第12話 悪意の存在と、善意の涙
結局、一時間くらい羞恥タイムは続いた。
たったいま、割れていたグラスくんやお皿さんをこっそり集めて治療し終えたところだ。不審に思われてしまうかもしれないが、やはり、壊れたモノを見て見ぬ振りすることはできない。スタッフルームに食器が点在している光景は変だが、これほど変なら誰かがキッチンに持って行ってくれるだろう。私がもっていって、怪しまれたら面倒だ。
スタッフルームの窓からは、強い夕日が差し込んでいる。自分の着ているメイド服の白い部分に光が当たり、ノスタルジックな雰囲気を感じた。
姫宮たちはすでに店にはいない。部活動を公園で行っていることだろう。
そしてとうとう、私と和花の勤務時間が、終わりを告げることとなった。私は和花と互いに健闘をたたえ合い、ハイタッチを交わした。
勤務終了となったが、思わぬ形でダブルブッキングになってしまった。海尋から話を聞くか、姫宮の部活動風景を見学するか。この二つの約束のどちらも破りたくないのだが、現状の体力と、海尋が言っていた〝武鎧の人間なら知って損のないこと〟が気になる。もし、よっぽど重要なことなら、自分に着けていた枷を外して、きよに連絡しても、許されるだろうか。わからない。でも、いまは話を聞きに行こう。
私と和花は、待っていてもらったメリーと海尋に近づき、声をかける。店内はまだ賑やかだが、周りを気にせず会話できる環境の都合のよさに、またお世話になることになりそうだ。
「瑠璃ちゃん。お仕事、お疲れ様」
「サンキュー。でもお前のせいで余計な疲労を積み重ねた気もする」
私は文句を言いながら、メリーの隣に座った。六人掛けの座席なので、私の隣に着物姿に戻った和花が座る形になる。対面には、いつになく真剣な顔をしている海尋の姿がある。
「皐月くんと約束していたみたいだけど、そっちはいいのかい?」
「お、海尋って姫宮と知り合いなのか」
「うん。皐月くんたちはサチの友達だからね。きみの後輩だとは思わなかったよ」
「変なとこで繋がってんだな、俺たち。っと悪い、話逸らした。先に海尋の話を聞きたいんだ。何時間もかかったりはしないだろ?」
「そうだね、すぐ終わらせる。えっと、話っていうのはね、この前、キミたちが僕と茉子、そして〝もう一つの世界〟を助けてくれたことについてなんだ。あれから、僕の世界を壊そうとしたウイルスを解析した。その結果わかったのは、あの技術は〝ただの個人ではなしえないもの〟だったってこと」
個人では無理な技術、ということか?
「でもでも、海尋さんは、おひとりで茉子さんやI-deaを制作したんですよね。ひとりでも、すごいもの、つくれるんじゃないですか?」
和花が率直な疑問を海尋にぶつけた。
「それは、僕が天才で、莫大な資金、そしてとあるパトロンがいるから。こんなに開発条件に恵まれた個人が何人もいたら、この世界では日夜、技術革新が起こってしまうよ」
大層な自信だが、実力に裏打ちされているので、突っ込む余地はない。事実だろう、と納得してしまう。羨ましいな、コイツのこの自信は。
「僕レベルの天才、そして個人という枠に収まらない開発環境。それに符合する人物と言ったら、僕はたった数人しか知らない。そのなかには、武鎧淨という名前が挙がる。きみは、彼を知っているね」
「ああ、よく知ってる。俺は、ジョウの兄だから」
海尋はこくりと、うなずき、わたしの顔を真っ直ぐ見る。
「率直に言う。彼の名前が、ウイルスの中に隠されていた。彼はプログラミングからロボット設計など、すべての〝技術〟に精通した類まれなる天才だ。ゆえに」
「あいつは、誰かのことを傷つけようとするやつじゃない」
そうは言いつつも、私の心は揺れていた。私は、男女逆転計画以降、きよと会話を交わしたことがない。心が変貌していたとしても何もおかしくはない。
「そう怖い顔をしなくていい。僕は、彼自身がウイルスに自分の名前を隠す、なんて行動をするわけがないと思っている。僕が思うに、これは宣戦布告のようなものかもしれない」
「宣戦布告?」
「ああ。僕が攻撃を受けた日、僕の知る技術者たちも攻撃を受けていたんだ。全員、なんらかの損害を負った。……その攻撃の痕跡にはどれも等しく、武鎧淨の名前があった。これはね、武鎧重工を陥れるための陰謀なんじゃないかって」
「ふうん。いわば悪意的なステルスマーケティング、みたいなものかしら。武鎧の評判を貶めたいどこかの天才が、武鎧の名前を使って破壊活動をした、ということね」
そういうとメリーはメロンソーダを飲み、しかめっ面をした。
「失敗とは言い切れないかなあ。現に疑り深い技術者が、武鎧淨の存在について不平を漏らしているよ。日頃の嫉妬が噴出しているのかもしれない。これは悪意ある何者かの行為が、一定の効果をもたらしたことを意味してる。それで、ここからは完全に僕の憶測なんだ。憶測だから、はっきりとは明言できないけど」
「……けど、なんだ」
「天才は、個人ではないかもしれない。悪意は、ひとりのものではないかもしれない」
「……企業、か?」
私の言葉に、海尋はうなずく。
「天才が集団を指揮する軍隊、それが企業のひとつの形だね。天才が悪意を持つ者だとしたら企業の行動はそれに準ずる。武鎧重工とタイマンを張れる企業、それはどこだかわかるかい?」
「………………」
武鎧がいなくなって、一番得をする企業の名前がちらつく。
ヨーゼフ・ファクトリー。
武鎧とともに技術畑最高峰の双璧をなす、巨大企業。
そして、裏社会系都市伝説の温床でもある。
「僕もいろいろ警戒したいし、言葉には出さない。きみの顔、どうやらわかってくれたようだし、これで僕は満足かな。武鎧も、まあ、こんなことで揺らがないだろうけど。知っておいてもいいだろう? 悪意の存在を」
私が知ったところで有効活用できそうになない情報だが、これは淨美にとっては意味のあるものになるのか。自分の無能さが、悔しい。
「ふふ、たんに僕が武鎧に恩を売りたいだけなんだけどね。ウイルスの解析データを売り渡したりしたら、茉子の素体開発費用にあてられるし!」
グッとガッツポーズを決めながら欲望を解放している眼鏡野郎。まあ、その正直なところは嫌いじゃない。
「現金なやつ。今度、伝える機会があったら、ジョウに言ってみる」
「うん……さ、僕の話は終わりだよ。みんなのとこに行くといい」
私は海尋にお礼を言ってから席から立ち上がり、スタッフルームへと向かった。
すでに懐かしさすら感じる男物の服を回収し、メリーと和花と共に、裏口からリベラメンテを出た。
鉄の扉がしまると、さて、とメリーが一言発して、
「んじゃ、仕事中いじめたお返しに、秘技、見せてあげるわ。瑠璃の着ていた服を貸してちょうだい」
「……なんか悪いこと企んでないよな」
「あらあ? そんな口きいてしまうのね。いいのよ、べつに。これから公園のトイレで着替えようとか、甘い魂胆を胸に秘めているのだと思うけど。公園沿いの道路、交通量多いわよ。不特定多数の変態さんに、変態紳士の痴態がもくげ」
「オーケー。わかった、わかりました、はい、どうぞ」
手に持っていた紙袋をメリーに渡した。メリーは嬉しそうに受け取った。
「お兄様ーっ、なんだか、わくわくしますね。秘技ってなんなんでしょう、ふふ」
和花は仕事を終えた解放感からか、いつもの三割増しくらいのハイテンションだ。両手を合わせて、楽しそうに体を揺らしている。
「ああ、ドキドキするな。色んな意味で」
正直、ものっすぐぉおく、不安である。
「ほいじゃ、やるわよ」
メリーは紙袋から私の着替えをひっつかむと、私のはいているスカートに手をかけた。
「うえっ!」
私が驚嘆の声をだしたときには、メリーが手に持っていたものと、私が着用しているものが入れ替わっていた。本当に一瞬、まばたきの間。いつもの瞬間移動を、文字通り肌に触れるような、ごく間近で見ると、すさまじいものがあった。
「まるで忍者ですね。へ、変化の術というやつですか?」
「ちがうわ、秘技よ」
「キテマスね……」
「でしょう……」
メリーは、わなわなと感動している和花に両手を、手のひらを見せるようにして向けた。和花もふるふると同じようにしている。年末特番にここまで影響されるオカルト人形たちは、おそらくこの子らだけであろう。……アリスは、多分平気……。今度、百均でメリーと和花ににサングラスでも買ってやろう。あと、デカくなる耳も。
店を出て徒歩三分もしない距離に、活動場所といっていた公園があった。三人でぞろぞろと公園の中に入ると、中心にある大きな木の傍で姫宮がトングを片手に、小さな子と喋っているのを見つけた。姫宮の足元にはゴミ袋があって、そこには空き缶、お菓子の空き袋などのゴミが詰められている。ずっと清掃活動をしていたのだろう。
「おーい! 姫宮ぁー」
私は離れた場所にいる姫宮に手を振ってみる。そうすると、すぐに反応を返してくれた。私たちは姫宮と子供のいる場所まで歩いた。
「その子、どうしたんだ? 友達か?」
「はいっ、たったいま友達になったばかりですっ。ねー、ユウキくん」
ユウキくんは黙りこくり、うつむいている。背丈からして小学生だろう。なぜか服に汚れが目立ち、ひざをすりむいている。
姫宮は返事をもらえなかったからか、ちょっとだけ残念そうな、悩ましげな顔をして、
「ユウキくん、もうすぐ夜になっちゃうし、そろそろお家に帰えりなね。冬はねー、すぐ暗くなっちゃうからね。お姉ちゃんねぇ、ユウキくんくらいの頃、迷子になって泣いちゃったもん」
「……お姉ちゃんも、泣くの?」
ユウキくんは地面を見たまま、姫宮に尋ねた。姫宮は地面を見ているユウキくんの前にしゃがんで、満面の笑みを浮かべた。
「泣くよーっ! うーんと悔しいときとか、すっごい悲しいときとか、お化けが怖いときとかー。理由はいっぱいあるけど、泣くよっ」
「そっか……お姉ちゃん、また、ここ来てくれる?」
ちいさな、願いのような質問の声に、
「うんっ、ぜええったい、来る! ヒーロー部の姫宮皐月をだせーっ! ってお姉ちゃんの学校までユウキくんが来てくれてもいいからね」
姫宮は相変わらずの大声で、大ぶりなジェスチャーを交えながら応えた。
「わかった。またね、お姉ちゃん」
ユウキくんはそれだけ言うと、公園から走り去ってしまった。少年の足音がトタトタと遠ざかっていくのが聞こえる。
私は、ユウキくんの後姿を見送るように、立ち上がった姫宮の顔を見た。
笑顔だ。
だが、晴れていない。
「メリー、和花、すまない夕飯の支度をしてなかった。部活動は俺が担当するから、ふたりは夕飯の準備をしておいてくれないか」
「えー! もぅ、早く言ってよ。なんだか一日中、紳士に振り回されちゃったわねー、私。その紙袋よこしなさい。持ってってあげる」
メリーは半ば強引に、メイド服の入った紙袋を私からひったくると、和花の手を握った。
「あったかいもの、作って待ってますからね。姫宮さんも、よかったら」
「くはぁ! 和花ちゃんは優しいなぁ。光司と葵も誘っていいかな」
白い息を吐いて身もだえしながら、微笑む姫宮。
「ええ、ぜひぜひ。じゃあ、お鍋にしましょ。あれならみんなで楽しく食べれます」
ふふ、と口元をおさえて和花が笑った。和花の鍋は、とびきり美味しい。
「それじゃ、いくわね。風邪ひかないうちに帰ってきなさいよ」
メリーの言葉が私に届くと同時に、二人の姿がこつぜんと消えた。
「さ、姫宮。なにがあった」
「いやぁ、ユウキくんと昔の私が重なって、大人げないことをしました。私の超能力、憶えてますか?」
「憶えるっていうか、師匠に弟子入りしてたんだから、程度の差はあれ何でもできるだろ。特に姫宮は」
「違います。コレです」
姫宮は右の拳をかためると、自らの顔面に、勢いよく打撃を浴びせた。
バチィ、と火花が姫宮の頬で爆ぜた。姫宮の上気した頬から白い煙が立ち上っている。
だが、姫宮の頬が腫れあがることはない。姫宮の身体が揺らぐこともない。
これは、姫宮が最初に手に入れた超能力。
特撮ヒーローのごとき防御力と、力強さを手に入れる超能力である。
ダメージを受けたときは、特撮ヒーローらしく火薬が炸裂するエフェクトが発生する。
「これを使って、ユウキくんを虐めてた子たちを怯えさせちゃいました。相手が鉄パイプだったんで、力、使うしかなくて」
虐めていた子たち。小学生。そして、あのユウキくんの年頃。私の中でパズルが完成する。
姫宮の声は震えている。肩は、声以上に震えている。姫宮はよれよれだった。上着のボタンがとれていたり、黒いストッキングも伝線していた。
「先輩に憧れて、ヒーローなんて名乗ってますけど、ダメダメっす。もういま、体に、力、入らなくて……っ……ぐ、すっ」
「姫宮……」
姫宮が、声を押し殺して涙を流している。さっき、少年の前では笑顔だけを浮かべていた赤い髪の快活なヒーローが、いまは悔しさをにじませる、高校生の女の子になっている。
「駄目なんて、いうな。駄目なんかじゃない」
「……ぐす……ひっく……」
私は姫宮のそばに近寄った。端正な顔は涙にぬれ、強さと、威勢が削げ落ちていた。
虐め。私にも経験がある集団暴力のこと。
そう、私にも。
姫宮、にも。