第10話 無邪気な笑顔と、メイドの将来
覚悟を決めた私だが、さすがに本気でこの格好のまま外に出るほど正気を失ってはいない。私は越坂部さんの言うことを一から百まで素直にこなす、真正直人間などではないのである。流石にもう、自律した思考をすることくらいできる。
私は更衣室まで戻り、脱ぎ捨てたジャケットから携帯電話を取り出した。そしてとある人物へと電話をかける。五秒ほどコールすると、相手が出た。
『ん、んん。も、もしもし? 私メリー、いまリベラメンテにいるわ』
店内のせわしない雑音が、現在位置を説明するメリーの声と合わさって聞こえてくる。本当に繁盛しているようだ。
「よかった、和花のことも追跡できたんだな。さっき店名も場所も教えてなかったからちょっと不安だった」
その私の言葉に、雑音を覆い隠すくらいの大きなため息が返ってきた。
『おばか紳士に講釈をしてあげる。いきなり和花さんがいるところに瞬間移動したら、お仕事の邪魔になるじゃないの。ユキからあなたの服を依頼してきたお店を聞いて、ネットで検索してね、リベラメンテって店名を見つけて……店の裏手の路地裏に転移したの。地道にたどり着いたのよ。褒めてちょうだい』
私のミスで余計な手間をかけてしまった。これからお願いをしようというのに……。
「それは、かなりすまないことをした……えっと……そういうことをしておいた分際で言いづらいんだけど……すまないことが重なってしまいそうです、お嬢様」
『……言ってごらんなさい』
予想外の返答にとまどう。メリーのことだから、私に頼りすぎよ! と叫ばれるのを予想していたのだが。
「いま、俺がいるところに転移して、そんでリベラメンテまで連れて行ってもらえないかな」
三秒ほどの沈黙。
『はー……さては、あなたまた面倒くさいことになっているのね。姫宮さんじゃないけれど、石動さんの御祓いをおすすめしたいわ』
「その件については後でちょっと真剣に考える。なんにせよ、このままじゃ外に出れないんだ。来て、くれないか」
私がそうつぶやいて数十秒後。私の視線の先。扉があいたままのロッカーの中にメリーが現れた。携帯を片手に持って、キョロキョロしている。ちょっと慌てているような顔だ。
「おかしい……失敗かしら。私が間違うなんて……もう一度……」
ぶつぶつ独り言を漏らしているメリーが目をつむった。
そしてすぐさま両目が開かれる。
「…………そこのあなた」
細い腕が、ゆっくりとこちらに伸びてきた。
「このあたりで、ちょっと頼りなさげな男の子を見なかったかしら? 細くて、色白の」
「……メリー、俺だ」
ぎょっ、とメリーのただでさえ大きな瞳が、見開かれることによりサイズアップした。
「その声は、というよりその姿……外に出られないわけね……変態」
パシャ。
「撮るなよ! っと……大声出しちゃまずいんだった」
越坂部さんにバレたら面倒だ。私はとっさに両手で口をふさいだ。
「いいじゃない。ちゃんと運んであげるのだから。これはその対価だと思ってちょうだい。それにしても……キュロットスカートとは考えたわね」
私が着用している謎のボトムスをさわりながらメリーが言う。
「なんのことだ?」
「いいわ、知らなくて。とっとと行きましょ。脱いだの、そこの紙袋にいれて、ほら」
着ていた男物の服を、制服が入っていた紙袋に詰め込み、いつもどおりメリーの手を握る。もうすっかり慣れたものだ。
まばたきを終えると、視界は期待通り一変していた。
「ここはトイレか」
私とメリーがおさまっても、まだ余裕のある広さの個室だった。パッと見ただけでも清掃が行き届いていることが分かる。
「……とっとと出るわよ。誰にも見られないうちに。男ってばれたとき面倒になるから」
メリーが個室の鍵を開けてそっと外に出る。メリーの言動から察するに、ここはおそらくリベラメンテの女子トイレなのだろう。これ以上は分析するのも恥ずかしいし、失礼なのでやめておく。
私はメリーに手を引いてもらい、目を閉じ、そろそろと歩いた。
なんとか誰にも目撃されずにトイレから離れることが出来た。私を安全圏まで送ってくれたメリーは、とてとてと急ぎ足で客席に戻っていった。邪悪な笑みと共に。
例の写真が悪用されないといいが……。
とりあえず、従業員の人に声をかけてみよう。越坂部さんが私のことを電話かなにかで知らせてくれているだろう。
洋風の雰囲気でまとめられた廊下を歩く。絨毯はもちろんフカフカだ。体重に負けず、自らの強さを私の足に示してくる。
そうして、しばらく廊下を歩いているとスタッフオンリーと書かれたドアを見つけた。うろ覚えだったのだが、なんとか道順は正しく思い出せていたようだ。ノックをして、返事を待つ。
「はいはい、どちらさまでございましょうか」
ゆっくりと開けられたドアから姿を現したのは、
「あらまあ、瑠璃様ではありませんか。お久しぶりでございます。随分とご無沙汰でしたが、まさかこんな形で再会できましょうとは。人生はなにがあるかアンノウンですねえ」
にこにこと笑う、かなり親しげなメイドさん。
「は……へ?」
いやまて、おかしいだろう。確か最後に会った時は……ええと。
「年齢計算は止めていただけるとハッピーなのですがねぇ。うーん、ですが久方ぶりに私からお仕置されたいとかー、そういうマゾヒスト的思考をしているのならば、私はストップ推奨をストップしますけれど」
えへへへ。と真っ白な笑顔を浮かべるメイドさん。笑顔と裏腹に言動は真っ黒。そう、彼女には悪気がない。素なのだ、これが彼女の通常運転。
「久恵さん!? なんで、どうしてここに?」
メイド服を着こなし、やんわりとした空気を漂わせている、一見すると少女のような女性。漆原久恵さん。私が武鎧家にいた頃に、親身になってお世話してくれた恩人であり、私の精神構造の上書きを遂行した教官でもあるメイドさんだ。彼女の年齢はプライバシーに配慮し、ふせる。ただ一つ言えるのは、着ているメイド服が違う以外、彼女には変化ひとつ見えない。そっくりそのまま、当時のままの久恵さんだ。老いを知らないのか、この人は。
「副業です。瑠璃様は家出中でございますし、淨美様には専属の執事がいらっしゃいますから。メイド長である私は……このように」
久恵さんはメイドエプロンのポケットから携帯を出して操作し、その画面を私に見せた。そこには、世界中で使用されているSNSサイトによく似たデザインの
「め、メイッター?」
とやらが映し出されていた。家事や庭の手入れなどに関する質問がいくつも寄せられている。私が見ているちょっとの間にも、仕事を済ましたという旨の報告が飛び込んできた。
「はい、淨美様が武鎧メイドの為にお作りになられた、セキュリティ性ガチガチのプライベートネットワークツール、〝メイッター〟です」
「パクリ丸出しなのは、きよの遊び心なのか?」
「どうでしょうねえ。淨美様が暇つぶしでこさえたものですから。テスト版はネーミングのオマージュ元より生まれが早いとかうんぬん仰られていたような。まあさておき。私は、このように部下メイドたちの質問に答えるお仕事をさせていただいております。お屋敷の作業効率は上がりましたけれど、そのおかげで、私個人としましてはめっきり退屈なのですよ」
悩ましげに眉をひそめる久恵さん。情報化社会がメイドの業務形態にまで影響をあたえているのか。介護施設などでロボットも普及し始めているし……人の手伝いを職とする彼女らの将来は、どういう展望をみせるのだろう。
「って、その疑問の答えがこれか……」
メイドが好きな一定の層がいる限り、この商売は衰退しないだろう。
「あの、瑠璃様? 物思いにふけるのは良いですけど、例の元呪いの和服人形の女の子、ここで働かせるんですか?」
久恵さんは和花のことを知っているのか。アリスから聞いたのだろうか。
「うん、アリスから聞いたかもしれないけど、和花は呪いが解けて、外に出られるようになった。けど、まだ俺以外の人間に慣れていないみたいでさ。わが子を崖から突き落とすみたいで心苦しいんだけど、人間に慣れさせるために接客業やらせようかなって。和花は西洋のモノに興味あるみたいで、そっちに頭がいったのか二つ返事で承諾してたよ」
「……道理でというか……瑠璃様は、肝心なとこでは女性に気が利きませんのね。浮いた噂のひとつもアリスちゃんから聞き出せなくて私としてはがっかりです。まあ、女の子二人と同居しているという面白おかしい情報はリークしていただきましたが」
ふぅ、と物憂げにため息をつく久恵さん。
「和花ちゃん、接客が出来なくてキッチンでお皿洗っていますよ。応援に行くなら可及的すみやかに、かつ、最大限優しく労わってあげてくださいね。そのあと、桐彦さんからのお達し通り、馬車ウマのごとく労働していただきますので、ご覚悟を」
ああ、魔獣が牙をむいている……。笑顔がこれほどまでに恐ろしく感じる経験は、人生において少ない方が建設的であろう……。というより、自分の保身よりも、いまは和花だ。私の勝手な判断でかなり無理をさせてしまったようだ。久恵さんの言うとおり、早く声をかけに行こう。紙袋は、無人のスタッフルームの中におかせてもらった。
キッチンの入り口まで久恵さんに案内され、それから和花を呼び出してもらう。すると、見慣れた顔が、見慣れない姿でやってきた。
「あ、おに……?」
とっさに和花の口を手でふさいだ。当の和花はキョトンとして、私の顔を見つめている。 和花はいつもの着物姿ではなく、黒と白を基調とし、アクセントに赤いリボンがしつらえてあるメイド服で身を固めていた。その姿まさに、メイド・オブ・メイド。日頃からおかしい私の脳内言動がよりおかしくなるくらいに魅力的だった。洗い仕事をしていたからか、長い髪を後ろで束ねているのも新鮮だ。
「すまん、今は他の呼び方で頼む」
和花がこくこくと頷いた。聡明かつ、頭の回転が速くて助かる。
私を一目見ただけで正体を見ぬいてくれたことは、本来、胴上げを全力でやったのちに抱きしめてやりたいくらいに嬉しいのだが、今この状況で〝お兄様〟などと呼ばれようものならば、この店のメイドたち(久恵さんを除く)に変態扱いされること必至。
すでにこの状況をキッチンの奥にいる眼鏡メイドさんに睨まれてしまっているため、和花を連れて、そそくさと、久恵さんと出会った部屋に行くことにした。
スタッフルームは、いまだ無人だった。三人で横一列に、和花を間に挟むようにパイプ椅子に座る。そして私は、和花にこのバイトを推薦した本当の理由を話し、
「和花、すまない。キミのためと思ったんだけど……だいぶ無理させて」
和花に向けて頭を下げた。
「いいえ、わたしがまだ人に慣れていないって、わかっていたんですね。おに、お姉さまには隠し事、できないみたいです」
眉を下げて、和花が微笑んだ。
「わたしの呪いを解いてくださって、その後の生活までお気になさらずとも良いのにと、ちょっとだけ思いましたけど。その遠慮もしたくないくらいに、嬉しいのです。なので、がんばりますよ! お皿洗いは毎日お姉さまと一緒にしていますから、得意分野ですしね」
「和花ちゃんの洗い方は早くて丁寧って、キッチンの子が話してたよ。初めてのバイトらしいのに即戦力になってるなんて。ウチに欲しいくらい」
久恵さんが柔らかな手つきで和花の頭をなでた。最後の一言に本気の色が宿っていたのが大いに不安である。
「え、えへへ」
和花は顔をほころばせている。久恵さんのあまりに警戒心のない手つきに、喜んでいるのかもしれない。久恵さんは和花が元呪いの人形だということを知っている。けれど、平気で触る。そういう人だから、アリスも、超能力を手にした私もすんなりと受け入れてくれたんだろう。
久恵さんがいるなら、和花を安心して任せられる。
ならば、私は自分の戦場に赴かなければなるまい。
私は久恵さんから伝票を受け取り、部屋の隅にあった姿見で身だしなみを整える。久恵さんと和花の 女性陣による監査も入ったので、より万全のものとなった。いざ、出撃である。
私は背筋を伸ばし、努めてメイド然とすることに集中した。廊下を歩くときでさえ気を配る。どこでご主人様に見られるかわからないのだ。お客様の夢を壊してはいけない。
「らっしゃーせー! 旦那様三名追加ですぅー!」
「「「らっしゃぁーせぇー!」」」
テーブルがいくつもあるフロアに着いた途端に響く、必要以上に愛らしい声。内容が居酒屋レベルなのはどういう事態だと問いただしたくはあるが、ここはリベラメンテだ。そうだった。清廉なメイド像を演じる必要なんて皆無だった、そうだった。
「おしぼりいかがっすかー?」
「鳥のなんこつ揚げっすねー! かぁしこまりぃー!」
「生みっつ入りましたぁー!」
「「「「あざーっすぅ!」」」」
店内は混雑し、まるで忘年会が開かれている居酒屋のようなムードである。ただ、店員のボイスが総じてフニャフニャと気の抜けてしまうような声であることを除けば、だが。酔っ払い旦那様の顔はそろいもそろって真っ赤でクニャクニャである。メロメロである。
あれか、越坂部さんのことだから〝年末だし、忘年会マネしてみっかァ。オレも麦酒のみてぇシィ〟とか適当なこと言ってリベラがこうなってしまったのだろう。和花には辛い仕事をさせた……。しかし、本当に繁盛してるのだな。喫茶の原形をとどめてないけど。
そうして私がぼーっと突っ立っていると、
「そこのきみ、注文を頼むよ」
と呼ばれてしまった。初仕事だ。無礼のないようにしなければ。
「いらっしゃいませ、旦那さ……ま……」
「こんにちは、新人さん。こんな大変なキャンペーンの時に初出勤とは、きみもついていないね。アイスコーヒーを頼むよ」
「海尋てめえ……、工藤さんがいながらなに浮気してやがる」
脳でろ過する余裕もなく、言葉が喉から漏れていた。
私を指名したご主人様第一号は、大学での友人第一号でもある眼鏡美男子、海尋であった。隣席におかれているリュックの中に恋人がいながら、現実の女性(私は男だが)にうつつを抜かすとは。しかも口ぶりからして常連さんか、こいつ。
「うん? 僕の名前を知ってるのかい? それに茉子のことも……さては、たびたび僕にクラッキングを仕掛けてくる身の程知らずか、それとも茉子の存在を嗅ぎ付けてきた企業のスパイかい? やれやれ、前者ならともかく後者なら、完膚なきまでに社会生活を送れないようにしてあげよう。さ、きみはどちらなんだ」
「見当ハズレだ。どちらでもない。分からないか?」
「……いや、まったく。僕は現実の女の子の顔をあまり憶えないものでね。それから、僕には大切な彼女がいる。もし僕に恋しているのであったら、あきらめた方が賢明だよ」
「くう……」
顎に手を当てて首をかしげるという、すかしたポーズを決めながら煌めく笑顔が腹立たしい。海尋には名前を教えていなかったので、正体を伝達するのが難しいことに気が付く。あれ、というか、ついカッとなって声をかけたはいいが、正体なんてばれない方が、いいのではないか!?
「海尋さん、相席良いかしら」
「おっ、どうぞ。偶然だね」
私が狼狽していると、メリーが海尋の正面の席に座った。
「偶然じゃないわよ、ひ・つ・ぜ・ん。私は誰かさんに頼まれてここに来たんですもの。和花さんがこのお店で働いているの」
「和花ちゃんが! それは見てみたい……ということは、彼に頼まれたのか。昨日電話を貰ったが、彼は元気か? ちょっと声がかすれていた気がするんだ。あの細身だとすぐに風邪を引きそうだからね。今頃顔を真っ赤にして苦しんでいないだろうかと、気が気でならない」
ちら、とメリーが私に目線をやって。くふふ、と声を抑えて楽しそうに笑った。
「顔を真っ赤にしているのは事実ね。心配なんてされて照れているんじゃないかしら」
「ん? 彼とテレビ電話でもしているのかい?」
メリーは携帯をいじりながら海尋と話していた。壮絶に嫌な予感がする。
「ふふー、安心して、紳士は元気よ、ほら見てっ、これが撮りたてピチピチの写真」
私が、あっ、と声を出した時には遅かった。携帯のモニタは海尋に向けられていた。
そしてメリーが先ほどしたのと同じように、海尋が私に目線を送る。
「く、くくく……め、メリーちゃん、だめだろう……本人の前で正体を明かすとか、だめだろう……ふ、ふふふ。きみ、アイスコーヒーを、ゆっくりでいい。笑いがおさまるまで、しばらくかかりそうだ、ふ、ふふっ。まさか、ホントにきみだったとはね、くく、ふふふ」
「ぐぐぅぅう、かっ、かしこまりましたぁっ! アイス一丁っ!」
「「「「「あざーっすぅ!」」」」」
私の感情が入り乱れた怒号は、即座にガムシロップより甘い声に上書きされてしまった。