで走ったら、ふんじばられてこのザマさ。携帯をいじる間もなかった……」
結局眼鏡はメリーの魔法を信じないわけだ。それなら、
「なあ眼鏡」
「なんだい?」
「……ステルス迷彩と加速装置であってるよ、それが解答だ、瞬間移動現象の。この前はステルス迷彩を起動させてから、反重力装置を使って犯人の頭上まで飛んだんだ。そのまま助けられれば良かったんだが、すぐにバッテリーが切れてな、あのザマだ」
「……なるほどね。それなら納得がいく……どこで手に入れたんだい?」
「ちょっとした、科学的ツテがあるのさ……これ以上は教えられないな」
「たしかに……反重力装置を渡してくれる機関は詮索を嫌いそうだな」
眼鏡はなるほどと何度もつぶやいて、得心がいったという顔になった。やはり、眼鏡の信じる現実において〝機械〟や〝装置〟などは〝ありえるもの〟という認識のようだ。双葉荘に住んでいる大学生がステルス迷彩なんて所持しているわけがないということ、ちょっと考えればわかるだろうに。このズレ加減、こいつも非現実否定人間じゃなかったなら超能力者になれたかもしれない。ある意味、非現実の無効化という能力を持っているとも言えるけれども。
私が考え込んでいると、眼鏡が話しかけてきた。
「なあ、このロープ、そろそろほどいてもらっていいかな。解答も得られたし、僕はもうきみたちに危害は加えないよ。約束する」
「ああ、そうだな。メリー、ほどいてやってくれ」
こんなに上手くいくと逆に不安だが、早く帰ってもらうことにこしたことはない。
「……わかったわ。はい、これで動けるでしょ」
メリーが縄を消した。眼鏡が解放された両手をぷらぷらと振って、立ち上がる。
「あー、腕が痛い……まったく金髪ちゃんの鞄を探ろうとしただけでこんな目に合うとは」
「へぇ……し・た・だ・け?……もう一度縛られたいのかしら。いいわよー、リクエストにお応えしてアンコール、やってあげるわね」
再びメリーの手元に現れた縄。先ほどのロープではではなく、荒縄なので、肌をこする痛さが何倍にもなっている。メリーは持ち前の怪力を発揮し、自分よりも背がだいぶ高い眼鏡を畳に押さえつけ、ぎりぎりと荒縄を巻きつけていく。一つ縛り終わったら、また一つと瞬く間に眼鏡が行動不能になる。
「やめ、やめっ、て、いたたたたた!」
両手両足をぎっちりと縛られ、眼鏡が畳の上でもんどりをうっている。
「もうしわけない! もうしない、しませんから、ほどいてよ!」
「そうね……次やったら、かなり致命的なところをキュッ、ってするから覚悟しときなさい」
メリーが都市伝説に名前負けすることのないドスを聞かせた声で眼鏡に忠告すると、その直後に縄が消えた。どうやら勘弁してやったようだ。
「ふう、やれやれ、捕縛用の道具も持っているなんて……あれ?」
身体の自由を得た眼鏡は、胡坐をかき、和花の方を見て、
「きみ、髪の毛に埃がついてる、ほら」
和花の髪から、埃を取ろうとした。
「おまっ! 和花に触るなっ! 馬鹿!」
私が叫んだのも遅く、眼鏡の手は和花の髪にふれてしまっていた。呪い、触った人間を殺す呪いが眼鏡の身体に入り込んでいく。私は眼鏡の腕をとっさにつかんだ。
その私の腕を和花がそっとつかんでくる。
「慌てないで、お兄様、大丈夫、平気です。わたしの呪詛はこの方を侵していませんよ……すべて、この方の身体に入り込む刹那、打ち消されました」
「……そうか。すまん、眼鏡」
私は眼鏡の腕を放す。死の呪いすらも無きものにするほどなのか、この眼鏡の力は。
「いいや、約束を破って悪かったね。そうとう大事に思っているようだ、この子のこと。ちょっと妬けるよ、僕の大事な人は、遠いところにいるから」
そういうと眼鏡は立ち上がり、メリーの傍に行く。
「今日は世話になったね、ドS魔法少女さん。いつか本当に魔法少女になれるといいね」
「また減らず口を……私は本当に魔法少女よ。ほら、こういうこともできるの」
メリーは壁際におかれた眼鏡のリュックをさわると、リュックだけを消した。
「鞄を探られる乙女の気持ちを知るがいいのよ! 駄眼鏡!」
残されたリュックの中身は、畳の上に広がる。
リュックの中に入っていたのは、よくわからない機械の群れ。何の装置なのか一見しただけでは判断できない機械の群れは、それぞれすべて太かったり細かったりする黒や赤のコードで連結されており、それらのコード群は一つの装置に集束していた。
その装置とは、『DS』。一般に広く普及している携帯用ゲーム機である。しかし、その原型はとどめてはいない。まるで集中治療室で安静を余儀なくされている患者のように、本体のあちこちにコードがつながっている。
「これは……なんだ?」私は装置に近づき、素直な疑問を口にした。
眼鏡が私の隣に立ち、
「端的に言えば、僕の大事な人の……世界を形作るもの。その一部、だね」
機械の正体と同じくらいに、よくわからない言葉を発した。世界を形作る。
「駄眼鏡、どういうことかしら? このごちゃごちゃしたゲーム機が世界って」
メリーが眼鏡に尋ねる。
「そうだね。全部説明するのは面倒だから、実際に見せてあげるよ。電源を点けてごらん」
メリーが眼鏡のDSを手に取り、電源を入れ畳の上に腰を下ろした。部屋にいた全員がメリーの近くに座る。
「……? いつもの画面が出ないわよ? ずっと暗いままだわ。もしかして私がリュックからだしたから壊れてしまったのかしら……」
自分から意地悪を画策したくせに反省が早いメリーである。語気がしぼんだメリーの隣に座る眼鏡が笑う。
「はは、しょげないで。あれくらいで壊れるものをリュックにいれたりするわけないでしょ。すこし待って、ロードに時間がかかってるだけだから」
眼鏡の言葉通り、画面が次第に明るくなってきて、現実と遜色ない街並みの風景が映し出された。太陽の暖かさや、風の具合までこっちに伝わってくるようだ。
「これ携帯ゲームってレベルじゃないぞ。まるで実写だ、すげえな」
私は感嘆の声を漏らした。眼鏡は得意げに笑う。
「ふふ、そうだろ。なかなか苦労したんだ。あ、金髪ちゃん」
「眼鏡、私はメリーよ」
「駄眼鏡から昇格ありがとう、メリーさん。そこのボタンを押して、メニューを出したら、携帯電話のアイコンを選んで、工藤茉子っていう人に電話をかけてみて」
メリーが眼鏡の指示通りに操作をする。三回ほどコールが鳴り、工藤さんが出た。工藤さんの声はスピーカーから鮮明に聞こえてくる。
『海尋くん、どうしたの? なにか用なのかな』
「用事というより、そうだね。茉子を紹介したいんだ、ちょっと僕のところまでこれるかな」
『そっかぁ……うん、わかった。はは、すこし緊張するなあ。じゃあ、ちょっと待ってね』
電話が切れると画面が暗転し、now loadingという文字が画面の右下に表示された。
暗転が晴れて、街並みが戻ると快活そうな少女がこちらにむけて手を振っていた。
「見えますかー? 海尋くん、よくわからないから制服着てきたけど大丈夫だった? 正装がいいかなあと思ってね」
セーラー服を着た工藤さんが照れた様子で笑顔を浮かべた。栗色の肩先まで伸びた髪がほんわりとした印象。イラスト的可愛さと、写実的な可愛さがミックスされた美人さんである。
「大丈夫、ばっちりだよ。今日も似合ってる。紹介するよ、彼女は工藤茉子。僕が作り上げたゲーム、『I-dea』におけるヒロインであり、僕の大事な人だ」
「いやー、大事な人とか照れるなあ、あはは」
突如始まった惚気大会に私とメリーの動きが完全に制止した。一人だけ無邪気に笑い、惚気をもろともしなかった和花が意気揚々と眼鏡に話しかける。
「あのあの、海尋さん、ゲームなのになんで工藤さんと話せるんですか?」
「いい質問だね。和花さん、だったかな。人工知能ってわかるかい。僕が設計した人格と、不確定の要素をないまぜにしたプログラムが茉子の意思、自我を生んだんだ。
彼女こそが、僕が作り出した現実、そして彼女の住む『I-dea』は現実と同期して彼女の生活をサポートする。この仕組みによって、茉子はあっちの世界で僕らと同じように生きることができるんだ。どうこの世界を作ったかは企業秘密だから教えられないけどね」
「うむむ、り、理解が追いつきませんです……」
「駄眼鏡、話が長いわ」
「人工知能くらいしかわからなかったぞ」
私を含めた三人が頭を抱えていると、工藤さんが、
「えっとね、海尋くんの話を大胆に要約すると、つまり、あたしはゲームの中にいる以外は殆どそっちの人間と変わらないってことかな。ちゃんと食べ物も食べるし、勉強もするし、睡眠もとる。家族だっているし、友達もいるんだ」
明るく話す工藤さんは幸せそうだ。なんだか海尋は物凄いものを制作したのではないだろうか。天才、というやつなのかもしれない。これはすでにゲームというよりも。
「そいでね、このハードの電源が切られてても、それはそっちからこっちが見えないだけで、この世界は活動してるんだよ。窓みたいなものなんだって、これ。海尋くんの家にあるホストコンピュータの中にあたしの住むこの世界があって……うー、ごちゃごちゃ言っちゃったけどね、いわば、もう一つの現実世界の住人、それがあたしってわけなのです。うーん、伝わったかなあ」
はきはきと説明した工藤さんが、私が思ったことを述べてくれた。
そう、これはたしかにもうひとつの世界だ。ゲーム機という媒体を介してはいるが、そのなかで人が生きて暮らしている。私は工藤さんにお礼を言って、眼鏡の方を向いた。
「もしかして、現実を発展させるっていうのは……工藤さんをこっちに持ってくる的なことなのか? そのために現代の技術を進化させたい、とか」
私がそう言うと、眼鏡が驚いたような反応をして、にやりと笑った。
「そう、ほぼその通りだよ。見てわかるとおり、僕と茉子の間には液晶モニタという乗り越えられない壁があるし、このままでは次元すらも違う。まあ、家に帰れば立体映像を映し出すこともできるけど、僕は立体映像では納得ができない。だから僕は武鎧重工か、ヨーゼフ・ファクトリーに就職してアンドロイドやロボットの技術を盗むつもりでいる。そして、今は『I-dea(もう一つの現実)』で生きている茉子(大事な人)を現実に実体として顕現させることが、僕の人生の夢なんだ」
熱く語る海尋は一息ついて、
「だけど、あの二社には非現実的な噂がある。高い技術と内部を非公開にする機密性のせいなのか、都市伝説の温床になってるんだ。たとえば、惨たらしい人体実験をしてバケモノを作っているとか、人体に感染するコンピューターウイルスを制作してばら撒こうとしているとか、幹部の中に超能力者がいる……とか二社のどちらかなのか曖昧な噂がたくさんね」
技術最高峰の企業にまつわる都市伝説。これはオカルトというよりも裏社会系の話だ。そのせいだろうか。オカルト系都市伝説であるメリーや呪いの人形である和花は、海尋の話す都市伝説について詳しく知らないようで、ふたりして首をかしげていた。
「技術は欲しいが、僕は非現実的なことをしている会社に就職したくはない。だから、サイトを運営して、あらゆる情報を集め、より信頼できるほうの会社を選ぶことにした。今回は……きみらをネタにしたら、超能力者を抱えているって噂について集まりそうだと思って行動してしまったんだ。迷惑をかけて、ごめん」
話を終えた海尋は、私とメリーに深く頭を下げた。
「あたしからも、ごめんなさい。海尋くんはときどき暴走してしまうからな……あたしがそっちに行けたら、ひっぱたいてでも止めるんだけど」
海尋の私たちへの執着は、工藤さんを現実化するために確実な道を進むためにとった行動だったのか。大事な人のために、悪いことでもする、か。それもひとつの希望かもしれない。なにかのために、自分を働かせる原動力。それが、海尋にとっては工藤さんなのだろう。
「いいさ、俺は全然気にしてないし、実際、サイトにも書いてないんだろ? だったら、実害はゼロだ。海尋が気に病むことも、ないと思うぜ」
なんだろう。モノを愛す私と、データを愛す海尋。なんだか親近感のようなものがわいてきているのかもしれない。だからか、会って間もないというのに、自然に好意を向けてしまう自分がいた。相手が、人間だというのに。
「メリーもいいだろ?」
私はメリーに確認を取る。数秒後、難しい顔をしたメリーが口を開いた。
「……まあ、穏和紳士の家に住めてるし……これ以上怒る理由もないわね」
「二人とも、ありがとう。きみらはこんな変人にからまれて迷惑だったろうけど、僕は結構楽しかったよ。良い話し相手にも出会えたしね、あんなに興味津々な目をされると、話してるこっちが楽しくなってくるよ」
眼鏡は和花の方を見て微笑んだ。その微笑みはホストクラブのナンバー1と紹介されてもすんなり受け入れてしまうほどのもので、和花は顔を赤くして、
「き、恐縮です……」
着物の袖で顔を覆った。海尋の美形オーラにやられているのだろうか。まさか、このまま、わたしイケメンのところにお嫁に行くのが夢だったんですとかいう展開に……。
「はしゃいですみませんでした。あんなに、はいてくに興奮してしまうとは」
そういうことか。私はにわかに安堵した。
「暇なとき来て話してやってくれよ。和花も喜ぶだろうし」
「あ、あの、よろしかったら、ぜひぜひ聞きたいです!」
「そうかい? わかった。次に来るまでになにを話すか考えておくよ。さあ、茉子、帰ろう」
海尋がメリーの手に収まっている世界に声をかける。メリーはDSと、消していたリュックを出現させて一緒に渡した。
「メリーさん、きみのおかげで丸く収まったよ。まさかあそこでリュックの中身を出すとは思わなかった、ありがとう」
「あたしも、みんなに会えて面白かったよ。実は初めてだしね、海尋くん以外のそちら側の人間と話すのは……だからありがとう」
海尋と工藤さんはメリーに立て続けにお礼を言った。その途端にメリーの顔は赤くなり、
「べ、別に、私はあなたに仕返ししようとしただけだし。お礼を言われる理由がないわ」
早口で答えたメリーは、そそくさと海尋から離れて私の後ろに座った。お礼くらい、素直に受け取ればいいのに。律儀というか、意地っ張りというか……。