第4話 もとは魔除けの鉄球遊戯
カラオケから出た私たちは、次の遊戯スポット、ボウリング場に向かった。未成年な高校生が健全に遊ぶスポットは限られてくるのである。それだけに、今だけしか味わえない心の機微があるのだろうと思う。そういった狭い世界で遊ぶことを知ることは、いざ広い世界で遊ぶときに自らの視野が拡張していくのを感じるためにあるのかもしれない。
ボウリング場に着いた私たちは1ゲーム遊ぶことにした。それぞれ扱いやすいボールをセレクトし、指定されたレーンに行く。
私はメンバー全員の名前が表示されたモニタに一度視線をやって、最初の投球をする青葉さんを見守る。スマートなフォームの投球は十本のピンの元へするすると吸い込まれていき、見事ストライクを獲得した。五人の歓声が上がる。それでも当人だけは大きな声を上げることはなく、あくまでクールに席まで戻ってくる。
「ナイスストライク」
「うん」
私が声をかけると、彼女の双眸がにこりと笑ってくれた。青葉さんは私がカラオケで歌を披露してからちょっとだけ、私に対して親しくなってくれたかもしれない。アイドルをやっていてよかった。と、何年もあとになって思えるとは。人生は過去から逃げられるようには設計されていなんだな。良くも、悪くも。青葉さんとの静かなハイタッチはもちろん、良くもに分類される。
「次は俺っすね」
山吹くんがボールを持って投球場所に立ち、目標めがけて転がす。保護者的立場に毎日立たされている彼のフォームは休日、娘たちと共に遊びに来ているかのような落ち着きがあった。その安定した投球がガーターになることはなく、手堅くスペアを取っていった。
「ちょっとまって、なんで二人ともカッコよく決めちゃうの! 私プレッシャーすごいよ!」
三番手姫宮が動揺しながら投球に入る。そこから誰もが予想するのは彼女の投球の結果。ストライクか、微妙な本数か、奥の二ピンだけを残しスプリットになってしまうか、はたまたガーターか。きっと姫宮以外の全員がそのことを頭の隅や中央あたりで考えていただろう。私もそうだ。結果しか予想していなかった。
「そぉりゃー!」
まさかサイドスローするとは予想できなかったのである。過程は誰も予想しない。
まるで、モーニングスターのように飛ばされていくボウリングの球。彼は生まれてこの方、地面を転がる感触を熟知して生きてきたはずだ。空を飛ぶ日が来るとは、夢にも思わなかったことだろう。未知なる空。言葉の響きだけは綺麗なものだ。
レーンすれすれを低空飛行するようにしてピンに近づいていく。球速は衰えない。このままでは、ピンが倒れるは良いものの、そのままボールが吸い込まれていく場所を破壊し、多額の弁償金が発生する事態に!
「……って、あれ?」
「止まった、わね」
メリーが端的に事実を述べた。
ボールはピンの目の前で減速、というか静止した。つまりほんの一瞬、宙に浮いたのである。ふいに翼をもがれたようにレーンに落とされたボール君は余力で転がり、パタパタとピンをすべて倒して闇に消えた。均一に放心している五人が、仁王立ちする姫宮に視線を送っている。
「ふっふっふ、びっくりしました? たくさん修行して、いろいろ出来るようになったんですよ。師匠や瑠璃先輩には遠く及びませんけど」
てへへ、と舌を出して笑う姫宮。私は、言葉を紡ごうにも、言葉が出てこず固まる。
「凍結紳士。彼女、万能型ね。二つ三つ……くらい使っていたかしら。才能あるじゃないの」
隣で紙コップに入ったコーラをストローで飲んでいたメリーが話す。相変わらず、その些細な挙動さえ絵になる。そして、よく見ている。
「赤い髪は伊達じゃないってことかね。どっかの国民的配管工みたいだよ、お前の万能性」
「おじさんと一緒にしないでください! あの人もヒーローっちゃヒーローですけど……」
「ヒーローにしちゃ、毎回、姫さらわれてっけどな。お前は気をつけろよ」
「え、それは、あの、私に対しての心配だったり? 悪者に誘拐されないようにって?」
「そっちじゃねえよ、桃の姫さんの方だ。お前は、姫を守る方だろ、キャラ的に」
「それはそうですけど、そうありたいですけどぉー……はぁ」
ふてくされた顔をして席に戻った姫宮。
四人目は和花だ。高い学習能力を持っている和花にいまさら説明はいらないかもしれないが、一応全体のルールと基本的な投げ方を教える。
「……それにしても意外です」
和花が抱えたボールを手のひらで撫でながら言う。空調の風に黒髪がそよいでいる。
「ん、なにが」
「ぼうりんぐは悪魔を祓ったり、災いを遠ざけたりする儀式なのだと昔聞いていましたので、まさかこんな楽しそうなものだとは。百聞は一見にしかずですね」
和花が投げる。七本倒れた。
「すとらいく……」
悔しそうに自分のボールをとぼとぼとした足取りで回収しに行く和花。私も席に戻る。
「あいつら倒せればスペアだぞ」
「はい、頑張ります。コツはつかめましたので!」
意気込む和花を見送りながら、私の脳裏に進行形で蘇るエピソード。
「お祓いストライクキャンペーン。ストラップ、欲しかった」
まるで私の頭の中を見透かしたように、青葉さんが言う。私は頬が熱くなるのを感じた。
「知ってるか、ちょっと、照れるな。でも青葉さんはリアルタイム世代じゃないもんな、キャンペーンには参加できなかったか。できてたら、会ってただろうし」
「うん」
爽やか熱血オカルトアニメと度々称される私主演のアニメ『霊媒少女ルリカ』は数年前、敷かれたレールの上を走る電車のように、売り上げ好成績街道をばく進していた。その人気を利用しない父ではない。お祓いを起源にしたスポーツ、ボウリングに父は目を付けたのだ。
スポーツ複合施設の中から幸運を勝ち取った一社と武鎧が手を組み、『小学生以下のお子様に霊媒少女ルリカ人気キャラクターのストラップをプレゼント!』というキャンペーンを期間限定で始めた。その期間中、一店舗一度きり、『みんなで祓除タイム』というイベントが設けられ、そのイベント時の投球でストライクを取ると……私と握手し、サインを貰うことができる。
現在の私では考えられない価値が、当時の私の手のひらにはあったようである。
その実感はとうに薄れていて、あの頃より大きくなった手を眺める。
大きくなった私の手は、未来に何を作るだろう。
カココン。和花がスペアを取る音がした。
「わぁ! すぺあ、やったっ」
バンザイして喜びを口にした和花。五人分の歓声が和花を包む。アイドルの時のような価値はなくとも、この歓喜の瞬間を生み出したのは私の手、そして彼女の意思だ。
素直に、この現在を楽しもう。
「次、メリーちゃんだろ、はい」
山吹くんがボールをメリーに手渡す。
「あら、ありがとう」
それだけ言って、メリーは席から動かない。
「投げないの? 疲れちゃった?」
「ううん、そうじゃないわ。あのね、私は魔法少女なのよ、だから」メリーの手からボールが消える。「魔法が使えるの」
十本すべてのピンを、彼女の魔法がなぎ倒した。ボールはほんの一秒でレーンの終わりに転移していたのである。
「おいおい存在レベルとか気にしないでいいのか」
知名度のメリー語バージョンである存在レベル。それを気にして日中は超能力を野外で使うことを避けていたのではなかったか。あたりまえだが、周りのレーンのお客さんは、何が起きたのかわからないという顔をしてメリーと私たちのレーンを交互に見ていた。
「いーのよ。あれからもう一か月近く経ってるのよ。それにもう、公園で寝ることもないでしょうし」
「そうか」
公園よりは私の家がお気に召しているようだ。つい顔がにやけてしまう。
「す、すっげ……メリーちゃんも超能力者なんか……もしかして……」
山吹くんが驚嘆の声を上げて、私を見る。
「ん、俺もヘンテコ側だよ。あと和花も」
「はー! 類は友を呼ぶんすね……もうこの面子で超能力戦隊組めるじゃないっすか」
「はは! 男女比がまるで逆だけどな。これじゃ男の子は見てくれな」
「それだぁぁぁぁ! それですよ先輩!」
姫宮が脈絡もなしに私と山吹くんの会話に武力介入レベルの激しい割り込みをしてきた。他のレーンにいるお客さんの視線が赤髪の少女に注がれているのだが、少女は一切意に反さない。かなり豪胆である。
「ど、どした姫」山吹くんは椅子からずり落ちそうな勢いだ。
姫宮はそんな山吹くんに向けて二カッっと笑うと、
「先輩、和花ちゃん、メリーさん。ヒーロー部、外部部員として入ってみませんか? 三人戦隊もいいですけど、やっぱり大人数は憧れます。そうすればいつか現れる諸悪の根源にもきっと立ち向かえます!」
情熱的な部活勧誘をしてきた。まるでライオンが間近で吠えているような、ものすごい迫力だ。
「ボランティア部が立ち向かう諸悪の根源ってなんだよ……」
私が迫力に押されながら姫宮に問うと、姫宮はばつの悪そうな顔をして、
「それは、まぁ、なんというか……いると言えばいるんですけど……いまいち悪じゃないしな……ま、細かいことは置いといてっ、こうやって出会えて遊んだのも縁ですよ。ヒーロー部はいっつも入部を生徒に募ってるんですけど、いまいち集まりが悪くて……」
活動内容がボランティアなのはいいとして、名前がヒーロー部ではあらぬ勘違いをして、ただの特撮同好会と思われているのではないだろうか。しかし、姫宮が〝ヒーロー〟に対してこだわり、もしくはそれさえ越える心情を抱えていることを知っているので、改名しろとは言わない。ボランティアだけがしたかったら、こいつはボランティア部を素直に立ち上げたはずだ。そういう分別だけは、馬鹿じゃない。
「ほら途中で新メンバー加入ってかなり燃える展開じゃないですか、燃えますよね。私は燃えたぎります。なのでどうかなっ。三人がよければでいいんですけど」
姫宮は和花とメリーの方に視線を向けつつ、話を続けた。
そんな姫宮に対し、律儀に挙手をして発言権を貰おうとする子がいた。
「ハイ、和花ちゃん!」
姫宮は教師チックに和花に声をかける。それに応じ、和花がひょこっと椅子から立ち上がる。なんだこれは、いきなりボウリング場が教室に見えてきたぞ。元休講貴族の血が、授業に対する拒否反応で騒ぎだしている。
「あの、ヒーロー部ってお掃除するんですよね。わたし、まえから一度本格的にお掃除の勉強をしてみたくて……入部、してみたいです」
「ほんとっ! もちろんできるよ! まず間違いなく、この町のゴミの分別方式は暗記することになるよ。スパルタで教えてあげるから、そこは覚悟ね! せんぱいっ、間違えるたびに、私、和花ちゃんハグしていいですか!」
姫宮が私に期待の視線を投げかけてきた。
「お前は色々と思考だけで先走り過ぎてる、なんかもー……いっそ清々しい。許可する」
「やったぁ!」
「おにいしゃまっ!」
盛大にろれつの廻っていない和花が目元に涙を浮かべている。それはもう、保護欲をそそられるどこの騒ぎではなく、脳みその奥底から保護欲がドバドバ出た。
「すまんすまん。頭いい和花なら、間違えないと思ったからさ。ごめんな」
「もー、そんなことありませんのに……心臓にすこぶる悪いですよ」
頬を膨らます和花をほんわかとした気持で眺めていると、
「私メリー、今あなたの後ろにいるわ」
いつのまにか首もとに鋏を添えられ、命が危うくなっていた。
「め、メリー、どして……」
首を可能な限り曲げて、メリーの顔を見る。さらさらの金髪が私の顔にあたる距離に、メリーの細面があった。
「失礼、和花さんを泣かせるようなことしたら滅殺するよう、番頭さんに言われているのよ……体が無意識に瑠璃をキルしに……我ながら自分の戦闘スキルが恐ろしいわ……」
番頭さんとは、双葉荘から徒歩三分の距離にある銭湯、『華の湯』の看板娘である。メリーは彼女のことをなぜだか慕っている。その忠誠心が研ぎ澄まされた凶器に変わっているのだ。
「あ、この鋏、モデルハサミだから安心してちょうだい。プラスチックよ」
カチャカチャと私の首もとで鋏をいじるメリー。モデルハサミってなんだ……。
メリーは私の首もとから鋏を離し、姫宮に顔を向けた。
「皐月さん、私も入部するわ。公園には私も長い間お世話になったから、恩返しがしたいの」
「わぁ! ありがとうメリーさん! 葵、光司! 新入部員ゲットだぜー! ひゃ――っ!」
天井知らずのハイテンションで、青葉さんと山吹くんに立て続けにハイタッチする姫宮。
「でも、ふたりともお前の学校に通ってるわけじゃないのに良いのか? 外部の部員って」
私は、自分の言葉になにか引っ掛かりを感じた。
それは私の胸をちくりと刺し、消えない。
和花もメリーも、学校に通いたい気持ちとか、あるのだろうか。
私は海尋の創造した世界、『I-dea』内の高校で、メリーが工藤さんに学校案内を頼んでいたのを思い出した。学校を歩いている間、どこか楽しそうだった魔法少女のことを。
「大丈夫っす。書類なんてなくたって、私が入部を認めれば、今日からヒーロー部です。あとは行動あるのみ、ヒーロー目指すのみ。たったそれだけです」
「そうか……うん、良いと思う」
私の六畳間以外を、和花が知覚できる機会が増える。
学校に思い入れがありそうなメリーが、学生活動に参加できる。
そして本人たちがやる気。否定する理由など、どこにもない。
「瑠璃先輩も入部します? むふふ、そしたら先輩後輩関係が逆転しますけど」
姫宮は青葉さんと両手を繋ぎながら、私を見てきた。
「もちろん。このメンバーで保護者が山吹くんだけじゃ気の毒だ。俺も一緒に行くさ。よろしくな、姫宮先輩」
私は姫宮に微笑む。いいきっかけをくれた、猪少女に。
「る……やっぱ却下です。先輩を呼び捨てすんのって、ちょっと難しいです。なんで、これからも先輩として頼みますね」
姫宮が私に近寄り、片手を差し出してきたので、私はそれに応じる。
ここに、記念すべきヒーロー部入部の誓いがなされた。
メリーと和花も、姫宮と握手を交わす。
まさに、ボウリング場で姫と握手! という風に。