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ねじまげメガロマニア  作者: 草津 辰
第1章 死を望む「私」と、死を運ぶ「人形」
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第6話  3色のマグカップ

 



 目に飛び込んできたのは白い天井。鼻をくすぐるのは薬品類や清潔さの神経質な匂い。窓の外はオレンジ色の空。私はどうやらベッドに寝かされているらしい。

「……病院直行コースだったのか」

「ああ、よかった、ちゃんと生きてた」

 私の横には番頭さんが座っていた。頬に湿布をつけていること以外は普段通りだった。

「怪我、してますね」

「ん、こんなもん、どうってことねぇよ。それより、あんたは大丈夫かい。驚いたよ、空から落ちてくるなんてさ」

 正確には落とされたのだがメリーの能力を勝手にひけらかすのは良くない気がしたので言及を避ける。

「はは……体は大丈夫っぽいです。ってか俺も驚きましたよ、番頭さん同じ大学だったんすね。もっと年上かと」

 私は上半身を起こしながら言った。

「ったくナチュラルに失礼な奴……ふふ。三年だよ、経営学部の」

「へぇ。なんからしい、っすね。メガネかけて表計算とかきっと似合いますよ」

「あはは、まだムリ。パソコンは目下勉強中なんだ。でも野望のために頑張るつもり」

 野望。希望と似た響きの言葉だからか。それが何なのか気になった。

「番頭さんの野望って、なんです?」

「へへ、華の湯を超すげえスーパー銭湯にすること! だから経営学を学びまくるんだ。じいちゃんに楽させてやりたいし、アタシは早く立派にならねーと。それとな」

 番頭さんは細くて長い指を口に当てた。言葉に詰まったときの番頭さんの癖だ。それを見るたび同じ癖を持っていた可憐な女の子を思い出す。昔の話なのだが。

「アタシがそーやって野望を追えるのはさ、あんたのおかげ。あんたが助けてくれなかったら、じいちゃんを独りにしちまう所だった。駄目だね、頭に血が上りやすい女ってさ」

 それから私は番頭さんに事件の経緯を聞いた。

 どうやら変質者は外部の人間だったらしい。はたから見て明らかに挙動不審な変質者がとある女子にからんでいたのを見つけた番頭さんは最初、怪しいと感じつつも恋人同士かと思い声をかけなかった。しかし、変質者が女子に手を出した時点で番頭さんのスイッチがオンになってしまったのだ。本能で行動するのが熱血系女子である番頭さん。走って接近し、変質者のケツを思いっ切り蹴り上げたらしい。

 そうして怯える女の子をなんとか逃がしたのは良かったものの、代わりに番頭さんが変質者に殴られ捕らえられてしまった。厄介なことに変質者はナイフを所持していて逃げるに逃げられず、これは殺されるかもと大人しくしているうちに警察がわらわらやってきて番頭さんと変質者を取り囲んだ。

 以上が、私が知らなかった事件の流れ。

 ふう、と番頭さんはため息をついた。

「あと少しあんたが来るの遅かったら、あの野郎と心中されちまうとこだったんだよ。耳元でさ、何度も何度も。お前を殺して、俺も死ぬ、お前を殺して、俺も死ぬ……って。まださ、あの声が耳から離れていかねぇんだ」

 番頭さんは目をつむって両耳を手でふさいだ。いつもはその細い体より大きく見える番頭さんが、とてもとても小さく見えた。震える肩はひどく頼りない。

「お兄さんは起きたか?」

 病室に入ってきたのは、じいちゃんだ。おでこに絆創膏を貼っている。人ごみに駆けこんだときに怪我をしたのだろう。

「うん、起きてくれた。じいちゃんは怪我平気なのか?」

 先ほどの震えが嘘のようにパッと明るい笑顔になる番頭さん。

「こんなの怪我に入らんよ。お兄さん、本当にありがとうな、おかげで孫を失わずにすんだ」

 深々としたお辞儀をされてしまった。

「いや、そんな、頭を上げてください」

 本当にお礼を言われるべきなのは、私ではなく金髪の魔法少女なのだ。あいつが居なければ、番頭さんを助けることは不可能だった。メリーはどこにいったのだろう。

「番頭さん、金髪の小さい女の子、見ませんでしたか。ゴテゴテした服を着てる」

「ああ、その子なら」

「私はここよ、紳士」

 病室に金髪ポニーテールのゴスロリちびっ子が堂々と闖入してきた。

「ちょっと警察に捕まってたのよ。賞状とか何とか言ってたけれど面倒だから断ってきたわ」

 私の傍まで来たメリーは少し疲れた顔をしている。

「アンタが紳士ねぇ……いいとこ庭師じゃねぇの」

「辛辣!」

「へっ、人をうんと年上に見立ててた野郎が言えるセリフかっての。……この子、昨日ウチに来たんだけどな、まさか命の恩人になるとは思わなかったぜ」

 番頭さんはメリーの頭をやさしくなでる。メリーはその手を受け入れている様子だ。なんというかまるで飼い猫のように懐いているような感じ。表情も柔らかい。

「メリーちゃんたらすげぇんだぞ。あの大男がアンタにビビってる瞬間に、首をトンと一発。手刀でKOしたらしいんだ」

「ふふ、淑女のたしなみとして習得していた護身術が役に立ったわ」

 かの都市伝説様は武道も嗜んでいらしたのか……なんて私が素直に思うはずがない。おそらく手刀だけでなく超常的な力で気絶させたんだろうが、余計なことを言ったら即刻殺すよ、という目つきでメリーが私を見ているので、へえー! と小市民的なリアクションを返すだけにとどめた。するとメリーが、番頭さんが見てない隙に邪悪な笑みを浮かべたので、どうやら私は正しい選択をしたらしい。

「とにかく、今日は二人とも本当にありがとう。些細なお礼になっちまうけど、ウチ来たとき色々サービスするよ。他にもなんかあったらなんでも言ってくれな。アタシ、もうすぐ事情聴取だかなんだかで警察のとこ行かなきゃなんだ」

 メリーの頭をぽんぽんと軽くたたきながら番頭さんは話した。その声はトーンが低く、私の不安をかき立てた。私の網膜には番頭さんが見せた震えがまだ焼き付いていたのだ。

「えっと、番頭さん」

「ん? どしたっ」

「……また夜に伺いますね」

 ここで何も気の利いた言葉が浮かばないから私は駄目なのだということを痛感する。

「おうよ。メリーちゃんも良かったら来てくれな」

「ええ、ありがとう」

 そして番頭さんとじいちゃんは病室から出て行った。

 残ったのは私とメリーだけ。無言の室内に空調の音がやけに大きく響いている。

 そんな中、先に口を開いたのはメリーだった。

「ねぇ、報酬のこと、覚えてる?」

 私が空を舞う直前にメリーが言っていたおかしな報酬。私の家に無期限滞在。

「ウチに住むってやつか。なんで俺なんかと暮らすのが報酬になるんだ」

 率直な疑問をぶつけてみる。するとなぜかメリーの頬はほのかに赤く染まった。何故。

「突飛な質問ね、私はあなたと暮らしたいと言ったわけではないのよ。ただ……そう、落ち着ける場所が欲しいの、今回のほとぼりが安全な程度に冷めるまで」

「キミ、家とか拠点みたいなの、ないのか」

「ないわ、根無し草よ。夜のうちは限りなく自由と言っていいほど好きに行動できるからそれで工夫して生活してきたの。助けるためとはいえ、今回は野次馬が多かったのがちょっとね。存在レベルが上昇したかもしれないの」

 存在レベル? メリーはときどき自分の言語で喋るから私の理解が追いつかない。

「ぜんぜん意味わからないって顔ね。あの衆人環視の中、常識人だけがあの場にいたとは限らないのよ。たとえば紳士の写真がネットにアップされていることもあるかもしれないわ。〝怪奇、空飛ぶ男!〟とか銘打たれてね。今頃あなたが世界中に情報として無限に増殖しているかも」

 ぞっとしない話だ。それがメリーいわく、存在レベルの上昇。ようは知名度が上がってしまっているという意味か。回りくどい……なにか古傷がえぐられるような……。

「……つまり、それと同じようにメリーも撮られていることがありえるのか」

「そういうこと。というか私はすでに撮られてしまったの。私まで瞬間移動で近づくわけにいかなかったから、人ごみを押し分けたときにね。顔がバレてしまうと厄介なの。公園で昼寝もできない。私の安息と睡眠のために紳士の家に住まわせてもらうわ、いいかしら」

 たしかに公園で美少女が昼寝は不用心すぎる。六畳の部屋に三人はちょっときついが、致しかたないだろう。寒い時期だ、人口密度が上がることに不満もない。メリーは人形であるし、私もやたら恐怖はしない。

「しかし、男の家に転がり込むってのは……淑女界隈的にはオッケーなのか」

「い、いいのよ。紳士はあまり男男してないから、ノーカンよ」

「なんじゃそりゃ……」

「なんでもいいでしょ、それより早く退院しましょうよ。和花さんが待ってるわよ」

 こうしてメリーという同居人が増えることとなったのだが、この時の私は、自分が戻ることのできない坂道を転げ落ちていることに、まだ一ミリたりとも気が付いていなかったのである。

 どこも大きな怪我をしていなかったために、すぐに退院することができた。私の意識が深い海の底に沈んだ原因は、肉体的ダメージよりも精神的なものの方が強かったのだ。しばらく、大柄な男とは関わりたくない。

 それから私はメリーと二人でショッピングセンターに赴いた。夕飯のおかずを適当に買って、ご飯だけ炊くことにする。メリーが見惚れていたので、鶏のから揚げを購入した。私も好きだ、気が合う。

 続いてホームセンターに行き、和花の風呂事情を解決するためのアイテム、金盥を手に取った。シンク風呂のように狭苦しい思いをさせるのも嫌なので、和花が胡坐をかけるぐらいに直径が大きめで底が深いものをチョイスした。腋に抱えてやっと持てる大きさ。メリーは金盥以外の荷物を持ってくれている。

 あともう一つ買うものがある。湯呑みだ。だがいざ売り場に来て考えると、私はもっぱらお茶とミネラルウォーター生活を続けていたため湯呑みで事が足りたが、和花とメリーは別のも飲みたいかもしれない。汎用性が高い物の方がこれからは便利だろう。私はマグカップを人数分買うことにした。

 二人で悩んだ末、私は水色の無地。メリーは黒い羊のシルエットが印刷されている白いマグカップを購入することにした。ここでひとつ、私はメリーに頼みごとを依頼する。私のから揚げを一つ譲ると言ったら、存外にあっけなく承諾してくれた。

 レジで会計を済まし、人気のない階段に移動する。そして荷物が入った金盥を両手に抱えたメリーが誰にも見られていないことを注意深く確認してから、パッと私の前から消えた。

 約十分後、金髪の魔法少女は私のもとに走ってきた。店外に転移してから来たようだ。

「しんしー、聞いてきたわ。『えっと、赤いのがあれば、あ、でも、買ってくださるのならなんでも嬉しいです』だそうよ。それと、あのタライ、ありがとうございますって」

「おう、サンキュー。助かったよ」なんか和花の真似が滅茶苦茶そっくりだった。

「から揚げ、忘れないでよね」肉のためなら危険も顧みない雄姿がまぶしい。

「ええ、勿論でございます、お嬢様」

「お、おじょ……なんかやけに言いなれている感がないかしら」

「昔、執事喫茶で働いてたことがあるんだ」

「衝撃の過去ね」

 マグカップ売り場に戻り、白い桜のワンポイントのある赤いマグカップを手に取って会計を済ました。後は歩いて家に帰るだけだ。メリーのおかげで荷物は和花のマグカップだけになったので、それを大事に扱いながら帰ることができた。




「おかえりなさい。ご飯、炊いておきましたよ」

 玄関のドアを開けると和花が笑顔で迎えてくれた。出迎えてくれる人がいるというのが、無条件に嬉しくて、安心する。しかし無洗米ではない米を洗うのはしんどいこの季節、炊いてくれたのは非常にありがたいが、和花が炊飯機の使い方を知っていたとは驚きである。

「ありがとう、でもアレよく使えたな」

 私は部屋の中に入り、キッチンの炊飯器を指差した。

「あ、さっきメリーさんに色々と教えてもらったんです。ありがとうございました」

 和花は私の後ろにいたメリーに頭を下げる。

「べつにお礼を言われるほどのことじゃないわ、炊飯、ご苦労様」

「あの、私、はりきってよそいますよ」

「それは楽しみだ、じゃ飯にするか」

「はい! お皿、お皿~」

 和花がご飯を準備しているうちに、私は買ってきたマグカップを洗うことにした。

 シンクの前に立つと昨夜目撃した衝撃映像を思い出してしまうのだが、それを振り払い、割ってしまわないように慎重に新品のマグカップたちを洗う。

「紳士、なにかあったら手伝うわよ」

「いいよ、メリーは荷物運んでくれたんだから、これで紅茶でもなんでも飲んでて」

 洗い終わったメリーのマグカップを布巾で拭いて手渡す。

「そ、そう。ありがとう」

「タライの中に紅茶パックとかコーヒーの瓶とか入ったビニール袋あるから、そっから適当に好きなの出して。ポットはそこ」

 私がメリーに説明してから一分ほど。メリーが炊飯器の横に置いてあるポットを使おうとした、その時、黒髪ロングの不穏な気配。

「気をつけてっ! メリーさんっ!」

「ふえっ!?」

 メリーは和花のいきなりの警告にビクッっと体を震わせた。

「それから出るお湯ってものすごく熱いですよ! 触れたら大変でしたっ!」

 米を準備しながら力説する和花。その声には実感がこもっていた。こやつめ、私の留守中にポットをいじったな。

「和花、今までさわれなかったぶん、興味津々なのはわかるけど。危険はかえりみるように」

「はい、ごめんなさい」

「うん、素直でよろしい」

「び、びっくりしたわ……」

 なんとか夕食の準備も整い、三人でテーブルを囲む初ディナーとなった。ディナーと言ってもメインディッシュである、から揚げ様の独り舞台に近いけれども。ううむ。山のように積みあがる、から揚げ様。荘厳である。取り分けるのが面倒くさかっただけなのだが。とりあえずメリーの白米の上に約束のから揚げを一つ乗せた。

「栄養考えると野菜炒めでも作った方がよかったかな」

「え? 紳士って自殺しようとしていたのに野菜の備蓄なんてものがあるの?」

「そういえばそうですよね。お米も沢山ありますし……水とか電気も使えます」

 白米をほおばる二人の視線が私に集中する。なんと説明したらいいか私もよくわかっていない。喋りながら整理していくことにする。

「いや、そんな計画的なものじゃなかったから……なんつーか、人とは違う死っていう選択肢は頭の中でチラついてたけど……昨日、今まで自分を止めてた糸みたいなもんが、ふいになくなったんだ。それで、ここぞとばかりに」

「そうなの……紳士の事情や心情をよく知らないし、会ったばっかりの私が言うのもアレだけど、ほんとスペシャル罰当りね……わあ、このから揚げ美味しいー!」

「ほんとですね! 美味しいです!」

「あれ、俺の話題終わり?」

「終わりよ。うーむ、思わずシェフを呼びたくなるレベルね、これは……」

 神妙な顔つきで、どんどんから揚げを胃に納めていくメリー。

「シェフですかー。洋風で素敵な響きですね」

「あら、和花さんて洋風に興味あるの?」

 メリーが上機嫌な様子で尋ねる。やはり洋装のドールなだけあって、その分野の話題ではテンションが上がるのだろうか。

「はい、わたし、外国に行ったことないですし、服も着物だけなので。メリーさんの洋服、かわいいですね、ひらひらが特にー」

 褒められてうれしいのか、メリーはモジモジしながら止めどなくから揚げを食べ進む。しかし、なにやら複雑なことを考えているような顔をした後、ピタッと箸が止まった。

「ストップ、和花さん。今あなたが着ているのってジャージ&トレーナーよね。着物は?」

「ああ!」しまった……。

「なによ紳士! 驚くでしょ!」

「和花の着物をクリーニングに出すのを忘れてた……和花、ごめん!」

 部屋の隅にある、畳んだ着物を入れた紙袋が今朝見た状態のまま心細そうにしていた。

「あ、いやいや気にしないでください、わたしはこの服でいいですよー」

「いくないわよっ!」

 メリーがバン! と箸をテーブルに叩きつけて立ち上がる。そして私の方を向いて眼光鋭く語り始めた。頬が上気して新鮮なリンゴのような色になっている。

「この子、どーう見ても和服が似合う風貌しているのにジャージって! 昨日からツッコミたくてウッズウズしてたのよ! もうちょっとなんとかしなさいよ!」

「な、なんとかって言っても俺が和服とか女物なんて持ってるわけないだりょ!」

 メリーの気迫に負けて噛んでしまった……。

「だりょってなに! 滑舌もなんとかしなさいよ! もー、ダメダメ忘却紳士なんて頼ってられないわ、我慢ならない。和花さん!」

「は、はいい!」

 メリーの言葉責めの矛先が和花に向かってしまった。和花は怯えたハムスターのようにすっかり縮こまっている。

「あなたもね、呪いの人形なら確固としたアイデンティティくらい持ちなさいよ!」

「あ、あいでんてぃ、てぃ? ですかっ?」

「そーよ! ジャージでトレーナー姿の人形が動いたってちっとも怖くないのよ、和装だからこそでしょ! 今すぐにでもその服は脱ぐべきと言ってもいいわね! 脱ぎなさい!」

「うううう……」

 言われるがままに、もそもそとトレーナーを脱ぎ始める和花……ってまてまてまてまて!

「和花! 脱ぐな! 脱ぐんじゃない!」素直すぎるだろ、この子!

「はっ、はい! すいません!」

 トレーナー、元に戻る。ああ、一安心……。

「なによ、人形に欲情とか頭おかしいんじゃないかしら! 私が脱がしてあげるわ! 紳士は指をくわえて興奮しながら見ているといいわ!」

「なに目を輝かせてやがる! そういう問題じゃねえっ! こら、この、落ち着け! 明日は必ず出すから、クリーニング!」

 私は和花に特攻を仕掛けようとするメリーを羽交い絞めにし、引きずられながら懸命になだめる。こ、この小さな体のどこにこんなパワーがっ! まさか手刀で犯人の意識を彼方へと追いやったのはマジなのか。武闘派魔法少女とか偏ったパラメーターの振り方だな! 

 私が全力を出してやっとメリーの動きを沈静化させることができた。なによりなのは隣人が留守であったことである。あの怒り顔を二日連続で拝みたくはない。

「……ごめんなさい……ちょっと……トランス状態だったわ……」

「いや……いい……メリーが怒るのは当然だ」

「あの、わたし、脱がなくていいんですよね?」

 震える声で話す和花に私とメリーは首肯で返事をした。

「でもやっぱりなあ~……」

「ひっ」

「その舐めるような視線やめろメリー、和花の震えが尋常じゃない」

「ご、ごめんなさい……なんかこのままじゃ私が変態扱いされる流れね……」

「め、メリーさんはわたしのことを考えてくれているのですよね、全然、えと、その、変態などとは思っていないのですよ」

 和花はにこり、と冷や汗を浮かべつつ笑顔を作っている。まぶしい、まぶしいよ和花。

「ねえ、あの子、少しばかり、いえ、かなりいい子すぎるわ……」

「あのいい子から服をはぎ取ろうとした自分を恥じるといいよ」

「ぐぬぬ……」

 うめきながらメリーはいつの間にか真っ白な携帯を手にしていた。魔法で出したのだろう。私の隣で仁王立ちのまま携帯を操作している。和花はその様子を正座して見守っていた。

「私の得意先を紹介するわ。このままじゃ申し訳なくて和花さんの顔を直視できない」

「得意先って?」

「どんな汚れも即日落とす、最強かつ超優秀なクリーニング店よ。私の服、洗濯機で洗うと悲劇が起きるからよく依頼するの。あそこに頼めば型崩れの心配もいらないし」

 メリーの着ている洋服は確かにコインランドリーにぶち込むにはやたら高そうだ。にしても、どんな汚れも即日落とすなんてことが可能なんだろうか。和花の着物に生息しているのは二十年物のカビなのだが。

「ふふん、憂慮はいらないわ。紳士と同じよ、そこの店主は」

「俺と同じ」

「そう、不思議能力者なのよ。あの店主の〝手洗い〟は早い・安い・綺麗の三拍子。そんなの普通じゃないでしょ。今の時代、仕事道具が洗濯板よ」

「はー、服を綺麗にする力なのか。すげえな」

「紳士が思うよりずうっとすごいわよ、服マイスターね、あの人は。洗剤も使わないのに依頼した洋服からフローラルな香りがしたときは、腰が抜けそうになったわ」

 なんだろう、ものすごく利便性が高い能力でちょっと羨ましいかもしれない。その力があればコインランドリーにつぎ込むコインがどれだけ浮くだろうか……。

「まぁ、店構えがクリーニング屋に見えないせいで客足は少ないとか嘆いていたけれど……腕はバッチリよ。連絡してもいいかしら」

「ああ頼む、助かるよ」

「でもでもメリーさん、それってお代が高かったりしないんですか?」

「だいじょうぶ、和花さんなら無料だと思うわ。あ、そのまま私を見ててね。はい、チーズ」

 パシャ。

「メリー、ステイ」

 私はメリーの肩をつかむ。

「なによ」

「和花の写真をどうするつもりだ」

「送るのよ、店主に。美少女限定無料サービスやってるの」

「変態じゃねえか! 手洗いが下心ありありとしか思えねえよ!」

「えっ、しゃ、写真!? うわわわ、魂が抜かれ……てない……迷信……なの」

なぜそこでガッカリするんだキミは。

「べつにいいじゃない、無料はありがたいことよ」

 メリーは私の顔に向けて和花が写ったディスプレイを押し付けてくる。

「あのな、そうじゃなくて……和花の意見を聞けっての」

「むむ? わ、うあーっ! わたしがっ、小さい画面にっ!」

 私の傍まで来てメリーの携帯を覗きこんだ和花の興奮度はうなぎのぼりだ。意見のいの字も出てくるか怪しい。

「なあ和花、知らないやつに写真送られるなんてやだろ? お金出すからさ、やめとこうぜ」

「構いませんよ、写真くらい。どうして嫌なんです?」

 実に真っ直ぐな意見の剛速球である。

「そりゃ、ばら撒かれたりとかさ、変なことに使われたり……危険がたくさんなわけで」

 澄みきった和花の眼を直視して汚い言葉を言うのは難しい。だが駄目なんだ、世間の男どもは淫靡な狼なんだ。愛娘をもつ父の気持ち、ちょっとわかりました。

「あー、紳士がいらない心配しているみたいだから言っておくけれど、店主、女の子よ」

「先に言えよ! でも、じゃ、なんで美男子限定無料サービスじゃないんだ?」

「……趣味趣向は人それぞれよ。送ったわ」

「ええっ!」

 メリーは非常に裏のありそうな発言をしつつ、写真を送信した。もう私には、どうか和花の心にトラウマができてしまう事態になりませんように、と祈ることしかできない。

 二十秒と経たずにメリーの電話が鳴った。店主による審査の結果、和花の着物は無料で引き受けられるということが確定した。メリーは和花の着物を手に持つと「すぐ帰る」と一言残し消えた。と思うと、また現れた。手には着物がない。店主に無事届けられたようだ。はたして無事に帰ってくるだろうか。




 あれこれ脱線しながらの食事が終わった。しばらく三人であてもなく畳の上をごろごろした後、和花の風呂支度をすることにした。

 キッチンの狭いスペースに三人が集合する。

「今回はコイツを使うぞ」

「でかっ」

「おおきい!」

 以前、商店街の福引で当たった鉄鍋だ。一人用というより大家族でつつく鍋を作ることに適した大きさをしているので今日まで使い道がなかった。この鍋で湯を沸かし、金盥に注ぐこと二回。あっというまに簡易浴槽の誕生だ。石鹸やシャンプー、リンスなどは私のストックからプレゼント。タオルを畳の上に敷き詰め、その上に浴槽が設置されているので防水性も抜かりはない。洗面器と予備の湯を鍋に用意してタライの傍に置き、すべては整った。

 入浴を始める和花を残し、和花の風呂を準備し終わった途端にピンク色の洗面器を抱えてうずうずしていたメリーと私は華の湯に向かう。

 冷え切ったアスファルトを踏みしめて、田舎なせいでやけに澄んだ星空を眺め、たどり着いたのは毎日の終着点、華の湯。入り口でメリーと別れ、脱衣所に入ると、ささやき声が降ってきた。

「おう、来たな。今日は無料、牛乳類も好きなだけ飲め。けど、腹壊さない程度だぞ」

 番台には昨日と変わらぬ笑みの番頭さんがいた。同じ内容を対岸に居るのであろうメリーにも伝えている。病院で別れてから数時間。もう回復したのか、それとも隠しているだけなのか。どちらにしても、この人は強い。

「ありがとうございます。でも……あの、大丈夫なんですか」

「大丈夫さ、今日は客の入りもいいし……あ、そうじゃねえか。大丈夫、大丈夫だよ」

 そして私のつたない言葉の意味をすべて、すんなり読むのだ。

「そんなにアタシは弱くねえよ。はは、それよか、とっとと風呂入れ。外、寒かったろ」

 いきなりガシガシと頭をなでられる。番頭さんの温かい手のひらのせいか、なでられ慣れていない照れくささのせいか、脳みそが急速に沸騰しそうになる。風呂に入る前からのぼせてしまいそうだ。

「メリーちゃんも早く温まってきな。そのヒラヒラした服、風入ってきて辛いんじゃねえの」

「ええ。けれどこういうのしか私は持っていないのよ」

 番頭さんの手のひらが私を離れ、対岸のメリーをなでている。メリーがどんな顔をしているか私の方からは見えないが、きっと幸せそうに笑っていることだろう。

昨夜に番頭さんとメリーの間になにがあって親密になったのか気にならないと言えば、嘘になる。しかし、私の方から聞くのは無粋だ。

 お邪魔虫はとっとと風呂に入ろう。番頭さんの心を癒すのはきっと私ではなく、ちいさな魔法少女なのだ。





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