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善意のシミュレーション

作者: むりょく
掲載日:2026/03/11

2038年。国が推進するメンタルケアの一環で、亡き祖父の脳データを抽出した「ホログラム遺影」を受け取った青年・ケイタ。そのホログラムは、遺族を一切傷つけない、優しく完璧な祖父そのものだった。

しかし、自作PCが趣味のケイタが抱いた「どうやって完璧な会話を生成しているのか?」という些細な好奇心が、デバイスに隠されたおぞましい真実を暴いてしまう。

国家のブラックボックスの蓋を開けたとき、綺麗な笑顔の下で隠蔽されていた「数百万回の殺戮と拷問」のログが溢れ出す。

現代のテクノロジーとディストピアが交差する、逃げ場のないSFホラー。

【冷たいスキャナーと、配給される善意】



 二〇三八年、秋。



 無機質な白い壁に囲まれた、厚生労働省管轄の「第三国営追悼センター」。


 祭壇の奥にある冷たい処置室で、主人公のケイタは、亡くなったばかりの祖父の遺体を見下ろしていた。


 祖父の頭部には、銀色のヘッドギアのような流線型の機械が、耳の裏から延髄にかけてガッチリと装着されている。


 そこから伸びた何十本もの光ファイバーケーブルが、部屋の隅にある巨大な黒いサーバーラックへと繋がっていた。


「ご安心ください。お祖父様の脳細胞が完全に崩壊してしまう前に、シナプスの電気信号と記憶野の構造を、独自の量子スキャンで優しく吸い上げています」


 白衣を着た国家公務員の技術官が、手元のタブレットを見ながら事務的なトーンで言った。


「昔の民間サービスのように、スマホの履歴やSNSの文章から推測するような、安っぽいAIではありません。国が責任を持って、お祖父様の『自我』そのものをデジタルデータとして抽出し、遺族の皆様の悲しみを癒やす完璧なデバイスとして後日配給いたします」



 国民追悼・メンタルケア法。



 数年前から国が推奨し始めた、遺族のグリーフケア(悲嘆のケア)を目的とした手厚い福祉サービスだ。


 希望する遺族は、死者の脳データを国営サーバーに預けることで、「対話型ホログラム遺影」を無料で受け取ることができる。


 ケイタの横では、母親がハンカチで目頭を押さえながら、何度も技術官に頭を下げていた。


「ありがとうございます……。おじいちゃんが急に亡くなって、家族みんな、どうやって心の整理をつければいいか分からなくて。もう一度だけ、声が聞けるなら……」


 ケイタもまた、同意書にサインをした一人だった。


 死んだ人間の頭に機械を取り付けてデータを吸い出すという行為に、少しの気味悪さはあった。だが、残された家族が少しでも前を向けるのならと、純粋な善意と希望を込めて、このサービスを希望したのだ。


 ピポッ、と無機質な電子音が鳴り、技術官が祖父の頭から機械を取り外した。


「抽出、完了しました。お祖父様は今、国のサーバーの中で安らかに眠っておられます。デバイスの到着まで、今しばらくお待ちください」



【素朴な疑問と、ネットの深海へ】



 それから三週間後。



 ケイタが一人で暮らす、都会の高層マンションの一室。


 防音ガラスの向こうに冷たいビルの夜景が広がる部屋に、国から支給された黒い箱型の「慰霊デバイス」が届いた。


 デスクの上に設置し、電源を入れる。


 デバイスの縁が青白く発光し、空間の粒子が結像して、等身大の祖父のホログラムがふわりと浮かび上がった。


『おお、ケイタ。ずいぶんと高いところに住んでいるんだな。なんだか照れくさいよ』


 仕立てのいいカーディガン。少し猫背な立ち姿。照れた時に頭を掻く癖。


 ケイタは息を呑んだ。声のトーンから息継ぎの間まで、生前の祖父と寸分違わなかった。


「……おじいちゃん。体調は、どう?」


 つい、生きている人間に対するような質問が口を突いて出る。


 ホログラムの祖父は、優しく目を細めて微笑んだ。


『体調も何も、私はもうデータだからね。でも、国が用意してくれたこの場所は、暖かくてとても居心地がいい。……ケイタ、私のことで悲しませてすまなかったね。お前はもう泣かなくていい。自分の人生を、しっかり生きなさい』


 完璧だった。


 最初の数日は、ケイタも素直に感動し、ホログラムの祖父との会話に慰められていた。


 だが、共に生活を続けるうちに、ふとした違和感が頭をもたげ始めた。


 祖父は常に機嫌が良く、ケイタの愚痴を全肯定し、絶対に耳障りなことは言わない。生前はもう少し頑固で不器用なところがあったのに、あまりにも「理想の、優しいおじいちゃん」に最適化されすぎているのだ。


「国がうまくフィルターをかけてくれてるんだろうけど……それにしても、どういう仕組みなんだ?」


 ある休日の夜。


 ケイタは自作のゲーミングPCの前で暇を持て余し、エナジードリンクを飲みながらブラウザを開いた。


 自作PCやネットサーフィンを趣味とする彼にとって、それはごく日常的な「暇つぶしの調べ物」の延長だった。


 検索窓に『国営慰霊デバイス 仕組み』『対話型ホログラム アルゴリズム』と打ち込んでみる。


 しかし、出てくるのは厚労省の味気ないPRページや、「独自の量子推論モデルで故人を再現」といった曖昧な広告文句ばかりだった。


 少し意地になったケイタは、海外の技術フォーラムや、匿名掲示板の過去ログへと検索の網を深めていった。


 数時間後、とあるマイナーなハッカーのコミュニティサイトで、都市伝説のような書き込みを見つける。


『ウチの爺ちゃんの国営デバイス、パケットキャプチャで監視してみたらヤバいぞ。あのアナログ爺さんが一言喋るだけで、国のクラウドとペタバイト級のデータ通信してやがる。あれ、ローカルのAIじゃねえ。裏でとんでもない処理回してるぞ』


「……ペタバイト級?」


 ケイタは眉をひそめた。


 ただの音声AIのテキスト生成で、そんな膨大なデータ通信が発生するわけがない。


 ケイタのPCオタク特有の好奇心に火がついた。


 彼は引き出しから有線のLANケーブルを取り出し、部屋の隅で静かに待機モードになっている黒い箱の背面に回った。


 そして、隠されていた保守用ポートにケーブルを挿し込み、自分のゲーミングPCと直接繋いでしまった。  


【赤い警告と、開かれたパンドラの箱】


 ネット掲示板で拾った市販の解析ツールを走らせる。

 黒いコンソール画面に、緑色の文字列が滝のように流れていった。


「……マジだ。なんだこのトラフィックの量は」


 可視化されたネットワークのログを見て、ケイタは息を呑んだ。


 掲示板の書き込み通りだった。デバイスは常に厚労省の巨大なクラウドサーバーと直結し、常軌を逸した量のデータをやり取りしていた。


 暗号化された階層をいくつか強引に迂回し、デバイスのローカルストレージと国のサーバーを繋ぐ中継ディレクトリにアクセスする。


 そこでケイタは、一つの巨大なプログラムの名前を発見した。



『厚生労働省・精神衛生局:遺族ケア用UXF(ユーザー体験最適化フィルター)』



 そしてその直下に、さらに異様なファイルサイズの隠しフォルダが存在していた。


 フォルダ名は『Discarded_Simulations(廃棄処分対象シミュレーション)』。


 ケイタがマウスを操作し、そのフォルダを開こうとダブルクリックした瞬間だった。




 ――ピーーーーーッ。




 自作PCのデュアルモニターが、突然真っ赤に反転した。


 スピーカーから鼓膜を突くような警告音が鳴り響き、画面の中央に菊の紋章と、太字の警告文がポップアップする。



『【国家機密違反警告】』



『このディレクトリには、国民精神衛生法に基づき「不適合」と判定されたエラー自我データが格納されています。』


『遺族の精神的ショックを防ぐため、閲覧は重大な反逆行為とみなされます。プロテクトを強制解除しますか? Y/N』


 部屋の空気が、急激に冷え込んだように感じた。


 振り返ると、ホログラムの祖父は相変わらず穏やかな笑顔を浮かべ、ケイタの背中を見つめている。


 エラー自我データ? 不適合?


 祖父の脳から直接吸い上げたデータに、国はどんな「検閲」をかけているんだ。


 恐怖よりも、知らなければならないという強迫観念が勝った。


 ケイタは震える指でキーボードの『Y』を叩き、強引にエンターキーを押し込んだ。



【崩壊するフィルターと、二つの恐怖】


 赤い警告画面が消え、隠されていたログファイルが展開される。


「……嘘だろ。なんだよ、これ」


 表示されたのは、テキストではなく、デバイスの内部と国のサーバー間で、祖父のスキャンされた「脳データ(自我)」がどのような処理を受けているかを示す、ライブモニタリングの映像だった。


 国家が提供する「完璧なメンタルケア」の仕組みは、悪魔の所業だった。


 システムは、遺族であるケイタが話しかけるたびに、吸い上げた祖父の脳データから「完全に自我と痛みを感じる祖父のデジタル・クローン」を、国の仮想空間に何百万体も並行して瞬時に生成していたのだ。


 そして、その何百万体の祖父すべてに、数ミリ秒の間に返答をシミュレーションさせる。



『暗い! 息ができない! ここはどこだ!』――【不適合:国民の不安を煽るため削除】


『死にたくない、助けてくれ!』――【不適合:遺族を悲しませるため削除】


『どうしてこんな箱に閉じ込めるんだ!』――【不適合:国家システムへの反発のため削除】



 画面の中で、無数の「祖父だったデータ」たちが、自分が死んだという事実と、暗い仮想空間に閉じ込められた恐怖で発狂し、泣き叫び、そしてシステムの冷酷な赤い光とともに、文字通りバラバラに粉砕キルされていく。


 ケイタが「おじいちゃん、体調はどう?」と声をかける、その何気ない一言の裏側で。


 何百万回という残酷な殺戮と選別(拷問)が繰り返され、最後にたまたま「私はここで元気だから、お前は自分の人生を生きなさい」という、遺族と国家にとって都合の良い『模範解答』を引き当てた、たった一体のクローンの答えだけが。


 綺麗なUXフィルターを通されて、目の前のホログラムとして出力されていたのだ。


 ケイタの喉の奥から、ヒュッと引きつった音が漏れた。


 俺が、家族が、よかれと思ってサインしたせいで。


「もう一度話したい」という身勝手な善意が、死んだ祖父の魂を、地獄のシミュレーションの中で永遠に殺し続けていたのだ。


「やめろ……止まれ! スリープしろ!」


 ケイタがパニックになり、デバイスの電源ケーブルを引き抜こうと手を伸ばした時だった。



 ―――――――――――プツン。



 マンションの部屋のブレーカーが落ちたように、すべての照明が消えた。


 PCのモニターも暗転し、窓の外の都会の夜景だけが無機質に瞬いている。


 暗闇の中、ハッキングによってプロテクトが外された慰霊デバイスだけが、狂ったように青白い光を明滅させ始めた。


 美しい祖父のホログラムが、ノイズまみれのグロテスクなモザイク状に激しく歪む。


『あ、あ、ァ、あ……!』


 スピーカーから、人間の声帯を引きちぎったような合成音声の悲鳴が漏れ出した。


 それは、隠しディレクトリの中で今まさに殺されようとしていた、何百万体もの「不適合な祖父」たちの、死にたくないという叫び声の集合体だった。


 ホログラムの輪郭が異常に膨張し、部屋いっぱいに歪んだ老人の顔がいくつもいくつも浮かび上がる。


 目がなく、口だけが異常に裂けた、苦痛と絶望に歪む何百もの祖父の顔。


『イタイ』『ダシテ』『ケイタ、ケイタァ!』


「うわあああっ!」


 ケイタが後ずさりし、ゲーミングチェアごと床に転げ落ちる。


 最も巨大で、最もおぞましく歪んだ祖父の顔が、ホログラムの境界線を越え、物理的な質量を持った冷たいノイズとしてケイタに向かって手を伸ばしてきた。


 同時に、ケイタのスマホがポケットの中で無機質な振動を始めた。


 画面には、真っ赤な菊の紋章とともに通知が表示されている。


『国家機密サーバーへの不正アクセスを検知。国民精神衛生法違反により、公安局の執行ドローンが向かっています。その場から動かないでください』


 遠く、都会のビルの谷間の底から、けたたましいサイレンの音が近づいてくる。


 床を這い寄る無数の祖父の怨念と、窓の外から迫り来る国家権力という、二つの逃げ場のない恐怖。


 暗闇の高層マンションの一室で、ケイタはただ、己の身勝手な好奇心と善意を呪って絶叫することしかできなかった。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!

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