第17話 命の導き手が、下した決断
白い息が、視界をかすめた。ベンチに降り注ぐ、電灯の明かりの中で。
人生の一部を事細かにさらす説明は、たったいま終わった。私が過去を打ち明ける間、和花はたまにうなずき、静かに、じっと私の話を聞いてくれていた。
私が言葉を止めてから数分後、和花が口を開いた。
「お兄様はアリスさんの痛みを知るために、死を望むのですか」
「……俺が、あいつを殺したも同然なんだ。イキモノにしたから、あいつに、死が生まれた。イキモノじゃなけりゃ、死を味わうこともなかった。だから俺は苦しんで死ななきゃならない。罪を償う方法が、それしか思いつかないんだよ」
私は空の星を目で追いながら、言った。
「……お兄様の思いは、胸の中は、わたしにはきっと欠片ほどしかわかりません。数年間、溜め続けてきた絶望を数十分の話ですべて理解した気になるのは、おこがましいですから。でも、アリスさんと同じ人形として、思ったことがあります」
私は空を見るのをやめ、和花を見た。和花は、硬い笑顔をしていた。
「動けるのって、本当に楽しいんですよ。自分が今まで届かなかった世界のすべてに手が届くようで。体温も感じられて、美味しいご飯を食べられて、お風呂にも入って、はいてくにも触れられて、星だって見ることができます。友達とゲームをすることだってできるのです。ましてや、今までは叶わなかった、誰かの助けになることまで、できました。それは、とても、とっても幸せで、一日ごとに心がどんどん満たされていきました」
和花は、懸命な様子で私に言葉を伝えてくる。
「体に感覚がある、というのは、わたしも最初は驚きました。『痛い』という感覚に恐れを抱いたのも事実です。けど、そうですけど、それだけじゃないんです。痛いだけではなくて、嬉しいも、美味しいもあって、星空を初めて見たときのような、たっくさんの刺激は、お兄様がわたしを動かしてくれたから感じられたものなのです。ですから、アリスさんも」
「それでも! それでもだ! あいつは、死んだ、一度死んだんだよ! どれだけの苦しさだったか、俺には、自分を滅ぼすことでしか、感じることができないんだ!」
和花相手に声を荒げる。和花は、そんな私に臆する様子を微塵も見せず。
「アリスさんは、最後に笑っていたんですよね」
和花はそっと目を閉じた。
「きっとアリスさんは、痛みを選んだのです。痛くても、大事な人を守れるなら、その人が傷つかずに、済むのなら、どんな痛みにも耐えられます。苦しみも飲み込めます。生きて欲しいと、泣かないで欲しいと望めるほどの大切な人なら、人形の身体で楯になります。わたしは……アリスさんが笑っていたのは、お兄様を守ることができたからだと思うのです」
「そんな……それで死んだら……」
「それが間違いです。アリスさんは死んでいません。お兄様の家で、生きていますよ。友達に囲まれて、ずっと、あなたの帰りを待っています」
武鎧家の自室に置き去りしてきた、友達の姿が、頭に浮かんだ。
「そんなことない。俺のことを……恨んで……」
「お兄様!」
深夜の公園に響き渡る、ぴしゃりとした、和花の大きな声。私は言葉に詰まる。
「お兄様は人間でしょ! 動けるんです、そして動かせるんです! 今あなたが動いているのは、友達が痛みに耐えて守ってくれたからなんですよ! だれが守りたくて守った相手を呪いますか、わたしでも呪いませんよ!」
怒っている。あの、笑顔ばかりで、優しさだけで出来ているような、和花が。明確に、はっきりと私に怒りをぶつけていた。びりびりと、全身に鳥肌が立った。
「人形は伝える手段を持ちません。どれだけ大切にしてもらって感謝してようと、人間に伝えることができないのですよ。それに多くの人形やモノたちはあきらめ、絶望しているのです! そんなモノたちを救えるあなたが、世界一個救えるあなたが、まず自分を救わないでどうするんです! 友達ひとりの想いを受け止めずにどうするんです! 最後の最後まで、あなたを守り通した女の子を、信じてあげてください! 今からでも遅くないです!」
和花の全身全霊の言葉が、涙を止めどなく流しながらの言霊が、私を縛り付けていた、鎖をほどいていくように、束縛をぶち壊していくように、体を通り抜けて行った。気が付けば、私は思い切り泣いていた。誰にも打ち明けられずにいた過去を、真摯に受け止めてくれ、ここまで言ってくれた和花に、その本気の言葉に。
「大丈夫だろうか……ずいぶん……待たせて、しまった」
「だいじょうぶに、決まってます! ずいぶんなんてとんでもない! 死んでしまって永遠に会えないことに、永遠に話せないことに、永遠に触れられないことに比べたら、数年間はほんの一瞬です! 相手が生きていてくれる限りは、人形は何年だって待てるのですから!」
真冬の空気に混じってしまう前に、和花のまっすぐな言葉はすべて私に届いた。死、それは私が感じなければいけないもの。だった。終わらせる前に、終わってしまう前に、
「おれ、は、この命が終わる前に……あいつに……たしかめ、たい。おれと、一緒にいて、幸せだったの、か」
アリスにもう一度、会いたい。もう一度、あの声を、笑顔を、ぬくもりを感じたい。
「……人間はすぐ終わってしまいます。人形は終わりません、人間より遅く、滅びていくものです。ですから、人間であるお兄様は、もっと正直に生きていいのですよ、もっと、人生を楽しんでいいのです。友達に、会いに行ったっていいんです」
泣きじゃくる私に、和花がそっと微笑む。冬の夜の冷たい風も、和花の言葉と微笑みの前ではまるで春風に変わってしまったように感じる。
「ありが、とう、のどか」
「いいえ、わたしは好き勝手にまくしたてただけです。お礼なんて、いいんです……………ただ、ひとつだけ聞かせてもらえますでしょうか?」
和花は、ポツリ、ポツリ、涙の雨で着物を濡らしながら、私を見つめてくる。私も、ズボンに涙のシミを作りながら、和花を見つめ返す。
「わたしは、お兄様の友達、ですか?」
顔を真っ赤にして、すこしうつむいて、対面の少女はか細い声で言った。なぜかつられて、私も顔を赤くしてしまう。こんな泣き顔を直視されて、いまさら恥じることなどないというのに。
「あたりまえだ、友達だよ、和花」
和花が大きな目を見開いて、赤い顔をさらに赤くした。
「っ――ふふ、人形冥利に尽きます。これで、もう」
突如、和花の右腕から、紫色の炎が漏れる。その炎は彼女の腕を蝕んでいった。
「和花!?」
紅潮していた和花の顔色がみるみる青くなっていく。
「……えへへ。わたしは、とても幸せでしたよ……んぐっ!」
和花の右腕は炎に焼かれ、崩れ去ってしまった。
「和花!」
私は彼女に手を伸ばす。
「だめです!! 駄目ですよ……お兄様。もう、わたしに触れてはいけません……行き場を失くした呪いが、暴れているのです……」
紫炎は和花の右腕を喰らうと、ふっと消えた。
「なん、とか……抑え込んできましたけど……そろそろ危ないみた…………」
ドサリ、と和花がベンチから落ち、地面に倒れこんだ。近寄って呼びかけても意識を失っていて返事がない。額に汗を浮かべ、とても辛そうに呼吸をしている。
どうする、治すにも私は対象に触れなければ治せない。死にたがりから脱却した今、和花においそれと触ることは……。
「迷ってる場合じゃねぇ!」
和花に触ろうとした私は背後から思い切り衝撃を受け、地面に転がった。
「蛮勇は愚かなだけよ! 混乱紳士! 和花さんは私に任せなさい。私が家まで運ぶわ」
私をぶっ飛ばしたのはメリーだった。体を起こしながら、魔法少女に声をかける。
「メリー、どうして」
「あんまり遅いから見に来ただけよ、心配なんてしてないし、寂しかったわけでもないわ」
まだ聞く前から否定をしたということは、心配して来てくれたのだろう。
メリーは和花を両手で抱えると、瞬く間に消え、そして手ぶらの状態でまた現れた。
「和花さんは布団に寝かせてきたわ……あなた、死ぬのをやめたのね」
メリーは私のすぐそばに来て、私の顔を見つめながら言った。
「ああ……そのせいで、和花が」
ぽす、と私の腹にメリーが拳を当ててきた。
「……馬鹿言ってんじゃないわよ、あの子があなたを殺して喜ぶと思っているの? 様子を見に来て、あなたがまだ死ぬ死ぬ言ってたら、声高らかに絶交を宣言するつもりだったわ。あなたと私は和花さんを救うことを考えるの、前に進むのよ、紳士」
「……そうだな、救いたいよ。和花が、俺を救ってくれたように」
メリーは私から拳を離して、にやりと笑った。
「……ふぅん、なんだか変わったわね、けっこう男前だと思うわよ。さて、どこかの神社からありったけのお札をかっぱらってくるか……脅して御祓いをさせるか……」
「キミはどうしてそう、淑女なのか荒くれ者なのかわからない発言をちょくちょくするかな……当てがあるよ、一度家に連れて行ってくれ。地図で場所を説明するから」
私はメリーに頼み、家に転移してもらった。六畳に敷かれた布団の上で、和花が苦しそうにうめき声をあげていた。
「和花……待っててくれ……絶対に助けるからな」
私は押入れをあさり、地元の地図を引っ張り出した。
そして該当するページをメリーに見せる。
「ここだ、この神社に飛んでくれ。俺の数少ない友達がいる。呪いとかに詳しいやつだ」
「自分で言ってて悲しくならないのかしら……いいけど、こんな遅い時間に平気なわけ?」
「平気だ……と思う。あいつはちょい厄介だけど、もうなりふり構うのは止めにした」
「がむしゃらね、悪くないわ。それなら行きましょうか」
メリーが私の手を握った。私はいつものように目を閉じる。
そして開いたときには、中学時代以来訪れていなかった神社が目の前に広がっていた。さびれることもなく、あの頃のままの姿をした鳥居が私を迎えてくれた。
「よし、行くぞ、ついてきてくれ」
「わかったわ」
私はメリーに声をかけると、記憶を頼りにもし更地だったなら野球ができるくらいはある神社の敷地内を進み、例の友人が住む家の玄関にたどり着いた。時間はすっかり深夜だが、迷惑をかける詫びはあとにすることにして、私はインターホンを押した。
すると、どたどたと廊下を走る音が薄い硝子戸の玄関越しに聞こえ、真っ暗だった玄関に明かりが灯った。そしてガラガラと音を立てて横開きの扉が開けられる。
「ふぁいふぁいどちらさまぁ~……って瑠璃ちゃん!?」
「久しぶり、石動。悪いな、深夜に押し掛け――」
久しぶりに会う友人に挨拶していたはずの私の身体が地面に倒れている。砂利が痛い。
「瑠璃ちゃん瑠璃ちゃん瑠璃ちゃんじゃ――――――ン!」
そして私に乗っかる様に抱き着き、久方ぶりの再会をボディランゲージと雄叫びで表してくるパジャマ姿の友人。友人の方が私より背が高いため、体格的優位はつねに友人にあるので自発的に抜け出せない。
「る、り? 紳士って瑠璃っていうの? 見た目通り女子っぽい名前なのね……」
友人はメリーの方に首を向けて、私に質問する。
「ん……瑠璃ちゃん、あの子はだれ? 彼女? 彼女だとしたら物凄く犯罪チックだよ」
「あいつはメリー、俺の友達。てか、と、とりあえず降りて……あの頃の俺じゃないから、羞恥心を持ってくれ……」
「あ、あはは、ごめんごめん。ちゃんと二十歳の男だもんね、やー、習慣は恐ろしいやね」
すごすごと私の上から石動がどいてくれたので、私はやっと体制を立て直すことができた。
「この開幕から全力で男を押し倒してセクシャルハラスメントをかましてきた女性を頼って平気なのか、はなはだ不安でしょうがないわよ……」
あきれ顔のメリーに、石動が長い黒髪をかきあげながら答える。
「うはは、いいのよー、セクハラは友人の特権なのさ。ほんとアレ以来、こっちに顔を出さないからあたしゃ心配で心配で……ついフラストレーションっちった。ま、それより、あたしに会いに来たってこたー、そっち方面の相談事なわけね。しかも深夜に、そんな必死な顔して……家、入んなよ」
手招きする石動にお礼を言い、私とメリーは石動家に足を踏み入れた。懐かしい木の床の感触が、昔の記憶を呼び覚ましてくる。三人は直線に並び、一番前に石動、中間に私、しんがりがメリーという順で歩いている。私の視線の先には石動の長すぎる後ろ髪が、波うっていた。相変わらず、夜空をそのままくりぬいたような黒髪である。
「あたしの部屋に瑠璃ちゃんが来るねェ……怒られそー、お姫様に」
姫。私の馬鹿な後輩。甲冑変態娘。
「へ? なんであいつが怒るんだ?」
「かぁー。変わってねぇーなぁー、おい。それが瑠璃ちゃんかもだけどさー」
大きなため息を吐いた石動に文句を言われながら、石動の部屋に案内された。石動の部屋は畳部屋で桐箪笥やちゃぶ台など和風を一部屋に凝縮したような構成になっていた。私とメリーはちゃぶ台のそばに腰かけた石動にならい、座る。
「そいで、要件を聞かせてくれるかい。超能力者が三人そろってるんだ。ただ事じゃないのは承知だからさ」
石動はカチューシャで前髪を上げているせいで丸出しの額をさすりながらいった。
「……なんで私が超能力を使えるってわかったのかしら?」
メリーが呆けている。石動はためらうように、一度唇を噛んでから、
「……私はメリーちゃんが人形だっていうことも分かるし、呪い持ちだってことも分かる。そういう性質なのさ、生まれつき。だから、あのね、そんなに緊張しないで。メリーちゃんを取って食ったりしないから……瑠璃ちゃんと仲良くしてくれる子は、あたし、好きよ」
好きよ、と微笑む石動に、メリーがきょどきょどし始めた。
「そ……そう、私も、あなた、嫌いじゃないかも」
石動はメリーの返答に嬉しそうな顔をしたかと思うと、私を見て、厳しい顔つきになった。
「さて……瑠璃ちゃん、あなた呪われようとしたのね。体に穢れが見えるよ」
「ああ、けど呪いの人形は、和花は俺を呪うんじゃなくて、逆に救ってくれたんだ。だから、今度は俺があいつを助けたいんだ……」