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官能霊媒師は朗読で祓う  作者: あしゅ太郎


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痛みと声を喰う夜に

夜風が吹きすさぶ、都市の外れにある廃ビル。その屋上は、高い柵に囲まれ、かつて“誰か”が最後の一歩を踏み出した場所だった。


「……本当にここ、で合ってるんですか?」

黒川才斗は不安げに空を見上げた。ビルの上は、濁った霊気が層をなして漂っている。因幡歩人は小さく頷き、足元の霊石を確認しながら呟く。


「依頼主の話では、最近ここに立ち入り禁止の札を貼っても、朝には必ず剥がされてるって。しかも、目撃証言が全部“音のない霊”なんだ」


「音のない、って……?」


「鳴き声も、呻き声も、何も発さず……ただ、こちらに向かってくる。話も通じない」


黒川がぞっと背中を這うような寒気に肩をすくめたその瞬間だった。


「っ──来るぞ」


ビルの影からぬるりと現れたのは、血色のない顔に、乱れた長髪。何より異様なのはその耳——耳朶の形が奇妙に歪み、生前から聴覚を持たなかったことを語っていた。


因幡は一歩前に出た。手にした原稿は、今夜のために用意された“濃度高め”の官能朗読。


「……届かなくても、言葉は魂を揺らす。例え君に聴こえなくても、俺は読む」


風が止まり、静寂の中、因幡歩人の声が響いた。


> 「濡れた肌をなぞる指先は、抗う間もなく喉元へ……』」


だが──その霊は動かなかった。むしろ苛立ったように両手をわななかせ、その鋭い爪を振り上げた。


「──あ、っ!」


次の瞬間、その爪は一直線に因幡の喉元を狙って振り下ろされ——


「……やめて、もらえますか?」


その声が響いたのは、霊の背後からだった。笑顔。けれど、それは普段の黒川のやわらかなものではない。


「立派な爪ですね。……折りたくなっちゃいました」


黒川の右手が、鋭く閃いた。護符と鉄を合わせた指輪が霊の手首に直撃。激しい音とともに、霊の腕がねじ曲がる。


「因幡先生に、触れないで」


黒川才斗は怒っていた。小柄な体から、まるで別人のような威圧感が溢れていた。

霊が唸り声すらあげられぬまま後退する。黒川は一歩、また一歩と詰める。


「言葉が届かないなら、こうして直接──教えてあげる。あなたが“もうここにいちゃいけない”ってこと」


最後の一撃で、黒川の拳が霊の胸を貫いた瞬間、霊の目がかすかに潤んだ。口が動いた。


——『ありがとう』と。


光となって昇っていった霊の残滓を見上げながら、黒川ははぁ、と深く息をついた。


「……よかった。間に合って……」


「黒川」


崩れかけた声で因幡が呼んだ。見ると、喉元にはかすかに血がにじんでいた。


黒川の表情が一変する。「大丈夫ですか!?」

そのまま因幡の胸元に顔をうずめるように抱きついた。


「……怖かった……でも、それ以上に、先生に触れられるのが……イヤだった」


「……黒川」


その声が揺れていたのは、たぶん因幡も同じだった。


二人の間に、耳を持たなかった霊には届かなかった“言葉”が、確かに通じていた。


秋の夜風は冷たいけれど、ふたりの心の距離は、もう少しだけ近づいていた。


---


夜もすっかり更けた帰り道。廃ビルの気配が遠ざかるにつれて、現実に戻ってきたような感覚がする。


「……あんな黒川、初めて見たな」


因幡は、並んで歩く黒川をちらりと見ながら言った。

喉には絆創膏が貼られている。痛みはもう引いていたが、黒川が黙って貼ってくれたそれが、なぜだかずっとじんわり温かかった。


「怒りますよ、あんなの……先生に手ぇ出そうとしてたんですよ?」


「でも、まあ……最後は伝わったんじゃない? “ありがとう”って」


「それ、先生の声だったからだと思いますけどね」


「え、俺の?」


「……先生の声、好きですから」


その言葉に、因幡の足がふっと止まる。


「……なに、それ。いま、さらっとすごいこと言ったよね?」


「本当のことですし」


「恋愛経験ないって言ってたじゃん」


「だから、進行形で学んでますって」


黒川の真っ直ぐな目を前に、因幡は目を逸らす。からかわれてるわけじゃないのはわかってる。だからこそ、照れくさい。


やがて、黒川のアパートの前に着くと、因幡はふと空を見上げて言った。


「…今夜は月が綺麗だ。明日晴れるといいな」


「夏目漱石ですか?」


「……いや、違うし。べ、別に深い意味はないって」


そう言いながら耳まで赤くなる因幡に、黒川はふわりと笑った。


「意味があっても、いいですけどね」


「こら。そういうの、軽々しく言わないの」


「軽くないですって」


にこにこと笑う黒川の顔を見て、因幡はため息混じりに小さく笑った。


「……ホント、君には敵わないな」


そしてふたりは、そのままいつものように玄関の灯りに包まれ、夜の中へと戻っていった。

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