囮は、可憐に
「……で、今回の依頼なんですけど」
高守家に集められた因幡と黒川。
珍しく、作業机の上にきっちりとファイルを並べた律が、で真剣な目をして言った。
黒川と因幡、そしてソファでスマホをいじっていた柚瑠が顔を上げる。
「現場は、駅前の廃ビル群にある元キャバクラ跡です。オーナーが放置したままなんですが、最近になって地元の建築業者が取り壊しに入ったところ、工事関係者が次々に体調不良や不審な事故に遭って作業が中断。どうやら、そこに“女を探し続けている霊”が残っているみたいで……」
「女を……?」
因幡が首をかしげた。
「はい。おそらく生前、女性に執着していた人物が亡くなって、そのまま霊になったのではと。生前の記録では、ホストのような生活を送っていた男性が、店のVIPルームで突然死したそうです。その後も、“口説かれる”“背後に声をかけられる”“ナンパされる”といった苦情が絶えず……」
「……要するに、女にしか興味のない最低系クズ霊ってことか」
柚瑠が鼻で笑う。
「こういうの、厄介なんだよな……。女しか見えない、女しか聞こえない、ってやつ。正攻法で結界張ってもまるで効かないパターンだ」
「だからこそ、俺……いや、私……が考えた作戦があります」
律は小さな紙袋をテーブルに置いた。
「用意してみました。変装道具を」
「……へん、そう?」
黒川が紙袋を覗き込んで、硬直した。
「そうです。こういう霊は、“好みの女性”に誘い出されることで自ら姿を現すことがあるので……えっと、まぁ……その……俺が……女装して、囮になります」
「……は?」
「無理するなよ、律」
柚瑠が少し顔をしかめる。
「誰がそんなことを――」
「……ただ、1人じゃちょっと心細いというか……正直言って、1人だけが女装するの、めちゃくちゃ恥ずかしいので……黒川さんも一緒にお願いします!」
「なんでだよおおお!?俺関係ないだろ!?」
「黒川さん、お願いします!恥ずかしさを半分こにしたいんです!」
「“半分こ”って……おまえ……!ああもう、わかった、やるよ! やればいいんだろ!」
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当日:廃ビル前
夜の冷気が微かにビルの隙間から抜けてくる。ライトのほとんど切れた古びたキャバクラ跡前に、“妙に色っぽい女性”が二人佇んでいた。
ひとりは、ふわりとした茶系のウィッグに、上品なベージュのワンピースを着た律。
その可憐さは、街角で声をかけられても不思議ではないくらい自然で、そして……柚瑠の目を釘付けにした。
(なんだ、あれ……。いつもの律じゃないのに、律以外に見えない。なのに、異様に綺麗……)
柚瑠は喉が鳴るのを無理やりごまかし、そっぽを向いた。
「柚瑠さん……変じゃないですか?」
「いや……似合ってる。……びっくりしただけだ」
「……!」
その返答だけで律の頬が赤く染まっていくのを、柚瑠は直視できなかった。
一方その頃。
隣に立つ黒川は、ロングの黒髪ウィッグと厚めのパーカー、プリーツスカートという格好。化粧は簡単に整えられているだけだが、すらりとした骨格に不思議な華があり――
「……黒川、それ、似合いすぎでしょ……」
因幡が、ぽつりと口を滑らせた。
「は?なに?」
「いや、なんでもない。気にするな」
(まずいな……ちょっと可愛いと思った。いや、ちょっとじゃねえ。普通に見惚れた)
「おい、因幡。なにガン見してんだよ」
「……ガン見してない。ただ、目が止まっただけだ」
「それガン見って言うんだよ!!」
黒川のツッコミに、因幡は素知らぬふりで肩をすくめてみせたが、耳が微かに赤いのを誰よりも黒川が気付いていた。
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廃ビルの中は、静寂と埃に包まれていた。かつてキャバクラだった面影は、すでにくすんだ壁と割れた鏡にしか残っていない。
それでも、奥のソファ席に立ち込める微かな香水の残り香のようなものが、霊の存在を感じさせた。
「黒川さん、俺たちは……奥のバーカウンターのあたりで動きを待ちましょう。目立つ位置ですし、見つけてもらいやすいと思います」
「お、おう……」
場に似合わぬ女装のまま、黒川は赤面しつつも所定の位置に立った。
それを律も追うように隣に並び、ふたりは手持ちのグラス(演出用)を持ち上げて、まるで客を待つホステスのように微笑んでみせる。
……直後、ビルの奥から、冷たい気配が滲み出てきた。
「……来たね」
柚瑠が呟き、結界の起動を準備する。
その横で、因幡がゆっくりとマイクのように片手を口元に寄せた。
「女の姿にしか興味がないんだろ?だったら……俺たちの“演技”で、釣り上げてやる」
照明が壊れた店内に、低く、甘い声が響く。
> 「……ようこそ、お疲れさま。
そんな顔して……疲れてるんでしょ?
優しくしてあげるよ。今夜だけは、ね」
黒川のすぐ背後、耳元に、因幡の声が囁くように注がれる。
その一音一音が肌をかすめ、鳥肌が立つようなゾクリとした感覚に黒川は反応してしまう。
「っ……な、なんだよ、いきなり近くて……!」
「声が届かないと困るから、ってだけだよ」
涼しい顔の因幡。だが、その視線は、いつもよりずっと真剣だった。
その隣で、柚瑠も同じように、律の背後から手を重ねて結界を展開していた。
「……柚瑠さん?」
「僕の手の動き、真似して。……霊が来たら、少しでも動けるようにしておきたい」
「……はい」
律の小さな手に、柚瑠の温もりが重なる。息がかかるほど近い距離。
それだけで律の頬は熱くなっていたが――柚瑠もまた、律の白い首筋を見てドキリとしていた。
(なんだ……? ただの“演出”なのに。……妙に、目を逸らせない……)
だが、その“妙な視線”が引き寄せたのか。
店内の奥、ソファの陰に“それ”は現れた。
酒に酔ったように歪んだ男の顔。
乱れた前髪の下から覗く、ぎょろりとした目が、女装した律と黒川をまっすぐ見据えていた。
「――あー、カワイイコ……来たネェ……一緒ニ、呑モウヨ……」
ぼそぼそと崩れた声が空気を削るように響き、ゆらり、と霊の姿が浮かび上がった。
「今だ、因幡!」
「了解。――さぁ、こっちにおいで。
君だけに、たっぷり甘く囁いてあげる」
因幡の声が、まるで媚薬のように場の空気を変えた。
黒川の背中に、霊の気配がぐっと近付いてくる。
(くそっ、これ……意外とマジで怖え……!)
と、その時。
柚瑠が結界に力を込めた。
「……いま!」
律の手に添えられた柚瑠の指先から、淡い光が走る。
霊の動きが一瞬止まり、因幡の声が刃のように突き刺さった。
> 「……未練は捨てな。
もう、女の子たちは、君を待ってない。
――さようなら」
霊の姿が崩れ、ビルの空気がすっと静まった。
「……完了、っと」
黒川がスカートの裾を整え、ほっと肩を落とす。
律もようやく結界の力を抜いて、大きく息を吐いた。
「……お疲れさまでした」
「ふたりとも、よく耐えたな」
柚瑠が律に近付いて声をかける。
その瞬間、律の顔が再び赤くなる。
「柚瑠さん、あの……さっき、ドキッと……しました?」
「っ……」
柚瑠は言葉に詰まり、数秒だけ口を閉じる。
「……似合いすぎてて困った、ってだけだ。たぶん」
「……えへへ」
照れ笑いを浮かべる律の瞳を見て、柚瑠はまたドキッとさせられていた。
今夜、柚瑠は知る――“かわいい”という言葉は、律のためにあるのかもしれない、ということを。




