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官能霊媒師は朗読で祓う  作者: あしゅ太郎


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33/83

双子を喰う井戸

編集部を出ていった黒川才斗の気配が消えたアパートで、因幡歩人はひとり、静かに原稿に向かっていた。


昼を過ぎて、陽が傾き始める頃。

カタカタとキーボードを打つ音だけが、室内に響く。


「……よし、一区切り」


エンターキーを押してから大きく息をついた歩人は、椅子の背もたれに体を預けた。

画面には新作官能小説の締めの一文――言葉で触れる快楽と、触れられない心の距離。


皮肉だな、と思う。まるで自分みたいだ。


ちら、と目をやった先。テーブルの上には、黒川が置いていったマグカップと、封も開けていなかった次の除霊依頼書。


あれから黒川は、夢の話をしなかった。

もちろん、因幡もあえて聞かなかった。けれど。


「……わかってんだよ」


誰に向けるでもない独り言。

彼が昨夜見た夢、その中にある痛みは、あまりにも生々しくて――。


「今の黒川に、ああいうの……近付けたくねぇよな」


カーテン越しに滲んだ夕陽を見ながら、因幡はそう呟いた。

除霊依頼の内容は、郊外の神社の裏にある廃井戸。


『双子を喰う井戸』――

生贄にされた双子の霊が今も底で呻いている、という噂。


「よりによって……タイミング最悪かよ」


黒川は、双子の兄を亡くしている。

そんな場所へ、連れていけるはずがない。


リュックの中にはすでに、御札と清めの塩、経文と懐中電灯。

そして、朗読用に選んだ最新作の官能小説。


カバーだけは黒川が最後に使っていたものを拝借した。

少しだけ甘い気持ちを抱きながら、そっと文庫にかぶせる。


「今日は……俺ひとりでやる」


立ち上がり、荷物を肩にかけ、玄関に向かう。


靴を履いてから、ふと立ち止まった。

ドアノブに手をかけながら、ぽつりとつぶやく。


「恋人でも、家族でもないし……ただの師匠で、ただの作家だけどさ」


少し照れくさそうに笑って、でもその声音は真剣だった。


「……黒川がこれ以上、痛い思いしないように、俺が守る」


誰にも聞かれないような、静かな誓い。


そのまま因幡は、暮れなずむ街の中へと一歩を踏み出した。

背中には、夜の依頼と、言葉にできない想いが詰まっていた。


アパートの部屋には、微かに揺れるコーヒーの香りと、彼が書き上げた原稿の余韻だけが残っていた。


---


編集部から帰ってきた黒川才斗は、アパートの玄関を開けるとほっと息を吐いた。


靴を脱いでリビングに入る。

カーテンは閉じられ、照明は落とされていた。まるで人の気配がない。


「……因幡先生?」


呼びかけても返事はない。

風呂場を覗いても、寝室を覗いても、どこにも彼の姿はなかった。


黒川の眉間に、じわりと皺が寄る。


彼がどこかに出かけるとき、必ずメモかLINEを残していく。

それが彼なりの“自分が無事でいる”という証のようなもので、黒川もまた、それに何度も救われてきた。


けれど今日は、何もなかった。


「……いや、待って」


何かがテーブルに置いてある。

封筒。編集部から回ってきた依頼書のフォーマット。見慣れた字体。


黒川はそれを手に取り、中身を見た。


---


【除霊依頼書】


■場所:郊外・神倉村 旧神社裏の廃井戸

■内容:深夜、井戸から呻き声のような音が聞こえる。近隣の住民が悪夢や幻聴に悩まされている。

■補足:「双子を喰う井戸」と呼ばれており、かつて双子を“供物”にしたという伝承あり。地元では封印されていたが、最近工事で地面が掘り返され……


読み進めた指先が、ピクリと止まった。


「……双子……?」


心臓が跳ねた。


記憶が、胸を鋭く叩く。

冷たい病室。手を伸ばしても届かなかった兄の手。

その夜からずっと、夢の中で見続けてきた情景。


「まさか……」


黒川はその場に座り込んでいた。


因幡が、これを見て、俺を連れて行きたくなかった。

その理由が、痛いほどわかった。


でも、だからって。


「ひとりで行くなよ、バカ……」


紙を握る手が震えた。


“俺が行ったら黒川が傷付くかもしれない”——

そんなふうに考えたんだろう。

だけど、俺だって、アイツが傷付く方がずっと怖い。


黒川は立ち上がると、すぐにスマホを手に取った。

発信履歴から因幡の番号を押す。コールは鳴り続けるが、繋がらない。


「先生……出ろよ……!」


無意識のうちに声が荒くなる。

コールが切れた瞬間、黒川は迷いなくバッグに塩と数枚の御札を詰め込み、コートを羽織って玄関へ向かった。


「すみません、因幡先生。俺、やっぱり……お前の助手なんて中途半端じゃいられない」


鍵をかけ、ドアを閉める。


「お前のこと、……好きなんだよ、もう」


夜の街へ駆け出すその背に、抑えきれない想いが滲んでいた。


――間に合え。


その願いだけが、冷たい風に乗って響いていった。



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