秋風のサイン会
秋の午後。
駅前の大きな書店、その一角にあるイベントスペースには、長蛇の列ができていた。
展示台の脇にはポスターや等身大パネルが並び、ほんのり甘い金木犀の香りが、開けた窓からふわりと流れ込んでくる。
「わあっ……本物の因幡先生……!サインありがとうございますっ!」
「お写真もお願いできますか!?あっ、距離は空けるので……!」
「インスタで見てました!顔も声も本当にイメージ通りで……!」
きらきらした目で押し寄せるファンたちに、因幡歩人は気取らず微笑みながら応じていた。
「ありがとうございます。嬉しいです。ええ、もちろん、お写真どうぞ」
にこりと笑えば、またひときわ歓声が上がる。
SNSで“朗読除霊師”として一躍注目され、特に最近は動画のクリップがバズってしまった影響もあって──いまや因幡には、いわゆる“顔ファン”までついていた。
「えー、かっこよすぎる……」
「声まで優しい……」
「わたしも除霊されたい……」
──その声を、少し離れた会場隅から、黒川才斗は黙って聞いていた。
手にはイベント用の名簿とサイン本の残り数。担当編集として動きながらも、どうしてもちらちらと因幡のほうを見てしまう。
……さっきの子、えらく近かったな。
しかも、サインにハートマーク描いてもらってたし。
「……ったく」
黒川は、書類を束ねながら小さくつぶやいた。
──胸もないし、メイクもしてないし。
可愛い声も、きらきらした服も着てない。
そもそも自分は、あの子たちみたいに「先生、かっこいいです!」なんて、軽く言えたりしない。
ほんとうは自分のほうがずっと近くにいるのに。
あんなふうに「特別な存在」だなんて、言えない。
「……なんで、俺が嫉妬してんだろ」
そっと目を伏せて苦笑する。
嫉妬なんて、似合わないとわかっているのに。
──そのとき。
「黒川?」
振り向くと、サイン会を終えた因幡が立っていた。
ファンの列はすでに途切れ、スタッフが机を片付け始めている。
「……あ、ごめん。なんでもない」
「顔、曇ってるぞ。疲れた?」
「疲れてない。……けど、ちょっと寒くなってきたかも」
因幡はふっと笑った。
「じゃあ、温かいものでも飲みに行くか。お前の好きな、あの甘ったるいやつ」
「……タピオカ?」
「うん、それ」
黒川はちょっとだけ、頬を緩めた。
──言えない気持ちはあるけれど、
こうして横に並んで歩けることだけは、まだ、誰にも譲りたくない。
秋風の中。
人混みをすり抜けて、ふたりの影が寄り添っていく。




