第13話 そんな必然、認められるか
私が十四歳の頃。
師匠に弟子入りして、一年ほどが経ったときである。
中学二年生という多感な時期であったためか、自らの超能力の錬度がぐんぐん高まっていた。いわば全盛期というものだ。そんなときに、私が師匠に言い渡された〝試練〟があった。
それは、
〝超能力で誰かを助けろ〟
という漠然としたものだったのだ。師匠いわく、
「超能力者は、ふつうの人間が手を伸ばすことをためらう事態も救える。それを実感せい」とのこと。
だが、私は人間が大嫌いで、憎んでいた、許せなかった。
私の心が黒く染まった主要因が、〝アリスが『人間』に殺されたこと〟であった。
超能力を鍛えているのだって、いつかアリスを殺した奴らに復讐するためだった。
だが、師匠は私の目的を見抜いていたのだろう。
だから、誰かを助けろ、なんてことを指示したのだと思う。
私が信じがたいものを見つけたのは、試練を言い渡されて一週間が過ぎたときだった。
中学生と言っても、卒業日数ギリギリで通っている不良で、河原でぶらぶらするのが日常だった。学ランは着てるだけだったが、男として生きていいんだと、すぐ視認できるようにしたかったのだ。この日もいつものように河原を歩いていると、進行方向になにやら真っ赤な物体がいるのが見えた。
最初はなにかわからなかったが、すぐ後ろに追いつくと、まるでアニメの世界から飛び出てきたような、赤い髪の毛の女の子だとわかり、コスプレかな、と勘違いしたのを今でも覚えている。長くて赤い髪が、相似するように赤いであろうランドセルを覆っていた。
そこに、強い風が吹いた。女の子の髪が風に舞い、ランドセルの表面があらわになる。そこには強烈に、まっすぐ心を突き刺す文字が書いてあった。たった二文字。たった二文字でも、相手の終わりを願えるのだ。とぼとぼと歩いている女の子が、なぜ願われたのだ。なんだかそれが急に気になった。放っておけなかった。後姿が、死んでしまった友達、唯一の友達に似ていたから。
女の子は河原の傾斜を下り、水の流れの傍でしゃがんだ。まさか飛び込んだりしないだろうなと心配になった私は、すぐそばに生い茂る背の高い雑草の中に隠れた。いつでも助けに行けるように。
女の子はハンカチをスカートから出して地面にしくと、ランドセルをその上に乗せた。そして川の水を手ですくい、ランドセルの表面を両手でこすりはじめた。あの二文字を必死で消しているのだろう。
親に見られないようにか、恥ずかしいからか、怒りか。
女の子は、ただ一心不乱に、ランドセルを手でこする。
人間に、女に、なぜ、こんな感情が湧く。自分が信じられない。
私は、人間というカテゴリーを憎んでいた。
憎悪の対象であるのに、自分自身が人間だというのも私を毎日苦悩させた。
私は、女性というカテゴリーに強い恐怖を抱いていた。
自らが女性化していたことで、
私を虐めていた彼女らの心情も汲めてしまうことが不快だった。
それなのに、私は、あの子の姿を見ていられなかったのだ。
私が雑草から出ようとしたのと同時に、
黒いランドセルをしょった数人の男子が、女の子のもとに駆けよった。
「おい! アカガミ! なんでオレがせっかく書いたペイント消そうとしてんだよ!」
私は負けじと駆けよった。これから先、このガキどもが罵詈雑言を、理不尽な命令を、暴力を行い、ケダモノのように喚くことなんて、火を見るより明らか。必然。
だが、そんな必然、認められるか。
傷つけられることが確定しているだなんて、ふざけるな。
私は、赤い女の子と黒い餓鬼らを隔てる壁になった。
「んだよ、テメェ。いまオレらはそこの〝化物〟に話があんだよ」
化物――それは―――アリスが――言われた―――言葉―――鼓動がはやる。
後ろを見る。キョトンとする、目元を腫らした女の子がいた。瞳を暗くした女の子がいた。
暗い瞳は、色を失っていない。
だが、明度は限界まで低い。
とても見覚えのある瞳だった。
鏡をみるたび、目にする瞳に似ていた。
私は、
この子の現実を、
捻じ曲げたい。
「全員まとめて。こい」
「はぁ?」
「ひとりでも勝てたら。やりたかったこと。すればいい」
師匠以外と殆ど会話を交わさないから、言葉を紡ぐのに苦労する。
「ハハハハハハッ! 聞いたかよ! おいおい、この細いの馬鹿だぜ? 八対一で、勝てると思ってんですかぁ、オニーサン」
「安心して。キミを好きにさせる気。どこにもない。守る」
少女は、まだ、私の両目を見るだけ。
「っ……無視すんなよゴラァアアア!」
私は素早く振り返る。木製バットで私に殴りかかろうとする餓鬼。
木製か、金属ならよかったのに。私はバットを右手で受け止め、左手で握る。
そして師匠が一服するときに使う力を真似た。指の先から、こう……。
ボッ。
「ウワァァアアアッ!」
炎上するバットが私の手中に収まった。大声で怒鳴っていた喉で、悲鳴をあげる元バット野郎は、腰を抜かしてへたりこんだ。全く。たかがパイロキネシスじゃないか。
人体発火現象の謎! とかテレビでもよくやってるだろ。お前自身も、あると思っているのだろう。この力がお前に打ち消されないってことは。それにしてもライター大の炎を出すのって案外難しいんだな……火力、強すぎた、熱い。
私はバットを川に入れて消化し、ボロボロになったバットを餓鬼どもに見せつけた。
「んだよ……そんなん持っててもよ、怖くもなんともねえぞ……」
怯えていることがありありと伝わる声色だった。私はここで止めるほど大人じゃない。
頭の歯車を回す。白い光が、河原を照らす。
「はぁ!? も、元に戻っ、た?」
私は重傷を負わさせてしまったバットくんを新品同様の姿に治療した。
「どうして。こういうこと。できると思う」
「し、知らねぇよ! あっくんのバット返せ!」
野次を飛ばしてきたのは、野球帽をかぶった餓鬼だった。私が、その餓鬼を睨むと、一歩たじろいだ。手から火を出したり、燃えたバットを治したりしたら怖いのか、いじめっ子。
もっと怖い目に、あの子をずっとあわせていたんだろうに、苦しめていたんだろうに。
へたれる一人。怯える六人。私を見る、野球帽が一人。だれも動けないようだった。
私は、一歩ずつ、野球帽に、にじり寄る。
「俺が。化物だから」
ニタリ、といかにも悪そうな、欠けた月に似た笑顔を作って、さらに歩み寄る。
「ひっ、く、くるな」
「断る。俺は。化物。人間には従わない」
「く……くるなって! いってんだろがぁっ」
「あの子は。俺の仲間だ。次、手を出してみろ」
「う、うぅ……」
野球帽の顔は涙でぐちゃぐちゃだったが、同情の気持ちは一切ない。容赦しない。
お前がいま泣いているよりも、ずっとずっと途方もない涙を流さなきゃ、あんなに。
あんな、顔にはならないんだよ。
「どこまでだって。追いかける。俺は悪を許さ」
「ぎゃあああああああ!」
思い思いの捨て台詞を吐きながら、迫りくる人間の足から逃げ惑う蟻のように、いじめっ子ども八人は散らばっていった。釘をさそうとしている途中で逃げるなんて、マナーのなってない奴らである。
河原に残されたのは、私とバットくんと、赤い髪の少女だ。そして、私にはもう一仕事、残されている。少女の傍により、話しかける。
「それ。触ってもいい?」
私は少女のランドセルを指差した。少女は、目をいくらか泳がしたあと、首肯してくれた。
傷と言葉が、そこかしこに刻まれたランドセルに手を添える。何年間も使う、大切なモノを蹂躙する権利なんて、誰にもないというのに。ギリリ、と歯ぎしりしてしまう。
「いま、治してあげる」
白の光で、赤を照らした。光がおさまると、そこにはピカピカのランドセルがあった。これから入学なんです、と言っても差し支えない。傷ひとつ、汚れひとつない必需品。
「あ。綺麗にしすぎると、駄目、だったかな」
あまりに新品同様だと、親御さんが怪しむかもしれない。
「…………」
少女はランドセルを、愛おしそうに、そっと抱きしめた。大丈夫、なのだろうか。
「…………魔法、使いさん?」
「へっ?」
その幻想に満ちた一言が、私と少女との初めての会話だった。無理もない。このとき、まだ少女は特撮に興味もなく、正真正銘のお姫様だったのだ。
「いや。超能力者。修行中の」
「しゅぎょう、してるの?」
「うん。それしか、してない。不良」
そう返答すると、少女はうつむいた。
「……私、赤い髪なのに、なにもできないの。魔法も、変身も、できないの」
「それで……からかわれる?」
唇を噛んで、少女がうなずいた。
「魔法使いじゃないなら、なんで、赤い髪なの、って。人間じゃ、ないんじゃないのって。私、人間じゃ、ないの?」
すがりつくような、視線。私は人間が嫌いだ。やっぱり、嫌いだ。
「んと……俺は、人間じゃなくなりたい。人とは違うことをして、人の持つ常識とかを覆したくて、仙人に弟子入りしてる」
殺された友達の復讐、だなんて、小学生に言うべきではないから、言葉を濁した。
「人間じゃないなら、それでもいいと思う。師匠が言ってた。普通と違うなら、異常として生きていける」
「いじょう。たしか、悪い言葉……だよ」
「普通の人間に、悪い奴がたくさんいる。なら異常の人間に、悪い奴だけとは限らない。お話の魔法使いも、普通じゃない。だけど、みんなに人気」
「うん。私も、好き」
「うん。俺も、好き」
ちょっとだけ、少女が笑ってくれた。元気、出てきたのだろうか。
「普通と異常は、相容れない。けど、だからって異常が悪いわけじゃない。誰かを助ける、ヒーローにだって、なれるはず」
「ひーろー?」
ざざざざ、と風に河原の雑草がなびく。私と少女の髪も、似たような向きに流れる。少女の赤髪は、豪勢な着物の生地に使われていそうなほど、鮮やかな発色をしている。ふと、小学生の頃、主役だったアニメを思い出し、頼れる赤い髪の戦士が浮かんだ。
「そう。キミは髪が赤いから、リーダーだな」
「私、リーダーなんて。弱いもん」
「ううん。強くなれるよ。心の底から、願えば」
「超能力者さんみたいに、なれる?」
「俺は強くないけど。超能力は、できるようになれるかもしれない」
「どうすれば、いいのかな。私、もう、いじめられたくないよ」
私はどうしたんだっけか。アリスを殺された後の自分が、おぼろげだ。あの頃のまま、憎しみと後悔を煮詰めたまま、私はここにいる。救われないまま、治らないまま。
あの頃に、私が欲しかったのは、私を支えてくれたのは――――アリス、だったな。
「超能力者さん、教えて。私、強くなりたい。お母さんに、買ってもらったランドセル、もう、ひどいこと、されたくないの」
この少女の必死さが、なにを意味するのか知るのは後のことになる。
けど、意味を知らなくても、想いの強さは伝わった。
師匠、超能力で誰かを助けるってこと。
誰かを超能力者にしても、許してくれるだろうか。
いや、許してくれなくていい。
私が、この子を支えたいと思ったのだから。
*
あの河原の願いから、約六年。少女は大人に近づき、私は大人になれずにいる。
私は、暗闇の中にいた。先日まで、命を自ら断とうとしていた〝死にたがり〟だった。
しかし、すでに、過去形になっているのだ。
だが、肩を震わす姫宮にとってはまだ、あの頃の記憶が真新しいまま残っているのだろう。それでも、姫宮は心の傷に立ち向かって、少年を助けた。
「姫宮、こい」
姫宮はうつむいたまま、私の胸元へとやってきた。私はハンカチを出して、姫宮の顔をふく。目元は腫れあがってしまわないように、そっと布に涙を吸わせた。
「強くなったな、見ないうちに。まえはランドセルを見るだけで冷や汗かいて、動けなくなってたのに。それなのに、お前、ユウキくんを助けたんだ。さすがヒーロー部のリーダー」
姫宮の返事はない。だが、涙を止めてくれたので、良しとしようと思う。
「ほんとに強いのは、私じゃなくて、葵なんですよ」
「えっ?」
か細い声が、聞こえた。
「葵は、自分を度外視して、誰かを助けることのできる子なんです。だから、傷つくことも、多いんです。私なんかより、ずっと強い、強くて、折れない」
私が吸い取ったというのに、この姫はごしごしと目元をお拭きになる。
私は青葉さんのことを思い出す。銀行強盗相手に、非武装で挑んだ女子高生。隅っこで怯えて、ことが済むのを待てば銀行がお金を差し出して、その後の捜査で犯人は捕まっただろう。だが、彼女はそれを許せなかったのだろう。そうじゃなければ、自ら危険に飛び込む人なんて、稀すぎる。
「おっと、部活としては私が先輩なのに、しみったれた話、しちゃいましたね。いけませんね。リーダーなんですから」
そういって笑う姫宮。に、私はデコピンをする。
「いたぁ」
「俺が言うことじゃないかもしれない。俺が、お前に呪いをかけたようなもんだから」
「呪い、ですか?」
「うん。お前が、強くならなくちゃいけない、リーダーにならなくちゃっていう呪い。初めて会った時のこと、憶えてるか……皐月」
「は、はい、瑠璃さん」
「はっは、仰々し……俺たち超能力者は、現実を否定することで、現実を捻じ曲げる。けど、お前は超能力に頼らなくても、強いよ。強くなってる。保証する。トラウマも、きっといつか乗り越えられる。俺は、断言するよ。皐月の先輩として、友人として、後輩としてね。だから、そんなに思い詰めすぎなくていい」
「ぷっ、ふふ、瑠璃さん立場めちゃくちゃ多い」
「い、いいだろ。事実なんだからさ」
私は照れくさくなって、姫宮の顔を見ないように首を横に向けた。頬が熱い。
「ありがとう、先輩」
弾む、姫宮の声色。
「お礼なんて。事実を。言ってるだけ」
「喋り方、昔に戻ってますよ。へへ、なんだか葵と先輩って似てますよね」
「そう、か?」
「うん、似てます。だから、私は」
姫宮の言葉を掻き消す様に、冬の風に木々が揺れた。轟々と唸るような強い風に、姫宮はとっさに反応して、ゴミ袋を胸に抱えた。
「おおーい! 姫ええ! 風強くなってきたし、今日は引き上げようぜー!」
山吹くんが髪の毛を風にぐしゃぐしゃにされつつ、こちらに歩いてきた。その隣では青葉さんがマフラーをはためかせていた。強風に体をよろよろさせている。
「るり。来てくれた?」
小首をかしげる青葉さん。
「うん、仕事終わったから。二人ともお疲れ様」
「ありがとう」
「あざっす。ううう……体ちょう冷えた……年末の公園を舐めてました」
「ふふー、二人とも! ヒエヒエな身体を、ぽっかぽかにする企画があるのだよっ!」
姫宮が声を張り上げる。涙の気配なんて、風と一緒にぶっ飛ばしてしまったかのように。
「いや姫、それよりそのカッコどうした。穴あいて足、見えてるんだけど」
「ボタン。とれたの?」
「……ちょっとこけた! ボタンはひっかけた!」
「嘘こけ、またなんかしたんだろ。独断先行禁止って、何度言ったらわかるん?」
「怪我。消毒しなきゃ」
「俺が暴れないように羽交い絞めするから、青はダイレクトアタックお願い」
「うん。持っててよかった。救急セット」
「あ、あうう……」
山吹くんも青葉さんも、姫宮のハイテンションに流されないんだな。
私は姫宮が持っていたゴミ袋を受け取りながら、そう思った。
いい友達を持ったものだ。遠くに行ってしまった感じがする。
私が助けなくても、姫宮は、大丈夫だ。きっと。