表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
官能霊媒師は朗読で祓う  作者: あしゅ太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/83

夢の残り香

除霊から戻ったあとの、深夜の静かな時間。

黒川のアパートの部屋は灯りを落とし、間接照明だけがほのかに空間を照らしていた。


「はぁ……今日はさすがに、疲れましたね」


ソファに深く腰を沈めた黒川が、小さく伸びをした。

すでにシャワーは浴び終えていて、ゆるく乾かした髪からは微かに柑橘系の香りが漂っていた。

部屋着のパーカーの袖を無意識にいじる手つきが、今日のことを反芻している証拠だった。


「まあな。……あの亡霊の最後のひとこと、気になるな」


キッチンからマグカップを2つ持ってきた因幡が、黒川の隣に腰を下ろす。

差し出されたカップには、薄く淹れたカモミールティー。

眠る前の静けさが、ふたりを自然に寄り添わせていた。


「“来世でまた、会えますように”――でしたね」


黒川が、ぽつりと呟く。

それは亡霊が光へ還る直前、消え入りそうな声でこぼした願いだった。


「愛してた人に再び会えるように、か。執着じゃなく、願いとして残ったんだな。……おまえは、信じるか? 来世とか、運命とか」


因幡がマグを片手に、ふと横目で黒川を見やった。


黒川は、答えに少しだけ間を置いた。

そして、柔らかく笑ってこう返す。


「……誰かを強く想う気持ちが、何かを超えることがあるなら。信じたいです。叶わなくても、願っていたい……って思うくらい、大切な人がいるなら」


その横顔には、熱も告白もない。ただ、少しだけ切なさを孕んだ穏やかな静けさがある。

だけど因幡は、その言葉の向かう先を、薄々気付いていた。


(……俺のことか?)


気付かないふり。

ずっとしてきた。

黒川が、誰よりも自分の言葉を信じ、支えてくれていること。

傍にいる理由が、ただの“助手”ではないこと――。


それを、ずっとわかっていながら、気付かないふりをしていた。

でも。


「……黒川」


「はい?」


因幡は何気ないような顔で、黒川の頭をぽんと撫でた。

唐突で、あまりにも優しくて、黒川の瞳が揺れる。


「……あんまり、そういう顔すんな。夜だし、変な気起こすだろ」


「……!」


赤くなる耳を隠すように、黒川はマグカップを持ち直した。

笑ってごまかすのは得意だったはずなのに、今夜はちょっと無理だった。


「すみません。気をつけます」


「いや、……気にすんな。おまえのそういうとこ、俺は……」


言いかけて、因幡は言葉を切った。


(好きだよ。……とか、今さら言えるかよ)


そんな自分に小さく舌打ちしながら、マグカップに口をつける。


静けさが戻る。

けれど、それはどこか心地いい緊張を孕んだ沈黙だった。


部屋の窓の外では、夜風が赤く色づいた葉を揺らしていた。


---


夜中。

窓の外では風が紅葉を揺らし、さらさらと乾いた音を立てていた。


その音の中に、かすかな声が混じった。


「やだ……いかないで、柚瑠さん……っ……」


寝返りを打った布団の中で、律は眉を寄せ、小さく震えていた。

夢のなかで何かにすがるように、誰かの名前を呼んでいる。


――柚瑠が、遠ざかっていく。

何も言わず、ただ背を向けて歩いていく。

呼んでも、手を伸ばしても、届かない。

胸を裂くような喪失感だけが、律の中に残った。


「――っ……!!」


びくん、と身体を起こして、律は夢から飛び起きた。

視界がにじんで、呼吸がうまくできない。

何が現実で、何が夢だったのか、その境目が曖昧なまま、目から涙が溢れ続けた。


「律……?」


低く優しい声が、すぐ横から聞こえた。

柚瑠だった。

隣の布団に背中合わせに寝ていた彼が、律の異変に気付いて目を覚ましていた。


「どうした、苦しい夢?」


律は何も答えられず、ただ小さく頷いた。

こぼれ落ちた涙が、シーツに滲んでいく。


柚瑠はそっと起き上がると、律の背中に腕をまわして、その身体を抱き寄せた。


「大丈夫。……僕はここにいる」


律の額が、柚瑠の胸元に触れる。

そのぬくもりに、律はようやく少しだけ呼吸を取り戻す。


「……夢の中で、柚瑠さんが、俺のこと嫌いになって、……どこかに行ってしまって……呼んでも、追いかけても、何にも届かなくて……」


震える声でこぼす律に、柚瑠は何も言わず、ただ優しく背を撫でた。

まるで小さな子どもをあやすような仕草だった。


「律。よく聞いて」


柚瑠は少しだけ体を離し、律の頬に手を添えて、まっすぐ目を見る。


「僕は、おまえが泣くほど不安になるような、そんな夢に負けないくらい、ちゃんとここにいる。……おまえを嫌いになるなんて、ありえない。おまえは、僕にとってただの助手じゃない。大事な存在だ」


律の唇がわなないた。

喉の奥から、嗚咽がこぼれそうになったその瞬間、柚瑠がもう一度、強く抱きしめる。


「……僕は、どこにも行かない。律、おまえの傍にいるよ。これからもずっと」


その言葉に、律の手がゆっくりと柚瑠の背に回った。

ぬくもりにすがるように、静かに、でもしっかりと。


「……柚瑠さん、……ありがとうございます」


涙のにじんだ声に、柚瑠は「バカ」とだけ囁いて、律の髪を撫でた。


夜の風が、ふたりのいる部屋の外を通り過ぎていく。

けれど、ここにはもう何の不安もなかった。

寄り添う温もりと、互いを求める想いだけが、確かにそこにあった。


---


夜が明け始める頃、律はようやくうとうととした浅い眠りに落ちていた。


窓のカーテンの隙間から、やわらかな朝の光が差し込んでいる。

部屋の空気はしんと静かで、聞こえるのは鳥のさえずりと、隣にいる誰かの穏やかな呼吸。


律は薄く目を開けた。

まぶたの裏にまだ残っていた夢の影は、今ではもうどこにもなかった。


隣にいる柚瑠の腕の中で目覚めた朝――

それは信じられないほど、あたたかくて、安心できる空間だった。


「……起きてたのか?」


不意に、低い声が頭の上から落ちてくる。


「っ……柚瑠さん、起こしちゃいましたか?」


「ん。目が覚めたら、おまえが俺の腕を掴んで離してくれなかっただけだ。寝苦しいかと思ったけど……まぁ、悪くなかった」


小さな冗談めいた言い回しに、律は頬を赤らめた。

昨夜の夢のことを思い出して胸がちくりと痛むけれど、柚瑠のぬくもりはそれをそっと包み込んでくれる。


「……あの、昨日は……すみませんでした。変な夢で取り乱して……」


「謝るなよ、律。怖い夢くらい見るもんだ。誰だって」


そう言って、柚瑠はゆっくり起き上がり、寝癖のついた髪を指先で整えながら、カップを手に取る。


「……コーヒー、淹れるけど飲むか?」


「はい、ぜひ……」


律もゆっくりと身体を起こした。

すぐ隣にある日常。

その中に柚瑠がいて、笑っていて、名前を呼んでくれている。

それだけで、律の胸の奥がじんわりとあたたまる。


小さなテーブルで、柚瑠が差し出したカップを受け取る。

そこに注がれた黒い液体は、ほんのり香ばしくて、鼻をくすぐった。


「甘くしてる。おまえ、苦いのダメだろ」


「……ありがとうございます」


さりげない気遣いに、律の心はまた少しだけ強くなれた気がした。


一口飲むと、ちょうどいい甘さと温度に、思わず頬がゆるむ。


「……なんか、こういう朝って、すごく……幸せですね」


ぽつりと漏れた律の言葉に、柚瑠は一瞬カップを口に運ぶ手を止めた。

だが、それをすぐに誤魔化すようにふっと笑う。


「何だそれ。夢見が悪かったやつの台詞には聞こえねえな」


「ふふっ……」


ふたりは顔を見合わせて笑った。

照れ隠しと、安堵と、静かな喜びがそこに混ざっていた。


昨日の夢はもう過去。

この朝は、確かな“今”として、ふたりの心に刻まれていく。


小さな朝のテーブルに、寄り添うふたりの距離が、昨日よりも少しだけ近くなっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ