その拳で悪霊だけを殴れ
「こんな時間に、こんな場所で……ほんとにやるんですか……?」
黒川才斗は眉間にしわを寄せ、人気のない交差点を見渡した。照明は暗く、車通りも少ない。だが、霊感の強い彼にはすでに“視えていた”。
電柱の影。横断歩道のど真ん中。交差点の中央には、白く濁った女の霊がうずくまっていた。
「今しかないだろ?人が来たら、俺の朗読が……止まる。恥ずかしくて」
因幡歩人はポケットから文庫本サイズの原稿束を取り出し、喉を鳴らした。
「さあ、いくぞ。愛と憎しみの中にこそ、快楽の扉はひらく……!」
「やめてくださいそのセリフから入るの!!」
「この呪文じゃないと霊に効かねえんだよ!! 黙って見張ってろ!」
因幡が朗読を始めると、霊がビリビリと震え出す。その反応を確認しながら、黒川は懐中電灯を片手に周囲を見張った。
「っ……来た、通行人!」
通りの向こうから酔っ払いらしき男がふらつきながら近づいてくる。
「やべ、いったん中断!」
因幡がぴたりと口を閉じると、霊が“待ってました”とばかりに立ち上がり、狂気じみた目でこちらに向かってくる。
「こっち来た……!」
「もう間に合わん!黒川、お前だ!」
「えっ、俺……っ、わかりました!」
黒川はふいに地面を蹴って飛び出し、霊に向かって正拳突き。
「お帰りください!!」
霊の顔面にクリティカルヒットが入り、衝撃で霊の体が一瞬にして弾け、光の粒になって散った。
「うおぉ……お前、素手で殴って除霊って、やべえな……」
「悪霊だったので……本能的に、手が……勝手に……」
「いや、お前の拳の方が悪霊みたいだったわ……」
そうこうしてるうちに、酔っ払いの男は何事もなかったかのように交差点を通り過ぎていく。
「……ふぅ、助かった」
因幡が朗読原稿をしまいながら言う。
「ちゃんと霊も祓えたし、朗読の恥も最小限だし、黒川の新たな武器も発見したしな」
「……なるべく、使いたくない武器ですね……」
黒川は頬を引きつらせながら、手の甲をさすった。
「でも、いざって時は頼りにしてるよ?」
「っ……先生の、そういうところ……ずるいです」
「ん? なんか言ったか?」
「いえ、なんでもありません」
彼らの夜はこうしてまたひとつ、騒がしくも妙に息の合った“朗読除霊”で幕を閉じるのだった――。




