鎮魂ノ読経
工場跡地・奥の空間/宵闇
足を踏み入れるたび、埃と霊気の混じった重い空気がまとわりつく。黒川の黒と黄色のオッドアイがわずかな光を捉え、辺りを警戒する。
「……ここだ。音が……聞こえる。心臓じゃねぇのに、ズンズン響いてくる」
因幡は静かに後ろに立ち、落ち着いた足取りで歩み寄る。長い黒髪を後ろにひとつに束ねた姿で、薄手の和服が夜の風に揺れる。
「鼓動に似た波動だ。未浄化の霊が、誰かに“思い出される”のを待ってるんだよ」
「……先生、その格好……地味に説得力あってムカつくんですけど」
「失礼な。これでも“供養読経”のつもりだよ。――ただ、俺なりの方法で」
因幡が懐から文庫本を取り出す。淡く擦れたページが闇の中で音を立てる。
「準備して。俺が呼ぶ。お前が“門を開ける”」
「……またアレやんのかよ」
「“アレ”じゃない。“神事”だ」
「神事にしちゃ、エロすぎだっての……」
因幡が静かに朗読を始める。
深い声、ゆっくりと、湿った空気に沁みこむような官能的な台詞。
> 「――ゆっくりと、指が喉元をなぞる。熱がそこに溜まっていく……彼女の吐息が耳朶を打ち、言葉はやがて甘い悲鳴へと――」
空間に変化。歪む空気。黒川のオッドアイが一瞬強く輝き、霊たちの気配がぐっと押し寄せる。
「くっ……また来やがった……!」
黒川が腕まくりし、それを自分の口元へ持っていく。
「――……っし、これでどうだ……“くちゅっ、ぴちゃっ……”」
彼の口元が音を鳴らすたび、空気が“鎮まる”。官能朗読と効果音の合わせ技により、霊たちは戸惑い、やがてその存在を露わにし始める。
「……見えたか?」
「ひとり……いや、三人……!……女、男、……あいつは、子どもか……!」
霊たちは声を持たず、しかし“熱”だけを発して漂っていた。その目は、憎しみでも怒りでもない。ただ、助けを求める“飢え”。
「……っ、先生。こいつら、実験で“閉じ込められた”まんま、死んだ……!」
「やっぱりか……この施設、霊的な媒介体を使った“意思誘導”の試験場だった。物理でも、精神でもなく――魂を、引きずり込むために」
「だからここ、空気がずっと“泣いてる”みてぇなんだな……」
因幡が朗読の調子を少し変える。官能の中に、優しさのある言葉が混ざる。
> 「――触れることはできない。けれど、想いは残る。望んだ明日が、誰かの中で繋がるなら……」
黒川も静かに呼吸を整え、眼鏡越しに霊たちを見つめながら語りかける。
「……痛かったんだろ。怖かったんだろ。――でも、終わったんだ。お前らがここにいた証拠は、ちゃんと残す。だから……もう、行け」
ふっと、霊たちの姿が薄れていく。誰かが「ありがとう」と言った気がした。
「……やっぱり君は、ちゃんと“扉”になってる」
「……あー……やってやったけどさ。腕、唾でベッタベタなんだけど。あと、ちょっと恥ずかしいわ」
「誇っていいよ。“エロと霊媒”をここまで融合できるのは、世界で俺らだけだ」
「誇れるかっ、そんな肩書!」
言いつつ、ふたりは崩れかけた外階段に座り込む。工場の空は、静かに澄んでいた。




