ラブホテルの残響
12月25日、昼下がり。
冷え込む風にコートの襟を立てながら、黒川は不機嫌そうに口をへの字に曲げていた。
「……あのさ、よりによってラブホ跡地とか、ほんとふざけてんのかって話ですよ」
ぶつぶつと呟きながら、階段を一段登るごとに軽く顔をしかめる。
「……腰、痛むのか?」
後ろからついてきた因幡が、わざとらしく心配そうな声を出す。
「ッ……ちげーし、昨日のあれはちょっと激しすぎただけで……」
思わず口をつぐんだ黒川の耳が赤くなるのを、因幡は愉しげに目で追った。
「何を恥じることがある? 君はとても魅力的だったぞ、あの鏡の中の黒川」
「……先生、マジで黙ってください。てか、ここ仕事なんで」
「そうだな。じゃあ“仕事モード”に切り替えて……」
「──お待たせしました!」
駆け寄ってきた律が、顔をほのかに上気させながら二人に頭を下げた。
その後ろには、いつも通り落ち着いた表情の柚瑠が、手をひらりと振っている。
「律、そんなに急がなくていいぞ。黒川たちも来たばっかみたいだし」
「……あ、えと、でも、今日の依頼、ちゃんとやらないと、ですから……」
珍しく慌てた様子の律に、因幡が小さく首を傾げる。
「……なんか雰囲気違うな。どうした?」
「……あの……実は、昨日……その、柚瑠さんと、付き合うことになりまして……」
ぽそっと口にした律の頬が、一瞬で真っ赤に染まる。
「えっ、マジで?クリスマスイブに告白成功とか、めちゃくちゃリア充じゃん」
黒川が目を見開いて、思わず茶化すように言う。
「まぁな。……律が、ちゃんと“これからも一緒にいたい”って言ってくれたから」
柚瑠はさらっとそう言って、横に並んだ律の肩に軽く手を添えた。
「~~っ、柚瑠さん、あの、そういうの……」
もはや湯気が立ちそうなほどに真っ赤な律に、黒川も思わず「可愛いかよ」と呟く。
「……ま、幸せそうで何よりです」
因幡がくすっと笑った。
廃ホテルのロビーは冷えきっていた。すでに使われていないはずの受付のベルが、誰も触れていないのに「チン」と鳴る。
「……こっちはしばらく前から、地元の心霊スポット扱いです。無断侵入する若者やヤンキーのせいで、建物が荒らされてて……正直、困ってるんですよね」
苦い顔で語る管理人の男性は、壁の落書きを指差した。そこには黒いスプレーで「呪」「呪い殺された女」「別れるホテル」などと乱暴な言葉が走っている。
「聞こえるんです、夜になると女の人の声が。恨めしそうな声で、何かを探してるみたいな……」
「その部屋です」とホテルの管理人が鍵を開けた。
管理人が去った後、因幡は腕を組んで一歩前に出た。
軋む音を立てて開いたドアの奥。
どこか使い古された香水の匂いが残る薄暗い部屋には、大きなダブルベッドと、壁一面を覆うように設置された全身鏡があった。
「……うっわ」
思わず黒川が固まる。
前夜の因幡の手が、唇が、自分の体がどう映っていたか。
脳裏に嫌でもフラッシュバックする映像に、肩をぶるっと震わせて視線を逸らす。
「黒川。さっきから顔赤いぞ?」
にやりと笑う因幡に、黒川は振り返りざま、声を抑えた怒気で返した。
「ほんとマジで、黙っててください……」
一方そのころ、律もまた、鏡の前でぼーっとしていた。
「……律?」
柚瑠が声をかけると、びくっと肩を跳ねさせて振り返る。
「す、すみません!あの、昨日……柚瑠さんが……俺のこと、可愛いって……ああ、もう、なんでもないです……!」
顔を覆ってしゃがみ込む律に、黒川が小さく笑った。
「……お前らも相当甘いな。俺が言うのもなんだけど」
「だな」
因幡が肩をすくめて、薄暗い部屋の中央へと歩き出す。
「じゃ、仕事しようか。――黒川、腰、無理するなよ?」
「……するか、バカ……」
ツンとそっぽを向きながらも、因幡の後ろを追う黒川。
律はというと、柚瑠の隣で落ち着かない手元を何度も服の裾でいじっていた。




