第4話 お嬢様は深夜に踊る
「もしもし……」
電話に出るも、相手の応答がない。
「あの、もしもし?」
またしても返事がない。これはただの間違い電話だろう。私は電話を切った。
「間違いならそれでいいのに、無言とか不気味だ」
それに、目覚まし機能以外で私の携帯が鳴るなんてかなり不気味である。
「うおっ」
間髪入れずに次の着信。非通知。出る。
「もしもし?」
『できうるならば正義の味方を望みます。汝は正義ですか、悪ですか』
痛い子だ。限りなく重体に近いくらいの重傷をハートに負っている痛い子だ。なんというか中学二年頃の古傷がうずく感じ。
「俺に質問をする前に名前くらい名乗ってくれませんか」
『なりません。秘密結社×名前を出す=死。なりません』
「あなたが秘密結社所属っていうのはわかりました」
プッ、ツーツー。
切られた。死んだのだろうか。
なんとなく嫌な予感がするので携帯を持ったまま待機する。十秒くらい待つと、予感が的中した。またしても非通知。電話の主はきっとこの十秒間に弁解を考えていたのだろう。
「はい、もしもし。情報漏えいに定評のある秘密結社の方ですか?」
『もしもし』
……明らかに声が違う。別の人だ。さっきの電話は淡白で義務的な感じだったが、この声には感情がこもっていた。紫陽花の通路に充満していたジットリとした空気のような。
「どちらさまですか?」
『私、メリー……』
「メリー……さん?」
番頭さんによって私に回ってきた都市伝説と、同じ名前。しかし、私は決して人形を捨ててはいない。モノを大事にすることを信条として長いが、人形は特に大事にしてきた。生まれてから一度も人形を捨てたことはない。都市伝説も間違い電話をするのだろうか。
「あら、メリーって」和花がそばに寄ってきた。
「え、知り合い?」
和花は首を横に振る。
「知り合いではないです。けど、同類かと。そんな匂いがします」
和花と同類。呪い系統。人形。メリー。疑問の空白が埋められていく。電話口に立っている相手は、都市伝説となっている子なのか。
『……私、メリー。今、紫陽花の前にいるの』
この口ぶり。本当にその子のようである。というか近い。このままだと私はどうなるんだ。物語は後ろに立たれ、呟かれて幕を閉じるが、これは現実だ。そのあとも続いていく。
「和花、メリーさんの都市伝説ってわかる? 色々な終わり方とか」
呪いの人形である和花なら知っているかもしれない。
「都市伝説ですか。うーん、ああいうのって人に伝えるときに、飽きさせないように工夫されているんですよねぇ。伝説を広めたいわけですから面白くないと。ですから語り手となった人々の試行錯誤の影響で多様なオチが生まれるのです」
「なるほど。じゃあ、メリーさんが主人公の後ろに来て終わる以外のオチを教えてくれ」
やはり和花はオカルト関係に精通しているようだ。ありがたい。
「ええと、よくあるオチとしては……うん、死にますね、主人公。刃物で刺されたり、首ちょんぱされちゃったり」
「えっ、死ねるの!?」
「なんでそこで喜ぶんです。というかだめですよ! 自分探し! お忘れですか!」
不満げに腕を組む和花の頬がむくれている。
「す、すまん、つい……となると生き残らないとな」
『私、メリー。今、スルーされた上に電話口でイチャイチャされたから激怒したわ』
「すまないメリーさん! ちょっと話中なんだ! 保留にしとくな」
『え、ちょ、まち』♪~♪~~♪
「和花の呪いって人間以外に効果はあるのか? それで撃退できるかも」
「ふむ。なにかと戦ったことないから、判断しかねますね……あ、でも電球割りを生かせば。あなたへの呪いの余波で割れるくらいですから、指向性を持たせれば強力になるかもです!」
よし、和花の言葉を信じよう。今、命を狙われている私にできるのはそれくらいなのだ。他人に命を狙われるというのはこうも不安をかきたてられるものだったのか。だが今の私には強い味方がいる。もう怖いものなどない。
「もしもし、メリーさん。こっちは準備できてる。来るなら……そうだな、ちょっとばかり、覚悟、した方がいいぜ」
『私、メリー。突然のバトル展開に動揺を隠せずにいるわ。ちなみに今、華の湯』
「おう。あとそっから二、三分歩いたら俺の家だ。双葉荘の二階な、迷うなよ」
『……案内感謝するわ』
「あ、あとな、今日外寒いだろ。もし体が冷えてたら、華の湯で温まってから来たほうがいいよ。この時期に風邪ひくとつらいからな」
『……ここ、フルーツ牛乳はあるのかしら』
「あるある。超うまいよ」
プッ、ツー、ツー……。
「切れてしまった」
銭湯とフルーツ牛乳のコンボに釣られるのは万人が持ち得る普遍的真理なのだな。
「なんだか必要以上に優しくないですか。普段も女の子にはいつもそうなのですか」
「ないない。人間はあんまり得意じゃない。人形、モノだから大切にするんだ」
「むう。命が危ないという状況の原因にまでそれは適用されちゃいますか……難儀な人」
「そう? ふつー、ふつー」
メリーさん入浴中の時間を利用して双葉荘の横にある駐車場まで煙草を吸いに行くことにした。煙草は一日一本と決めてるため、そんなに中毒というわけではないから我慢は苦ではなかった。待ちぼうけになる和花には私が愛用しているPSPを与えておいた。簡単な操作説明を添えて。私もゲームなどが趣味でなければ摩訶不思議物件である双葉荘からすぐさま脱出できるというのに懲りないもんだ。
やはり外はジャケットがないと厳しい。風の冷たさ私の頬に襲い掛かってくる。今日は煙草を吸わずとも白い息を吹くことができる。寒さに耐えかね、ジャケットのポケットに手を突っ込むと硬い感触。蛙君だ。
オヤジさんにもらった蛙君を片手に持って電灯の光の下で眺めていると、双葉荘の前を右往左往している人影が目に入った。
人影は双葉荘の前に面する道路をせかせかと三往復ほどしたところでピタリと止まり、駐車場、つまり私の方まで歩いてきた。
駐車場に設置された電灯が人影を照らす。明るみになった頭髪は金色。軽く跳ねてふわふわと夜風にそよぐ金色の長髪は黒いリボンによって後ろに束ねられ馬の尻尾になっている。やけに夜に映える瞳は暖炉の中で燃える炎のような色をしていた。服装はバリバリの黒ゴス。顔のつくりも精緻で外国のお嬢様といった感じ。体は細く小柄で人形のような……おっと私のデータベースに猛烈な心当たり。
「……キミが、メリーさん?」
「そ。駄目ね、湯冷めしてしまったわ……これじゃ余計風邪を引きそうよ」
すまし顔で返事をくれたメリーさんはノースリーブを着ている。湯冷めしなくても風邪を引くこと受けあい。頬が赤く染まっていることを見るに無事に銭湯に入れたようだ。メリーさんの体も和花と同じように人間そっくりの謎素材でできているのかもしれない。もしメリーさんが球体関節のドールだったり、ぬいぐるみだったりしたら、動いているだけで恐怖する人間は少なくないだろうから、華の湯も受け入れてくれなかったかもしれない。
「すまん。気温のことまで頭が回らなくて……ほら、貸すよ」
私がジャケットを差し出すとメリーさんは素直に着た。想像以上にブカブカでジャケットなのにロングコートのようになってしまっている。
「ふふ。紳士ね、嫌いじゃないわ。けれど」
フードのファーを弄るメリーさんの口から漏れだす言葉は、私の予想通りの言葉だった。
「もうすぐ、あなたは死ぬわ。殺されるの、私に」
「そうだろうと思ったよ。事前に噂は聞いてたしな、丁度、逃げる算段を立ててたとこだ!」
私はメリーさんの細面にめがけて蛙君を勢いよく投げつける――フリをし、彼女がひるんでいる隙を逃さず、脱兎のごとく双葉荘への道を駆けた。逃げるが無敗の秘訣なのである。鉄製の階段をつんのめりつつも駆け上がり、ダッシュの勢いのまま二階の自室に飛び込む。
部屋にいた和花が玄関までやってきた。
「あら、早かったですね。あの、ザンギエフさんの攻略法を聞きたいのですが」
「ん、そいつは接近戦命だから近づかれないようにすればいいよ。卑怯だけど、飛び道具連発とか。いやそんな場合じゃねえ! 来るぞ、メリーさんが!」
「もう来てるわよ。鈍足紳士」
「うおおっ」
メリーさんが部屋の奥、窓際の机の上に腰を下ろしていた。組まれた細い足は黒タイツに覆われ、どことなくエレガントだ。気品の塊が六畳のアパートに居ることが不自然でならない。机に放置していた私の鉛筆をもてあそぶ姿でさえ絵になる。
「瞬間移動!?」
「違うわ。私、影が薄いから。普通に窓から入ったのにあなたたちが気づかなかっただけよ」
不敵に笑うメリーさん。その説明に微かな哀愁が漂っているのは私の気のせいだろうか。それから窓から入室は瞬間移動には劣るが、一応普通ではない。
「あなた、どうやってこのお方を殺すつもりですか」
和花はPSPを置いて凛々しく言った。
「教える意味がないわ。教えたとしても無駄ね。そこの紳士が死ぬのは確定した未来。いまさら時を戻すこともできない。詰みよ」
メリーさんは肩掛けのデカい鞄の中から裁縫用というには大きすぎる刃渡り二十センチはある鋏をうやうやしく取り出して、和花に鈍く光る銀色の刃先を向けた。
「さて、貴女はどうしたいのかしら。そこの紳士と一緒に逝っちゃう?」
「できません。今はまだ早すぎます。やらせはしません……はぁぁぁあああ!」
和花は両手を合わせ、腰を落とした。んん、このポーズ、どこかで赤い鉢巻を巻いたマッスル武道家が行っていたような……いやまさか。
「呪動拳!」
和花の手に紫色の不吉なオーラが目で見てとれるほどに濃縮されていた。その不吉オーラを和花はメリーさんに向けて撃ち出す。
「まんま波動拳だこれ!」
和花がゲームからインスパイアした必殺技はメリーさんの元まで真っ直ぐ飛んでいく。
「ふうん」
メリーさんは興味なさげに伝統の味、和花印の不吉オーラに向けて鋏を放り投げた。
ジュッ、と肉が焦げるような音がして鋏がオーラとともに跡形もなく消滅した。
「……和花、それ禁止な、理由……わかるな?」
「ええ、ばっちり」
撃ち出した本人も目を疑う威力だったようで顔が引きつっていた。どれだけの呪いをそのちっさい体に溜め込んでいるんだ、この子は。そのうち目からビームでも撃つんじゃないか。
「得物、さっきの鋏だけか、メリーさん」
「な、なめないで。あんなのなくても、へ・い・き、よッ!」
メリーさんは机から降りると鞄に手を突っ込み、小さいナイフを両手に三本ずつ指にはさんで持ち、振りかぶってこちらに向けて投擲してきた。風を切るような速さで正確無比に私に向かってくる六本の凶器。刺されば間違いなく大怪我……いやそれ以上。
「あ、でも」
さっと私の前に飛び出た和花は、両手を素早く前方に突き出し、不吉オーラを薄い長方形の壁のように引き伸ばして、ナイフを全弾受け止めた。不吉の壁に阻まれたナイフは鋏と同じ末路をたどった。
「防御には便利ですよ、コレ」無邪気に笑う和花。
とんだ強キャラだぜ、この子。
「よし、その調子でメリーさんの凶器をすべて受け止めるんだ!」
消滅する凶器たちが可哀想だという思いはあるが、私はここで死ぬわけにはいかない!
「うるっせぇ! 何時だと思ってやがる! あァ? 大家さんに苦情タレこむぞボケ!」
ドンドン! と叩かれるドア。ビリビリと鼓膜をつんざいた隣人の怒鳴り声に、三人は腐ってつぶれたミカンのように委縮した。すぐさま私が超低姿勢の謝罪の言葉を述べて対応し、なんとか事なきを得た。超怖かった。私の矮小な心は「隊長ォ、限界であります!」と対応終盤ずっと叫んでいた。
私の陳謝が終了し、気まずい沈黙が部屋に充満しておよそ三分。立ちっぱなしの三人。
和花が気の抜けたようによろよろと正座をしてPSPの電源を入れた。現実逃避か、悪くない判断だ。私も続いて腰を下ろした。一人でおろおろしているメリーさんにも着席を促す。座布団も渡す。一緒に怒られた仲だ、しばしご歓談といこうではないか。
「あの……悪かったわ、夜に押し掛けるとか配慮に欠けまくりよね」
「いや、このアパートバトルに持ち込んだ俺が悪い。駐車場でバトるべきだった」
「あっ……ザンギエフさん……倒しました」
「よかったわね」
「おめでとう」
「呪いが……呪いが効いたのかもしれません……力をこめたらコロリと」
どんな裏ワザだよ。大丈夫なのかそれ。
メリーさんの方に目を向けると、うつむいて鞄をゴソゴソ探っていた。気まずいんだろうな。私も大学の教室でやることがないとき鞄を掻き回していた。
「なあ、メリーさん」
メリーさんが鞄をあさる手を止めて私を見る。
「紳士、メリーでいいわ」
「メリー、よかったら飯でも食っていくか。することもないし」
「自分を殺しにきたやつとディナーをともにする気なの、正気?」
「それをいうなら、その子に俺は殺されかけたばかりだよ」
メリーの視線が和花に移る。和花はメリーの視線に気づくと会釈をした。
「あの、わたし、メリーさんと同じ、呪いの人形なんです」
「あらあら……まあ、奇遇ね。私の鋏を消し飛ばしたから超能力者のたぐいかと」
確かにトレーナーにジャージ姿の和花を呪いの人形と見抜くのは難しいだろう。私の目から見ても今の和花は休日にだらけている女学生にしか見えない。
「それで、殺されかけたとはどういうことなの、紳士」
「その子、和花には触ると死ぬ呪いがかけられているんだ。それで俺は和花に自分を殺させようとしたんだけど」
「…………あ。あと三十秒よ」
私の話の腰をブチ折ってメリーが言う。
「え、なにが」
「紳士、あなたの寿命。私があなたにかけた呪いは『電話した相手を殺す呪い』なのよ。さっきの通話の長さからして呪いが全身に浸透するまであと二十五秒ね」
「ええええええ!」
いきなりの余命宣告。しかもCM一本分ちょいくらいしかないぞ。
「鋏は搖動でしかないわ、様式美といってもいいわね。ゴスロリには凶器がしっくりくるの」
「いやまて、全国のゴスロリ愛好者から抗議のお電話が殺到するぞ」
「私と電話したければすればいいわよ。死ぬけどね……残り十五秒」
「どうしましょう、わたし、さすがにお祓いなんてできませんよ?」
ああ、結局今日死ぬのが俺の運命だったのだろう。カップラーメンを作る余裕もない寿命とは、はたして寿命と言っていいのか。和花のことはどうなる。希望を探すのはどうなる。死って奴はどうしようもなく理不尽なものなのだろうか。
せめて、和花に金盥だけでも買ってやりたかった――――。
「……………なんてな。和花の呪いが効かないんだから、だろうと思ったよ」
「ど、どうして! もう時間は過ぎたわ! なぜ腕がもげたり、頭がひしゃげたり、白目をむいて泡を吹いたりして不自然死を遂げないの!?」
「驚きますよねー。何人も殺してきた呪いが効かないなんてー」
「の、和花さん、でしたっけ? どういうことなの、彼おかしいわよ!」
肩をいからせながら錯乱するメリーを二人でなだめつつ、私と和花は事情を説明した。絶望して不幸が日常になっている〝死にたがり〟には、呪いが効かないこと。そして私が死ぬために致死量の希望を手に入れようとしていることを伝えた。
「……はじめて聞いたわ、そんな話。もうすぐ死ぬって言っても命乞いもなにもしないから変だとは感じていたけど。あなた狂ってるわね、狂乱紳士。死ぬために希望を集めるなんて発想、さすがの私も思い浮かばないわよ」
「まぁな。それでさ、メリー、聞きたいことがあるんだ」
「ストップよ、探究紳士。殺せなかったのだから災厄はおとなしく帰るわ。ごきげんよう」
「「!?」」
ごきげんようとつぶやいたメリーは私と和花の視界から雲散霧消した。ジャケットと共に。
呆然としつつ、メリーにするはずだった質問を和花にぶつけてみる。
「あいつも人形だよな。呪いによっては自律もできんのか」
「ふむ。なんせ都市伝説級ですからね。動いても不思議ではないですよ」
なるほど、この世には不思議があふれかえっているということか。私は自分の両手を見つめつつ世界の広さを想う。今まで見ていた世界の裏には私や和花、そしてメリーのようなモノがまだ沢山あるのだろうか。
「ま、とりあえず飯食べよう。パッと作れるのはラーメンしかないけど、いいかな」
「おおー、話には聞いたことありますけど初めて食べます……ってそりゃそうですよね」
私と和花はラーメンを食べた。和花は箸を器用に使っていた。
それから布団を敷いて、和花を寝かせた。すぅすぅと定期的なリズムで紡がれる寝息が耳に心地よい。
にしても今日は盛りだくさんの一日だった。死のうとしたら呪いの人形と出会って、久しぶりに能力を使って、電話に出てみればメリーさん。
和花との出会いを起点にただの休講貴族であった私の日々が変わり始めているような。その変化がどんな場所に行きつくかはまだわからないが、見届けるまで生きてみるのも悪くないだろう。見届けているうちに希望を手に入れればいい。それで終わりにすればいいのだ。私は毛布を自分の体にかけ、冷たい畳に寝そべった。