触れた指先に、新しい年
1月1日・夜 柚瑠の屋敷
参拝を終え、ふたりが屋敷へ戻ってきたのは夜の10時過ぎだった。
まだ冷えが残る空気のなか、着物の裾をたくしながら奥の和室へ入ると、律はほっと息をついた。
「はぁ……やっぱり着物って、思ったより動きづらいですね……」
「まあな。でも、律がちゃんと着てる姿、見られてよかった」
そう言いながら、柚瑠が懐からスマホを取り出す。
「……着崩れる前に、写真撮ってもいい?」
「えっ……」
律は一瞬きょとんとして、それからぱっと頬を赤く染めた。
「ま、まだ着てるだけで精一杯なのに……そんなの、恥ずかしいですよ……っ」
「でも、すごく似合ってたし。……思い出に、残しておきたい」
柚瑠の言葉はいつも通り淡々としていたが、そこに含まれる熱に気づいて、律は一瞬、口を噤んだ。
しばらく俯いていたが、やがて、頬を赤くしたまま小さくうなずく。
「……じゃ、じゃあ……一枚だけ、ですよ」
「うん」
立ち上がった律の黄色い髪が、部屋の照明に透ける。
藍色の着物にからし色の帯、裾を押さえる細い指先さえ、今夜の特別さを物語っていた。
「……はい、チーズ」
シャッターの音が静かに鳴る。
それを合図にしたように、律が少しだけ目を伏せた。
「……柚瑠さん。今日、すごく楽しかったです」
「そっか。俺も、すごく楽しかった」
「それに、着物とか……不安だったけど、柚瑠さんが似合ってるって言ってくれて、うれしかった。……だから……」
律の言葉がだんだん小さくなっていく。
それでも、まっすぐ柚瑠を見上げたその緑色の瞳には、迷いがなかった。
「……柚瑠さんから、キス……してもらえますか?」
沈黙が訪れたあと、柚瑠がそっと笑った。
優しく律の頬に手を添えて、目線を合わせる。
「……律から、そう言ってくれるとは思わなかった」
「し、しないなら、取り消します……」
「やめとけ。もう、逃がさないから」
唇が近づく。
緊張で肩がこわばる律に、柚瑠は一瞬だけ囁いた。
「着物のままってのも、悪くないな」
その言葉とともに、唇が重なった。
最初はそっと、けれど確かに、お互いの体温を確かめ合うように。
唇が離れた瞬間、律はまるで熱を持ったように顔を真っ赤に染めた。
耳までほんのり赤くなっていて、視線をあちこち彷徨わせながら、落ち着かない様子でもじもじと裾を指でつまんでいる。
「……っ、わ、わ……いまの……やっぱり……その……」
柚瑠と目が合うたびに、視線を逸らす律。
口元を手で押さえて小さくうずくまるようなその姿に、柚瑠は一歩近づき、でも触れるのは躊躇ったように手を止めた。
「……そんなに恥ずかしかった?」
「だって、あんなの……柚瑠さん、急に……」
「急じゃないだろ。律が『して』って言ったから、しただけ」
「~~~っ、そうですけどっ!!でも……その……!」
語尾が震え、律の瞳が潤むほどに照れを込めたままこちらを見上げてくると、柚瑠は少しだけ笑って、目を伏せた。
「……俺も、まだ慣れてないんだ」
「えっ……?」
「こういうの……“好きな人に触れる”のって、ちゃんとしたの初めてだから。……今でも、どこまでしていいのか、迷う」
それは普段の落ち着いた柚瑠の表情からは想像できない、少しぎこちなく、でも真剣な告白だった。
「……だから、無理はしない。律がしたくないことは、絶対しない」
その言葉に、律は一瞬だけ目を丸くし、それからそっと柚瑠の袖をつかんだ。
「……じゃあ。今日は一緒に……いて、ください。隣に……いてほしい」
「……ああ、もちろん」
*
着物を丁寧にたたみ、柚瑠が用意していた室内着に着替えると、少しずつ緊張がほぐれたのか、律の表情も柔らかくなる。
「帯の結び方、思ったよりちゃんとできてたかな……」
「できてた。後ろ姿も、すごく綺麗だったよ」
「~~また、そんなこと……言うし……」
こたつに入って温まりながら、お互いの隣にすっと腰を下ろす。
さっきまでとは違い、肩が自然と寄り添っていた。
律が頬杖をついたまま、ふわりと笑う。
「……変な感じですね。ずっと昔から柚瑠さんのこと知ってたのに、こうして隣に座るの、全然違って感じる」
「律が変わったからかも。俺も……多分」
「な、なんですか、それ……」
「悪い意味じゃない。……律が俺のことを“好き”って思ってくれるようになったから、変わった。……それが、すごく嬉しい」
静かな部屋に、暖房の音と、こたつの中で擦れる足音だけが優しく響く。
しばらくふたりは何も話さず、ただそっと寄り添って、手の甲だけをかすかに重ねた。
そして、寝る前。
柚瑠の部屋に敷かれた布団が二組。
律はそちらを見ながら、こっそり尋ねる。
「……今夜も、隣で寝てもいいですか?」
「……うん。こっち、あったかくしてある」
柚瑠が掛け布団をそっと持ち上げると、律はもぞもぞと潜り込んできた。
そして背中を向けながら、照れ隠しのように言う。
「おやすみなさい……柚瑠さん」
「おやすみ、律」
その背に、触れるか触れないかの距離で、そっと手を添えた。
それだけで心が落ち着いて、眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかった。
いつもと違う、でも確かに“好き”がつまった冬の夜が、ふたりの距離を静かに温めていた。




