第14話 恋愛難易度マニアクス
鍋パーティは盛況のうちに終わった。
六畳に六人が集結するのはかなり息苦しかったが、まともな暖房器具のない私の部屋では、その密集度が幸いした。
いま私が何をしているかというと、鍋パーティからの勢いで、年越しパーティを企画することになり、そのアポを取りに来ているのだ。私の部屋のリビング収容密度は、六人が限界だということは昨夜証明された。お隣さんに怒鳴られた私が煙草を一カートン譲るという対処をしなければいけないくらいに勢いづき、盛り上がった私たちはバンジージャンプで命綱なしで突きおとされたコメディアンのように盛り下がったのち、近隣トラブルを避けるための打開策を求めた。
その結果、
「オヤジさん、紫陽花の一室、レンタルさせてくれませんか」
「んだ、藪から棒に」
超ド級金持ち屋敷の風体をしている骨董屋、紫陽花の部屋をレンタルしようという話になったのだ。私はカウンター越しに煙草をふかしているオヤジさんと、目下交渉中なのである。
「忘年会みたいなものを開こうと思ってるんです」
「そりゃまた……ずいぶん社交的になったもんだ。ガキは柔軟でいいねえ。俺の家なら、勝手に使えばいい。ただし」
「日本酒なら持ってきてます。とびきりいいのを」
私は、抱えている日本酒をカウンターに置いた。その日本酒の瓶をオヤジさんが、にやけ顔で眺めているので、わいろ効果は抜群だったみたいだ。
「マスターから買ってきたので、味は保障ずみです」
「おお、あいつの店いったのか。お前、無理してねえか? あんまり一遍に手を伸ばすと、疲れちまうぜ」
「後輩にしてやれることなんて、これくらいしかありませんから」
「……そうでもねえと、思うがね。んじゃ、これは貰っておく。三階の広間を好きに使え」
「ありがとうございます。オヤジさんも気が向いたら、参加してください」
「あいよ。じゃあな」
「はい、また明日」
十二月三十日。明日がパーティ当日だ。準備は、今日中にすませておきたい。
私は紫陽花から出る。和花とメリーには先にショッピングモールに行ってもらっている。ヒーロー部組は、姫宮と山吹くんで買い物をしているとの連絡があった。昨日あれだけ掃除をしていたのだ。今年でゴミ袋何袋分をたった三人で片付けてきたのだろう。その苦労わずかでも、ねぎらえればいいな、と思う。
そして、そのねぎらう対象である少女をひとり、私は紫陽花の入り口に待たせていた。
「青葉さん、無事部屋とれたよ」
「おお。僥倖。だね」
赤マフラーをたなびかせるヒーロー部クール担当が、小さな手に息を吹きかけていた。隣には紫陽花名物である狸君が鎮座している。美女と狸。狸君が野獣であればこう、ファンタジックな物語が展開されてもおかしくはない組み合わせである。いやまて、妄想は置いておこう。
思考の舵をとりなおす。
「うん。まことに重畳。さって、俺たちはなにを買えばいいんだっけ」
「おそば。おもち。お菓子」
「なんかすごい敬ってる感がある買い物リストだね」
「そ、そば。も、もち。か、菓子」
「いや、無理に敬いをやめなくて大丈夫です、ほんの冗談だから」
なにやら緊張しているような顔色をしている青葉さん。ああ、もしかして。彼女にとって私が、有名人だからだろうか。それは自意識過剰過ぎだろうか。
「るり。と。二人きり。銀行強盗。ぶりだね」
青葉さんは、もじもじしながらマフラーの余剰部分をいじっている。台詞から予測するに、これは自意識過剰ではなさそう、か? 尋ねた方が早い。
「緊張してる?」
「うくっ」
もちをのどに詰めたような声を上げる。これから買いに行こうというのにエアモチで詰まらせていては先が思いやられてしまう。それとなく背中をさすってやる。
「……バカ宮あたりに何か吹き込まれたのかい……ほら、怖くないからお兄さんに話してごらん」
「むきゅ」
私が頭のおかしな喋り方で囁くと、マフラーで顔全体を隠してしまう。マフラーってそんな使い道もあるのか、すごいな。いや感心している場合ではない。この反応、陰謀を感じる、赤い馬鹿の陰謀を感じるぞ。
「で」
青葉さんが布の向こうから一文字つぶやいた。
「で?」
「デート。だって。いわれて。しまった」
「んなっ!」
でででででででで。デエト? 高級なお菓子かなにかかしらウフフ。
「ちなみに」
「は、はい」
動揺する間も与えないと言わんばかりのタイミングで、ほのかにうわずった青葉さんの声がした。
「初。デート」
はははははははは。初? あらやだ、このシーズンの初物って言ったら何かしらー。
「ええと、オーケー青葉さん、落ち着こう、深呼吸しよう、あわよくばヨガしよう」
「道の真ん中で?」
赤面モジモジ女子高生が、きわめて冷静に私の言葉をぶった切る。
「はっはー、クールだね青葉さん。そうだよね、冬のアスファルトで太陽礼拝してもね、身体あったまんないよね、そうだよね……大晦日イブだもんね……」
やばい。まずい。私はこの手のシチュエーションに無縁である。もうびっくりするくらい無縁男である。ゆえに動悸が激しくなるのはやむを得ない反応であって、相手が女子高生だからという変態思考では断じてない。私は、紳士だ。紳士なのだ。メリーが蔑んだ視線を私に投げかける姿が、脳内に浮かんでは消えていく。ああ、魔法少女よ、キミは幻想でもドSなのだね。
「て」
私が頭を抱えて幻のメリーと格闘していると、
「て?」
「つなぐ」
爆弾が投下された。精神の絨毯爆撃を受けた気分である。私の中の冷静な私が、けたたましい悲鳴をあげながら一掃されていくのが分かる。この突発的異常事態に冷静でいられる二十歳を募集したい。いや、結構いそうだからいい。くんな、むしろそんなやつ願い下げだっ、この恋愛上級者どもめ。恋愛難易度マニアクスで生きてきた私と口を利くことなど許さん。決して許さんぞ。
それよりも、だ。
私に向けて差し出された左手をどうするかを全力で考えないといけない。というかもう、かなり状況に置いてけぼりにされている感が否めない。どうせ姫宮が純情な青葉さんに吹き込んでこういう事態になってしまったのだろうけれど、青葉さんはわかっているのだろうか。人生に、初、は本当に一度しかないということを。そしてその相手が、
「えと、本当に、俺でいいの?」
私が尋ねると、青葉さんの白い頬が痛々しいほどに紅潮していった。唇をむずむずさせながらも、左手はそのままに、両目は私を見つめている。瞳を縁取るものには、わずかに水滴が揺れていた。
本気だ。
「えっと、その。俺は、色々あってさ、いわゆる、その、こういうことに全く免疫がないんだ。だから、年上っていう要素において期待はしないでほしい」
そっと、微細に震える少女の手を、そっと握った。彼女の体温は、氷のようだ。肉の少ない体は熱を溜めこみにくいのだろう、と変なことを考えてしまう。
「あたたかい」
青葉さんの五文字がとてもハッキリ耳に届いて、心がぐにゃりと曲がる。
人を愛せないものがとっていい手ではなかった。後悔が湧き出て止まらない。
「るり」
「ん?」
「今日だけ。私だけのルリカ。いい?」
はは。そうか、ああ。恥ずかしい、
私は本当に自意識過剰だ。最初に思い当たった理由で合っていたじゃないか。
「お安い御用だよ。女装は勘弁してほしいけどね」
「似合うのに」
「世間ではそれを変態といいます」
「可愛いのに」
「青葉さんの方が可愛い」
「そんなこっ」
「可愛い」
「意地悪だ。るりが、意地悪だ」
「事実だよ。さ、いこ。祓除はお休みだから、あなたとの買い物に付き合ってあげる」
変だな、私は、ずっと男になりたかったのに。
「う、うん」
ぽやぽやとした笑顔を浮かべる青葉さんを見ると、ルリカも受け入れられそうな気がした。