蟹とこたつと、冬の笑顔
「……柚瑠さん。冷凍庫、もう入りきらないんですけど……!」
初冬の朝、律の困ったような声が台所から響く。開け放たれた玄関には、大量の発泡スチロール箱。そして箱の中には、これでもかというほどの蟹。
「“お友達と食べてね”って、母からの伝言らしい。これはもう、宴の規模だな」
手紙を読みながら、柚瑠は微笑む。温かな声と表情はいつもどおり穏やかだけれど、そこに少しだけ律を気遣う気配が混じっていた。
「どう考えても……二人じゃ無理ですよ、これ……」
「なら、招待しよう。因幡と黒川、ちょうど暇してるんじゃないか?」
「……たしかに。あのふたりも蟹、好きそうですし……」
律が納得したようにうなずき、こうして急きょ“蟹パーティー”が開催されることになった。
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その日の夕方、因幡歩人と黒川才斗が、寒風に頬を赤くしながら到着した。ダイニングには土鍋と、テーブルの中央に山盛りの蟹が鎮座している。
「マジでこんなに蟹あんの……?」
黒川が素で驚いた声を漏らし、柚瑠は小さく笑った。
「うちの実家、昔からこうなんだ。量も温かさも豪快でね」
「へぇ……てか、これ何人分だよ……」
「とりあえず、律と黒川はキッチンチームに任命。因幡と僕は準備組ってことで」
「はいはい、どうせ俺が料理係なんだろ?」
黒川は呆れたように肩をすくめながらも、すでに袖をまくり上げてやる気満々の様子。
「うん、黒川、器用だし手際もいいし……律と組むのも慣れてるだろうしな」
「ですね。……ってか、律くんとなら別にいいし」
どこか当然のような顔で言いながら、黒川は律の方をちらと見る。律は少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐにふわりと笑って、
「じゃあ、俺たちは下ごしらえをするので、柚瑠さん達はテーブルの方を……」
律がそそくさと台所へ向かうと、黒川がさっそく手を洗いながら話しかけた。
「律くんって、マメだよな。柚瑠さんと暮らしてんのに、ちゃんとしてるってすげーと思うわ」
「え?あ、いや……柚瑠さんもやる時はやってくれますし……」
「ふーん……でも、律くんが回してる感あるよな、家のこと」
「そ、そうですか……?」
律が菜箸を握りしめながら視線を彷徨わせていると、後ろで黒川が鍋の火加減を見つつポツリ。
「……柚瑠さん、律くんのこと甘やかしてそう」
「えっ」
「なんか……うん、そんな空気」
その言葉に動揺した律が振り向こうとしたとき、不意に因幡が声をかけてきた。
「黒川、エプロンの後ろ、ほどけかけてるぞ。……ほら」
「っわ、先生、近っ……!」
因幡が手際よくエプロンの紐を結び直すと、黒川は耳まで赤くして口を尖らせた。
「……そういうの、家でやってくんね?」
「律たちの前だと照れるのか。可愛いな」
「……~~っ、からかってんだろ、マジで!」
ふたりのやり取りを目の当たりにして、律は思わず柚瑠の方を見る。
「……柚瑠さん。あの、黒川くんと因幡先生って……もしかして、その、付き合ってたり……しますか?」
「え?んー?どうかな、仲は良さそうだけど。黒川は人懐っこいし、因幡も案外面倒見がいいからな」
「そ、そう……なんですけど……」
曖昧な笑みで受け流されてしまい、律は言葉に詰まる。さっきから自然に距離の近いふたりを見て、胸のあたりがやけにそわそわしていた。
「それにしても、律は観察眼があるんだな。僕なんて、まったく気にしてなかったぞ」
「っ……そ、それは……っ」
「ふふ。顔、赤いな。律、もしかして照れてんのか?」
「ち、違いますっ!からかわないでください……!」
慌てて顔を背ける律の耳までが赤く染まっていて、柚瑠はその様子に首をかしげつつも、深くは追及せずに微笑んだ。
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やがて蟹鍋も佳境に入り、テーブルでは因幡と柚瑠による蟹大食い対決が繰り広げられていた。
「……因幡、ほんとによく食べるな。これは意外だったな」
「柚瑠こそ、まったくペースが落ちないな……」
「この勝負、負けられないからな」
静かな火花を散らす二人をよそに、律と黒川はせっせと蟹の殻をむいては差し出す。
「……俺ら、給仕係みたいだな」
「……でも、なんだか楽しいですね、こういうの」
「うん、まぁ。律くんと一緒に何かやるの、嫌いじゃないし」
ぼそっと言った黒川の言葉に、律は少しだけ驚いて、それからふんわりと微笑んだ。
「……黒川くんって、時々素直ですよね」
「は!?そ、そんなことねーよ!」
「ふふ……じゃあ、さっきのは聞かなかったことにします」
「ちょ、律くん、それはズルいだろ……!」
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食後、満腹になった四人はこたつに潜り込み、それぞれの湯のみを手に、ゆるやかな眠気に身を委ねていた。
「因幡たち、今日は泊まっていけよ」
「いいのか?」
「もちろん。布団、二組出しておくわ。……一緒でも構わないなら、だけど」
「……黒川は?」
因幡がそう尋ねると、黒川は一瞬視線を逸らしてから、気だるげに答える。
「俺は……どっちでも。別に、先生が一緒がいいなら、それで……」
「じゃあ、俺と一緒で」
「っ……わかったよ、もう……うるさいな……」
黒川は顔をわずかに赤らめながら、こたつの中で足を組み直した。そのやりとりを見ていた律は、湯のみを持ったまま完全に固まっていた。
「……柚瑠さん。やっぱり、あのふたりって、すごく……仲がいいというか……」
「ん?ああ、まぁ。黒川、ああ見えて懐くと可愛いから。因幡も……根が優しいしな」
「……そ、そうですけど……」
「律、また顔が赤くなってる。ふふっ、どうしたんだ?」
「っ……そ、そういうこと言わないでください……!」
律は恥ずかしさに耐えきれず、こたつの端に身を寄せて背を丸めた。その耳まで真っ赤になっているのを見て、柚瑠はきょとんとしながらも、笑みをこぼす。
「君が照れてると、なんだか僕まで嬉しくなる」
そう言って、柚瑠は律の方へそっと視線を向ける。けれど、その言葉が無自覚な優しさだと気づいているのは、きっと今のところ律だけだった。
こたつの中で、くすぐったいような沈黙が流れ、湯気と笑い声が柔らかく溶け合っていった。




