第10話 異常な治療法と両肩の温もり
翌日、今度こそ真面目に授業を受けるという意気込みをメリーと和花に伝えて、私は大学に赴いた。昨日、海尋と工藤さんの姿を見て、希望というものの輪郭をつかんだような、そんな充実感が体にやどっている。ようは原動力なのだ、この体を動かし、明るい方向へと進みたくなる原動力。私はそれを見つけなければならない。のだと思う。
今日の授業は三限目から。昼食後の授業なので、怠けた態度というか、まどろみの中にいながら授業を受けている人が散見される、魔の時間帯である。私は去年魔の時間帯に絡め取られた反省を生かして、三限に取りたい授業があるときは午前に授業を入れないようにした。これなら家で昼を食べ、歩いて大学に向かう過程で胃も落ち着き、そのうえ目が覚めるという隙のない生活スタイルを実現できるのだ。我ながら、自分の聡明さに酔いしれたくなる。
私は悠々と教室に入り、適当な席に座ろうとしたが、やめた。なぜなら、私の視線の先に、こちらに向けて手を振る海尋がいたからである。
私は彼の座るテーブルの右端の席に座り、あいさつを交わした。真ん中の席には工藤さんとコンタクトするための機材を入れているのであろうリュックがある。
「驚いたな、今日も一緒の授業だったなんて」
「そうだね。あ、そうだ、昨日の夜に送ったメール、読んでくれたかな」
メール? 確かに別れる間際にメールアドレスを交換したが、私の携帯、昨日鳴っていただろうか。
「すまん、俺の携帯が鳴ることなんてめったになかったから、どうせイタズラ電話だと思って自然に無視したかもしれない。確認の癖もついてないし……」
私はズボンのポケットにしまっていた携帯を出す。
「深夜の三時に送ったのが駄目だったようだね」
「お前、それ生活リズム崩れすぎだろ……あ、あった。なになに……え、海尋の家に招待してくれるのか?」
「うん、話しをするだけっていうのも、『おあずけ』してるみたいで和花さんに悪いしね、ちゃんと家にあるモノを見せてあげたいと思って。どうかな、今日の夜とか空いてるかい?」
私の家以外の世界を見せることは和花にとっていい刺激になるだろう。私はメリーと和花に電話で確認を取り、海尋の招待に承諾した。
そして、その日の夜。私は海尋の案内の元、住宅街を歩いていた。私の住む町から電車で三駅移動した場所にあるここは、田舎臭さをまったく匂わせない。洋風建築が立ち並ぶ影響か、ただの道にすら都会らしい雰囲気が漂っている。
「ついたよ、ここが僕の家」
驚くべきことに、住宅街のなかでもひときわ大きな邸宅が海尋の家だという。やはり、ただものではない。
「さあ、手筈どおり早く中に入ろう。二人を待たせるのも悪いしね」
私は海尋の家へと足を踏み入れる。玄関の扉は両開きで、その分、玄関も広々としていた。扉を閉めて、私が一息つくと、メリーと和花がテレポートしてきた。交通機関を使えない和花のためにメリーが一役買ってくれたのだ。
全員がそろったところで海尋が家の奥へと案内してくれた。そしてたどり着いたのが、高級家具でコーディネートされたリビングだった。シックな家具たちがその身を静かに部屋に委ねているように感じられるほど、緻密で、繊細なルームコーディネートだ。アンティーク品らしいものをちらほら見かけて、私の心がにわかに躍り始める。アンティーク、それすなわち昔から大切に扱われてきたモノ。愛おしくならない理由がない。彼らはどんな記憶を持っているのだろう。
「なによ、駄眼鏡のくせに豪邸じゃない。生意気だわ。もっと陰気な家に住みなさいよ」
「相っ変わらず、きみは和花さんと違って可愛げがないね。見てごらん彼女の姿を」
和花は煌びやかな装飾が施された振り子時計の振り子に釣られているのか、体をふらふらと揺らしながら、時計細工に見入っていた。目に映るものすべてが新鮮だからこその、純粋な好奇心。ちいさな発見を重ねて和花の世界はひろがり続ける。海尋が呪いを打ち消す体質で本当によかった。
「……別に私は可愛い系じゃないし、あなたに言われる筋合いもないわよ、不届き眼鏡」
メリーは不満げに頬をふくらましながら、ぼすっと体をソファにうずめた。その感触が思っていたより心地よかったのか、海尋が見ていない隙にソファを手で押したり、立ったり座ったりを、音をたてないようにそっと繰り返しているメリーは十分に可愛い系だと思える。どうやら海尋に注意を向けていて、私に見られていることに気が付かなかったようだ。
「案内したいのは、この先なんだ。ソファにはあとでたっぷり座らしてあげるから、今は僕に着いてきてね、メリーさん」
メリーの動きが固まり、白い肌が羞恥に染まった。海尋のやつ、知っててスルーしていたのか。いつかメリーと海尋の意地悪合戦が見られたら面白いかもしれない。
リビングを抜けて、階段を上ると冷たい風が私の頬をなでた。なんとなく、嫌な予感がする。まさかスーパーコンピュータとか普通のコンピュータが所狭しに並べてある部屋がこの先にあって、熱暴走を避けるために一年中冷房を点けっぱなしとか……。
「おわあ寒い……」
海尋に連れてこられた部屋はほぼ私の想像通りだった。十畳はある部屋の四方の壁際では、金属製の無機質なラックに何台も並べられたコンピュータが緑色の光をチカチカさせて活動している。真冬だというのに、冷房が真夏ですら環境破壊を危ぶんでためらうほどの温度で冷風を排出していた。さすがにスーパーコンピュータは所有していなかったが、それでも相当な台数のパソコンが稼働していて、SF映画のワンシーンに出てきてもおかしくない部屋である。私の横にいる和花は、機械群がそこかしこにある情景に感動しているのか、部屋のあちこちを首の疲労が心配になるほど観察している。
部屋に入って寒さに身を震わす私に、海尋が話しかけてきた。
「あはは、やっぱり普通は寒いよね。僕はもうなれちゃったよ」
低室温を軽く笑い飛ばしながら、海尋が部屋の中央にあるデスクに座った。私も和花やメリーと一緒に海尋の座るデスクの傍に行く。デスクの周りにも無数のパソコンがコードを蛇のように伸ばしてガリガリと読み込み音を奏でている。
そして海尋がキーボードを怒涛の速さでタイピングしたかと思うと、続いて机の上のリモコンのようなものを操作し、天井からスクリーンを呼び出した。部屋の壁よりすこしだけ小さいスクリーンは、海尋のデスクから正面にあるパソコンたちを隠した。
私たち三人の視線がスクリーンに集まる。黒い画面が表示され、昨日DSを介して見た風景が映し出された。元々リアルな描写のうえに、ここまで画面が大きくなると、スクリーンの中に吸い込まれてしまいそうになる。
「今日は大画面で『I-dea』を見てもらおうと思って。まだまだ紹介してない所がたっぷりあるからさ。こうすると家にいながら散歩気分を味わえるから、便利なんだよね。解像度もよりアップして綺麗になるし……っと、茉子を呼ばないとね」
海尋は例の特製DSを取り出すと、ケーブルをパソコンに接続した。DSで操作するらしい。私はスクリーンに工藤さんが現れるのを待った。
「……おかしい……」
海尋がぽつりとつぶやいた。昨日メリーが操作した時には一分も経たないうちに工藤さんが現れたはずだが、なにかトラブルでもあったのだろうか。
「どうしたんだ、バグ、とか?」
「……茉子に電話したんだが、反応がない。……もう一度」
海尋は手元で携帯電話のアイコンを選択し、発信の相手を選んだ。しかし、声の応答がない。ずっとこちらからのコールが鳴るだけで工藤さんが出る様子がない。スピーカーはただ、夜の住宅街の静けさと電話の音だけを出力している。
「工藤さん、今は忙しいんじゃないか? お風呂入ってたりとか」
「いや、昨日からきみたちを呼ぶことを知らせておいたから待機してくれているはずだけど……というか茉子の裸を一瞬でも思い浮かべたら締め出すからね」
「エロ紳士はこれだから……」
はん、とメリーが鼻で笑ってきた。
「ちょっと待って、一方的な暴力だこれは。和花ならわかってくれるよな」
「ええ、お兄様はわたしの裸を見て恥ずかしがるとても純情な方なので全然心配ないですよ」
「え、ちょ、和花っ」ここでそれを出してしまいますか! 弁護人!
「うわ、エロエロ紳士ったら前科もちなのね」
「なに、いわゆるラッキースケベってやつかい?」
私の株が大暴落していると、スピーカーからコール音が止んだ。工藤さんが応答してくれたようだ。海尋がDSのマイクに向かって話しかける。
「茉子、大丈夫? 電話に出ないから何かあったかと……」
『……み……く……たす……おか……っちゃ』
ノイズに邪魔されて、工藤さんの声がとぎれとぎれに聞こえてくる。電波の悪い場所でする電話よりも、もっと聞こえづらい。
「どうした! 茉子、茉子? 聞こえるか?」
『助けて……街の……人たち……おかしいよ……暴れ……』
ブツッ、と通信が途切れる音がして、工藤さんの声は聞こえなくなった。
そして、スクリーンにはゾンビのように重い足取りで動く、人影が写った。
それは工藤さんではない。高校生くらいの少年だ。彼は歩みを止めると、手にした金属バットで電柱をひたすら殴りはじめた。正気の沙汰とは思えない。金属バットの衝撃では決して折れることはないと、理性が欠片一つでも彼に残っていたら、こんな馬鹿なことはしないだろう。無表情に、ただ淡々と彼は金属バットをふるい続けている。
少年の傍では中年の男性がその場で円を描くようにぐるぐると後ろ歩きしている。酔っ払いというにも無茶がある、彼は全くの真顔だ。いたって大真面目に奇怪な動きを繰り返している。
彼ら二人の様子を見ただけでも、工藤さんの暮らす世界に異常事態が起きていることは明白だった。この挙動はデバッグ作業が不十分なゲームに見られる、バグ、なのだろうか。いや、海尋の性格からして細かいバグすら見逃さず、とっくに修正しているだろう。となると、この事態の原因は別にある。
「どういうことだ……! くそ、街の様子だけでも……」
海尋がキーボードを素早く操作すると、スクリーンに九分割の映像が表示された。
その九つ画面に、それぞれの惨劇が繰り広げられていた。
幼い少女が無表情のままその場で何度もジャンプしている場面。
主婦が食品の詰まった買い物袋を落としては拾い、また落としている場面。
まるで何者かに操られたかのように、キャラクターたちは無意味な行動を繰り返している。
「おい海尋、あれ!」
九分割された画面の左の列、一番下。そこに工藤さんがいた。
工藤さんは路地裏をなにかから逃げるように必死に走っていた。高解像度なので彼女が涙を流しながら走っていることがハッキリとわかる。
そして工藤さんが分割画面から消えると、後続として現れたのは――人の群れ。
ゾンビのように緩慢な動きを繰り返す他のキャラクターたちとは、一線を画す俊敏な動き。手には武器を持ち、完全に暴徒と化している。昨日の漫研のスプリンターも顔負けの速さで走る人の群れは、工藤さんを追いかけているように見える。
「茉子!……クソったれ! 僕のファイアウォールが破られてる……新種のウイルス? なんだこれは。駆除しても駆除しても追い付かない、増殖のスピードが速すぎる、抗体をつくってもまた形を変えて……なんだ、なんなんだ!」
海尋が一心不乱にキーボードを叩きつづけているが、事態は一向に収まらない。
「眼鏡、おちつきなさい。現状を把握できるのはあなただけよ、何が起こっているの」
「わからない! でも『I-dea』が正体不明のウイルスに感染して、僕の世界が急速に壊されているのは事実……ぎりぎり対抗してるんだけど、正直、きつい、ね……! いつ崩壊しても……いや、させてたまるか! 茉子をウイルス風情に侵されてたまるかよ……!」
歯を食いしばって鍵盤を叩く海尋の指は、どんな動きをしているのかを読み取ることができないほどの速さで動作し、目の前のPCモニタに大小さまざまなウインドウを表示させて、そのすべてで脅威と戦っている。いつ指が砕けてもおかしくない、集中力は無限には続かない。海尋の全力疾走はいつまでもつか分からない。
私は拳を握りしめる。
……なにか、なにかできないのか……この状況で、
大事な人が危機に瀕している人間がそばにいる状況で。
考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ。
希望の輪郭をつかませてくれた二人を悲しみから遠ざけるには――。
そのとき、私は、歯車が回り始める音を聴いた。
「和花! キミの呪いってたしかゲームにも有効だったよな、ほらザンギエフ」
「は、はい、効きます! けどゲームですから完全に殺す、というふうには。なんらかの改変が働くのだと思います。あの後もまたザンギエフさんと戦えましたし」
「そうか。それでいい、それがいいんだ」
和花の迅速な回答に、私は、私の中の確信を強める。
ゲームもデータも、それはつまり〝モノ〟ではないか。
呪いが効くのなら、超能力も。
私はデスクの上におかれたDSを手に取って、工藤さんの言葉を思い出す。
――これは〝窓〟みたいなもの。
だとすれば入り口はここで間違いない。確信を固める。凝固させる。
強く、強く、肯定を構築する。歯車を回す感覚が体を巡る。
いくつもの歯車が噛み合い音を鳴らす。
――――いける。私は、完全に確信した。
「海尋、俺も加勢する。お前はそこで作業を続けてくれ、俺は俺のやり方で、お前の世界を治療してみる」
「なにを? 治療って、いったい」
「――地球外生命体はな、地球人とはちょっと違った治療法を知ってるんだ」
「ハッ……こんな、ときに、非現実的な話かい?」
ガガガガガ、ガガガガガガ。話していても止まない、土砂降りのような打鍵音。
「そうだな……海尋、お前は非現実を否定し続けてくれ、その方が助かるやつもいるしな。でも俺は非現実を肯定する。俺は現実的な力をお前と違って持っていないから……こうすることしか、できないんだ」
私はDSを床において、腰をおろし、画面に手を触れる。中を治すには、中に――。
「お兄様、ひとりで全部しようとするのは、なしです。わたしだって、なにか海尋さんの力になりたいです。工藤さんを助けたいです」
とん、と私の隣にしゃがんだ和花が、私の右肩に触れた。その手のひらは冷房で冷えていても、私の胸はほっと温まる。力に変わる。
そして、もうひとつの温もりが左肩を叩く。ふふん、といつもの調子で笑いながら馬の尻尾をゆらして、左隣にしゃがむちいさな、けれど大きな力を持つメリー。
「紳士、魔法少女がそばにいるのに、頼らない理由はないと思わないのかしら……お礼を言われて、そのままってわけにはね、淑女界隈ではタブーなのよ」
ふたりの言葉が、心に染み入る。
ひとりで、なにもかもを投げ捨ててきた私に、今までにない温もりをくれたふたり。
私の超能力が、そのふたりの願いをきかないわけがない。
私は師匠の言葉を思いだす。
超能力なんて、適当でたらめ。信じればできるし、信じなきゃできない、それだけ。
たったそれだけだから、ゆえに力が現実に打ち消されてしまうこともあるし、
強い能力を発揮できないときもある。けれど、常識のタガが外れた人間なら、
たとえば、そう。地球外生命体とかなら、普通に生きることはできないけど、
その分、異常として――――この言葉の先は、今は思い出してはいけない気がした。
回想から覚めた瞬間、強く白い閃光が、視界を覆う。私はたまらず、両目を閉じた。
両の肩に確かな温もりを感じながら。
私はそっと瞼を開ける。瞳を通して、私の脳髄に伝えられた映像は冷房の効きすぎた部屋の床ではない。私は立っていた。夜の街角に。あの場所、ひとりの天才が作り出した、もう一つの現実世界、『I-dea』に。
「できた、できたぞ……よし。和花、メリー大丈夫か?」
私の両隣にはメリーと和花が呆然と立ち尽くしていた。
「はい。すごい……本当にあの画面の中に……」
「……紳士、あなた……これも超能力なの?」
「俺のことはいいから、それより急ごう、患者は沢山いるし、工藤さんも助けなきゃならない。俺は見かけた人たちを片っ端から治療する。二人は俺の援護を」
「わかりました」「わかったわ」二人は声をそろえて返事をくれた。頼もしい。
かくして私たち三人は行動を開始した。
この世界を、工藤さんを、海尋を救うために。