君が最初に守ってくれた夜
ラーメン屋からの帰り道、柚瑠の隣を歩く律の意識は、ふと過去へと引き戻されていた。
あれは、まだ自分が入院していた頃のことだ。
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「……よろしく。僕、柚瑠って言います」
そう言って病室に入ってきたのは、自分とそう歳の変わらない少年だった。
肩を包帯で巻かれ、どこかやんちゃそうな顔に不釣り合いな松葉杖。
聞けば階段から落ちて足を捻挫したらしく、数日間だけの入院らしい。
自分――無我律は、その時すでに何ヶ月もこの病室にいた。
生まれつき心臓が弱く、長いこと入退院を繰り返していた。
体は動かせず、窓の外ばかりを眺めて過ごしていた日々。
そこに柚瑠は、唐突に現れた。
「名前は?」
「……無我、律です」
「ふーん。律くん。なんか、お坊さんの名前っぽいね」
「よく言われます……」
「僕は“高守 柚瑠”。でも高守はめんどくさいから、柚瑠でいいよ」
笑いながら、あっけらかんと話しかけてくる柚瑠に、律は最初少し戸惑った。
けれど、彼は変な子だった。
人の目をじっと見て話すし、変なところで鋭い。
だけど、それが嫌じゃなかった。
数日が過ぎる中で、ふたりはゆっくりと打ち解けていった。
ある晩のことだった。
病室の空気が妙に重苦しく感じられた。
もともと霊感が強い律は、ずっと見て見ぬふりをしてきたが、その夜は違った。
点滴台の影に、ぼんやりと黒い人影が立っていた。
「……また来た……」
息を呑む。
動けない体。呼び鈴を押す余裕もない。
その影が、ゆっくりとこちらに向かって伸びてくる。
(だめだ、逃げられない――)
その瞬間。
「おい」
柚瑠の声がした。
律の目の前に、細身の背中が割り込んできた。
「――ここから出てけ。迷ってるだけの霊なら、教えてあげる。けど、ただ人に取り憑いて泣きたいだけなら……それは、ちょっと、ムカつくな」
そう言って、柚瑠は掌に何かを描き、呪文のような言葉を唱えた。
次の瞬間、空気が揺れて、黒い影はまるで霧のように霧散した。
「……いなくなった?」
「うん。もう大丈夫。ちょっと暴れるかと思ったけど、あいつ、寂しかっただけみたい」
「……柚瑠さん、今の……」
「うち、ちょっと変な家なんだよ。霊とか、見えるし、払えるし。教えられて育ったから」
驚いて目を見開く律に、柚瑠は笑った。
「ねえ、律くん。君もさ、けっこう見えちゃう方でしょ?」
「……どうして……?」
「目が、知ってる目してた。怖いものを知ってる人の目だよ」
そう言って、柚瑠は静かに言葉を続けた。
「だったらさ。怖い時は呼んで。僕、ちゃんと守れるから」
その一言が、律の胸に深く刻まれた。
守られたことなんてなかった自分にとって、その言葉は――あまりに温かすぎた。
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ふと現実に戻る。
「律?」
隣で、柚瑠が怪訝そうに覗き込んでくる。
「……いえ。少し、昔を思い出していただけです」
「へぇ、珍しいな。何? 思い出話?」
「……いえ、なんでもありませんよ」
苦笑しながら答えると、柚瑠は首を傾げてそれ以上聞いてこなかった。
気づいていないのだ。
あの時の「守ってくれた君」が、今も変わらず、自分にとっての“ヒーロー”であることに。
(……師匠じゃなかったら、もっと素直になれたんでしょうか)
けれど、言葉にはしない。
律はその気持ちを胸にしまったまま、静かに歩を進めた。




