共闘、湯煙に消ゆ
「……ここが問題の現場か」
因幡歩人が、湯気の立ちのぼる山道を上りきった先、立ち入り禁止テープが巻かれたボロボロのホテルを見上げた。
黒川才斗は少し後ろで、温泉宿の案内パンフレットを握りしめて青ざめている。
「俺……できればもっと、人が生きてる場所での調査がよかったんですけど……」
「ここは観光客がよく通る道らしいし、放っとくわけにいかねぇって」
そこへ、別の登山道からやってくる二人の姿――
「やっぱり来たな、因幡歩人……!」
因幡が目を細めると、柚瑠が険しい顔で立っていた。その隣で無我律が手を軽く挙げて会釈する。
「やあ、また会いましたね。温泉、入る前に仕事しなきゃって感じ」
「律、おまえもうちょい警戒感持てよ……!」
柚瑠は因幡を睨みつけたまま、言った。
「こんな不真面目な除霊師に、大事な依頼を任せるわけにはいかない。ここは僕たちがやる」
「……そりゃ頼もしいな。けどよ、こっちも温泉旅館にタダで泊まれるって条件で引き受けたからな?」
「何、その不純な動機は!!」
黒川は因幡の袖を引っ張りながら小声で注意する。
「先生、ちょっとは真面目に……!」
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廃ホテル内
ホテルのロビーは薄暗く、赤いカーペットがところどころめくれている。
遠くから、不自然な“笑い声”が響いた。
「っ、これ……一体、何体……?」
黒川が怯えながら呟く。
「観光客に悪さしてるのは、いわゆる“うらみ型”の地縛霊だな。複数。……朗読、いけるか?」
因幡はおもむろにポケットから文庫本を取り出す。
「いけるっちゃいけるが、正直“この建物の残響”が邪魔なんだよな。音が反響して、霊が集まってきやすい」
「なら——その残響を抑える術式を使おう」
柚瑠がすっと前に出た。
「僕の“空間結界術”なら、一定範囲の霊の感応を押さえられる。……君の朗読が本当に効くなら、環境整備くらいはしてやる」
因幡が少し口を開けてから、笑った。
「へぇ。……協力、してくれるのか?」
「べ、別に君のためじゃない。これは依頼を成功させるための“妥協”だ!」
無我律が、ふっと笑う。
「柚瑠さん、こういうのを“共闘”って言うんですよ」
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地下フロアのスパ跡地、壊れたジャグジーの中から、異様に長い髪の女霊が這い出てくる。
「“最後のクチコミ、返せぇ……”」
「観光地霊って怖さのベクトルちょっと違うな……!」
因幡が朗読を開始しようと本を開くが、唐突に照明が明滅し、足元に別の霊が現れる。
「わ、こっちにも出た!!」
「因幡先生、読んでください! こっちは俺が!」
黒川が、霊に向かって飛び蹴りをかます。物理除霊が成功し、女霊が吹き飛ぶ。
「お、おまえホントにすごいな……!」
「えっ、褒められました!? 今の俺、ちょっと無敵かも!」
柚瑠も術式を展開し、結界を広げて霊の動きを封じ込める。
「いまです、先生!」
因幡は朗読を始めた。甘い声が廃ホテルの地下に響く。
> 「……濡れた肌に触れた吐息は、熱に浮かされた意識を溶かしていく――」
「くぅぅぅ……っ! 何回聞いても直視できない朗読……!」
霊たちは次第に動きを止め、因幡の声に引き寄せられ、やがて溶けるように消えていく。
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除霊を終え、4人は旅館の足湯につかっていた。
黒川は柚瑠にタオルを渡しながら、ほっとした笑顔を向ける。
「高守さんの結界術、すごく助かりました」
「……ああ。ま、君も悪くはなかった」
「珍しく素直ですね、柚瑠さん」
「律、うるさい!!」
因幡が肩を回しながら、新刊のゲラをちらつかせる。
「さて、あとは温泉シーンでも書いて締めるか……“湯気の奥、ふいに近づく唇”ってな」
「先生!! 職業病が出ちゃってます!!」




