第2話 致死量の希望
外はもう夜の様相。冬のせいで日の沈みが早いのだろう。雲のない夜は月が綺麗だ。
道中、まばらな人目を適度に気にしつつ、私は自宅に戻った。双葉荘の住人と鉢合わせしなかったのは幸運だった。私の究極の自分勝手に他人を巻き込むわけにはいかないし、逐一、これは呪いの人形だから触ってはいけないと説明するのも面倒だ。
なにはともあれ私の部屋に新たな住人がやってきた。私は彼女を畳に下し、壁に寄りかからせた。明るい室内でまじまじ観察すると、彼女の異様さがより際立った。これが人形だと一目で思える人間がいるのかというほどに、彼女の容姿はあまりにも人間すぎるのだ。部屋で対面している様子を住人に見られたらあらぬ噂が立つレベルだ。まあ、私はこれから死ぬので関係ない。
そこで気になるのが、私を殺してくれる呪いとはどういうものなのかということ。今わかっているのは、触れたものを殺す、即効性のあるものではないという二点。二十年間、暗い通路に放置されていたからインターネット上に有力な情報があるはずもなく、オヤジさんの話の通りなら手掛かりはすでに死んでいる。完全に手詰まりだ。呪いがなにかということを知ることはできない。だがそれは、私が地球内生命体だったならの話。
私の話は現実とかいう憎らしいものから大幅に乖離する。
この世界で夢とか魔法とかいわれる超常現象の類を私は所有している。
だから呪いという曖昧な概念も全肯定する。
あまり使いたくなかったが、仕方あるまい。
私は彼女の前に座り、右手を彼女の頭にそっと置いた。大丈夫、いつも通りに。触ってみて得た直感では、私とこの子は抜群に相性がいい。きっと今まで試行してきた作業のなかで一番やりやすいはずだ。
右手に神経を集中させ、脳みそを急速回転させる。一分と経たずに頭のどこかで、歯車が噛み合うような音が聞こえた。いい感触だ。成功したという確かな手ごたえを感じる。私は彼女の丸く形の良い頭から手を放した。少し緊張しつつ、私は姿勢を正す。
一拍おいて、彼女の閉じていた瞼が持ち上がり、透きとおった大きな瞳があらわになった。
「あなたは、わたしをおぶっていた方ですか」
小さな鈴の音を思わせる澄んだ声が呆然とした調子で話す。彼女の声だ。
「そう、体の調子はどう。変な感じとか、痛みとかはないかな。俺も感覚でやっているから不安が残るんだけど」
「はあ。特には。いえ、わたしは人形のはずでは……。なぜわたしが寒さを実感するのです。あら……話せるだけでなく手も自由に動かせるとは驚愕の境地ですね」
そういって彼女は自らの髪を慈しむようになでた。雅やかなしぐさは和装とよくマッチしている。
「わたしにやすやすと体をゆるす時点でただの殿方ではないと思ったのですが、仙人様なのでしょうか」
彼女は小首をかしげる。
「俺は仙人じゃないよ。不真面目な学生かつ超能力者、みたいなもんかな」
「ちょうのうりょく」
「そう、けっこう便利だぜ。こうやって物言わぬ物に質問ができるしな」
「わたしと話したかったと……物好きな人」
「はは。褒め言葉として受け取っとく。それに実際好きだからな、物」
私はきょとんとしている彼女の目を見つめて言う。
「さて、キミは俺をどうやって呪い殺してくれるんだい」
彼女の眉間に皺がよる。私が呼び覚ました動作は滞りなく、彼女の感情を表現する。
「……あなたは死を望んでいるのですか」
「うん。だからキミに触れた。もうしんどいんだ。歳だけ大人になって、手に入れた自由も持て余し気味だ。生きている間、人と違い続けた俺は終わり方も大多数とは異なるべきだろう。だから一種の娯楽さ、これは」
私は煙草を咥え、火をつけた。けほ、と彼女がむせたので焦って携帯灰皿で消火活動を行う。
「ごめん。この部屋で他人への気遣いなんてしたことも、ないから、つい」
「いえ、わたしは人形ですし、どうも煙草の匂いは嫌いじゃないみたいです。すこし驚いただけ。死が……娯楽、ですか。やはり変わっていますね……あそこから連れ出してくれた恩人を邪険にはできません。殺してしまう前に、教えてあげます、わたしの呪いのこと」
彼女は弱々しい笑みを浮かべた。やるせなさ、のような表情。
「ありがとう、じゃあ頼む」
「はい、では……わたしは『触れた人間を殺す呪い』を施された人形です。この呪いは、今までわたしに触れた人を誰一人として殺し損ねていません。それほど強力な呪いです。あなたに入り込んだ呪詛は今、この瞬間もあなたを蝕んでいます。おそらくあと一週間もあれば痛みに悶え苦しんで、あの世行きです」
一週間か。それは困る。
「……できるなら今日中に死にたいんだけど、可及的速やかに」
「ふむ。可能です。……わたしを抱きしめてください」
おい。いったい突然、なんてことを言い出すんだ、この子は。
ただの呪いの人形だった頃ならあまり意識せずに済んだだろう。けれども、今はもう私がただのモノではなくしてしまった。『イキモノ』にしてしまった。女の子を抱きしめるなんて私には分不相応である。第一、抱きしめ方もわからない。
「いや、なんか流石にそれは照れるんだけど」
私がそう言うと彼女は素早くうつむいてしまった。
「ふ、不埒な意味ではありません。わたしの中にある呪詛をあなたに注ぎ込むことで侵蝕を早めることができます。密着が不可欠なのです、それには。そうすればすぐさま、死です」
彼女が両手の人差し指をつんつんしながら語る様子に嘘は見受けられなかった。いたしかたないか。呪いを扱う本人が言っているのだ。それに従うしかあるまい。むやみに鼓動を早める私の心臓よ、よく聞け。これが、お前が激しく動ける最後の時なのだ。思う存分暴れるがいいさ。
私は彼女の肩に両手をおいた。小さな肩は、その大きさに見合った微細な温もりを持っていた。自分でもよくわからない曖昧な能力。わかるのは、人形だった彼女が生きていること。それだけ。目の前の大きな瞳はしっとりと憂いを帯びていた。
「どうすればいい。俺は、その、慣れてないもんでね」
「ただ、この身をあなたの身に引き寄せてくだされば。あとは、おまかせください」
彼女の言葉にうなずきを返して、私は彼女を抱き締める。痛い思いをさせない程度の、ごく軽い力で。しかし、抱きしめる強さに関係なく、彼女と密着している事実は私を大いに動揺させる。カビの臭いさえ感じられないほどに。恥ずかしさから、私は目をつむった。
「……では。後悔は、未練は、あなたの心のどこにもございませんか。今なら残り一週間の人生を謳歌するという選択をすることもできますよ」
「そんなもんがあったら、キミを連れ込んだりしないさ。あ、でもな」
「はい、なんですか」
「俺が死んだあとな。キミは一人でここに残ることになるかもしれない。俺が勝手に起こしたんだから、俺が死ねばキミも自然と止まるかもしれないけど……」
「ご心配には及びません。もし残りましたら、わたしもすぐに後を追いますので。恩人を一人で逝かせたりはしませんよ。今は、この手で自分を壊せますしね」
彼女の声は、明るかった。その声はまるで、やっと死ねる、と嬉しんでいるように聞こえて。相性がいいのは、お互い死にたがりだったからなのかもしれない。
呪いをこめられた人形の思いの丈を想像することなんて私には到底できないが、彼女の苦しみを一欠けらだけでも理解できたらいいなと、死ぬ直前になって考える。まあ、彼女も一緒に来るのなら、あの世とか三途の川あたりでトークすれば良いか。
本当にそれらが実在するのかなんて私にはわかりかねるが。
「わかった。じゃ、先に逝って待ってる」
「はい、向こうに茶屋でもあるといいですね。わたし、もっとあなたと……」
「ん?」
「いいえ――はじめます」
彼女の手が私の体を抱きしめた瞬間、部屋の電球が爆ぜた。六畳の部屋を暗闇が支配する。双葉荘前の道路を通る車の走行音も聞こえない。無音。圧迫感。私の耳に届くのは、彼女と私の息遣いと、私の鼓動。
次に感じたのは寒気。体の一番奥の奥の芯の部分を氷水にどっぷりと漬けられているような寒気。吸う息もうまく肺に届いてくれない。あらがえない息苦しさが私にのしかかる。呼吸のリズムが乱れに乱れ、興奮した獣のような呼吸になってしまう。
部屋がおかしい。
彼女が呪いを意識的に解き放っているからなのか、住み慣れたぼろい部屋に漂っていた人間味とか親しみとか、プラスの感情がすべて拭い取られてしまっているのである。
すべてがマイナス。感情の大恐慌、大暴落。赤字国債も歯が立たないのではないかと勘繰ってしまうほどのネガティブオーラが私の部屋を支配しているのだ。
これは、確かに死ねそうだ。楽に、ではなく、思い切り腹の底から苦しんで。
死よ、早く近づいてこい。私の魂を地の底まで持って行け。
独りの夜も、今日で終わる。私は目を閉じ黙り、ただ彼女の仕事が終わるのを待つのみ。
さぁ。さぁさぁさぁ。
「あ、あらっ……ふっ、ふんっ……ぬっ」
独りの夜も、今日で終わる?
彼女の様子が妙だ。相当力んでいるのか、私の体を抱きしめる強さがどんどん上がるも、一向に私は死にそうにない。恥ずかしさで死にそうなほど心臓は痛いが、悶えるような苦しみも訪れないし、緊張と暗闇に慣れてきたら呼吸もだいぶ落ち着いてきた。今なら彼女に話しかけられる。彼女の表情が読み取れるくらいには目が闇に慣れてきたし、月が出ているのも幸いだった。
「あの、すぐさま死、のはずでは……」
「え、えっと、たちどころに死ぬはずなのですけど……お、おかしいな、えい、えいやぁあ」
彼女の腕にかなりの力が加わっていることが彼女の体の震えからしてわかるのだが、体格も小さい彼女の全力ハグは成人男性である私の肉体を圧殺するには全く至らない。抱きしめ殺そうとしているのではないらしい。では一体どういうことか。
「調子、悪かったり?」
私は彼女に尋ねる。彼女は私の腕の中でかぶりをふった。暗がりに彼女の長い黒髪が融けている。
「いいえ、呪いの調子は万全です……特技の電球割りも発動しましたし……えと……」
ばつが悪そうにしている彼女から視線を外し、私は無残にも砕け散り、畳の上に落ちた電球の残骸に目を向ける。あれ特技だったのか。心霊現象とかって、彼女的に一種の宴会芸レベルなのだろうか。一番! 呪いの人形です、ポルターガイストやりまーす、あの、自信ないんですけどぉ、皿の一つでも割れたら盛大な拍手お願いしやっす! みたいな……とかくだらないことを考えている場合ではないぞ。
呪いは確かに発動している。しかし私は死なない。導き出される答えは。
「俺にはキミの呪いが、てんで効果ないってことか」これしかあるまい。
その言葉を口にした途端、私の腕の中の彼女が震えに震えはじめた。震度6強を観測するかもしれないほどのワナワナっぷり。
ひとしきり震えたのち、彼女は私からじりじりと距離を取り、壁際に戻っていた。目が点になり、頬には汗が浮かんでいる。口元を両手で押さえて止まらない震えと必死に格闘しているご様子である。私を見る彼女の目には、おびえとも動揺ともつかない色が浮かんでいた。
「そ、そそそそそそんなばきゃな」
あ、噛んだ……。由緒ある呪いの人形でもテンパるんだな……。ということは、呪いが効かないというのは彼女にとって相当に変なことなんだろう。ちょっと落ち着きを取り戻させてあげないと可哀想だ。ここは微笑みつつ、敵意がないことをアピールしないと。
「あの、大丈夫? 水でも飲む? 寒いからほどよい以上に冷えてるけど」
「いや、いやいやいや! なんでそんな余裕しゃくしゃくなんです! 動悸が激しくなったり、骨があらぬ方向に曲がったり、信じられない量の吐血をしたり、ふいに目が飛び出したりなどの諸症状はないんですかぁ!」
彼女が並べたおぞましいワードの数々は今までの呪い例の一部なのであろうか。
だとしたら、本当に恐ろしい呪いだ。
私には効いてないけど。
「なかったし、今もないね」やんごとない事情ゆえの動悸の異常は隠すことにした。
「ううう……末代まで祟れるくらいの出力だったのに、なにゆえ……なぜ死なないのです」
私は呪いの人形に睨みつけられているのだが、今にも泣きだしそうな彼女の表情に畏怖を感じるわけもなく、とりあえず傍にあったミネラルウォーターを手渡す。
彼女は水を勢いよく喉に流し込んだ。すると、幾分か気持ちも安定してきたのか当初のたたずまいが戻ってきていた。なんという回復力。彼女は小さな咳払いを一つして、
「なんとなく、わかった気がします。仮説ですけど。……あなたって希望、持ってます?」
と私に言う。私と限りなく遠い言葉だ。
「とくにないね。将来の夢とかもない。絶望に近いものなら持ってる気はする」
「ああ、それです」
彼女はびしっと人差し指を私に向ける。
「え、なに、どういうこと」
「……わたしに込められた呪詛がなぜ人間を呪うか、わかりますか」
「いや、俺は呪いを使う人でもないしな、わからんよ」
オヤジさんに呪いについて勉強していると言ったが、あれは嘘っぱちであった。
「対象を不幸にしたいから、絶望を与えたいからです。そういう風にできています。では、もとから不幸や絶望を持っている人にわざわざ与える必要があるでしょうか」
「……ない、かもな」
「そうです。放っておけば死ぬ人間をわざわざ殺す理由などありません。不幸だと実感している人間に不幸を実感させてもそれは日常です、いつものこと、なのです。幸福や希望を日常にしている人間にしか、不幸は非日常に見えない。つまり、おそらくあなたが死ぬには、不十分なのです。希望の量が。だから……呪いが体を侵蝕しないのです」
「そんな、なんだそれ。俺は死ねない? キミは俺を殺せないのか」
二十年待って、やっと見つけた運命が手のひらから、さらりと零れ落ちて。そして、
「ええ、一週間たっても、一か月たっても。あなたが致死量の希望を手に入れない限り、無理です。すみません……ごめんなさい、恩を、返せません」
私は女の子を泣かせてしまっていたりする。さっきの水が彼女の中で循環して、塩気をふくんで目から落ちる。ぽたり、ぽたりと畳の表面を叩く水音。
人形だった彼女に『泣く』という行動を与えたのは私だ。珍妙で奇天烈な能力を持つ私などと出会わなければ、この子は一生、泣くという行為を実感せずに済んだはずなのである。
私はまた、やってしまったのだ。自分を救うがためにイキモノを泣かしてしまった。
もしこれから私が呪い以外のごく普通の方法で死んだとして、残された彼女はまた泣くだろうか。
出会って数時間の私のために泣く、やさしい人形は涙を流すだろうか。
私のために泣いてくれる奇特な、人形。
そんな彼女を自分勝手に外に引っ張り出して、感情を発露させるよう施して、
―――それで独りにするのか。
私は、人間を愛せない。そういった甘いものは知らない。私の人生は限りなくビターだ。
私は、モノを愛す。昔から物持ちがいいことがとりえだ。それでいつの間にか変な能力を手に入れて、散々な目にもあった。惨い目にあわせてしまった。
それと同じことを私は彼女にしようとしている。辛い思い出を与えようと、している。これじゃ、呪いをかけているのは私ではないか。もう、他の方法で死ぬわけにいかない。
「あやまらないでくれ」
彼女は着物の袖で目をこすっている。
「で、ですが、死にたいのでしょう? なのに……」
「……死ぬのは延期にするよ。希望なんて、見つかるかわかんないけどさ。見つけるのも、まあ、娯楽と言えなくもないだろ、自分探しみたいで」
と言っても彼女が自分探しなんて知るわけがないか。
「ああ、あの思春期を乗り越えかけている青年が放浪の旅に出て、心身を追い詰めながら見失いかけていた自分自身というものを再認識して、長い大人の階段をのぼり始める」
「詳しいな!」彼女の知識レベルが把握できない。
「……ずうっと昔に、聞いたことがあります……するのですか、自分探し」
そう呟いて笑う彼女は、風が吹いたら羽のように飛んでいきそうなほど脆く見えた。
「ああ、もうしばらく生きてみるよ。余生みたいな感じでさ」
「そうですか……ええ、よいことだと思います。わたし、応援しますよ」
けれども彼女の涙をせき止めることには成功したので、よしとする。
私は考えなくてはならない。放棄していた、これからのことについて。死ぬはずだった予定が狂って生まれた、疑似的余生の間に私はなにをするのかについて。希望なんていうものを手に入れる方法があるのかについて。そして、私のために泣く彼女のことについて。
ようく思案する前に一度、頭をさっぱりさせたい。いきつけの銭湯が近くにあるのだが、彼女を突然一人きりにするわけにもいかないか。
ふと、さっぱり関係で思い出した。私よりも先に洗わなければいけないものがあったではないか。私は押入れを開け、洋服が適当にしまってある透明な収納ケースを引っ張り出した。ケースのふたを開け、暗がりのなか、手探りで厚手のトレーナーとジャージを取り出す。
「ほら、これに着替えな」
彼女に手渡す。彼女は不思議そうに受け取り、私を見る。
「あー、いや。女の子に言いにくいんだけど……その着物、すげえカビ臭いから。明日にでもクリーニングに出すよ」
彼女は着物の袖に鼻を当てると顔をしかめた。
「うは、確かにっ。かなり年季入ってますね、我ながら……でも、着物のクリーニングって結構、お高い気がしますし。もしあれだったら捨ててしまっても」
「そんなの気にすんなよ。これから一緒に暮らすんだからさ」
「え、一緒に。わたしと?」
彼女は意外そうに言う。
「あ、ごめ、嫌だったらもう一度、紫陽花に置いてもらうか? 金持ちの屋敷レベルにデカいからオヤジさんに事情話せば一部屋くらい貸してくれると思うし」
オヤジさんは私の能力を知っている数少ない知人だ。だから彼女が動いているのも不思議には思わない。呪いを持つ彼女が暮らすとしたら、私の家か紫陽花だ。
少なくとも呪いを祓うことが可能になるまでは。
「いやいや、いえ滅相もない。住みたいです、あなたさえ良ければ。常人の感性だったら呪いの人形と一緒に住むなんてまっぴら御免こうむるはずなので……だって、いわば人殺しなのですよ、わたし。やっぱり、可笑しな人です」
彼女は眉をハの字にして笑顔を浮かべている。
「そうか? キミは優しそうだから、別にかまわないけど。それに殺すのは呪いだろ。その呪いが俺には効かないんだ。キミを嫌う理由なんてどこにもない」
「あら……では今晩、枕元にそっと立っても嫌いませんか?」
「それはキミじゃなくても怖いから遠慮してくれ」
私たちは声を合わせて、他の部屋に聞こえないくらいの声で笑った。淡い月明かりだけを頼りにしている部屋の中で。
それは、私がこの部屋に越してきて、初めて、独りではない夜のことだった。
死のうとした日。私の『独り』は当初の予定と大きく違う、『呪いの人形との同居生活』という形で終わりを告げたのであった。